37 神なる見地と魔王の立場
「そうじゃな、話をするにあたって先ずはお主の不安を取り除く事が必要であるな」
「俺の不安? そんなの……」
「安心するがよい、こ奴らには在るべき場所へと還ってもらうのじゃ」
口に出さずとも分かっている。
スカーレットはそう言いたげな表情で俺の言葉を遮ると、懐から手のひら程の葉っぱを取り出した。
「葉っぱ?」
「世界樹の葉じゃよ」
「……世界樹って、はあ!?」
世界樹は現在、ルクルネストによって厳重に管理されており無許可では近付くことさえままならない。
仮に参拝の許可が下りても当然触れることなんて許される筈もないから葉っぱを手にする機会なんてある訳がないんだけど……。
それでもこいつが魔王であることは紛れもない事実だから何かしら入手する機会はあるんだろうな。
「サムよ、お主は世界樹の役割を存じておるか?」
「世界樹の役割? そんな話は今まで聞いたことがないな。そもそも木に役割なんか無いだろ」
正直に言うと聞いたことどころか考えたことすら無い。
聞くところによるとマナを放出しているらしいが魔術とは縁の遠い俺には単なる大きな木にしか見えなかったりする。
そもそもマナって何だよ……。
「そう興味の無さそう顔をするでない。よく聞くのじゃぞ。世界樹は本来、彷徨える魂を冥界へと導く為に存在しておるのじゃよ」
「さっぱり分からねえよ……」
「じゃろうな。ならば実際にどのようなものであるかその目でしかと見届けるがよい」
ふわふわとスカーレットの前方を漂う4つの魂。
その1つに彼女の持つ世界樹の葉が触れる。
ほわぁ……。
魂はそっと弾けるように青白い光の粒を四方に拡散させて……、この世界から消滅した。
そのまま残る3つも彼女の手によって消えて無くなった。
魔王は『消す』という動作に躊躇を残さぬまま。
そして俺はその一連の流れをただ見つめるしかできなかった。
それは恐怖ではない。
ましてや神秘的でもない。
ただ一瞬にして目の奥に焼き付いた事象を頭で理解できないもどかしさだけがグサグサと精神を傷つける。
どう言い表せばいいのだろう、俺の身体のどの部分が魂なのかはっきりと判らない。
だけど目の当たりにしているだけで一緒に砕け散ってしまいそうな……、そんな脆さに抗いたくてクーリエの手を強く握りしめてその場に立ち竦むことしかできなかった。
…
……
たった今、その瞬間まで魂という形ではある何者かがこの世界に踏みとどまっていた空間を俺は無意識に見つめていた。
当然そこにはもう何も存在しない筈なのに……。
「サムよ」
「……」
「ホレ、サムよ」
パチン!!
「ハッ!? あっ、ああ……」
スカーレットが勢いよく両手を合わせる音で俺は我に返った。
「ちいとばかしお主には刺激の強すぎる光景じゃったかのう」
スカーレットは持っていた世界樹の葉でパタパタと自身の頬を扇ぎながら俺にやれやれといった感じで言葉を投げ掛けてくる。
だが俺は黙ってその場に立つことで精一杯だった。
具体的な理由は分からない。
ただ未知なる感覚が俺を支配していてそれが五感を機能させないような、落ち着かない情緒と曖昧な思考がそんな答えを弾き出す。
あからさまに気が動転してる。
自覚できるほどに。
「サム様」
「な、何だ?」
「差し出がましい物言いであることは重々承知しておりますが、スカーレット様は決してサム様を裏切る行為は致しません。ですからその……」
ぎゅっ。
ふと側に立っていたクーリエが俺の背後に回り込んでそっと抱きしめてきた。
何だろう、すごく温かい。
「かぁ~っ! なっさけない! 実になっさけないのう! サムよ、女子にそこまで言わせてお主は男として恥ずかしく思わぬか!?」
突然正面のチビッコから罵声が飛んできた。
とんでもなく酷い言い掛かりだ。
「クーリエの言う通りじゃ。お主が背を向けぬ限り妾は決して叛逆なぞ目論まぬわ」
スカーレットがやれやれといった声色で呟く。
まだ辺りは薄暗く彼女の表情ははっきりと伺えない。
それでも溜息交じりで言っているんだろうと思うと全面的に信じてもいいような感情が沸き上がってきた。
これが信頼ってやつなんだよな。
「クーリエよ」
「はい」
「ついでじゃ、こやつに何か気の利いた魔法でも唱えてやるがよい」
「畏まりました」
俺を挟んで側近は親方の指示を仰いでいる。
そういうのは見えないところで行ってくれませんかね……。
「サム様」
「……おう、頼むわ」
「はい」
とはいえ何も訊かずに了承した。
スカーレットから魔法を施されるのはちょっと嫌だけどクーリエなら信用できるしな。
背後から回されたクーリエの両腕。
彼女の口からぽつりぽつりと聴き慣れない言の葉が紡ぎ出される。
すでに魔法が発動しているのだろうか、心の奥底にあった不安が解きほぐされて安心感で埋め尽くされるような感覚が押し寄せる。
「呼吸が安定して精神が落ち着く魔法でございます。イセリアでセシル様に唱えた魔法と魔術系統は似ておりますのでご安心ください」
背中から伝う彼女の温もり、耳元に触れる柔らかな言葉、そして聞いたことのない詠唱の魔法。
俺の逸る鼓動がみるみる落ち着いていくのが分かる。
「ありがとうクーリエ、もう大丈夫だ」
「あ、はい……」
ぺったり。
「……あのー、クーリエさんや?」
礼を述べてもクーリエは離れる気配を一向に見せない。
それどころか離れる気は更々無いと言わんばかりにゆらゆらと翼を揺らしているのが背中越しに伝わってくる。
えーと、あんまりくっつかれるとまたドキドキがぶり返してくるんですけど……。
「フム、どうやら動揺も収まったようじゃな。まったく、リーダーたるものもっとこうドンと構えられんものかのう……」
……あのー、スカーレットさんや?
クーリエがくっついたまま離れないところは完全にスルーしてスカーレットは話を進めようとしてきた。
いやいや、俺にダメ出しする前にそこは立場上きっちり指摘しろよ……。
「先程の魂じゃが、あれは昨日のならず者どもじゃよ」
クーリエのことは置いといて俺が正常に話を聞ける状態であるとみなしたのだろう、スカーレットは早速本題に入った。
昨日のならず者といえば……。
「まさかノーグワースの奴らか!?」
「おうそうじゃそうじゃ、確かそんな名前であったかのう」
「でもあいつらは見逃したんじゃなかったか?」
確か最後は張り合いの無さに辟易してイセリアの衛兵詰所に自首するように命じた筈だ。
なのに何故……。
「そんな難しい顔をするでない。言ったであろう、妾は生命を司る神であるぞ」
「それは聞いたけど、だったらお前は命を守る側の神なんじゃないのか!?」
「そうじゃ」
「お? おっ、おう、そうだよな……」
いきなり急ブレーキをかけるような返答に俺は思わず言葉を詰まらせた。
勢いを失った俺はじっと彼女の瞳を見つめて次の言葉を待つ。
「良い目じゃな。雑念が感じられぬ。クーリエが一途に慕うのも納得じゃわい」
ぎゅぎゅっ。
背後から俺の胸元へ回した手に更なる力が籠る。
そんなクーリエをスカーレットは腕を組みながらウンウン頷きながら嬉しそうに見つめる。
完全に保護者気取りだ。
オマエ、真面目な話するんじゃなかったのかよ……。
「おっとすまぬ、話が逸れたようじゃな」
スカーレットはカッカッカと笑い飛ばすと何時もの能天気魔王様の空気が漂ってきた。
もしかして深刻な内容の話だと思っているのは俺だけなのか?
…
刹那の静寂。
直後、魔王は言の葉を紡ぎだした。
「……冥界に降りる魂が足らんのじゃよ」
僅かに重くなったスカーレットの声色が地を這うように俺に届く。
「冥界? 冥界って、死んだ後に魂が向かうっていう……」
「まあそう思っておればよかろう」
話が脱線する雰囲気を帯びそうな中、飛び込んできたのは全く想定外の問題だった。
冥界――
ただ漠然と話に聞いたことがあるだけの謎の世界。
それでも神と列する立場であるスカーレットが『在る』と述べるならばそれは確かに実在するのだろう。
「ちいとばかし頭を捻れば解ると思うが、妾は生命を司る神であるからして冥界とも深い繋がりがあるのじゃよ」
目の前のちびっこは頭をコキコキと左右に傾けてあたかものーみそが活動しているかのような動作を行う。
「ああ、そういうことか。だからあの蛇に連れていかれると死ぬって言ってたのは……」
「妾が冥界の何たるかを熟知しておるからに他ならぬわ」
「いや、それは分かるけどお前が生命を司る神を自称するならノーグワースを地上から消すのは矛盾しないか?」
生かすも殺すも魔王の匙加減。
でもこいつが生命を司る神の職務を全うするなら悪党だろうが生かしておくのが責務じゃないのか?
まあそれはこの際置いといて、大前提としていくら神であろうと此処がカーネリア大陸である以上殺人は重罪だ。
ただ今回の件、ノーグワースは手配書に生死問わずとあったからお咎めを受けることは無い。
でも彼女の持つ、人を容易く殺められる力を奔放に振りかざされるのは何かが違う。
正直なところスカーレットは極めて聡明だ。
そんな彼女に敵意に対する対処法をどのように伝えれば……。
神と同等の力を有する存在、それも生命を司る神に対して俺なりに命の重みを説く。
どこぞの堕天使なら威圧しながらテキトーな単語を並べればそれで仕舞いだがこいつはそうもいかないしなあ……。
「そうじゃな、ひと言でいうならば秩序のバランス……、かのう」
だが俺が口を開く前に、スカーレットは言葉を選ぶ素振りを見せながらポツリと話し始めた。
「ノーグワースを冥界へ渡した理由はふたつあっての、ひとつめは我等に楯突いた見せしめじゃ。妾は地上では魔王と認知されておるが故に、直接けしかけてくる輩には相応の災禍を見舞うように努めておるのじゃよ」
「魔王として敵に舐めた態度は取らせないってことか」
「平たく言えばそういうことじゃな」
スカーレットは腰に手を当てフフンと鼻を鳴らす。
ゴスッ!!
その煩わしい所作に俺は思わず脳天チョップを叩き込んだ。
一切の無駄が省かれた手刀が美しい弧を描いてローズピンクの頭頂にめり込む。
「ぬあっ!! いきなり何をするのじゃ!!」
「いやスマン、何か凄くウザかったもんでな。なあクーリエもそう思うよな」
「あわわわわ……」
「阿呆! クーリエがそんなたわけた思考を巡らすわけが無いわ!」
いやぁ、自惚れたり怒ったり早朝から忙しい奴だ。
「まあまあ、そんなに怒るなよ」
俺はそう言いながら飴玉の詰まった袋を彼女に放り投げた。
「こんな物で妾の怒りを抑えようとは失礼極まりない奴なのじゃ」
口では偉そうなことを言っているが右手は既に袋の中に突っ込まれている。
お前には自制心というものが無いのか?
無いんだろうな。
スカーレットは袋の中ををがさがさとひとしきり掻き回すとおもむろに手を引っこ抜いた。
どんな高等テクが使われたのか知らんが開かれたその手には包みが剥かれた飴玉が4つ、橙、赤、緑、紫とそれぞれ1つずつ指の間に挟まれている。
嫌いな水色を避けているのも何気に芸術点が高い。
「はぁー、やはり飴玉は最高よのう」
バリバリと橙色の飴ちゃんの断末魔を奏でながら恍惚の表情を見せる魔王様。
ご満悦のところ申し訳ないがもうひとつの理由がまだなので進行を促すとしよう。
「なあ、それよりノーグワースの魂を消したもうひとつの理由ってのがまだなんだけどな」
「ん? すまぬすまぬ、妾ともあろう者がすっかり失念しておったわ」
俺の言葉を受けてスカーレットは少しだけ恥ずかしそうに照れ笑いを浮かべた。
王を名乗るんだからいくら好きでも飴玉なんかにそこまで心奪われるなよ……。
「んー、コホン。ふたつめは衛兵詰所にて自首せよとの命令を無視した挙句、つい先程であるが別のパーティーに襲い掛かろうとしたからなのじゃ」
「はぁ!? あいつら、命拾いしといてマジかよ……」
昨日あれだけヘコヘコしておきながらいざ解放されれば改心する素振りも見せずに悪行三昧。
あの所業だ、地上から消される理由が無い訳ではない。
「この程度の悪党ならばこの世界に掃き捨てる程湧いておるのじゃがのう、生憎そんな連中にいちいち構ってもおれんのじゃよ」
スカーレットははぁと小さな溜息をひとつついて紫色の飴玉を口に放り込んだ。
バリバリと紫色の飴ちゃんの断末魔が辺りに響く。
「とは言え生命を司る神としては無駄な犬死には極力減らしたいというのが本音なのじゃ」
「むやみやたらと消し去るのはどうかと思うが、それでも相手はお尋ね者なんだからお前の力で粛清するのは根本的に間違っていないんじゃないのか?」
「……そこじゃよ」
声の主はじっと俺の目を見つめる。
怒りでも悲しみでもない。
微かに見せる戸惑いの色。
「この話、決して他人に漏らさぬようにと念を押した理由でもあるのじゃが……」
こちらに向いていた彼女の視線はゆっくりと明るみを帯びてきた空を目指す。
「妾は生命を司る神であるにもかかわらずキャスバル大陸を統べる魔王の肩書も掲げておる。その理由は案外単純なものでな、言うなれば圧倒的な力量差を見せつけて荒くれ者共の野心を削いでおった訳よ」
「えっとぉ、力こそ正義みたいなやつか?」
「そういうことじゃ。妾が魔王として地上に降り立つまでキャスバルは血で血を洗う群雄割拠の地だったのじゃがな、案外魂の管理というものが面倒なこともあってハデスには冥界の業務を押し付けて……」
「お前がキャスバル大陸を統治して無益な争いを減らそうとしたってことだな?」
「その通りじゃ」
その通り。
口ではそう言ってはいるがその顔は至って険しい。
こいつはこいつで途方もない苦労を乗り越えてきたという揺るぎない事実がそこから伺える。
「ノーグワースを地上から抹消する事象は将来的に他の生命の維持に繋がる。立場上苦渋の判断ではあるが致し方無い判断なのじゃ」
「ってことは普段からこんなことはしないんだよな?」
「だから言ったであろうが、直接けしかけてくる輩にのみ相応の災禍を見舞うと」
天を仰いでいた魔王の視線がゆっくりとこちらへ向けられた。
言葉に嘘偽りは無い。
彼女の瞳がそう物語っている。
「要するに強盗殺人を犯しても地の果てまで追うんじゃなくて、あくまでお前を狙ってきた奴にだけ手を下すってことで合ってるのか?」
「そうじゃ、それこそが秩序のバランスなのじゃよ」
「そっか、お前もいろいろ考えながら行動してるんだな」
俺が指摘するまでもなくスカーレットは己の立場を弁えていた。
これなら無暗な殺戮が巻き起こることな無さそうだ。
「でもさ、それならそれで黙っていないで皆に伝えた方がいいんじゃないのか? 実際にお前って生命を司る神なんだろ?」
「それが叶わぬから苦労しておるのじゃよ」
「そうなのか?」
「考えてみるがよい、妾の地上での力はキャスバル大陸を統治する為の力じゃ。それが蓋を開けれ殺さずの魔王であったとあれば、その先は分かるじゃろ?」
スカーレットが察しろと言わんばかりにじろりと視線を向けてくる。
「あー、命までは取らないと知れたら魔王の存在そのものが暴動の抑止力として成立しないんだな?」
「そうじゃ。であるから今話した内容は誰にも口外してほしくないのじゃよ」
緑色の飴玉を口に含む魔王の姿は妙に力なさげに感じられる。
神に列する力を持ってしても地上の混沌を制するにはほとほと手を焼かされたのだろう。
とはいえ俺にできることは同情することだけなのだが。
「分かったよ。今聞いたことは俺の口からは誰にも言わない。でもセシルとルシオンには言える範囲でいいからお前自ら説明してやってくれよな」
いつの間にか東の空が朝焼けの色調を示していた。
もうすぐ日の出の時間だ。
今からまた横になる気にはならないけど取り合えずキャンプに戻るとするかな。
「まあそう焦るでない。どうせあの2人はまだ夢の中であろうぞ。事のついでじゃ、妾もお主に訊きたいことがあるのじゃが少しだけよいか?」
背後からしがみ付いてくるクーリエの両腕をほどこうとその手を握ると同時に目の前に立つスカーレットが俺を引き留めるように話しかけてきた。
「別にいいけど、俺に訊きたいことなんてあるのか?」
すっとぼけたような素っ気ない返事を返しておく。
だが既に俺の脳裏には1人の人物が浮かび上がっていた。




