3 魔王様強制召喚の巻
「サム様でございましょうか?」
上から下まで漆黒に身を包んだヴァンパイアロードの女は外見に見合わない淑やかな声色で訪ねてきた。
「ああ、10年振りだな。元気にしてたか?」
「はい。スカーレット様に仕え色褪せぬ日々に身を委ねる次第でございます」
クーリエは静かに立ち上がると襟を正しにっこりと穏やかな笑みを浮かべる。
微笑みの奥にある深紅の瞳は行き交う者を惑わし魅入られたら最後、傀儡として舞い散るのみ、らしい。
まあ性格的に一生縁のないスキルだろう。
実に残念な奴だ。
俺は水色の飴玉を強引に渡すと遠慮がちに受け取り大事そうに握りしめて翼をゆらゆらと揺らした。
何かいいことがあると翼が揺れる癖は変わっていないようである。
「で? 感動のご対面は済んだ?」
唐突にセシルが俺達の間に割り込んできた。
クーリエの表情が瞬時に強張る。
「あら、いきなり仕掛けてきたわりにご挨拶ね」
初対面のセシルからすれば当然の台詞だろう。
突然目の前に現れたのが性格も熟知している傍輩だから穏やかな気持ちでいられるのであって、これがもし見ず知らずの相手だったら今頃抜刀していてもおかしくないに違いない。
まあ個人的にはクーリエであるというだけで不問にしてもいいのだがセシルがいる手前理由の一つも欲しいところである。
となるとまずはこの好戦的なダークエルフを黙らせなければなるまいと道具袋をまさぐる。
「まあまあ、ひとまず落ち着け」
そう言ってポーションと飴玉を一握り渡すと渋々といった感じで引っ込んだ。
びっくりするほどちょろい奴だ。
ひんやり冷たいドリンクでクールダウンしたのかセシルの怒りゲージが引っ込んだのを確認して俺はクーリエの方に向き直った。
クーリエは魔王の側近にもかかわらず誰に対しても嘘がつけない性格だから単刀直入に聞き出すとしよう。
「クーリエ」
「はい」
「何故俺に転移魔法を放ったんだ?」
「それは、あぅ……」
「転移魔法?」
クーリエへの問い掛けにセシルが口を挟む。
「ああ、間違いない。お前に無理矢理装備させられたリングで打ち消されたけどな」
「じゃあ倒れそうになったのはどうして?」
「体内で相殺されての魔力酔いだ」
「ダサ……」
蹴りたい衝動をグッとこらえる。
それにしても腑に落ちない。
クーリエが目の前に姿を見せた時、俺が誰かまでは認識していない。
一体こいつは素性も判っていない状態で俺を何処へ飛ばそうとしたのか……。
顎に手をあて暫し一考。
ウム、分からん。
「クーリエ」
「はい」
「お前何か隠してないか?」
「それは、あぅ……」
隠しているのがバレバレだった。
「スカーレットの差し金か」
「はうー」
黒幕も瞬時に特定できた。
実に残念な奴だ。
「クーリエ」
「はい」
「残念だがお前に御庭番は無理だ」
適性のなさを指摘されクーリエはシュンとした表情を浮かべる。
「そんな顔するな。お前にはお前のよさがある。それよりお前にこんな事させるスカーレットに問題があると思うぞ」
「申し訳ございません」
この場においても即座に謝罪ができる。
嘘はつけないがよくできた側近だとつくづく実感させられる。
「ねえ、サムは魔王のこと知ってるの?」
セシルが会話に入ってくる。
「ああ、キャスバル大陸と交易があった頃はよく親父についていったからな、スカーレットにはよくしてもらったもんだ」
「仕事上の付き合いってこと?」
「形式上はそうだな。理由は知らんが10年前いきなりカーネリア王国からキャスバルの交易禁止令が発令されたんだけどそれまでは毎年のように会いに行ってたんだわ」
「はい。唐突な断交にスカーレット様も心を痛めておりました」
「エルバード商会も国交回復に向けて秘密裏に探ったみたいなんだけど、どうにも国王が一枚噛んでいるみたいで結局手を引いたって親父が言ってたな」
改めてクーリエの顔を見る。
あの日の記憶そのままだ。
10年という月日はヴァンパイアロードにとって大した歳月ではないのだろう。
「スカーレットはあれから変わったことはあるか?」
「いえ、何一つお変わりありません」
「そうか、元気でなによりだ。いつかお前をあてがってきた借りを返すまで死なれちゃ困るしな」
「ねえ、その借り私が貰ってもいい?」
「ああいいぞ、頑丈さが取り柄だからな。思いっきり蹴り飛ばしてやれ」
何も考えずその場のノリでセシルの申し出に受け答えた。
「よーし! だったらセシルせんせーの本気見せちゃうよー」
なんだろう、すんごい嫌な予感が背筋を突き抜ける。
お家に帰りたい。
「ねえ、あなたクーリエっていうのね。わたしはセシル・セリシア、セシルでいいわ。よろしくね」
「クーリエ・アルジェニアと申します。私もクーリエとお呼びくださいませ」
お互い性格が見える簡潔な自己紹介が行われる。
「ねえクーリエ」
「はい」
「魔王に一発蹴り入れてもいい?」
「……」
そんな提案誰が首を縦に振るかと思わず心の中でツッコミを入れてしまう。
おっと、クーリエが困り果てた顔で俺に目配せしてきたぞ。
「どうせ三日も経てば忘れるからテキトーに了承しとけ」
「あぅぅ」
セシルの発言に一抹の不安がよぎったがスカーレットが蹴られるのが面白そうだから救助信号にグレーな応答を返した。
「はあ、何言ってんの!? 今すぐに決まってるでしょ! 善は急げよ」
「今すぐは無理だろ。それよりお前の善の基準が知りたいわ」
いやまてよ、転移魔方陣があるか。
ツッコミを入れながらセシルの実行策を予想する。
「なあ、クーリエはどうやってここまで来たんだ?」
「そこの立て札の脇に転移魔方陣がありましたので魔王城から繋ぎました」
「魔王城の近くにも魔方陣はあるのか?」
「いえ、奇襲防止の為に付近には設置しておりません」
「帰りは?」
「キャスバル大陸は此処からですとルーンキャストからサザリア大陸経由で辿るのが一般的です」
「だそーだ」
イシャンテからルーンキャストを跨いでサザリア経由してのキャスバル入り。
最速でも50日は掛かるだろう。
「そう、それは大変ね」
セシルはクーリエの渡航ルートを聞いても他人事のように振舞っている。
何か秘策があるのだろうか。
「ねえクーリエ、あなた自分の存在に悲観したことある?」
「……、はい」
「そうなんだ。案外気が合うかもね」
セシルが目を細めるとクーリエの硬い面持ちが少しだけ緩んだように見えた。
笑っているようでどこか寂しげな眼差しを空に浮かべてセシルは左小指の赤黒いリングを外した。
俺はハッとして咄嗟に防御姿勢をとる。
衝撃波が……来ない。
片目を開いてセシルを見た。
髪は魔力光を放ちゆらゆらと宙を舞う。
覚醒はしているようだ。
「おい貴様」
「何よ」
「昨日の魔力波動はどうした」
「やあね、あんなの演出に決まってるでしょ」
……!?
うおおおおお!!
天よ地よ!!
全知全能の神よ!!
スカーレットなんてもはやどうでもいい!!
願わくばこのバカに蹴りを入れたい!!
もちろん声には出さない。
深呼吸して気持ちを落ち着かせる。
「どうしたの?」
「いや何でもない」
セシルは怪訝そうな表情を向けてくるが冷静を装う。
いずれ泣かすが今はその時ではない。
「ならいいんだけど。それよりちょっとこれ持ってて」
セシルからマジックワンドを渡された。
淡い魔力光がほのかに眩い。
「ねえクーリエ、わたしと手を繋いでもらえる?」
そう言ってセシルは左の手のひらを空に向けてクーリエに差し出す。
クーリエは軽く握った左手を胸元に添えて若干戸惑いの仕草を見せつつも、軽く頷くとセシルの手に右手をそっと重ねた。
「クーリエ、わたしの言葉についてきて。まずはキャスバル大陸を思い浮かべて。そう、あなたは今大陸が見渡せるくらい高い位置を飛んでいるわ。空からゆっくりと魔王城に向かうの。魔王城に着いたら正面の門扉を開いて中に入って。庭を進んでお城に着いたら扉を開けて玉座を目指して。そのまま魔王に手が届く場所まで前へ」
クーリエの描く景色がセシルとリンクしているのだろうか。
セシルは目を閉じてクーリエを導く。
今ふたりは手を繋ぎスカーレットの目前に立っている。
何故だろう、俺までまるで本当に魔王城にいるように感じてくる。
座標を特定したままセシルはぼそぼそと何か呟いている。
風の精霊を召喚したのだろう、彼女を中心に一陣の風が吹いた。
薙がれた草が螺旋状に遥か上空まで舞い上がる。
瞬間、淡い光を放つ髪を踊らせながら右手が円を描くように宙を切り裂くと割れた空間に腕を突っ込んで中から何かを引き摺り出した。
引き摺り出された何かは勢いよく空中に放り出される。
あまりの速さに何もかもが見えなかった。
音さえも取り残されそうな、まるで稲妻のような。
ただ気付いた時にはその何かにセシルの光速の膝蹴りが炸裂していた。
「のわーーーーー」
蹴られた何かは断末魔を上げながら山の中腹まで一直線に吹き飛んで行く。
「はわわわわわ」
クーリエが顔を青ざめさせてあわあわしている。
対照的に蹴った本人は一仕事終えた感じで悠長にリングを嵌めなおしている。
なんちゅう危ない奴だ。
こいつはヤバい、ヤバすぎる。
いつか泣かす計画は頓挫した。
「70点ね」
唖然とする俺に向かって唐突に殺人ストライカーが話しかけてくる。
「もうちょっと下から当てればあの山も越えられたと思うのよね」
自己採点をしながら俺からマジックワンドを受け取った彼女は片膝を地面につきながらぼそぼそと呪言を呟きはじめた。
恐らく精霊を解放しているのだろう。
こんな危ない奴と関わっちゃならんとクーリエを見遣る。
ダメだ、着弾点の方に向きながら完全に放心している。
俺はクーリエの頭に手を乗せるとわしゃわしゃと掻きむしった。
「はわわわわわ」
驚きの声を上げて俺の方に青ざめた顔を向ける。
俺は無言で胸元に十字を切って両手を合わせた。
隣人の顔が更に青ざめる。
「こらーーーーー」
しんみりとした空気を怒号が切り裂いた。
思ったより早いお帰りである。