25 偽りの奈落
カチルは小冊子のとあるページでめくる手を止めた。
丸テーブルを囲う全員が一斉に刮目する。
※カーネリア奈落渓谷
かつては夜な夜な発する青白い光を鎮めるべく定期的に家畜や食料が投下されていたがカーネリア国王軍探索隊によって発光苔であることが判明している。
最深部は発光苔により終日明るく照らされ奈落茸と呼ばれる栄養価の豊富なキノコが自生している為実質的に居住可能。
事実そこそこ質の良い魔石が発掘される事もあり拠点を構える者が少なからず存在する。
しかしハイテホーテ大空洞よりダークゴーストが発生する為上級呪言耐性が必須となる。
尚カーネリア奈落渓谷からもハイテホーテ大空洞の探索が可能であるが進入先に断崖が多く敷居が高い。
☆カーネリア奈落渓谷よりハイテホーテ大空洞探索希望者は冒険者ギルド窓口へお越し下さい。
……この内容に問題あるか?
もう1度頭から目を通す。
しかしながら至っておかしい箇所は見当たらない。
多分。
いや、スカーレットに違和感が無いかと訊いていたな。
違和感違和感、と……。
むう、さっぱり判らん。
ムームー唸りながら文章のほつれを探しているとカチルから声が掛かった。
「ねえサム、アンタカーネリアの国立士官学校に通っていたでしょ?」
「まあ一応な」
「だったら初等部の地理で奈落渓谷も教わったんじゃないの?」
「いつかは忘れたけど習ったのは間違い無いわな」
「大体こんな感じで?」
「そう、大体こんな感じ」
「やっぱりそうよね……」
俺のおぼろげな記憶では教科書には小冊子に似た記述があった。
だから俺にとってカーネリア奈落渓谷はそういう場所である。
当然疑ったことは1度たりとも無い。
しかしカチルの渋そうに困惑した顔はそれが根本から嘘であるとでも言いたげに感じられた。
疑うことを前提に考え事をする時、おとがいを親指と人差し指でさする癖は未だに抜けないようだ。
「王国領内で教育を受けていれば誰もがそう習うわ。だけど……」
カチルは椅子に座る俺達の顔を真剣な眼差しでぐるりと見渡し、最後に俺の目をきつく見据えて呪言を唱えるような低い口調で言った。
「今まで誰1人としてそれが真実であると証明できていないのよ」
証明できていない!?
どういうことだ?
ならば俺がそう思い込んでいた情報は全くのデタラメだというのか?
目の前に開かれた小冊子の解説は真実を伏せる為の絵空事だというのか?
嫌な予感が背筋を駆け巡り思わずゾクッとした。
まだカチルの話は続くだろう。
だけどその話の先を聞くのが怖い。
そう、この恐怖は未知に対する不安だ。
それなら疑問を投じて納得のいく回答が得られれば安心できるに違いない。
俺はカチルから知り得る限りの知見を引き出そうとわだかまる疑心をぶつけることにした。
「これだけ広く認知されているんだ、事実だと証明されていないだけで実際この説明の通りの可能性だってあるんだろ?」
「もちろんその可能性は十分に残されているわ。だからこの先奈落渓谷に一生関わらないのなら教科書通りということで討論はここでおしまいね。アンタがそれでいいのなら、だけど」
この小冊子が正しい可能性もある。
当然だ、そう習ってきたんだし否定的な意見も仮説も聞いたことが無い。
いや、むしろ疑う方がおかしいのかもしれない。
でも何故だろう、今この瞬間思考を停止することが後に大きな後悔を生む気がして俺は更なる疑問を投げかけることにした。
「そもそも疑念を抱くに至った根拠は何なんだ?」
「……そうね、お母様の悲願を果たす為かしら?」
『母さんの悲願』、ここで気になっていたもう1つのキーワードが顔を覗かせた。
「お父様とお母様は婚姻の際に生涯の夢を打ち立てたの。ただ生きていくだけではつまらないからそれぞれの夢を二人三脚で支え合おうと。言い出したのはお母様みたいだけどね。それでお父様の夢はエルバード商会の5大陸進出。サムを連れて魔王様を飴玉で籠絡しようと目論んだのも夢を叶える為の一環ね」
「……間違ってないけどお前、もう少しぼかして言えないの?」
「そしてお母様の夢は……」
カチルは俺の言葉をガン無視して頭上に連なって浮かぶ浮遊石に愛おしそうに眺めた。
「お母様の夢はイシャンテとルクセンオールを結ぶ橋を架けること」
その言葉を受けて俺達は宙に浮かんだ浮遊石に目を向けた。
偶然にもスカーレットが横に並べたレンガが奈落渓谷の端と端を結ぶ架け橋のように見えてきた。
橋か……。
如何にも母さんらしいや。
どう考えても無謀としか言いようのない規模だからこそあの人が抱きそうな夢だと思えてしまう。
「イシャンテとルクセンオールを橋で繋ぐのならカーネリア奈落渓谷について詳しく調べるのは必須項目であることくらい解るわよね?」
「そうだな、実地調査はした方がいいだろうな」
「だけどお母様が護衛を連れて奈落渓谷を調べる訳にはいかないわ。だから……」
「先駆者から話を聞こうとしたのじゃな?」
「ええ、そうよ」
カチルと俺のやり取りにスカーレットが間を見計らって参入してきた。
2人だけの会話だとどうしても主観的に捉えてしまう。
こういう時に第三者としてスカーレットに話に加わって貰えることは見えないものが見える切っ掛けとなり実に有難い。
カチルもいつの間にか俺だけに話し込んでいた事に気が付いたようで、グラスに注がれた水を一気に飲み干しふーっと大きく息を吐いた。
「ごめんなさいね、大切なお客様をほったらかしにしちゃって」
「カッカッカ、気にすることは無いぞ。お主達の会話は誠に興味深くてのう、妾も思わず聴き入ってしまったのじゃ」
スカーレットは細かい事は気にするなと言わんばかりにカチルの謝罪をケタケタと笑い飛ばした。
「それで実際に現場の話は聞けたのであるか?」
会話を遮った張本人はその流れを戻すべく質問を投げかける。
だがカチルの首は静かに横に振られた。
「つまりそれは奈落渓谷に挑んだパーティーと接触できなかったってことだろ? それとは別にお前がこの小冊子の内容を嘘だと疑いだした根拠があるんじゃないのか?」
俺はノーのジェスチャーを示すカチルに臆することなく問い被せた。
何故かスカーレットが目を大きく開いてこっちを見ている。
なんだそのお主にしては機転が利くみたいな人を小馬鹿にした表情は。
取り敢えず睨んでおこうそうしよう。
「大公様にお聞きしたのよ。おのお方、お母様と親しかったから」
俺とスカーレットのしょーもないアイコンタクトをよそに話が展開していく。
おっとっと、よそ見している場合ではない。
「そうか、イシャンテ君主でありイセリアギルドの支配人でもあるあの人に訊けば一発だもんな」
「ええ、聞いているうちにここだけの話って言われて……」
「探索許可を出したはいいけど誰一人として帰還者が現れないと?」
カチルは無言で頷いた。
「でもイシャンテから出発してカーネリアかルクセンオールに抜けた可能性もあるだろ?」
「その線は無いわ。大公様が向こうのギルドに確認したって」
「そんな、それじゃあ……」
そもそもこの小冊子の記述は誰の手によるものなんだ!?
確かにそれっぽい事を書いておけば民衆の気もそれる。
でもそれで誰が得をするってんだ!?
「ね、行き詰まるでしょ?」
俺の顔を見て確信したかのようにカチルは囁いた。
考えれば考える程深みにはまりそうな悪い予感しかしない。
「それと本当は誰にも言っちゃいけないみたいだけど、……今までに探索許可が下りたのはSSSランクのパーティーだけだったそうよ」
「マジ?」
「マジ」
互いにギロリと上目遣いで睨むようにカチルと目が合った。
分かる、この目は嘘を言ってる目ではない。
SSSランクパーティーが潜ったきり帰ってこない?
世界中には冒険者同士で語り継がれる名立たる難所が点在する。
だが高ランクパーティーが相次いで挫折した話なら耳にしたことはあるけど一様に消息を絶ったなんて話は聞いたことがない。
途轍もなく強いモンスターがいる?
それともダンジョンが複雑過ぎて戻れないのか極度に巧妙な全滅トラップでも仕掛けられているのか……。
だが如何せん想像の域から脱していない。
1つ言える事は『戻れない理由』がそこには存在するという事だ。
真相は深い藪の中。
「その本文の真偽が判明しなきゃ考えるだけ無駄じゃねえか」
「結局そうなるのよねぇ」
俺はカチルとやれやれといった感じで見つめ合った。
悔しいが現状お手上げである。
「ねえそれよりさ、大公様はギルドで何か仰っていなかったかしら?」
「特にはなぁ……。あーでもギルドから出る時妙に感情が籠っていた感じだったから時間があったらもっと色々聞けたかもな」
「そっか……、次お会いする時にでも聞いてみるわね」
「ふむ、妾も一言よいかのう……」
久々の込み入った姉弟の会話が平行線にて幕を閉じるかと思われたその時、最後に滑り込むようにスカーレットが割って入って来た。
俺はカチルと共に勢いよく彼女の方向に首を振った。
「カチルよ、我等がサムと行動を共にしておる理由は知ってはおるかの?」
「えっと、伝書鳩にはクーリエちゃんのお婿さんにサムが見合うか見極める為って書いてあったわね」
「俺が審査される側かよ……」
「それもあるのじゃが、まあジルの前では伏せておいたが考えてみれば隠すことでもないからのう」
スカーレットは俺の呟きをガン無視してカチルとの会話を続けた。
そういえば昨日親父が居た時はもう1つの理由はまだ言えないと言っていた。
ずっと行動を共にしていたんだ、あれからたった1日で言える環境が整う筈もない。
となると導き出される結論は……、その時の気分。
如何にも魔王らしいが裏を返せばそのもう1つの理由とやらはそこまで差し迫った話ではないということなのだろう。
俺は静かにスカーレットの言葉に耳を傾けることにした。




