1 始まりは突然に
永遠の孤独を告げられし者よ――
どうか今だけは笑っていてほしい――
これは蹴りと魔法が奏でる一輪の狂詩曲――
その日もいつもと変わらず晴れていた。
穏やかな空の下。
吹き抜ける風はほのかな草の匂い。
地平線まで広がる草原は流れる時間さえも包み込む。
俺は今、小高い丘の上にある大樹の枝に寝転んで小鳥のさえずりを聞きながら感傷に浸っている。
たまに来るこの場所は相変わらず人気がない。
それにしても独りはいい。
己と向き合えるかけがえのない時間だ。
ここには何もない。
いざこざも。
憎しみも。
…
……
………
そんな平穏もつかの間……。
ダダダダダダダダ!!!
平和な街道に似つかわしき土煙を巻き上げる御一行。
首を傾けちらりと見遣る。
ウム、正確には娘とイノシシのような野生動物とのデッドヒート。
チキショー、せっかくの雰囲気がぶち壊しだろが。
「うるせえな……」
誰だよ、と気だるそうに身体を起こしてじーっと瞳を凝らす。
年のころは20歳前後か。
左手にマジックワンドが見えるから術者の類だろう。
その割には足が速いな。
盗賊の素質がありそうだ。
むぅ、こっちに来やがる。
騒がしい御一行様は街道を逸れ緩やかな坂を駆け上がり小高い丘の上にそびえたつ大樹に向かう。
要するにコチラである。
安全な樹上から目を細めて見下ろす。
左手はやはりマジックワンド。
かなりの上物と見た。
右手は、ありゃ近接戦用のグローブだな。
靴は巨大鳥の風切羽で編まれたウイングブーツ。
防具も割と軽装だから身のこなしに長けているのだろう。
ショートレンジなら魔力を乗せたナックル。
ロングレンジは言わずと知れた魔術師の間合い。
厄介なタイプだ。
経験上だが遠近自在なタイプは総じて強い。
でもこの状況を鑑みるとバックアタックに難ありか。
そこさえカバーできれば宮廷騎士くらいとは渡り合えそうにも感じられる。
さて、一通り解説したところでどうするかな……。
安息の時間をぶち壊されたけどこのまま放っておいて死なれても夢見が悪いしなぁ。
あの程度のイノシシなら一撃だろうしまあ、狩りということにしておくか。
それにしても咄嗟の識別でも熟練者の雰囲気が漂うけどこんな奴いたか?
少なくともギルドでは見たことがないぞ……。
なんて間に一番手は頂上に到達し、ぐるりと大木を時計回りに2周。
意図はしていないだろうが阿吽の呼吸で軽やかかつスピーディーに魔物を誘導する。
さも見えない鎖で繋がれているかのように。
調教師の素質もありそうだ。
「避けろっ!」
俺はイノシシとの間合いを見極めながら枝から飛び降りた。
一閃――
その瞬間イノシシは首を刎ねられ食材へと転身する。
食材は鮮度が命。さっさと皮を剥ぎたいところであるが今はそれどころではない。
身を翻し女の無事を確認する。
顔面から草原に突っ伏しているが大丈夫だろう。
微動だにしないが大丈夫だろう。
多分。
「大丈夫か?」
俺は当たり障りのない言葉を掛けた。
が、返事がない。
頭でも打ったのかと心配になり俺は女に近づいた。
装飾はエルフによく見掛けるタイプだな。
ヒューマンにしては珍しい恰好だ。
おパンツ様がギリギリ見えないのが残念である。
「あれは……!?」
ふと左耳の禍々しい封環に目が行った。
右耳にもある。
咄嗟に女を見渡す。
すぐに左手の小指に禍々しいリングがはめられているのに気が付いた。
右手はグローブで分からないが十中八九はまっているはず……。
四点結界――
第六感が嫌な予感を察知して俺の鼓動を早める。
いやいや、予感も何も大魔導士級の封印環ではないか。
さっさと帰ろうそうしよう。
背筋がぞくぞくする。
こめかみもピリピリする。
俺は何事もなかったかのように踵を返そうとした。
瞬間、ねっとりとまとわりつくような嫌悪感に身を絡みつかれ足が硬直する。
そして同時に声が届く。
「見殺しにしたら呪ってやる」
「すみませんごめんなさい失礼いたしました申し訳ございません」
取り敢えず脊髄反射であやまったのだが疑問が湧いたので問いかける。
「回復魔法は使えないのか?」
「おなかすいた」
大変恐縮ではございますが会話のキャッチボールというものをご存知でしょうか?
そんな俺の心のモヤモヤを敏感に感じ取ったのか彼女の右腕がゆらりと動き出す。
磁石の針が北を指すように彼女の右腕はゆっくりと肩を軸に弧を描きある一点を指さした。
イノシシ。
今この瞬間俺がなすべきことは只一つ!!
無言で薪を拾い集めた。
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日が傾いた。
草むらに突っ伏した女は未だに動かない。
知らぬ間に麻痺攻撃でも受けたか?
それとも巷で噂の即身仏スタイルってやつか?
だんだんとこの深閑とした空気が怖くなってきた。
あれからずっと無言……そろそろ何か喋ってほしい。
危害を加え合うことはない。
向こうもそれには薄々気付いているはずなのだから。
イノシシの仕込みを終えた俺は大樹の脇に小さな櫓を組みポケットから取り出した小振りの赤魔石をナイフで傷つけて火口に放り込む。
程なくして櫓はパチパチと音を立て、人影を2つ作り出した。
先程まで俯せでピクリとも動かなかったのにいつの間にか焚火の前に陣取っているが敢えて問わない気にしない。
我ながら紳士的対応に惚れ惚れしてしまいそうだ。
座り込んで特に感情も出さず炎を見つめる彼女を包み込むように串に刺された肉から香ばしい香りが漂い出す。
俺は地面から串を引き抜いて仕上げのスパイスを振り掛けた。
「焼けたぞ」
焼きあがった肉を女に差し出す。
「……ん」
彼女はおもむろに肉を受け取って食べ始める。
警戒する素振りはない。
なんとなく俺が無害に見えたのか、それとも毒耐性があるのかは分からないが素直に受け取ってもらえてこちらも安心である。
美味いとも不味いとも言ってこないが黙々と食べ続けるのだから不満はないということにしておこう。
俺も焼けた肉にかぶりつきながら焚き火越しの彼女を暫し見つめる。
ふと視線に気付いた彼女と目が合う。
いや、どちらかと言えば睨み返されているような……。
「何か話してもいいのよ」
譲歩しているようで完全に圧力の掛かった一言。
バカ正直に素性を晒してよいものかと一瞬躊躇いもあったがここは自己紹介が会話を繋ぐ最適解だろう。
彼女へ向けた視線を星空に移して俺は口を開いた。
「俺はサム・エルバード。名前くらいは聞いたことはあると思うがエルバード商会の代表は俺の親父だ」
「自慢?」
「ちゃうわ!」
「エルバード商会のお坊ちゃまねえ……」
彼女はそう言って嘗め回すように冷めた目で俺を見つめる。
「繊細な装飾の細身の刀。軽量だけど衝撃耐性、魔法耐性、状態異常耐性を備えたシルバーチェインメイル。他にも頭から足先まで装備に隙がないわね。やれやれだわ」
斜に構えた向かいの女にぶっきらぼうに解析された。
辱しめられた気分だ。
「……お肉ありがと、不思議な味だけどおいしかったわ」
「ん? あ、ああ」
突然の礼の言葉に間の抜けた返し。
そして少しの間をおいてこちらから切り出した。
「名前、聞いてもいいか?」
「セシル」
沈黙――
ゆらゆらと周囲を照らす焚火の炎だけが辛うじて時の流れを導く。
再び二人の時間を進めたのはセシルだった。
「ねえ」
「なんだ?」
「聞きたいことあるでしょ。顔に出てる」
ばれていたようだ。
とはいえ深く核心を突く必要はない。
ただただ俺の知的好奇心を満たす程度だし。
いや無理!
このチャンスを逃したら俺は一生悔いるに違いない。
これが道具屋の……、エルバード家の遺伝子か……。
血は争えんが知るか。
直球勝負だ、丸裸にしてやるぜ!
「まあ、何というかいろいろと聞きたい事があると言えばある」
「喉が渇いたわね」
セシルは喉をちょいとつまんでプラプラさせる。
クソッ、横槍入れやがって!
水ぐらい魔法でパパッと出せよ。
心の中で叫ぶ。
決して顔には出さないが何か聞く度に対価を求め続けられたら否応なしに俺が下になっていそうだ……。
不安を抱くが素直に要求に応じる自分に湧き上がる遣る瀬無さ。
いや、大丈夫、これは情報提供の対価なのだ。
強く自分に言い聞かせ道具袋をまさぐる。
「エルバード商会謹製、レモミキャン果汁と蜂蜜の喉に優しい魔術師向けポーションです。自分で冷やして飲め」
「ありがとー」
セシルは両手で包み込むように容器を抱えると無言のまま手のひらに少しだけ力を込める。
その一連の行為に目を奪われた。
あの動作は魔術師が熱移動する為の独特のモーションだ。
単に効率がいいからだろうけど。
だがその行為で術者の力量が見透けてしまう。
詠唱する者、時間を要する者、調整に難儀して沸騰させたり凍らせたり。
もちろん様々なイレギュラーを想定して容器は極めてに頑丈に加工してある。
あの容器こそがエルバード商会の自慢の逸品なのである。
フフフフフ。
まあそんな事は置いといて。
やはりというかセシルは一瞬力を込めただけで栓を外して中身を飲み始めた。
本当に冷えているのかとまじまじと見つめてしまう。
しかし俺の視線を受けても気にする素振りはない。
既に何を問われるか理解しているかのように。
そして俺はど真ん中に投げ込む。
「ダークエルフ……だよな?」
セシルからの反応はない。
だがダークエルフかと問われて否定しないのなら肯定を意味するのが普通だろう。
ダークエルフ……、やはり彼女は劣性クォーターエルフだった。
そもそも物語でしか聞いた事がない。
世界の安寧を揺るがしかねない絶望の種であると。
ダークエルフとは危険であるが故の隠語だ。
エルフは人間に比べて遥かに寿命が長い。
そして遥かに魔力が高い。
とはいえ高い魔力は生命維持に費やされる為なのか必要以上に放出される事はない。
本能が阻止するのだろう、体内に魔力が潜在していても意図的に魔力暴走を起こせない。
だが、ごく一部、生命維持の為に貯蓄されている魔力を具現化できる者がいる。
それこそが劣性クォーターエルフ。
ピュアエルフとハーフエルフの掛け合わせなのだが普通であれば人間に比べエルフの方が遺伝情報が優位に働く。
その為基本的にクォーターエルフはピュアエルフに極めて近い外観にて誕生する。
人間とピュアエルフの子であるハーフエルフが基本的にエルフの外観であるのと理屈は同じ。
だがどうしてもその薄い確率を乗り越えて人間の姿で生まれてしまう事がある。
劣性クォーターエルフの誕生だ。
しかしエルフが持つ魔力を人間の身体が制御できるはずもなく、大方は母親の胎内から排出された後に程なくして絶命に至る。
ただ裏を返せば、無尽蔵に放出し続ける魔力さえ抑制できればエルフの魔力を持ち合わせつつ人間として命脈を保つ事も可能である。
俺の知る限りの情報だとこんな感じだがまさか本当にそんな危険因子と出会えるとは……。
独り思考にふけているとムッとした表情でセシルが突っかかり気味に口を挟む。
「どうせ見たら死ぬとか出会ったら死ぬとか近づいたら死ぬとか言われてたんでしょ!?」
「よ、よく判ったな」
「顔に出てるわよ。まあ一種の伝記みたいなものだからね。子供を洗脳する為の誇張表現よ」
「他にもキマイラくらいなら睨むだけで殺すとか、倒したら永年勇者の称号を貰えるとか、黄金龍より経験値が高いとか、混ぜるな危険だとか誰も出会った事もないのに噂話だけは聞くもんな」
「……へー、人を何だと思ってるのかしらねぇ」
おっといかん、ご機嫌斜めだ。
彼女の顔が訝しげに歪む。
コワイ。
丸裸計画は頓挫した。
「ねえ」
「なんだ?」
「本当のことを言うとね、私自身この事態がよくわからないのよ」
謎かけだろうか、取り敢えず話を続けさせる。
「3日前だったかな、いきなり『ここも安全じゃない』『お前なら外でも大丈夫だ』って村から追い出されて……」
要点を踏まえない説明が今の状況から脱せないことにセシルは気付いていないようだ。
だからこそ彼女が自らの事態がよくわからないと言っていることに納得がいくといえばいく。
「ホント、何なんだろね」
地べたに腰を下ろし三角に折り曲げた膝上に両腕を重ね、その上にだらしなく首を垂れながら焚火の炎を静かに見つめてぼやく姿はただの平凡な少女そのものであった。
愁いを帯びた物寂しげな佇まいに亡失すら躊躇いなく受け入れてしまいそうな少女を前に一つ問いかける。
「パーティーは組んでいるのか?」
「ひとり」
「そうか、俺もだ……」
情けない話であるがセシルにパーティーの誘い言葉すら振ってしまった。
だがその曖昧なやり取りで察したのであろう、彼女はゆっくりと立ち上がり視線をむけて語り掛けてきた。
「ありがと。でも私から誘うことはできないわ。だからこの姿を見て貴方が判断してほしいの」
そう言うとセシルは右手で左小指の指輪を外した。
「そう、今の私は仮初めの姿」
ぼそりと呟いて指先でつまんだ指輪を手放す。
刹那、焚火の炎が消えた。
「がはっ!!」
突然襲い掛かる衝撃波に為す術もなく後方に吹き飛ばされる。
随分と吹き飛ばされたが何とか体勢を整えてセシルの方を見遣る。
彼女はただそこに立っていた。
暗闇の中、肩まで掛かる髪は淡い緑の魔力光を放ち宙をたゆたう。
その姿は明らかにこの世界とは異質の存在である。
「ねえ、魔力って完全に尽きると死んじゃうのよ……」
何処に向かってか分からず、誰に向かってか分からず、セシルは感情を感じさせない口調でとつとつと語った。
だがこの場に居合わせるのは俺ただ一人。
吹き飛ばされて目が覚めた。
俺が救わないで誰がアイツを救うってんだ!
「セシル、だったら俺と組め! お前の背中は俺に任せろ!」
覚悟を決した俺はありったけの力を振り絞って叫んだ。
「サム、ありがと」
こちらを向いて彼女はにっこりとほほ笑んだ。
いつの間にかセシルから漏れ出す魔力光は消えていた。
…
……
………
飛び散った薪を拾い集めてあらためて周囲を照らす焚き火が作り出す2つの影、その影は寄り添いあうように揺れる。
「サムは差し当たっての目的はあるの?」
「まあ、あるような無いような……」
「じれったいわね、パーティー内で嘘や隠し事は禁止よ!」
「パーティーなんて組んだ憶えは……」
「ごちゃごちゃうるさいわね、背中は任せろって言ったでしょ!?」
俺のすぐ横には先ほどまで今にも崩れ落ちそうだった女が座っている。
おかしいなあ、ほんの少し前までは儚き乙女だったはずなのに……。
「そういえばその指輪を外して落とすまで妙にテンポがよかったような……」
「ああ、あれね。アンタが女々しく決断引き伸ばしてイラっとしたからよ」
確信犯でしたほんとうにありがとうございます。
いや、てことはどのみち最初から俺と組むつもりだったってことじゃねぇか。
「素朴な疑問なんだが俺と組もうと思ったきっかけって何?」
「スパイスが美味しかったからッス」
「……それだけ?」
「それだけ。だけどそれって私が知らない世界を知っているってことじゃない?」
「まあ確かに……」
「理由なんて案外こんなもんよ。目的がない者同士なら十分過ぎる内容ね」
薄っぺらい理屈だけど問い質してもロクな回答は得られないだろう。
それよりダークエルフとパーティー組んで俺はこの先大丈夫なのだろうか……。
だが無防備に俺の傍らに腰を下ろす彼女を見て心の奥底に潜む警戒心は徐々に解きほぐされていく感じがした。
「あ、それとこれなんだけど」
突然セシルは人差し指から縁起の悪そうな色のリングを取り外した。
「これは誓いの指輪。私たちの約束の証。一応、即死、暗黒、魅了、幻惑辺りは完全に無効化するから着けて損はないわ」
深緑と黒のまだら模様の色彩に謎の紋様。
俺の識別眼を以ってしてもまったく判別できない。
「呪われてないだろうな……」
「呪われてるよー」
サラッと返された。
「大丈夫、状態悪化はないから。ただ価値が高すぎて狙われるかもね」
「だから取れないように呪い付きにしてあるのか」
「みたいね。ただし殺されると解呪されちゃうから死んじゃだめよ」
「死ぬまでの付き合いかよ!」
「さあどうかしら。あら、指が太いわね」
彼女はにっこり笑って誓いの指輪を俺の小指にはめ込んだ。
拒否権は無いらしい。
ふと気が付けば東の空が明るくなりだしていた。
そうだな、まずは冒険者ギルドにパーティー登録でもしに行くか。
こうして俺たちの冒険の幕が開けた。
2021/03/09
あらすじを加筆修正して前書きに移しました。
物語に変更はありません。