14話。曹操の涙
初平2年(西暦191年)12月。兗州東郡・濮陽県
袁紹と袁術を分断している物理的な壁である兗州。その西北に位置し、冀州と隣接する東郡を治めることとなった曹操はこのとき、年末年始の支度とは別の意味で祝賀の宴を開いていた。
「良かった!貴殿が来てくれて本当に良かったっ!君こそ我が子房だっ!」
「いやはやまったくですな!まさか『王佐の才』と称された貴殿が曹操様に仕えて下さるとは、この陳宮、想像もしておりませんでしたぞ!もしもこれが夢だったなら、曹操様は傷心の余り天に召されてしまうかもしれませんな!」
「ははは、こやつめ!」
東郡太守曹操と別駕従事の陳宮は、そう言いながら涙を流さんばかりに喜び、己の下に仕官を申し出てきた若者を手放しで賞賛していた。
「は、はぁ。実績の無い私の加入をここまで喜んで頂けるとは……あの、その、なんと言いますか、恐縮です」
「ははっ、謙遜しなさるな!お、杯が空いているでは無いですか、さぁどうぞ!」
「あ、ありがとうございます」
いきなり現れて仕官を求めた自分を歓迎するために宴を催されてしまい、思わず恐縮してしまっているのは今年で29になる一人の若者である。
彼の名は荀彧と言った。
この荀彧という人物は、一部の界隈に於いて『筍の軍師』などと揶揄され軽く扱われることもあるのだが実際のところ家柄も良く、優秀な者ぞろいと言われた一門の中でさえ更に高い能力を持つと評価されている俊英でもある。
その上、今は弘農で皇帝の側に仕える何顒から『王佐の才』とまで称された程の人物である上に、曹操がなによりも望んでいたものを持つ人物でもあるので、曹操は彼の加入を心から喜んでいた。
そんな『漢』と言う国の中でも指折りの名家に生まれ育った彼が、自身が所属する名家閥と敵対関係にある宦官閥の代表と言われる曹操の下を訪れたのには、当然のことながらいくつか事情があった。
まず彼は、単純に自分を安売りするつもりはなかった。多少横柄に聞こえるかもしれないが、彼は己の才を無駄に使い潰すような人間に仕えようとは思ってもいなかったと言っても良いだろう。
その証拠に、先日冀州牧である韓馥から招聘を受けたので、その人品を推し量ろうと冀州魏郡の鄴県に赴いたところ、兄である荀諶が仕える袁紹が鄴の実権を握りつつあったのを見て取り『家柄だけを見る無能な逆賊に仕える気はない』と踵を返す程である。
無論、彼とて『家柄をではなく個人を見て欲しい!』などと言うような青臭い子供ではない。家柄への信用とは、すなわち先人たちが積み重ねてきたことへの信用だ。故にそれを軽んずる事はない。
なので家柄を考慮した上で個人の能力を見ると言うのなら、それは彼とて望むところであった。『たとえ今は逆賊と罵られようと、己の力を振り絞って挽回してみせる!』と言うだけの気概もあった。
しかし家柄『しか』見ないと言うのは駄目だ。
自分を重用してもらえると言うことを考えれば一概に悪いことでは無いのかもしれない。しかし『何を発言したか?』ではなく『誰が発言したか?』と言うことに重きを置くような人間は信用できないし、大成するはずがない。そう思っている彼には、袁紹に仕えると言う選択肢は無かった。
そうして袁紹を見限った荀彧は、同郷だの知人の紹介だの世の噂だのを頼りにするのではなく、己の目で己が仕えるべき主君を探すことにした。
そこでまず白羽の矢が立ったのが、今や長安から正式に冀州牧に任じられ冀州北部を制している劉虞と、最近冀州魏郡と隣接している兗州の東郡を治めることになった曹操である。
実のところ彼は、当初は宦官閥でありながら袁紹の親友として反董卓連合に参加した人物である曹操と言う人物が理解できず、意図的に避けていた。しかしある日、そんな己の思考が袁紹と同じ『誰が』を重視していることだと自覚してしまった。
それを自覚してしまった後、脳裏に袁紹の姿を思い出し『あんな人間になりたくない』と考えた彼は、とりあえず曹操という人物の器量を確かめようと思い、人知れず東郡を訪れることになる。
それが先月のことだった。
そして彼は濮陽において曹操が行っている施政を知り、大変な感銘を受けることとなる。
元々曹操は二ヶ月ほど前に東郡の太守になったばかりで、色々と不足していたのは否めなかったが、それでも他の人間が治める地域と比べて軍の統率は取れていたし、それに比例してか治安も良かった。
治安が良ければ民の表情も明るくなるのは道理であろう。結果として曹操が治める街は、韓馥の配下と袁紹の配下がグダグダと権力争いをしている鄴と比べて、人口は少ないながらも活気が有り、それは荀彧の目には『将来性』に見えたのだ。
このような街を作り上げた曹操に対して、彼の評価は当然上方修正されることとなり、しばらく東郡を見て歩いた彼は曹操への仕官を決意することになる。
この決意の裏には、現在の曹操陣営が名家の人間が非常に少なく、深刻な文官不足に陥りつつあることを見た荀彧が『曹操になら己を最高値で売り込める』と考えたことも無関係ではない。しかし、その辺は仕官するにあたって誰もが考えて然るべきことなので、さほど気にすることではないだろう。
そんな微妙に腹黒い計算はともかくとして、荀彧は正式に濮陽の宮城を訪れ、その名を名乗り、曹操に仕官したいと言う旨を伝えた。
その結果が、今行われている荀彧の加入を歓迎するための宴である。
いや、まぁ荀彧とて、自分が主君と定めた人間に下にも置かないような高評価をされるのは素直に嬉しいし、袁紹と違い見る目がある人間に評価されてることに悪い気はしないのも確かだ。
しかし新参の若輩者がいきなりこのような扱いを受ければ、周囲から反発を招くのは必至であることも確かなのである。
もしもここで青年が袁紹のように『ふん!この私が宦官の孫の幕下に加わると言うのだから、この程度の待遇は当たり前のことだ!』などと宣えるような性格をしていれば、まだ良かったのだろう。(青年の精神衛生上は良いかもしれないが、曹操陣営の中では間違いなく孤立する)
しかし青年はこれまで名家としての教育を受けて育って来たため、周囲の嫉妬や讒言がどれだけ危険なのかを理解しているし、基本的に武官と文官は不仲であることも知っている。
そして今の曹操陣営は武官が幅を利かせているところがあるのだ。故に、もしも今の自分の待遇を羨んだ武官が闇討ちなどをしてきた場合のことを考えれば、この高待遇に関して『嬉しい』と思う以上に『怖い』と考えてしまうのも当然と言えよう。
……何が一番怖いかと言えば、曹操だけでなく、武官の代表格である夏侯惇や、文官の代表格とも言える陳宮までもが手放しに喜んでいるところだ。
特に荀彧を恐れさせているのが陳宮の態度である。
なにせ今まで曹操の片腕として辣腕を振るってきた陳宮から見れば、荀彧の加入は己の立場を脅かすと同義であり、まさしく今後の浮沈に関わると言っても良い大事件であるはず。それなのに彼は曹操と共に荀彧の加入を心から喜んでいるように見えるのだ。
……何かおかしい。
青年が感じている不気味さをたとえるなら、そう。虎が巣穴に飛び込んできた餌を油断させるために、あえて寝たふりをしているような……そんな怖さがあった。いや、陳宮も曹操も自分をどうこうしようとは思っておらず、純粋に喜んでいるように見えるのだが、そう感じ取ってしまったのだ。
そして荀彧は怖いものを怖いと認識することを恥とは思うタイプの人間ではない。むしろ恐怖から目を背けて死地に向かうことの方が恥である。と思うタイプの人間である。
その為、今現在感じている恐怖を気のせいとして割り切るようなことはせず、しっかりとその原因を探り、対処しようとするのもまた彼の性格であれば当然のことであった。
―――
少し前に宴は酣を迎え、今は所々で酔いつぶれた者たちが寝ていると言った感じになりつつある最中のこと。
「陳宮殿。少しよろしいだろうか?」
荀彧は意を決して陳宮に己の疑問を問いかけようと声を掛けた。
その表情は今までの『思わぬ歓迎を受けて萎縮する若者』ではなく、生き馬の目を射抜く軍師の表情である。
「おぉ荀彧殿!……何やら深刻な顔をされておりますが、今宵は貴殿を歓迎するための宴なのです。あまり暗い顔は見せぬ方が良いですぞ」
「……ご教示恐れ入ります」
そんな荀彧の表情を見て慌てるどころか、歓迎を受ける人間の心得を語る陳宮は、やはり一廉の人間なのだろう。そう思って陳宮への評価を上方修正した荀彧だが、だからこそ彼が本心から自身の参入を喜んでいることが理解できず、その困惑を深めることになっていた。
「貴殿の気持ちはわかりますぞ。何故ここまでご自身が我らに歓迎されるのか分からぬので不安なのでしょう?」
「……はい」
いきなりど真ん中を貫かれた荀彧は、暈すだの誤魔化すと言ったこともできず、頷くしかない、
「これに関しては後日曹操様からもご説明があるかと思われますが、荀彧殿とて何も知らないままでは不安でしょう。そしてその不安が曹操様への不信になっては本末転倒。故に、まずは某が話せることをご説明させて頂きましょうか」
「えぇ。よろしくお願いします」
姿勢を正す荀彧に対し『そのように畏まる必要はありませんぞ』と苦笑いしながら陳宮は説明を始める。
「まず、貴殿が加わることで今後名家閥の人間を口説き易くなりました。これはわかりますな?」
「はい」
荀彧が曹操陣営に加わるにあたって、最初に自分を高く売り込めると感じたのはそこなので、これについては特に問題はない。
なにせ今の曹操は宦官閥の代表格にして逆賊である。これでは士大夫と呼ばれる知識層が彼の下に集うのには抵抗がありすぎる。
そこに漢を代表する名家の自分が加われば、彼らは曹操の下に集ったと言うのではなく、荀彧の下に集ったと言う言い訳のようなものが出来るのだ。
これは外戚である何進がどこぞの腹黒を傘下に加えた際、自身の派閥の中に名家閥を形成したのと良く似ており、曹操が荀彧を得たことで発生するわかりやすい効果と言えるだろう。これにより慢性的な文官不足と言う状況を脱却出来るとすれば、曹操が喜ぶのは無理も無い話である。
「それに付随して、貴殿のおかげで私や曹操様の仕事が減ります。これが本当に嬉しいことなのです!」
「は、はぁ」
曹操も陳宮も書類仕事が苦手と言うわけではないが、彼らは下準備も何もなくいきなり郡太守となった為に郡を治めるにあたってノウハウも何も無い状況であった。さらに先代の太守である橋瑁が劉岱によって討たれた際にその側近たちも討ち取られていたので、引き継ぎも何も出来なかったのも痛い。
結果として彼らの執務室は書類に占拠されている状況である。……いや、実際この程度で済んでいるのは曹操と陳宮の能力の高さ故なのだが、今の彼らにはそんなことは何の慰めにもならなかった。
とにかく書類仕事が出来る人間が欲しい!これが彼らの偽らざる気持ちであり、荀彧と言う書類仕事のスペシャリストが来てくれたことは将来の人材云々を別にしても、それだけで歓迎すべきことなのである。
ついでに言えば武官たちもこれに関しては同じ気持ちであり、彼らは文官と武官の確執がどうこうよりも、自身に回ってくる書類が減ることを純粋に喜んでいたのだ。
「な、なるほど」
訥々と語られる愚痴やら何やらを整理すれば、なんのことはない。結局は『書類仕事がきついから出来る人間が来てくれて助かる』と言うだけの話であることを理解した荀彧は、今の曹操陣営は自分が思っていたよりも未成熟であり、裏を疑う以前の問題なのだと言うことに気付くことが出来た。
これに失望するか、それとも希望を見出すかは人それぞれであろうが、荀彧は後者の希望を見出すことになる。
なぜなら未成熟であると言うことは、これから成長するということであり、その際に己の力を存分に奮えると言うことだからだ。
それに曹操個人の能力も極めて高いと言うのも良い。
もし荀彧が袁紹の陣営に参加した場合はどうだろう。まず兄の荀諶に遠慮する必要もあれば、序列だの年齢だのと言った柵があることは想像に難くない。その上、袁紹に荀彧が献策する策を理解出来るだけの下地があるとは思えなかった。
だが曹操は違う。彼とは軽く話しただけでもその知性を確認することができたし、実際の能力も彼が治める東郡を見ればその高さがわかると言うものだ。
「陳宮殿。この未熟者の不躾な問いに答えていただき、ありがとうございました」
そんなこんなで曹操が自分を歓待する理由を理解した荀彧は、不安に思っていたことが解消されたことで晴れやかな気持ちとなり、その一助となってくれた陳宮に素直に礼を述べる。
「いやいや、我々はこれから同じ陣営で働く同士なのです。遠慮は無用ですぞ」
「えぇ、今後共よろしくお願いしたします!」
そんな素直な礼を述べられた陳宮も、ここで荀彧に臍を曲げられずにすんだことに内心でホッとしていたと言う。
「では改めて盃を交わしましょうか」
「是非に!」
こうして陳宮と荀彧という稀代の軍師は、その蟠りを捨て、誼を通じることになったと言う。
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そんな稀代の軍師が和気藹々と盃を酌み交わしていたころ、彼らの主である曹操はと言うと……
「良かった。本当に良かった」
と、涙を流しながら酒を飲んでいた。
何故彼はこんなにも荀彧の加入を喜ぶのか?
それは陳宮が言ったように、書類地獄への道連れができたことや、今後の文官の登用に光明が見えたということもある。しかしそれだけではないのだ。
今の曹操の内心を理解するには荀彧と言う人間のプロフィールを思い浮かべる必要があるだろう。
引っ張るまでもないことだが、荀彧と言う人物は、【今は弘農で皇帝の側に仕える何顒から『王佐の才』とまで称された】人物であると同時に【弘農で尚書令をしている荀攸の叔父】なのである。
そう。つまり荀彧は、曹操が欲してやまない『個人的な弘農との繋がり』を持っている人材なのだ!
……なぜ曹操がここまでそれを欲するかと言えば、実のところ曹操には、董卓や孫堅とは違い弘農の人間との繋がりが全くといって良いほど無いからである。
これはどこぞの腹黒が彼を警戒していたことを尚書令殿が覚えており、弘農の人間や大将軍府に所属する人間に対して『不用意に曹操と接触しないように』と名指しで危険人物指定をしていたことが原因なのだが、そんなことを知らない彼からすれば『董卓の命令で反董卓連合に参加したのに、今後自分がなんとかなる保障がない』と言うことに、常々頭を悩ませていた。
そこに現れたのが、幅広い人脈とピンポイントで弘農に伝手がある荀彧だ。曹操から見れば荀彧はいろんな意味で自分を助けてくれる光明であり、彼を幕下に加えたことで『これで助かる!』と感極まってしまったのも無理もないだろう。
乱世の奸雄と評される男とは言え、漢と言う国に生きる人の子。それが皇帝に対して何の伝手も無いままに逆賊袁紹の親友でいることは、彼にとっても、また彼の部下にとっても多大な重圧であったことは想像に難くない。
今日と言う日は、その不安が(多少なりとも)解消された日なのだ。故に少しくらいは羽目を外したところで、それを咎めることが出来る者など居やしないのだ。
……翌日。曹操や陳宮は年末を迎えるこの時期に予定外の大盤振る舞いをしたことで、経理を担当する者たちと共に頭を痛めることになるのだが、それでもその表情はどこか明るかったと言う。
筍の軍師、荀彧参上。ってお話。
一行で終わりましたね。と言うか、彼ってどっかで使ってましたっけ?
多少強引ですが、劉虞のところは今のところ勝ち馬確定ですからね。軍師としてはやりがいを感じないでしょうし、彼は袁紹のところにも弘農にも、なんなら長安にも親族が居るので、いざとなったら助かる宛があるって言うのも曹操を選んだ理由となります。
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独断と偏見にまみれた人物紹介。
荀彧:曹操を支えた筍の軍師こと荀彧=サン。
荀イクとか書かれるのはご愛嬌。
この人もググった方が早そう。陳宮とはどんな関係だったかイマイチわかりませんが、陳宮とすれば「今まで曹操様を支えてきたのは私なのに……新参者の癖に生意気だぞ!」って感じの想いがあったとか無かったとか。
まぁ細かいことはググって想像してみましょう。