12話。皇帝陛下と議郎の話し合い
初平2年(西暦191年)12月。司隷・弘農郡弘農。
ひと悶着……と言うには色々なことが有ったが、とにかくこの日、董白が董卓から預かっていた書状は太傅の弟子である司馬懿によって無事回収され、皇帝である劉弁の下に届けられていた。
「うーん。なるほどなぁ。でもこれってさぁ」
しかしその書状を見た劉弁の感想は、
「陛下、如何致しましたか?」
「いや、これは朕に見せるよりも先に、李儒のところにもっていったほうがよくない?っておもってねぇ」
と言うものだった。
実際書状は皇帝陛下宛てのものであるので、それを議郎である司馬懿が中身を検めず、最初に劉弁の下に持って来ることは、一見何の問題も無いように思える。
だがこの時代、皇帝へ送られて来た書状は『どのようなものであれ検閲した上で、無礼や無作法が無いように修正されたものを上奏するべきだ』と言う考えがあった。
分かりやすく言うなら『皇帝陛下に汚い文字や、粉塵に塗れた文章を見せるべきではない』と言う理屈だ。これを悪用して、各地から送られて来た自分たちに都合の悪い上奏を握り潰したり、その内容を改竄して皇帝に届けていたのが十常侍に代表される宦官連中である。
その反省を活かすためと言うか何と言うか、弘農では劉弁の下に来た書状は綺麗な紙に書き写すことはあっても、その場合下書きとなった書状も一緒に彼に見せるようにしており、第三者が内容を書き換えるようなことは許可されていない。
また、臣下としての立場を考えた場合、書状を読んだ劉弁からどのような問いが有っても即座に返事をすることが求められるので、尚書令である荀攸や相談役の李儒は、劉弁より先に書状の内容を把握しておくことが必要な事でもある。
それなのに、彼らより先に自分が書状を見たらダメなんじゃないか?と言うのが劉弁の意見だったし、何より今回の書状の内容は、療養中でもある上に、まだまだ未熟であることを自覚している劉弁にどうこう出来る内容とも思えなかった。その為『朕に持ってこられてもなぁ』と言う思いが強かったのだ。
おそらく書簡を出して来た董卓も、劉弁の意見よりも李儒の意見を求めていると言うのもわかるので、その気持ちは猶更強かった。だが、司馬懿の意見は違う。
「そのお考えはごもっともです。しかし陛下が最初に書簡を確認することで、これ以降の書簡の改竄を防ぐと言う意味合いが有ります。また、師や荀攸殿の意見を確認する前に、陛下御自身のご意見を固めておくことで、上奏された際にも建設的な討論が可能となるとお考え下さい」
「なるほどねぇ」
司馬懿が言いたいのは『書状を見て何も考えずに他人へその意見を問うのではなく、まずは自身の考えを纏めてから下問しろ』と言うことだ。もっと言えば、こうやって自分で考えさせることで、劉弁の成長を促しているとも言える。
これは司馬懿だけの考えではなく、李儒や荀攸の方針であった。
こういった事情があるので、本来劉弁が書状を見る前に李儒や荀攸による検閲が入り、彼らがある程度の意見を纏めてから上奏されるであろう書簡が、最初に劉弁の下に届けられることとなったわけだ。
劉弁からしても、こうして自分を育てようとしている様子を見れば、彼らが自分を体の良い傀儡にする気が無いと言うことも知れる(そもそもそんなことを疑ってはいない)し、逆に自分を傀儡にしようとしている人間を見抜くことにも繋がるので、個人的にも決して悪い気はしていないのだが、それはそれ。
「うーん。でもこれはなぁ。あ、とりあえず司馬懿もよんでみなよ」
「はっ。では失礼します」
そう言って司馬懿に書状を手渡して、彼に内容を確認させている間、劉弁は書状の内容に対して考察を行う。
(……司馬懿の意見もわかるけどさぁ。それも書状の内容によりけりだよねぇ)
書状の内容を知らない司馬懿に愚痴るのもおかしなことだが、彼としてはそう思うしかないだろう。なにせ今回の書状の内容は、長安の王允や楊彪の最近の行状を訴えているものであり、一歩間違えれば董卓による讒言とも取れるような内容だったからだ。
この書状を読んだ劉弁が最初に思ったのは『この報告が本当か嘘か』ではなく『またあいつらか』と言うものであった。
喪中と言う口実で弘農に引きこもり、公務から意図的に遠ざかっている故に長安の現状を知らない劉弁ではあるが、銭の改鋳の要請やら、投獄された人間の釈放の要請やらを受けてきたことを鑑みれば、どう見ても王允と楊彪が劉協の権威や立場を良いように利用して、国政を壟断しているようにしか見えなかったのだ。
ちなみに今までの彼らの行いで劉弁が最も怒りを覚えたのは、袁術に対する条件付きの恩赦の件だったりする。
これは当初劉協からの書状では『袁家を潰し合わせる為の口実なので、あくまで丞相の名で許可を出す』と書かれていたはずなのに、いつの間にか自分が公認しているような形で世に広まっているのは、彼としても納得できるものではない。
とは言えここまで話が広がってしまえば、今更『そんなことは知らない』とは言いづらい。……いや、言えなくはないが、自身や劉協の権威に傷が付くことになるのは確実なので、今更言い出せないと言うのが正しいのかもしれない。
それでも何かしらの意味が有る策だと言うのなら……と思って何とか我慢していた劉弁だが、己の師でもある李儒から『あれは彼らが名家閥を自派閥に取り込む為の策である』と言うことを聞かされたことで、これを『袁紹を討ち取る為の策』などと言って母や劉協を丸め込んだ王允や楊彪の信用や評価は、彼の中で大幅に下落していた。
そうやって劉弁の中で彼らの評価を落としていたところ、今回、董卓から王允と楊彪の専横の報せが飛び込んで来たのだ。
劉弁はこの報告について、董卓が虚偽を伝えてきたとは疑ってはいない。
何故かと言えば、そこには董卓への信頼もあるが、自身の正妻である唐姫の学術顧問となった蔡琰から、彼女の父である蔡邕がどのような扱いを受けていたのかを聞けば、董卓が伝えてきた王允らの行状は決して虚報や讒言では無く、彼らが劉協を軽んじ長安の政を壟断しているとわかるからだ。
だが、ここで劉弁が気にしたのが『何故李儒や荀攸が動かないのか?』と言うことであった。
元々彼らは無駄なことを嫌うし、権力を持った人間による国政の壟断を認めるような人間ではない。にも関わらず、長安に対して一切の行動を起こさないことが劉弁は不思議でしょうがなかったのだ。
それでも、荀攸はともかく李儒と言う男は常に何かを企んでいることを知っている劉弁は『彼に何か企みが有ると言うなら、自分がそれを邪魔するわけにはいかない』と言う思いが有った。
故に先ほど司馬懿に対して『自分より先に李儒に書状を見せた方が良いんじゃないか?』と言ったのだが……今は自分の意見を持っておくのは悪いことでは無いし、司馬懿の意見も参考にしたいと考えているようで、司馬懿が書状を読み終えるのをじっと待っている。
「なるほど。王允殿と楊彪殿が長安でそのようなことを」
「……そうなんだよ。司馬懿はどうおもう?」
書状を読み終えた司馬懿は、そう言って劉弁に書状を返すと、目を閉じて何やら考え始めた。
普段ならこういうときは徐庶にも書状を見せて意見交換をするのだが、現在その徐庶は李儒の命を受けて、蔡琰や董白が滞在するための各種手続きを行っている最中であり、ここには居ない。
この話自体が、急ぎで何かをしなければならないと言う類の話と言うわけでもないので、劉弁としてはとりあえず司馬懿の考えが纏まるまで待とうとしたのだが、
「……ふむ。とりあえず放置で良いのでは?」
その司馬懿は特に悩むことなく、いっそ気軽と言ってよい感じで、そう告げてきた。
「え?放置でいいの?」
もしも他の人間が同じことを言ったら『弟を利用し、自分の気持ちを慮らない連中を野放しにするのか!』と、多少どころではない不快感を抱いたであろう言葉だったのだが、それを言ったのが、その忠誠や能力に全幅の信頼を置く司馬懿であった為、劉弁としても『それでいいの?』と疑問を抱くに留まってしまった。
「えぇ。大将軍閣下……と言いますか、軍部から見れば確かに王允殿と楊彪殿による国政の壟断と見えるのも理解できます。しかし、そもそもの話ですが、彼らに与えられた司徒や司空と言う役職にはそれが許されるだけの権限が与えられているのです。また、銭の改鋳やら何やらと言った陛下の許可を必要とする事案に対しては、最低限の許可を取りに来ておりますので、不敬と言う程のものでもありません」
「……まぁ、それはそうだけどねぇ」
「更に言えば、今の陛下は喪に服している最中です。故に向こうには『陛下に面倒をかけない為』と言う口実がありますし、陛下の代理たる丞相閣下は未だお若い。故に彼らが独断専行するのもやむを得ないと言えます」
「うーん。いわれてみればそうかもしれないけどさぁ」
療養の必要が有ったとはいえ『自分は喪に服すから、その間は任せた』と彼らに国政を委任したのは劉弁である。故に今回の場合は一概に王允らの暴走とも言えないと言うのも分からないではない。
結局のところは王允らの行動を『国政の壟断』と取るか『三公の職務の内』と取るかと言う問題であろう。その中で司馬懿はこれを『職務の内』と見たわけだ。
「陛下。まず重要なのは袁紹を始めとした逆賊の処理です」
「うん。そうだね」
いきなり話を変えてきた司馬懿だが、そのことについては劉弁も異論は無いので、とりあえず同意を示し、先を促す。
「冀州に逃れた袁紹は、こちらが先手を打って劉虞様を冀州牧に任じた上に、公孫瓚を幽州牧へ任じたことで、現在その動きを封じられております。このままなら彼らが袁紹を打ち破ることも出来るでしょう」
「うん。そうなるといいなっておもってる」
袁術を利用するのではなく、皇族である劉虞を使うことに関しては、劉弁としても文句はない。さらに劉虞に協力している公孫瓚も反董卓連合に参加していないので、劉弁の中では味方だ。そのため彼を幽州牧にすることも納得している。
この二人が袁紹を追い込んでいると言うのは、劉弁にとっては正しく朗報と言っても良いことだった。
「そしてここからが重要なのですが、まず袁術に与えられた条件は『袁紹を討ち取ったら恩赦する』というものです」
「あ!」
そう。あくまで『袁紹を討ち取る』と言うのが恩赦の条件なのだ。この条件が有るからこそ、韓馥の配下も下手に袁紹を殺せないと言う状況になっていた。
何故なら彼らが袁紹を殺した後に袁術に降った場合『袁術が袁紹を討ち取った』と判断されるかどうかは非常に微妙な問題となってしまう。
今の劉弁には、袁紹を始めとした袁家の人間を許す気は無いので、ここでもし韓馥の配下の者が袁紹を殺した場合、韓馥が何と言っても劉弁は袁術の功とは認めず『褒美として韓馥を逆賊から除外する』と宣言を出す可能性もあるのだ。
そうなった場合、袁術に与するどころではなくなってしまう。だからこそ韓馥らは動けない。そして動けないのは袁術に阿る連中だけであって、劉虞や公孫瓚は違う。
「まずは袁紹を劉虞様たちに討ち取って頂きます。そうなれば袁術の逆賊認定を解く理由は無くなりますね?」
「うん、そうだよね」
「そうなれば焦るのは長安に居る、袁術と繋がりのある連中となります」
「……あ、もしかして、そうやってあせったやつらをみつけるために、いまは長安のやつらに手をださないの?」
「はい。ご名答です」
「おぉ~」
この期に及んで袁術を助けようとするなら、それは逆賊に味方すると言うことを意味する。それを討伐するのは官軍として当然のこと。
……つまりはそう言うことだ。
「それに陛下の療養の事を考えれば、今は少しでも時間を稼いでおきたいと言う気持ちも有ります」
「あぁ。それもあったか~」
長安で自分を心配する母や、自分の代わりに家臣の矢面に立って面倒事を引き受けてくれている劉協の事を考えれば、すぐにでも長安に行って皇帝として名乗りを上げたいと言う気持ちはある。
しかし劉弁は自身が喪に服す際、その期間を三年と定めていた。
その為、今はまだ喪に服す期間の最中であるし、そもそも未だ毒が抜けきっていない今の自分が長安に行ったところで、向こうに居る文官たちから見下されてしまい、かえって皇帝の権威を傷付けてしまう可能性が高いという事情もある。つまり今は下手なことせず、喪に服すという名目を最大限に利用して、療養することを優先するべき時期なのだ。
そこまで考えれば、劉弁にも先ほど司馬懿が『放置で良い』と言ったのも理解できる。
と言うか、もしもここで彼らを放置せず詰問などをした場合、彼らが暴走する可能性も見えてくる。その結果、劉協を担いだ長安と、劉弁に従う弘農との間で戦が勃発してしまう可能性まで考慮しなくてはいけなくなるのだ。
だからこそ、今は彼らを放置するしかない。とは言え、ここで司馬懿が言う【放置】とは彼らを完全に自由にすることと同義ではない。
「もしも彼らが劉協殿下を操り、その権威を利用して国政を壟断していると言うのなら、普段から警戒などせずに袁術の関係者と接触していることでしょう。ですが彼らが逆賊であることは変わりません」
「……なるほどなー」
繰り返すが、袁術はあくまで『袁紹を討ち取ったら逆賊の認定を解く』のであって、現時点では紛れもない逆賊である。つまり、いま彼らがやっていることは、鼠が尻尾を出すどころか、全身を出したうえで無警戒に逆賊と接触していると言うことだ。
これに関しては現時点でさえ証拠はいくらでもあるので、どう頑張っても言い逃れは不可能。
故に、これから連中が何をしようと、こちらはその罪を鳴らして処罰するだけの話。それまでは、連中に長安内部にいるであろう袁家との繋がりを求める鼠(逆賊)を集めて貰う予定なのである。
あとの懸念は、汝南に地盤を持つ袁術についてだが……この書状を見た腹黒に対し、劉弁が『もしも袁術が袁紹をうちとったらどうするつもり?』と尋ねたならば、彼は『袁術では袁紹を殺せません。それをさせないための手も打ってますので、ご安心下さい』と答えるはずだ。
彼にとって袁家の人間とは、運とその場の勢いで自分の策を覆すような連中なので、弱点を晒したなら確実に弱体化させるし、殺せるときが来たら確実に殺す。そしてその手間を惜しむつもりは毛頭無い。
皇帝とその師から明確に敵視されている彼らが生き残るには、想像を絶する幸運に加え、大量の銭や、自分たちが生き残る道を見つけ出し、それに向かって迷わずに進むと言う抜群の嗅覚とも言えるモノが必須となるだろう。
しかし、己の置かれている状況すら正しく理解出来ていない今の袁紹に、その道を見つけることは極めて難しいと言わざるを得ない。
しかしどこぞの腹黒は、自分たちが討伐を諦めざるを得なくなるような、特殊なナニカの存在を知っている。
そのナニカが発生しないよう、細心の注意を払いつつ、一手一手を着実に打っていくのが今の腹黒の仕事であった。
……このとき、机の上に漢全土の地図を広げていた腹黒の目は、兗州の西北部にある【とある一郡】を捉えて離さなかったと言う。
少年少女の出会いはともかくとして、劉弁は少しずつ成長&解毒が進んでいるもよう。
前回わざわざ袁紹の現状を挟んだのは、劉虞の冀州牧就任と公孫瓚の幽州牧就任と言う一手のことを補完する為ですな。
弘農では長安の連中が何と言おうと袁家は滅ぼす予定です。
今は『殺し合え……滅尽滅相!』と言った感じでしょうか。
兗州北西部には一体何があるんだぁ?!(謎)ってお話
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