10話。弘農でのこと②
珍しく李儒君が二回登場です。……主人公とは。
「太傅殿。職務中に失礼いたします」
弘農の宮城内に作られた執務室にて黙々と書類仕事に精を出す李儒の下に、予期せぬ来客があったのは、荀攸が蔡琰の受け入れについての打ち合わせを終え、安堵した顔をして執務室を退出した数日後のことだった。
「李厳か。どうした?」
こいつも職務なんだから失礼も何もないだろうに。アレか?俺が仕事を邪魔されたら激怒するとでも思ってんのか?荀攸もそうだったが、こいつらって俺をなんだと思ってるんだろうな?
まぁ軽んじられるよりは良いんだろうけど。
「はっ。実は大将軍閣下より使者が参っておりまして」
おっと、俺の扱いはともかくとして、まずは李厳の用件だな。と言うか、
「董閣下からの使者?」
普段から『自分は武官だから、できるだけ政に関わらん』と言うことで、長安からも距離を置いてるはずの董卓が、長安以上に離れているここに使者を出してくるだと?
「はっ。李傕殿と郭汜殿のお二人が」
「あの二人を?」
いや、ゲームで言ったら政治が30を切る連中を使者にするって何だよ。
あぁ、いやいや、実際の能力を数字で表すことは出来ないってのはわかるぞ?しかしいくらなんでもあの二人を使者にするのは無いわぁ。
ん?まてまて。董卓からの書状を届けるだけならあの二人でも問題ないんじゃないか?なにせ向こうは大将軍だし、前線指揮官である二人に弁舌なんか求めていないと考えれば、子飼いの将帥って言うのは使者として出しても問題ないよな。
それに今の司隷の治安を考えれば、そこそこの武力も有ったほうが良いと考えてもおかしくはない。
……治安が悪いのは長安周辺なんだが、自分のところが荒れてれば他人のところも荒れてると考えるのは普通だし、そもそも弘農は洛陽があった河南尹と隣接しているし。
数ヶ月前まで連合軍の大軍が駐屯していたんだから、誰が残ってるかわからんし、間違いなく間者が潜んでいることを考えれば、使者が狙われる可能性を警戒するのも当然と言えば当然ではある。
その上で一定の武力と格がある二人を使者にしたと言うのなら、一概に悪い判断とは言えんな。
なにせ基本的に太傅である俺の所に来る客は多い。俺としても人材の確保と言う概念から、全員と面会して優秀な人間を登用したいのだが、いかんせん全員と面会していてはそれだけで日が暮れてしまい、仕事が滞ってしまう。
よって俺は普段から直接面会をする相手をかなり少なく設定していて、客がそのカテゴリの中に入らない場合は、部下が面談することになっている。
つまり、普通数日とか一ヶ月単位で待たせてから面談するってことだな。
これを傲慢と言うかどうかは客人次第なのだろうが、そもそも俺の就いている太傅と言う職は、三公や大将軍よりも上の地位だ。現代日本の会社で言うならば、皇帝を社長とした会社において、社長の相談役を兼ねる取締役みたいな感じだ。
さらにその会社は国内で最大規模の会社となれば、今の俺がそれなりの立場に就いていることは理解してもらえると思う。
その立場に見合った量の書類仕事をする必要が有るので、多少の苦労はあるが、今の苦労が定年後の楽隠居に繋がると思えば、それほど苦にならないのが救いではある。
定年退職後のことはともかくとして。
つまるところ、言うなれば企業のお偉いさんである俺に対してアポなしで面会を申し込んで来たら、どんな家の人間であれ、待たされるのが普通なのだ。
もしもここで『自分に対してすぐに応対しないとは何事だ!』と騒ぐような阿呆は、他に面会を待ってる連中や、皇帝の権威を重視する連中に敵視されてしまい、周囲で色々と不幸な事故が発生してそのまま没落一直線の道を辿ることになる。
当然俺も手を差し伸べたりしないから、弘農を訪れる使者は普段から自制が必要だったりするんだよな。
……普段からこうやって名家だの士大夫に配慮しない態度だから、荀攸も蔡文姫を俺に預けようとしたんだろうよ。
そんな弘農の事情を知るからこそ、董卓は李傕と郭汜を送り込んできた可能性が高い。それに二人は俺とも知り合いだから、優先して面会出来ると踏んだのだろう。
事実、俺としても彼らと会うことに異論はない。
しかしそこで問題となるのが今の状況だ。つまりは『董卓の使者は優先的に面会する相手として設定してるのに、何故わざわざ李厳が取り次いで来るのか』と言うことだな。
そもそも今の李厳は俺の副官であると同時に、中郎将として官軍を率いる立場にある将なんだぞ?つまりその辺の将軍並に偉い。そんな李厳が一々取り次いでくるってなんだ?また面倒事か?
「そ、それが、大将軍殿の書状を携えた使者は別の方らしく、二人は『先触れとして来た』とだけ言っておりましたので、私共ではその、どう扱って良いものか判断が出来ず、こうして閣下に判断を仰ぎに来た次第であります!」
「……あぁ。なるほど」
俺が軽くイラついたのを見て取ったのか、李厳はやや焦ったように説明してきたが……うん。確かにこれはリアクションに困るわな。
大将軍の子飼いで、雑号だが将軍位を持つ二人は本来なら単体でも十分使者としての役割を果たせるだけの格がある。にも関わらず、董卓は彼らとは別の人間を使者として派遣してきたわけだ。
そういった事情から、李傕と郭汜の二人は先触れでしかないんだから、俺に直接顔を合わせて良いかどうかわからないって感じなのか。
そして今回李厳がこうして俺のところに来たのは、その使者が護衛の軍勢か何かと一緒に来てて、それを臨検したのが李厳だったからだろう。
運が悪いと言うか何と言うか……
で、普通ならその使者を出迎えるために情報を貰うのが筋なんだが、相手が大将軍関連となれば、その先触れの使者と折衝するにも一定の格が必要になる。そんで『誰にそれを任せるか』ってのを決めるのは俺の仕事だ。
つまり李厳は特に間違ってない。
「そこまでは理解した。では問題は口上だな。李傕と郭汜の二人は董閣下の使者はここに何をしに来たと言っているんだ?」
これによって応対者の格が変わるからな。何らかの私的な報告や内密な相談なら一定の格があればそれでいいが、大将軍から太傅(この場合は皇帝)に対しての正式な上奏となれば、尚書である荀攸を出す必要がある。
一々面倒なことだが、皇帝陛下を奉じている以上、この辺の儀礼は疎かには出来んのだよ。
「はっ。お二人が言うには、ご使者の目的は『皇帝陛下に対しての時候のご挨拶をすることと、太傅殿に大将軍殿からの書状を届けること』だそうです」
「ふむ。ご挨拶はまだしも、書状か。二人はその内容は知らんのだな?」
「はっ、どうやら内容は聞いていないようです」
「ま、当然と言えば当然か」
わざわざ二人に話すくらいなら使者を別に立てる必要は無いしな。
しかし、これはまた微妙な。陛下に対する挨拶については、今は喪に服してる最中だから代理に受けさせれば良いが、俺に対する書状ってのがなぁ。まさかこれに尚書の荀攸を出すわけにはいかん。
話を聞くだけなら尚書侍郎であり別駕従事でもある鄭泰が妥当ではあるが……あいつは董卓とは相性悪そうだから止めておこう。同じように奉車都尉の何顒も駄目だな。
となると、謁者であり侍中でもある董昭あたりはどうだ?血縁関係はなくとも同じ董氏だから、董卓のことを蔑ろにしたってことにはならんだろうし、皇帝の代理として大将軍の使者から挨拶を受けても不足は無い。
よし、そうしよう。ついでに俺宛の書状も受け取ってもらえば良いな。あとの懸念は使者の性格だ。董卓子飼いの猛将である李傕と郭汜を先触れに出すってことは、董卓陣営でも上の立場の人間だろ?それに皇帝陛下に大将軍の代理として挨拶をするんだから一門衆の可能性が高い。
ならば使者は洛陽にいた弟の董旻か、それとも早世したって言う、兄の董擢の子供、つまりは甥っ子の董璜か?
そう思っていた時期が俺にもありました。
「それで、そのご使者の名は?」
「はっ、董白殿と言う方らしいです」
「……は?董白?」
「な、何か?」
「い、いや、何でもない」
「そ、そうですか……」
……一門は一門でも孫娘かよ。それも未成年の小娘って。つーか溺愛してたんじゃないのか?いや、だから子飼いの二人が護衛なのか。
今の時期に孫娘をここに送ってくるってことは、劉弁の側室狙い?それとも人質を兼ねた社会勉強のつもりか?まさか婿探しじゃねぇだろうな?
どっちにしろ私的な要素が強いってことは確かってことはわかった。
はぁ。なんか一気に疲れた。
「……司馬懿に行かせよう。手間をかけてすまんが、あいつを二人のところまで案内してやってくれ」
今は徐庶や劉弁と一緒に座学の最中だったはず。勉学も大事だが、実務経験だって大事だと考えれば、そろそろ使者の応対も経験させてもよかろう。
「え?司馬懿殿でよろしいのですか?」
ん?あぁ、李厳にしてみたら大将軍の使者だもんな。元服前の子供に相手をさせるのは無礼になるんじゃないか?って心配してんだろうけど、その心配はない。
「あぁ。向こうも元服前の子供だからな。下手に位が高い奴を出迎えに使えば向こうが萎縮するし、迎えの使者になった奴だって気分を悪くするだろうよ」
「……その、董白殿とやらは元服前の子供だったのですか?」
「そうだ。とは言え董閣下が目に入れても痛くないほど可愛がっている孫娘だから、扱いはそれなりに慎重に頼む」
「……孫娘?」
「そうだ」
「それは、また、何と言いますか」
うむ。流石の李厳もリアクションが取れんようだな。
そりゃなぁ。いくら大将軍からの使者って言っても、元服前の小娘じゃなぁ。蔡文姫の話では無いが、男尊女卑が蔓延している古代中国で、しかも皇帝に直接仕えている人間からすれば、孫娘を使者にされるってのはある意味で屈辱的なことだろう。
そういうのを一切気にしないだけの度量……とは少し違うが、そういうのを持ち合わせた上で、任務を任務と割り切ることが出来るのは現状では弟子や徐庶しかおらん。
故にあいつらなら問題あるまいて。それに弟子はなんだかんだで正式な議郎で、董白と歳も近い上、董卓や李傕・郭汜の二人とも知り合いだしな。
「とりあえず董白殿については司馬懿に任せていいだろう。お前は部下に使者の出迎えの準備をさせてくれ。さっきも言ったが、相手は董閣下が溺愛している孫娘だ。故に『使者』として扱うのではなく『貴人』もしくは『客人』として扱うよう、部下たちに通達しろ」
「はっ!」
そう。元服前の娘さんを正式な使者として見るから問題なんであって、単純に大将軍の孫であり、お客さんとして見れば良いだけの話なんだよ。
どうせ用件は大したことないんだしな。
「話は以上だ。何か問題は?」
「ございません!」
「では動け」
「はっ!」
正式に指示を受けた李厳がバタバタと音を立てるような勢いで退出し、外に居た部下たちに命令を下していく様子を見届けた李儒は、机の上に溜まった書簡との戦いを再開する前に、一言呟いたと言う。
「やれやれ。ここは託児所じゃないんだけどな……」
――――
「というわけで、司馬懿殿には大将軍閣下からの使者のお出迎えをお願いしたい」
「ふむ。師、いや、太傅様からのご下命なら否も応もありません。委細承知致しました」
「あ、じゃあ僕も準備します!」
「ふたりとも、いってらっしゃーい」
――――
大将軍の使者が皇帝&太傅の使者と遭遇するまであと数刻。
そんなとき当の彼女は何をしていたかというと……
同時刻。弘農郊外
「え?董白殿は董卓殿、いえ大将軍閣下のお孫様なんですか?!」
「ふふーん!そうなのよ!今回はお祖父様の代理として来たのよ!つまりお仕事なのよ!」
「ご立派です、お嬢様!」
偶然出会った初対面の少女に対して、謎のマウントを取っていたと言う。
史実において数々の不幸に見舞われた少女たちが、今後どのような運命を辿ることになるのか。それを知る者はまだ居ない。
マサ○グ様?何のことやら。
董白さん、歓迎される……かも。の巻
拙作において、彼女は無位無官ですので、大将軍の孫とは言え扱いは微妙に軽くなるもよう。それでも大将軍から皇帝陛下への使者ですので、軽くはありません。
蔡邕は侍中ですが、投獄されて干されてますし、蔡琰は当然無位無官ですので、後ろ盾の大きさを見れば董白の方が格上になる感じでしょうか。
王異?優秀な付き人ですってお話。
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