7話。曹操出世する
初平2年(西暦191年)10月
衛茲無き後、彼の喪を弔うと言うことで陳留へ滞留していた曹操は、鮑信や陳宮らの働きかけにより、陳留郡の太守である張邈を説得し、衛茲の子であった衛臻を臨時の県令とし、その後見人的な立場を得ることで陳留を実効支配することに成功していた。
こうして根拠地を手に入れた曹操は財源的な余裕ができ、今まで目を付けていたが懐具合により声を掛けることができなかった士大夫たちにも堂々と声を掛ける事が出来る余裕が生まれたのだが……
「いや、曹操殿は宦官閥だろう?」
「逆賊でもあるな」
「袁紹の為に壁になどなりたくない」
等々、散々な言われようであった。
この期に及んで自身の出生をどうこう言うような俗物には曹操とて興味はない。
こっちから願い下げだ! と思う。
だが、彼らの言い分の中にある『逆賊』というのは無視できない。
普通の士大夫からすれば途轍もなく重いモノであるのは理解できるし、また『連合の実質的なナンバー2であったことで董卓に目を付けられてるんじゃないか?』との疑いがある以上、招聘を断られても文句を言いづらい環境であることも認めざるを得なかった。
「ぐぬぬ……これだから名家と言うやつらは……」
彼らの言い分もわかる。そう頭で理解しているものの、人間である以上どうしても苛立ちが表に出てしまう。
今のところ陳留の政に関しては曹操と陳宮の二人でも回せるのだが、曹操も陳宮も戦に出てしまえば残った役人だけでは曹操が求める水準の業務は望めない。
だからこそ曹操は切実に文官を欲しているのだが、逆賊という称号と董卓という脅威が壁となり、彼の前に立ちはだかっている状態である。
いや、まぁ逆賊認定に関しては、曹操の場合、董卓に頼めば即座に解除出来るだろう。(どこぞの腹黒が邪魔しない限り)
しかしそれが出来ない事情もある。
何故なら今の状況で曹操だけ逆賊認定を解除されてしまえば、周辺からタコ殴りにされる事が目に見えているからだ。
何と言ってもあの袁家でさえ、袁術が持てる全てのコネと財などを利用して、ようやく条件付きで逆賊認定を解除してもらえた状況である。
それなのに、曹操が使者を送っただけであっさりと逆賊認定を解除されたら周囲の諸侯はどう思うだろうか?
不平等と騒ぐくらいなら良い。最悪(普通)は董卓と曹操の間に何かの密約が有ったんじゃないか? と疑われて、諸侯から詰問の使者が来るだろう。
なにせ今回連合に参加した中で、明確に得をした諸侯は、袁紹を放逐して正式に家督を継ぐことが確定した袁術か、根無し草の状態から陳留を得ることになった曹操くらいしかいない。
さらに言えば、連合に於いて袁家は多大な私財を投じていたのに対して、曹操は序盤に徐栄に蹴散らされて軍勢を再編成する必要に駆られたくらいで、他は特に出費が無い状態からの出世である。
あの、誰もがまともな戦をしていなかった連合諸侯の中で、数少ない『戦をして死にかけた男』という実績は、ある意味ではそれだけで十分な出費だったかもしれない。しかし結果として主要な家臣は誰一人失っていない上での立身出世なので、そのことを羨む人間が居るのは当然のことでもあった。
そこに『曹操だけが逆賊認定を解かれた。曹操は董卓と繋がっていたんだ!』などといった風評を流されては、曹操陣営は連合で何も得ることが出来ずに不満を溜め込んでいた諸侯の憂さ晴らしで滅ぼされてしまう。
その危険性を理解しているので、曹操から董卓に逆賊認定を解くような要請は出来なかったし、董卓陣営としても、直近の書類仕事からは解放されたが、いつ書類地獄が顕現するかわからない現状に於いて、曹操を解放するという選択肢はなかった。
このように両者の思惑が一致した結果、曹操は未だに逆賊であり続けており、その為に士大夫の登用に苦戦すると言う悪循環の中で日々を送っている。
……反董卓連合で友誼を結んだ鮑信が曹操の下を訪れたのはそんな時であった。
―――
兗州・陳留郡陳留県
「わざわざ陳留まで来なくとも、貴殿から呼び出しがあったならこちらから参じたものを」
客室で寛ぐ鮑信に対し苦笑いで告げる曹操だが、この言葉に偽りはない。
それは鮑信が自身の良き友であった衛慈の主君であったことや、元々陳留を実効支配するにあたって協力をしてもらったこと、また新任領主の自分とは違い鮑信が為政者としての先達であることなど、様々な理由があった。
あわよくば誰かを紹介してもらおうという下心もないこともないのだが、それはそれである。
「その気持ちは嬉しいが、今回はこちらが頼む側なのでな」
「……頼む側?」
「うむ」
曹操が訝しげに尋ねれば、鮑信は真顔で頷き、周囲をキョロキョロと見回している。どうやら聞き耳を立てている者が居ないかどうか警戒しているようだ。
「はて、今の私に出来ることで、貴殿の助けになるようなことなどあっただろうか?」
少し前なら陳宮あたりが勝手に潜んでいた可能性もあるのだが、完全に書類に囲まれた今の陳宮にそんな余裕はない。その為、情報が漏洩する心配は不要だと言うことを目で告げ、話を進めようとする。
「謙遜……ではないようだが、今は遠慮は不要だ。これは貴公にしか頼めないことだと思っているのだ」
「……ほう。まぁ貴殿が私に不利益があるような頼みごとをするとは思えんしな。とりあえず話を聞かせてもらおうか」
そんな曹操の意図を察した上で、なお声を潜めて話し出す鮑信の様子を見て「(これは間違いなく面倒事だ)」と確信したのだが、ここで話を聞かないと言う選択肢は無い。
その為、さりげなく釘を刺しながらも表面上は穏やかな顔で先を促すことにしたが、鮑信としては先を促してもらっただけで十分と思ったのだろう。曹操の言葉に一つ頷き、意を決した表情を見せる。
「うむ。……じつは貴公に、東郡の太守になってもらいたいと思ってな」
「そうか、私を東郡の太守に……って、はぁ?」
流石に「何言ってんだお前?」だの「正気か?」とまでは口に出さないが、曹操の気持ちとしてはまさしくそんな感じである。
鮑信の気持ちもわからないではない。元々東郡の太守であった橋瑁は反董卓連合結成のきっかけとなった勅を偽造した罪で兗州刺史劉岱を始めとした面々によって討たれている為、現在東郡の太守は不在となっている。
済北国を治める鮑信としては、冀州や司隷に隣接する東郡が責任者不在の状況は不安なのだろう。そこに自身と友誼がある曹操を入れたいという気持ちはわかるし、評価をしてもらったことについてはありがたいことだと思う。
しかし今の曹操は、陳留県を治めるので手一杯なのだ。この上で東郡なんて任されても困るとしか言い様がない。
「いきなりこのようなことを言われれば驚くのは当然だと思う。しかしこちらにも事情があるのだ」
「事情?」
曹操が知る限り、鮑信という男は行き当たりばったりでこのようなことを口走るような男ではない。事情があると言うなら、真実そうなのだろう。
しかし、つい先日まで根無し草だった自分を郡太守にする事情とは一体何なのか? 視線で先を促せば、鮑信は半分申し訳なさそうな、そしてもう半分は憤りのような表情を浮かべている。
「実は、袁紹が冀州の韓馥の下に行ったという情報が入ってな」
「……奴か」
連合が解散して陳留に入ってからというもの、あまりの多忙さに辟易としていた曹操だが、袁紹の存在を忘れたわけでは無い。
放置すれば絶対に何かやらかすことは知っていたし、袁紹が目の敵にしている袁術が、長安から条件付きではあるが『逆賊認定を解除する』との言質を取り、その事を利用して諸侯の取り込みを行っていることも知っているのだ。
ならば賞金首にされた形の袁紹や、その取り巻きが何の手も打たないなどということは有り得ない。
というか、曹操が知る袁紹と言う人物はどこまでも自分本位な人間なので、現在袁家を継いだ袁術に狙われていることも、己が皇帝から名指しで正式に逆賊にされたことにも納得などしていないだろう。
故に長安に許しを請うような真似もしないし、袁術と歩調を合わせることも無いと断言できる。
そうして独自の動きを見せるとなれば、彼が頼るのは親友である曹操か、袁家の被官でありながら汝南の本家と距離がある冀州の韓馥を選ぶのも分かる話だ。
「そう。奴だ。奴は元々宮中侵犯という罪があり、正式な……と言うのもおかしいが、まず紛れもない逆賊と言っても良いだろう」
「うむ。その通りだな」
親友? 知らん。と言わんばかりに即答する曹操の図である。
しかし、その逆賊を盟主に据えたのが、今は亡き橋瑁や彼の檄文に応じた劉岱や目の前の鮑信である。だが、基本的に彼らは橋瑁が主張した勅が捏造されていたことを知らず、普段から同じ兗州の領主として付き合いのあった橋瑁を信じて連合に参加した者達なのだ。
故に彼らの中では『自分たちは騙されて逆賊に貶められた』との思いがある。
それに対して袁紹は、自身の言動の結果逆賊になっている。だからこそ袁術が「此度『袁紹の首と引き換えに逆賊の認定を解く』との言質を取れた」と吹聴している言葉に信憑性が生まれているのだが……曹操はその言質が『長安』から取れたというところに違和感を感じていた。
そんな長安と弘農の差異はともかくとして、今は袁紹の去就についての話だ。
「袁紹の罪はそれだけではない。自身が劉弁陛下に逆賊に認定されたと分かった途端、幽州牧である劉虞様を帝として推戴しようとしたのだぞ! あれが皇帝陛下を私物化しようとする行為で無くて何だと言うのだ!」
本気の怒りを湛えた声と共に、ダンッ! と机を叩く音が室内に響き渡る。
古代中国的価値観で言えば、帝の不興を買ったなら膝でも玉でも壊して謝罪するのが筋であるのに、あろうことか袁紹は『自分に敵対する皇帝などいらん』と言わんばかりの行動を取ったのだ。
それは儒家として名を馳せた彼には、到底許し難い行為であったことは想像に難くない。
「うむ。あれには流石に私や袁術も反対したし、劉虞様も拒絶して下さったから大事にはならなかったな」
「あぁ。その通りだ! だが私はあれで袁紹こそが臣の立場を弁えない本物の逆賊であることを理解した! ……橋瑁の口車に乗り浅はかな考えで連合を結成しただけに留まらず、あのような者を盟主と仰いでしまった結果が逆賊認定に繋がったのだ! ……己の愚行が陛下に弓を引く形となることを理解せず、逆賊に認定され、私の代で父祖の名を貶めてしまった。えぇい! 己の無能さに腹が立つ!」
「……うむ」
血を吐くように言葉を重ねる鮑信を前に『気持ちは分かる』と言わんばかりに神妙な顔をして頷く曹操であったが、彼は董卓からの指示で連合に参加していたので、本気で連合に参加したことを悔いている鮑信とは状況がまるで違う。そのため彼の内心は非常に複雑なものであった。
そもそも基本的な話なのだが、反董卓連合に参加した諸侯は自分の意志で連合に参加していたのだ。まぁ状況的に酌量の余地が有る者も居るのだが、それでも当初の予定のように董卓を打ち破った暁には、それぞれが栄達を享受することが出来たのだから、負けた場合の負担が自己責任となるのも当然の話であろう。
事実、荊州の孫堅や幽州の劉虞・公孫瓚などは董卓に敵対しなかったことで利益を享受しているし、徐州の陶謙も連合に参加しなかったことで無駄に資財を浪費することも無く、戦乱を避けて流民が避難して来ることでその国力が増していると考えれば、損失を上回る利益が有ったと言っても良いかも知れない。
曹操の目の前でフゥフゥと息を荒げていた鮑信は、溜め込んでいた鬱憤を吐き出して多少気を持ち直したか一息吐いて、話を続けようとする。
「……私はこれ以上、陛下に無礼を重ねるつもりは無いのだ」
つまり鮑信としては『己の愚かさを理解したので、今後は長安に対して許しを得るまで平身低頭謝罪をする』というのが基本方針と言うことだろう。(県令冗談)
「ほう。貴殿は袁術と道を同じくすると言うことかな?」
そしてその為の一番の近道は袁術が指し示した。
すなわち『袁紹の討伐』である。
「そうだ。故に私は袁紹の動きを警戒していたのだよ」
実際は警戒と言うか、隙が有れば殺そうとしていたのだが、流石に袁紹も自分の命が狙われていることくらいは知っていたのか、隙を晒すことは無かったようだ。
「なるほど。その結果、袁紹が韓馥の下に身を寄せたことを掴んだか」
先述したが、連合無き今根拠地の無い袁紹が頼ることが出来るのは、姉が嫁ぎ自身を匿い擁立してくれた高家か、袁術から離れたところに居る袁家の関係者となる。
そして元々韓馥を冀州刺史とした際、袁術と関りが深い楊彪は、汝南から袁紹の影響力を削ぐ為に韓馥の下に袁紹派と言えるような連中を多く入れていたので、今回の袁紹の動きはそれも関係しているのだろう。
「うむ。そこで我々にとって最大の懸念は、冀州に入った袁紹がどう動くか分からんということでな」
「我々、か。つまり張邈殿や劉岱様も?」
「無論、了承している」
「そうか……」
ここで漸く『曹操を東郡太守にしたい』という彼らの事情が浮き彫りになってきた。
要するに彼らは曹操を袁紹に対する壁にしたいのだ。
「今の袁紹は冀州に入ったものの、依然根無し草には違いない。故に太守不在の東郡へ侵攻する可能性も無いとは言い切れんだろう?」
「それはそうだな。しかし貴殿らには今更袁紹に降る気が無い。だが単独では冀州の将兵を率いる袁紹と戦えない。故に東郡に私を置くことで袁紹からの干渉を防ぎ、時間を稼ぐわけか」
「そうだ。袁紹も『親友』である貴公を攻めるとは考え辛いし、我々としても貴公が大人しく袁紹に従うとは思っていない。さらに貴公が東郡太守であれば、董卓が攻め込んできた際に陳留に援軍を差し向けることも可能になる」
「ふむ……」
もし自分が裏切ったらどうする? と意地の悪い質問をしようとしたが、質問する前にその答えをあっさりと告げられてしまい、その上で『最悪の場合は袁紹を味方にしてくれ』と追撃を受けた曹操は、諧謔することも忘れて鮑信の案を検討することになった。
(まぁ私は董卓殿と繋がってるし、袁紹を転がすのも難しくはない。ならば豫州の袁術と接している陳留より東郡の方が安全ではある。それに人材に関しても、借り物の陳留よりも正式に一郡の太守となった方が集めやすいだろう。名家連中は信用出来んから地元の名士の説得からだが……)
どのみち陳留郡の太守である張邈が『曹操に東郡太守となって欲しい』と言っている時点で、曹操に断ると言う選択肢は無いのだが、ソレはソレ。
曹操は自身が東郡太守になることと、陳留を捨てて董卓に降ることを天秤に掛け、素直に東郡の太守になることを受け入れることにした。
これにより曹操は、連合解散から僅か数か月で仮の県令から正式な郡の太守へと昇進したのである。
いきなり郡の太守にされた孫堅との大きな違いは、周囲に理解者が居ることと、彼自身が書類仕事を得意としていることだろうか。
とはいえ、いきなり郡太守となった為に、暫くその動きを封じられることになるのが確定してしまう。
こうして己の裏を掻いてくる可能性が有った万能の天才がその動きを封じられたことで、どこぞの腹黒が介入する環境が出来上がってしまったことを、正しく理解している者がどれだけ居ることか。
少なくともこの時点で反董卓連合に所属していた諸侯の頭の中には、彼の動きを警戒する者はいなかった。
一行で纏めれば、サブタイ通りですね。
今の兗州は袁術と袁紹に挟まれている状況ですので、非常に危ういのです。また連合に参加したことで物資も不足していて、簡単に戦を仕掛けることも出来ず、どうしても受けの姿勢になってしまいます。
董卓・孫堅・劉虞・陶謙らの動きが分からないので、とりあえず袁紹と付き合いがある曹操を冀州や司隷に面した東郡に入れることで西と北の壁にしつつ、内部を固める計画なもよう。
曹操としては大損……と見せかけて、太守への抜擢と言う普通なら有り得ないほどの出世をしているので、差し引きゼロと周囲からは思われています。(当時の曹操は「知る人ぞ知る」程度の扱いですからね)