5話。北を駆ける白馬③
初平2年(西暦191年)9月。幽州広陽郡・薊
この日、公孫瓚は幽州牧である劉虞に呼ばれ、幽州刺史が治府を置く薊を訪れていた。
「おぉよく来てくれた。わざわざ呼び立ててすまんな」
本来なら皇族であり幽州牧でもある劉虞は公孫瓚に謝罪する必要は無いのだが、彼はどこぞの腹黒から張純の乱における裏事情を聞かされており、自分が意図したことでは無いとは言え、公孫瓚を始めとした幽州軍閥の顔を潰していたことを理解していたので、幽州牧として彼らの上に立つことになった今でも彼らに対して気を配ることを忘れていなかった。
……実は着任前にどこぞの腹黒から『逆恨みで殺される可能性も有るので、日頃から色々と気を付けて下さい』と忠告を受けていたのも決して無関係ではないらしいが、あくまでそれは噂である。
そんな忠告を貰ったかどうかはともかくとして、常日頃から(表面上)謙虚な態度を崩さない劉虞の評価は幽州軍閥の中でも非常に高く、劉虞の着任と丘力居に対する方策に一番不満を抱えていたであろう公孫瓚ですら、心の中の不満は『多少』で済む程度のモノで納まっていた。
実際のところ公孫瓚が大人しくしている最大の要因は、長安からの物資の支給に滞りが無いことであり、もし皇族である劉虞と敵対すればその物資が貰えなくなる可能性が有るので、とりあえず大人しく従っていると言う打算もあったりするのだが、その程度の打算は誰でもしていることである。
「いえ、お構いなく。しかし此度の急なお呼び出しには、何やら面倒事が発生したのだと愚考致しますが如何?」
そのような事情があって、政治的なトップである劉虞と軍部のトップである公孫瓚は互いに敵対しようとは思っていないし、烏桓の大人である丘力居らが降伏して来た以上、今のところ幽州の統治に支障は無い。
よって彼は今回の呼び出しは幽州の外部勢力が関わっていると推察していた。
「その通りだ。話が早くて助かる」
「それで、如何なる面倒事が?」
「うむ……」
公孫瓚が即断即決を旨とする(そうしないと騎兵を中心とした戦に対応できない)幽州軍閥の長らしく率直に切り込めば、彼らを統治する立場の劉虞も形式などを無視して話を進める。
礼儀だの作法は必要とする時と場所と相手を選ぶものだと言うことを、よく理解している証拠であった。
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公孫瓚
「……少し前から、袁紹らが私を帝として担ぎ上げようとしているのは貴公も知っているな?」
「えぇ。存じ上げております。州牧殿がその誘いを断っていることも」
読んで字の如く、家の名を誇るのが名家である。その名家の代表を自認する袁紹や彼の周辺に居る連中にしてみたら、自身が皇帝から正式に逆賊と認定されたことは、色んな意味で耐え難い屈辱なはずだ。
たとえ彼らが『陛下は董卓に脅されたのだ』とかなんとか言っても、公式に逆賊に認定されたことに違いはない。
故に、彼らはなんとしてでも逆賊と言う汚名を雪ぐ必要があった。
そしてその方法として袁紹らが考えたのが、董卓に傀儡とされた幼い皇帝を廃し、自分達に都合の良い決定を下す皇族を皇帝として擁立することだ。
これは『罪人が皇帝に謝罪するのではなく、別の皇帝を推戴する』と言う、誰がどう考えても不敬極まりない行為である。
はっきり言うならば、これは彼らが忌み嫌った宦官や外戚とまったく同じ考えであり、端から見れば『こいつらこそ正真正銘の逆賊じゃないか』と言われてもおかしくはない考えであった。
事実、この『劉虞擁立』に関しては連合の内部でも賛否が別れている。
なにせ宮中侵犯と言う罪を犯して逆賊認定された袁紹らと違い、董卓の討伐と言う勅を名目として連合に参加した諸侯にしてみたら、皇帝に対して反逆などするつもりは無いのだから、当然と言えば当然の話だろう。
「うむ。私は陛下に弓引くつもりなどないからな。そこで私の擁立は諦めた……かどうかは不明だが、今回袁紹は擁立ではなく別の提案をしてきてね」
「ほう。袁紹が?」
わざわざ呼び出されたのでどんな面倒事かと思えば、袁家のクソガキかよ。
公孫瓚にしてみれば袁紹と言う人物は、自分達の足を引っ張り、無駄に張純の乱を長引かせた連中の片割れである名家閥のボンボンに過ぎない。
故に、生まれだけの問題ならば、袁家はともかく袁紹個人に恨みもつらみも無いので、個人的に距離を置きたいと思う程度の存在でしかなかった。
しかし、彼は何をトチ狂ったか反董卓連合の盟主となり、自分達にも連合の参加を呼び掛けてくると言う、愚行に走ってしまったことで、公孫瓚は袁紹を『現実を知らない阿呆』と分類することになる。
と言うのも、数年前から洛陽からの支援を受けることでやりくりをしていた公孫瓚にとって、補償も何も無しに洛陽に敵対するなど有り得ない行為だった。
そんな現実も理解せずに、名家がどうだとか、成り上がりがどうだと言って参戦を促されたところで、公孫瓚が乗るわけがない。
何せ袁紹らの主張を彼の視点で要約するならば『地方の軍閥は黙って名家の言うことを聞いていれば良いのだ!』と言っているようにしか聞こえなかったのだ。
これでは自分のような立場の人間は連合への参加を躊躇するだろう。そしてなにより、普段から何も言わずにきちんと必要な物資を必要なだけ支援してくれる董卓陣営と比べてしまえば、嫌でもその浅ましさが目についてしまう。
また、洛陽からの援助が無くなれば幽州の軍閥は干上がることになるのは明白であるし、中央にしか目を向けない連中は忘れがちになることだが、董卓は并州に居た頃から匈奴や羌と言った異民族に対して強い影響力を持っていた男である。
故に、もしも公孫瓚が連合側に付いて参陣したとしたら、董卓は公孫瓚に対する援助を止めて、他の幽州軍閥に支援を行いつつ、自らと繋がりが有る異民族に対して公孫瓚の討伐を命じていただろう。
更には劉虞に対しても同じ命令を下し、皇帝に対する忠節を問うて居たかもしれない。
そうなれば公孫瓚は間違いなく潰されて、幽州を逐われて居たはず。
……つまり公孫瓚は戦う前から敗けが決まっているのだ。
さらに何かの間違いで連合軍が勝利したとして、彼に何の得があると言うのか。
連合が勝利する為には、董卓率いる涼・并州の軍勢を打倒しなくてはならないが、名家の連中が率いた民兵上がりの雑兵では相手にすらならないと言うことはわかりきっている。
故に、主に戦うのは幽州の軍勢になっていたはずだ。
しかし普段から蛮族のような扱いを受けている幽州の将兵に対して、連合の上層部がまともな評価や支援をするだろうか?
……どう考えても『蛮族同士で潰し合え』と言わんばかりに矢面に立たされる未来しか想像できない。
そうして命を削って戦い抜いた先に有るのは、完全に放棄されていて、まともな補給も何も出来ないほどに荒らされた洛陽だ。これでは戦で死んだ将兵に報いるどころではない。
つまり自分達が参戦して董卓との戦に勝った結果、自分達は袁紹らの損害を肩代わりしてやった挙げ句に戦に費やした戦費すら補充できず、それどころか以後洛陽(長安)からの支援を打ち切られてしまうことになる。
そんなことになってしまったら、自分が幽州の者達からどんな扱いを受けることになるかは考えるまでもないことだ。
このように、董卓を敵に回すと言うことは公孫瓚にとって何の得にもならない。それどころか損しか無い行為だった。
……何が悲しくて袁紹ら名家の面子のために、恨みも何もない董卓を敵に回し、逆賊と認定された挙げ句に幽州を危機に晒さねばならないのか。
少し考えただけでも公孫瓚が連合に参加した場合のデメリットはこれだけあると言うのに、それらを一切考慮せずに『董卓の横暴を止めるのだ!』とか抜かして連合への参加を促してくる連合の首脳部に対し、彼らの頭の中を疑って距離を取ろうとした公孫瓚を誰が咎めることが出来ようか。
劉虞は劉虞で、董卓に敵対した場合は異民族や公孫瓚に挟まれて逆賊として討伐されることを恐れて、頑なに袁紹らの誘いを断っていたことは公孫瓚も知っている。
実際劉虞が懸念しているように、彼に皇帝からの勅命が下っていたならば、皇族である劉虞を殺しても公孫瓚を咎める者などいない。むしろ勅命を果たしたことを称賛されるだろう。
故に、もし劉虞が袁紹の誘いに乗って連合に参加をしていたら、今ごろ劉虞は縄を打たれて刑場へと送られているはずだ。
これらのことを考えれば、今回わざわざこうして公孫瓚を呼び出した劉虞の用件が『袁紹の誘いに乗るからお前もどうだ?』と言った内容では無いだろうと思われる。
では袁紹が何を企んで介入してきたか?と言う疑問になるのだが……理想に生きる袁紹の考えは、現実を見据える公孫瓚の理解を遥かに超えていた。
「そうだ。どうやら袁紹は、貴公を利用して冀州を手に入れようとしているようだぞ」
「……はぁ?」
俺を利用して冀州を手に入れる?
もしこれが幽州を手に入れると言うなら理解も出来る。また『劉虞を倒してその所領を分割統治しようではないか!』と言うなら、これもわからないではない。
俺から兵を借りて并州や青州の賊を討伐し、そこを実効支配しようと言うのも有り得なくはない。(かつて袁紹が、董卓の兵を使って洛陽の敵対勢力を潰そうとしたのと同じ発想)
しかし、冀州?何でいきなり冀州?どこから出てきた?
完全に混乱している公孫瓚を見て、劉虞は然もありなんと一つ頷きながら、袁紹の狙いを解説する。
「これを説明する前に、まず大前提として、現在袁紹には根拠地が存在しないと言うことは知っておるな?」
「……そうですな」
あれはあくまで『袁家』と言う名と、血縁やら何やらを利用するために擁立されたようなものだからな。
汝南の本家には袁術が居るから、向こうには今さら戻れんだろうし、あれを担いだ連中だって袁紹に自分の治める土地を預けるような真似はしないだろうさ。
実際に汝南袁家では、袁紹が来たら問答無用で首を斬るように指示が出ているので、汝南の実家に袁紹の居場所はないし、連合に参加した諸侯としても袁紹を自分の主とするには抵抗があるのが現実であった。
「そして前の連合に於いて積極的に袁紹を擁立した者たちは、今さら袁術を主に仰ぐことは出来ないのだ」
「それは、そうでしょうね」
あそこまで家督争いが顕在化してしまえば、今さら袁紹を裏切ったところで袁術から白い目で見られるし、何より袁術に味方して袁家の要職に就いた者たちが彼らの帰属を認めるとは考えづらい。
「そうなると袁紹を擁立するしかない者たちは、奴にそれなりの立場になって貰わねば困るのだよ」
「……なるほど。袁術に味方した連中からの粛清や董卓殿の反撃に備える為にも、孤立するわけにはいきませんか」
「その通りだ」
つまるところ、袁紹を中心とした連合が無ければ彼らは立ち行かないのだ。その為袁紹には確固たる地盤を築いて欲しいと思っているのだが、自分の治める土地は預けたくない。そんな連中が袁紹を押し付けあった結果、彼の地盤として選ばれたのが冀州と言うわけだ。
「それは理解しました。しかし袁紹が冀州を手に入れると言うならば勝手にすれば良いのではありませんか?確か冀州刺史の韓馥は元は袁家の披官ですよね?」
彼が刺史に任命された時はまだ袁隗らは生きており、恩赦の話もあったので、袁家に多少配慮した結果が韓馥の冀州刺史への任命に繋がったはず。
故に、韓馥が袁紹を奉じるつもりなら、そのまま冀州へ居座れば良いだけの話ではないか?
そう思っていた時期が俺にもあった。
「そうだ。しかしその韓馥が袁紹と袁術の間で揺れているようでね」
「はぁ?」
一度担ぎ上げたのなら覚悟を決めれば良いものを……。
袁術の立場で考えれば他の三下はともかく、冀州牧である韓馥は自分の陣営に引き入れる価値が有ると判断したのだろう。
韓馥は韓馥で、自身が独立して何かを成そうとしているわけではないから、誰かに仕える分には構わない。と言うか、さっさと誰かを主君に仰ぎたいと思っていた。
今までなら、韓馥が担ぐ予定であったその【誰か】は袁紹一択だった。しかし今回袁術から誘いが来たことによって、韓馥の中に選択肢が生まれてしまい、今では『どちらの方が自分を高く買うか』と考える余裕が生まれてしまったわけだ。
そして袁術と袁紹を比べた場合、袁術には『逆賊認定の解除』と言う鬼手があるのに対して、袁紹には現状で韓馥に支払えるモノがない。
そうなると韓馥は袁術を選ぶのが妥当なのだが、ここで袁紹の提案が火を吹くことになる。
「袁紹は韓馥に対し『貴公が冀州を狙っている』と言う虚言を伝え、韓馥の危機感を煽っているようだな」
「はぁ?」
いや、狙ってないし。
「そして私に来た要請は『貴公が冀州へ行くように動かして欲しい』と言うものでね」
「はぁ」
いや、行かないし。
「恐らく近日中に貴公に対して『韓馥を討伐して冀州を二分しよう』と言った内容の書状が届くだろう」
「はぁ」
いや、いらんし。
もしも彼が劉虞と敵対していたり、物資に不足があればその誘いに乗ったかもしれない。しかし、劉虞とはこうして普通に会話できる間柄だし、今のところ長安からの支援が滞りなく行われている為物資にも不足は無い。なので、公孫瓚が冀州に出る必要性は全く無いと言う状況である。
そして現実主義者である公孫瓚は、必要のないことをするような人間ではないし、そもそも武官である彼には、幽州とはまるで風土の違う冀州を上手く治める自信も無かった。
これもどこぞの腹黒による『金持ち喧嘩せずの法則』が発動した結果であるが、その腹黒が意図的にこういった状態を作っていることを自覚している者は居ない。
「そして貴公が冀州に出陣したら、私は北平を攻めて貴公の帰る場所を奪い、兵糧やら何やらが不足した貴公の軍勢を袁紹と挟み撃ちにしてしまえば良いと考えているようだな」
「はぁ」
いや、その程度じゃ負けないし。
確かに兵糧が無ければ継続して戦をするのはきついかも知れないが、騎兵を中心とした軍勢を率いる公孫瓚は劉虞が北平を落とす前に帰還すれば良いだけの話である。その為、袁紹の狙いを聞かされても、彼の中には『馬鹿なのか?』と言う感想しか出てこなかった。
「ま、袁紹にしたら私が貴公に勝たなくとも良いのだ。狙いはあくまで自分が冀州を手に入れることだからな」
「……なるほど」
袁紹としては俺や幽州の軍勢を使って『遠く離れた袁術では冀州を守ることは出来ん』とか言って自分を擁立させればそれで良いのか。
ついでに、劉虞と俺を仲違いさせて俺の足を止めたり、俺に劉虞を殺させることで皇族殺しの汚名を着せるか?
そうなれば袁紹は労せずして冀州を手に入れることが出来る上に、己の手を汚すことなく自分の言うことを聞かない頑固な皇族を殺せるし、その汚名を幽州の蛮族に着せることで、幽州軍閥の内部崩壊を狙うことが出来るって?
……誰が乗るか。
それに劉虞だって、袁紹の思い通りに動くつもりは無いようだしな。
劉虞から見たら袁紹は、自分勝手な都合で自身を皇帝として擁立しようとしている逆賊だ。そんな彼だから、討伐対象にはなっても協力者として見ることはないだろうと思われる。
そもそも袁紹の企みに乗るなら、公孫瓚を呼び出してこんな話はしないはずだ。
「わざわざ某に袁紹の狙いを教えて下さると言うことは、州牧殿も奴の狙いに便乗するつもりは無いのでしょう?某に何をさせるおつもりですか?」
「ふっ流石に気付くか」
「むしろ気付かない者が居るのですか?」
少し考えればわかりそうなものだろうに。
「袁紹の周囲の人間はそう思って策を立てて居るようだな」
「……はぁ」
理想に生きる連中は他者を見下し、自分の策が失敗する可能性を考慮出来ないからこそ、こんな穴だらけの策を提案してきたのだろう。
董卓との戦いで何を学んだのやら……
ここまでくると、憤りよりもやるせなさが先に来てしまい、公孫瓚の口から思わず溜め息が出てしまう。
「気持ちはわかる。そして袁紹の狙いに対しての私の腹案……と言うか、大将軍からの指示が来ていてね」
「董卓殿から?」
話を聞くと袁紹から提案があったのは最近のことのように思えるが……
「そうだ。大将軍から『袁紹がこのように動いてきたら、私や貴公にたいしてこのように動け』と言う指示が出ているのだよ……およそ半年前からな」
「半年前っ?!」
「……そうだ」
真顔で頷く劉虞からは嘘や冗談と言った気配は無い。
つまり董卓は本当に半年前から袁紹の動きを読んで、その策を潰す為の準備をしていたと言うことだ。
誰もが洛陽近郊での連合軍の動きに気を取られている中で、半年後の諸侯の動きを読み対策を施すとは……。
勝てない。
公孫瓚は、今のままでは絶対に董卓に勝てないことを確信し、劉虞が袁紹に担がれることを頑なに拒んでいた訳を知ることとなった。
「……それで、董卓殿の策とは?」
「うむ。袁紹の動きが……………………」
「なるほど、それでは某は…………」
「そうだな。そして私は…………」
この日『董卓恐るべし』と言う思いを共有した劉虞と公孫瓚は、本当の意味で和解を果すこととなったと言う。
どこぞの腹黒による袁紹包囲網は着実に狭まっていた。
劉虞と公孫瓚のお話。
袁紹の狙いがわかってたら予防線張りますよね?
もちろん袁紹が冀州を狙わなければ、ただの戯れ言で終わってました。
董卓のハードルは天井知らずだぜっ!
袁紹にせよGにせよ、公孫瓚がキーマンなのよねってお話。









