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4話。北を駆ける白馬②

またレビュー貰いました!ありがとうございます!

ちなみに公孫瓚についてだが、彼には史実よりも早く昇進している他にも大きな差異があった。


それは劉虞と敵対関係に無いことだ。


これに関しては未来知識のあるどこぞの腹黒が、袁紹(何進の仇)の天敵とも言える存在である公孫瓚を最大限に活用するために、張純の乱の初動で無双した公孫瓚の名が広まった時から仕込んでいた色々な備えが実を結んだ結果である。


そもそもどこぞの腹黒は、公孫瓚の敗因を『皇族である劉虞を殺した』と言う、儒教的な禁忌を犯した為だと考えていた。


その為、公孫瓚が劉虞を殺さなくて済む様にするためには何が必要かと考えた際、まずは対立を引き起こさない事が重要だと考えた。そうして色々考えた結果、彼らの対立の元凶となった契機は『烏桓の丘力居(きゅうりききょ)が劉虞に降伏したことである』と判断したのだ。


コレは張純の乱が発生した際に軽く述べてることだが……乱の初動で10万の軍勢を鎧袖一触で蹴散らされた丘力居は、早い段階から漢帝国への降伏を視野に入れていたと思われる。


しかし張温や公孫瓚からしたら『負けたから降伏します』などと言われても、当然納得は出来ないだろうし、それを受け入れる権限も無い。


また漢帝国としても、叛乱を起こした連中を簡単に許すようでは統治に問題があると見られるし、当時の中央(洛陽)では宦官や名家が張温の足を引っ張る為に画策している真っ最中。


そんな背景事情があるので、中央でも張温の手柄となるような烏桓の降伏を認めることはせず、丘力居に賛同して乱に参加した者達は張温や公孫瓚との戦いを余儀なくされてしまう。


張温と公孫瓚としては、洛陽の連中が横槍を入れて来る前に烏桓を覆滅できればそれで終わった話だったのだが、流石に数万程度の官軍ではそこまでの戦果を挙げることは出来ず、結局北方での戦は時に勝ち、時に負けるような泥仕合情勢に移行しつつあった。


そしてこの状況になるのを待っていた宦官と名家の連中により張温が左遷されると、後任として劉虞が赴任することになる。


その劉虞は、皇族と言う立場に加え『張温を蹴落とす』と言う目的を達成した洛陽の俗物共から、早急に乱を平定する為と言う名目で白紙委任状が与えられており、着任すると同時に丘力居らに対して懐柔工作を行った。


その工作を受けた丘力居は、元々降伏を望んでいたところに『向こうの皇族から頼まれた』と言う絶好の口実が齎されたことで、すぐさま劉虞に従うことを宣言する。


これに対して不満の声を上げたのが公孫瓚である。


彼は今まで散々『向こうの降伏は認めない』と言われていたからこそ、厭戦気分に有った部下を叱咤し、少ない資財をやりくりして烏桓と戦い続けてきたのだ。


それなのに、こうして皇族が赴任したと同時に方針転換を行われては、彼も彼の部下も納得できるものではない。


彼らの価値基準からすれば、劉虞や洛陽の動きは『自分たちを蹴落としつつ、金も払っていなければ血も流してない皇族に手柄を立てさせるための茶番』と思っても不思議では無いだろう。


その為史実に於いて公孫瓚は、丘力居の使者を殺したり、劉虞からの使者を足止めしたりと、様々な妨害工作を行い、烏桓との戦を継続させようとした。


なにせこのまま丘力居らの降伏が認められれば、その功績は全て劉虞のものになってしまう。


元々公孫瓚らが追い込んでいたとはいえ『着任して数か月で乱を鎮めた』と言う功績は皇族の名を上げるにはこの上ない実績となるので、中央は公孫瓚や張温のことなど一切触れず、劉虞の徳を褒め称えることになるだろう。


そしてこの場合、公孫瓚は張温同様に『無能』の烙印を押され、褒美どころか叱責を受ける可能性が高い。故に彼の立場では、そうしなければ自己の安全を保てなかったし、配下を納得させることが出来なかったのだ。


結果として公孫瓚と劉虞との間には深い溝が出来てしまい、両者が争うことになってしまう。その勝者は当然公孫瓚なのだが、そこで彼が劉虞を殺してしまったことで、配下の士大夫層が公孫瓚の犯した『皇族殺し』を忌避するようになってしまい、それが袁紹の幕僚たちが付け入る隙となってしまった。


文官集団を組織する士大夫層に背を向けられた公孫瓚は組織運営に失敗し、精鋭部隊の維持も不可能となり、最終的には袁紹の物量に敗れることになる。


まぁ公孫瓚の凋落に関しては、他にもいろいろな理由が有るのだが、最初の誤りは劉虞を殺した事だと言っても良いだろう。


故にどこぞの腹黒は劉虞と公孫瓚の不仲を引き起こさないようにする為、公孫瓚に物資を送ったり『劉虞の徳もあるが、そもそもは公孫瓚の働きがあったからこそ丘力居は漢の怖さを認識し、大人しく降ったのだ』と、その功績を讃えて彼を昇進させたのだ。


こうして正当な評価を受け、最大の懸念である『無能の烙印を押されて左遷される』と言う可能性も無くなり、さらに配下に褒美を出せるだけの物資の提供を受けた公孫瓚は、丘力居の降伏を承服したし、表面上劉虞を立てるだけの余裕が出来たのだ。


どこぞの腹黒曰く『金持ち喧嘩せずの法則』である。


もしも劉虞を仮想敵としていたなら、劉虞の味方をするであろう連中への警戒の為、多少人間性に問題があったとしても、劉備を配下に加えようとしていたかも知れない。


しかし、現状公孫瓚にとっての敵は張純の乱に参加した賊の残党のみ。故に今の彼には人間性に目を瞑ってまで組織を混乱させる存在でしかない劉備を幕下に加える理由は無いのだ。


ならばさっさと捕えて長安に送れば良いのだが、公孫瓚には一つの懸念が有った。


「俺達が動かなくても、反董卓連合に参加した連中が俺達を敵視する可能性が有るだろ?」


「……確かに」


彼らは洛陽から何も得ることが出来ずに撤退している。当然費やした戦費は補充する必要が有るし、将兵の不満の解消も必要だ。


その標的となるのは当然、連合に参加しなかった諸侯となるだろう。


「ま、俺に関しては問題ねえ。烏桓との無駄な戦も終わり、褒美もしっかりと分配出来たから内部の不満も……無いとは言わねぇが随分と軽減された。今なら誰に喧嘩を売られても返り討ちに出来るだろうさ」


貰えるものは貰ったが、やはり幽州の軍閥の諸侯の心の中には多かれ少なかれ『劉虞が横から手柄を掠め取った』と言う思いがあるのは否定できない。


実際に公孫瓚にもその気持ちは有るのだから、配下に「そう言った気持ちを持つな」とは言い辛いモノがある。


だがしかし、不満が燻っているからこそ、向こうから喧嘩を売って来てくれたなら、容赦なくその不満を叩き付けてやることが出来るとすら考えているので、むしろ「来るなら来い!」と言った感じだろうか。


「そうですな。しかしそれでは劉備とやらは邪魔になりませんか?」


折角纏まりつつあるところに異分子が入り込むのだ。一矢乱れぬ統率を必要とする騎馬隊を率いる身としては、そんな輩は引き入れずに牢獄に繋いだ方が良いような気がしてならない。


しかしそもそもの話、公孫瓚は劉備を懐に入れる気など毛頭無かった。


「アイツは州の境や最前線の県に送り込むつもりだ」


「最前線ですか?……何か有れば拙いのでは?」


無論、客将が言うように何かあったら拙いどころではない。なにせ最前線に派遣すると言うことは、劉備が敗れたら敵が領内へ侵入すると言うことだ。


孫子を始めとした兵法書では自領で戦うことは愚策と戒められていることを考えれば、都督である公孫瓚はその可能性を排除する為に動くべきであり、わざわざ信用出来ない人間を配置して危険度を増すようなことをすべきではないと言うのは、常識と言っても良い。


当然公孫瓚とてそのくらいは理解している。


「はっ。その『何か』ってのが「劉備が負けて殺された」だの「劉備が寝返った」なら最高なんだがな」


「……あぁ、そう言うことですか」


公孫瓚としては、自らを頼って来た者を捕らえて殺すような真似は極力したくない。(名が落ちるから)

しかし敵に殺されたなら話は別だ。


目障りな悪ガキを殺して貰えた上、相手に『属尽殺し』の汚名を着せることが出来るなら何の問題も無い。


もし劉備が寝返ったなら?


その場合は例え属尽であっても『信用して要衝を任せたのに!』と不義理を糾弾して、処刑することも出来る。


どちらにせよ一時は領内に敵を引き入れることになるが、董卓軍と連合軍の戦を見れば分かるように、中原の軍勢が涼州や幽州の精鋭と戦う為には相当な準備が必要となる。


それらを考慮した結果公孫瓚は、向こうに地の利を握られている場合なら万が一が有るかも知れないが、幽州と言うこちらが地の利を握っている場での戦になった場合、部分部分で負けることはあっても、最終的には必ず勝てると言う確信があった。


だからこその要衝に劉備を派遣すると言う決断が出来るのだ。


「ついでに言えば援軍要請に応えやすいだろ?」


反董卓連合に参加した諸侯が公孫瓚に喧嘩を売らずとも、他の諸侯を襲おうとする可能性もあるのは確かだ。そして襲われた方が援軍を要請してくる可能性も有るだろう。その際の援軍として劉備を使うと言うのだ。


実際の評価はともかくとして、表面だけを見た場合、公孫瓚にとって劉備は同門の徒であり、要衝を任せるに足ると信用している弟分。


そのうえ属尽と言う社会的な立場も有るのだから、公孫瓚の名代として派遣するのに何の不足も無い。つまり公孫瓚は子飼いの将帥の消費を抑えることが出来ると言うわけだ。そして何事も無さそうなら捕えて長安に送れば良いだけの話である。


「……散々な扱いですね」


苦笑いを浮かべながらそう言う客将も、すでに劉備の評価を『下衆』と認定しているので、同情をしているわけでは無い。ただ公孫瓚と言う人間に対する評価が『知り合いすらも斬り捨てることが出来る群雄である』と言った感じに修正されただけだ。


「はん。奴は俺を利用する為に幽州に来るんだ。なら自分も俺に利用される可能性くらい考慮してるだろうよ」


「それはそうですな」


公孫瓚の口から発せられた当たり前すぎる程に当たり前の主張に、客将も頷くしかない。


劉備が『幽州の兄ぃ』と呼ぶ男を腰かけにするつもりなのか、はたまた踏み台にするつもりなのかは不明だが、どちらにせよ彼が望む結果になる可能性は極めて低いのは確かであろう。




どこぞの腹黒の干渉により、いまだ頭角を現すことなく各地を放浪する大徳は、静かにそして確実に追い詰められていた。

白馬長史の事情と言ったところでしょうか。

そりゃ劉虞と丘力居の接触を邪魔しようとしますよねぇ。


因みに物資は洛陽から并州。并州から幽州だったり、董卓に従う羌や匈奴を使いモンゴル高原を経由して涼州から幽州へショートカットする感じで運んでおります。


ついでに言えばどこぞの腹黒君は前々から公孫瓚に対しての援助を仄めかしております。


客将とは一体何者なんだ(謎)ってお話

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