3話。北を駆ける白馬
三国志最強の将帥参上。
初平2年(西暦191年)8月。幽州・北平
「うげっ!」
反董卓連合への参加要請に対して『俺は烏桓の相手で忙しいから、そっちに関わってる暇はねぇ』と、漢の藩屏としての役割を全面に押し出すことで、連合への不参加を表明しながらも連合に参加した諸侯からの反感を買うこともなく、さらに皇帝からの逆賊認定を受けることもなく、それどころか正式に都督として任じられた上に物資やら何やらを大量に支給され、ここのところ上機嫌になっていた公孫瓚は、この日、とある書簡を目にして思わず呻き声を上げた。
「む?どうなさいました?」
「……見てみろ。その方が早ぇ」
普段そのような声を上げる事など無い彼の声を聞き、護衛のような立ち位置にある客将が公孫瓚に声を掛けると、当の本人はその顔を顰めたまま、書簡を客将に手渡した。
「む?良くわかりませんが……失礼します」
この場合は『見たほうが早い』と言うよりは『見なければわからない』が正しいような気もするが、細かいことを気にしても話は前に進まない。
それに客将でしかない自分に見せても良い内容なのにも関わらず、ここまで公孫瓚が嫌な顔をする書簡の内容にも興味が無いわけではなかったので、特に遠慮することなくその書簡を確認したのだが……
「あ~っと。この『劉備』とやらがどうかしたので?」
その書簡には、要約すると『これから世話になりたい』と言う内容が書かれていた。
文章としては、都督に対して無礼といえば無礼だが、知り合いに対する文だと思えば無くは無いと言った感じ……いや、幽州の無頼漢が出したと見れば、ややマシと言っても良い内容である。
その為、書簡を読んだ客将は、その内容ではなく差出人に問題があると睨んだのだ。
そしてその考察は間違いではない。
「その劉備ってやつはな……」
「やつは?」
「端的に言えば悪ガキだ」
「……悪ガキですか」
どのような人物評が来るかと思えばまさかの『悪ガキ』である。幽州で生まれ育った公孫瓚がそのように評価を下すのだから、よほどアレなのだろうなぁと当たりを付ける。
「あぁ。まず劉氏であることからもわかるかもしれんが、コイツも一応は属尽でな」
「……属尽ですか」
庶民は属尽と皇族の違いが理解できていないが、客将はそれなりの家の出なので、当然彼らのことは知っていた。
そして彼の価値観における属尽とは『皇族でもなければ名家でもなく、職にも就かない上に税金も支払わず、その上なぜか国から生活に必要な銭を支給されてのうのうと暮らしている穀潰し集団』であり、その評価はあながち間違いではない。
何より必要最低限で良いとは言え、自分たちの予算の中から彼らが生活するための銭を抽出しなければならない地方の役人からすれば、彼らは疫病神以外の何者でもない存在だ。
なにせ彼らを働かせようにも彼らは『劉氏』であることを笠に着て下位の役人になることを拒むし、ならば上位の仕事が出来るのか?と言えば、下位の役人の仕事を知らない彼らがまともに部下を使えるはずもない。
ならば補佐役の言うことを聞けば良いのだが、それもしない。自身が書物で学んだことこそ正しいことだと意見を曲げず、結果として理想と現実の区別が出来ていないような、言ってしまえば型に嵌ったような杓子定規な統治を行おうとするのだ。
そして政とは、全てが書物に書かれているように、理想通りに進むわけではない。(そもそも基本となる書物が不完全でもある)
実際に孔融が青州でこのような政を行った結果、青州ではまともに田畑も作れず、海での漁も出来ず、塩すら作ることも禁じられ、その上で毎回決まった税を取られると言う、民衆にとっての苛政が敷かれる事になり、それらに苦しめられた民が黄巾や張純の乱に便乗し、今も役人らを襲ったりする無法の荒野と化している。
これらの事実が、どこぞの腹黒が弟子に対して常々『政に儒はいらん』と語る根拠となっているのだが、彼ら師弟に関しては今は良いだろう。
今の話題はその属尽である劉備についてのことである。
「でもって奴も、属尽にありがちな無駄な気位と拘りを持ってるんだよ」
ここで『誇り』と言わないところが、公孫瓚が彼らをどう思っているかを如実に表している。
「あぁ……」
客将もこれまで何人かの属尽と接触したことはあるが、確かに気位は高かった。あれが誇りにならないのは、なんだかんだで正式な皇族として扱われないことに対して鬱屈した思いが有るからだろうと思っていたが、その劉備とやらも同様らしい。
すでに客将の中での劉備の評価は最下層まで落ちていたのだが、しかしそこはまだ最底辺ではなかった。
「で、あいつの祖父はどっかの県令を勤めてたらしい」
「ほう。祖父ですか」
「あぁ。父親は早くに死んだんだと」
「ほう」
その程度のことはこの時世では良く有る話なので、客将からしても父親云々に関しては「ほう」としか言えない情報だった。故に間違っても同情などはしない。もし彼が同情するとしたら、属尽の祖父の政によって虐げられたであろう、どことも知れぬ県の民の方である。
ここまでは自分と価値観を共有できていると言うことを確認した公孫瓚は、いよいよ劉備に関する情報を開示する。
その内容はそれなりの人生経験がある客将をして顔を顰めさせるには十分なものであった。
「で、まぁ県令の祖父も死に、父親も死んだことで、生活は楽ではなかったようだ。しかし、何だかんだで属尽だから、普通に食うだけなら困らんわな」
「そうですな」
属尽には免税の他にも様々な特権が有るし、役人に嫌われているとは言え、個人としてならその気になれば、働き先などいくらでも見つけることが出来る立場の人間である。
さらに最低限とはいえ生活費が支給されることもあって、日々の暮らしに事欠くことは無い。
……普通に生きていれば。
「しかし若い頃の劉備は働くこともせずに闘犬に嵌まっててなぁ」
闘犬。つまりギャンブルである。
「なるほど。もう駄目ですな」
儒教的な価値観もそうだが、まともな教育を受けている人間ならば、働かずにギャンブル三昧をしている人間に好感を抱くのは難しい。と言うか無理だ。
「しかも母親はタダで食料をもらうことに抵抗があったらしく、筵を編んだりして近くの農民と交渉して食料と交換してる横で、自分は闘犬だぞ?ありえんよ」
「うわぁ」
母親は大事。儒教と言うか、古代中国でも当たり前の価値観である。
「さらにあり得ないのは、その母親も劉備に対して『小さい人間になるな』的な教えを授けていたところだな」
「それはまた、なんとも」
事実母親は劉備の素行を咎めることなく、それどころか『大人物になるんだから、細かいことは気にせず好きにやれ』的な教えを授けていたらしい。
子は親の鏡と言うが、はっきり言って異常だ。まぁ県令だった義父を亡くし、夫も亡くした母親には子の劉備しか残っておらず、そこに希望を掛けたとも言えるのだが……公孫瓚にしてみたら迷惑な話でしか無い。
「で、生活に関しては属尽にしては珍しくまともに働いていた叔父の世話になりつつ、その叔父の貯蓄を食い潰して我儘し放題でな。それから何年かしてとうとうブチ切れた叔父が、半ば無理やり盧植師のところに連れてきたのが俺と奴の付き合いの始まりってわけだ」
「……その叔父はよく数年も我慢したものですな」
「ほんとにな」
まだ見ぬ彼の叔父の苦労を偲び、二人はしみじみと頷いた。
「で、なんやかんやあって懐かれたんだよ。俺も最初はまぁ弟分みたいに扱ってたんだが、あいつの話を聞いて、さらに日頃の行いを見たらなぁ」
「正直言って近付きたく無い人物ですね」
「だろ?あの盧植師だってあいつには深く関わろうとしなかったくらいだからな?相当だぞ」
現代日本で言えば桃○でいつの間にか貧○神が後ろにくっついていた感じだろうか。つまり公孫瓚にとっての劉備とは、『関わりたくない』と言う思いがあり、記憶の中から消していた程の存在だった。
「なるほど、その劉備とやらの為人と公孫瓚殿との関係はわかりました。しかし何故そやつが今頃になって公孫瓚殿の下に来るのですか?」
張純の乱の鎮圧やら烏桓と戦っていた時に来ていれば、それなりの待遇になっただろうし手柄も立て放題だったはずだ。しかし今の幽州は小康状態であり、手柄を立てる場は縮小傾向にある。
逆に反董卓連合が解散し、中央から独立する形となった諸侯が領地運営の為に人材を求め始めている時期なので、そちらに行くのが普通なのだ。それなのになぜ?と思うのは当然のことだろう。
もしも公孫瓚が都督になったと言うことを聞きつけて群がってくると言うなら、それは客将にとって唾棄すべき存在だ。だがその心配は杞憂である。
「そんなん誰かに頭を下げたくないからに決まってるだろ?」
「……あぁ。なるほど」
実に属尽らしいと言うか何と言うか……そして縁故採用を狙って公孫瓚に擦り寄る劉備に呆れたのもあるが、あっさりと劉備の狙いを看破した上でうんざりした顔をしている公孫瓚に対し、客将もそれ以上の言葉を紡ぎ出すことは出来なかった。
「アイツの狙いなんざそんなモンだよ。あぁ、あとは俺に仕えることで、督郵を殺したことをうやむやにしようとしてるかもしれんな」
「督郵を殺した?それはどういうことで?」
この時代、役人と言うのは評判が悪いのだが、督郵はそんな役人を監察する立場の職であるので、役人からも嫌われていると言う立場であった。
とは言え、中にはまともな督郵も居るのも事実である。
特に近年では黄巾の乱の折に武功を上げた者たちが役職を与えられたのだが、彼らは儒の教えや統治についての知識など無く、推挙ではなく己の武力で成り上がったと言う自惚れもあり、その大部分が調子に乗って犯罪行為に走るような破落戸であった。
彼らは長年役人をしていた者達と違い、加減と言うものがわからない。
だからこそ自分たちが思い描く役人たちと同じようなことをしてしまう。そうなれば当然彼らの下に督郵が派遣されることになり、結果として不正を暴かれて断罪される。
ここまでが最近のお約束の流れと言っても良い。故に一部では、督郵を正義の味方のように扱う風潮もあるくらいである。
そんな督郵を殺すとなると……客将が想定するのは『督郵に知られて困ることを知られたから』と言う状況以外に存在しない。
「普通に考えたら、督郵に知られて困ることでも仕出かしたんだろ」
公孫瓚も特に劉備を庇う気が無いので、世間一般の常識を口にした。これも当然と言えば当然のことだろう。なにせ公孫瓚が知る劉備という男は日頃の行いが悪すぎた。
そんな劉備が今回公孫瓚の下に来るのは、皇帝の配下であり漢の藩屏として認められている公孫瓚の下で何かしらの功を立て、督郵殺害の罪をうやむやにしようとしているのではないか?と言うのが、公孫瓚の読みである。
ついでに言えば、同門の知り合いに仕えることで、主従関係をなぁなぁにしようとしていると言うことまで読まれていた。
「ごもっともですな(……下衆が)」
己の中で決断を下した客将は、まだ見ぬ劉備という男に対する評価をさらに下方修正していく。
そして顔見知りである公孫瓚がフォローを入れないと言う事実が、客将の中の劉備像を固定化してしまうことになる。第一印象以前から最悪なのは良いことなのか悪いことなのか……
「では、その劉備とやらが来たら捕らえますか?」
罪人であり人間的にも信用出来ないと言うのなら、知り合いとは言え懐に入れるのは危険すぎる。いや、知り合いだからこそ危険な存在となりかねない。
現状帝に敵対する気がない公孫瓚陣営としては、罪人である劉備は捕えて殺して長安に報告するのが筋である。
そう思ったからこそ客将は劉備の拿捕を提案するが、公孫瓚には別の考えがあった。
「捕らえるかどうかは劉備次第だな」
「……劉備次第とは?」
ゲスに何の用途が?と思うも、どのようなものにでも何かしらの使い途は有るものだ。
「なんだかんだで属尽だしな。利用価値が無いわけでもないだろ?」
「……確かにそうですな」
どんな時代でも血縁と言うのは重い意味を持つ。それが皇族でなくとも、劉氏を名乗ることが認められた立場の者なら尚更だ。
ただ殺すのではなく、利用してから殺す。
公孫瓚とて劉備が自分を舐めており、自分を利用するために幽州へ来るつもりだと言うのはわかっている。だからこそ劉備を利用することに躊躇などしない。
白馬長史・公孫伯珪。
何度も寡兵で賊を駆逐する武功を立て、皇帝からの覚えもよく、史実よりも早い内から都督に任じられた彼は、今や押しも押されもせぬ群雄の一人であり、劉備が知る『兄ぃ』とは一線を画す存在となっていた。
劉備が若い時から闘犬が好きだったのは事実です。
ろくに仕事もしておらず、悪ガキを纏めていたのも事実です。
『侠』とか言ってたかどうかは不明ですが、黄巾の乱の時に正規軍に入らず義勇軍を組織したことから、人望はそれなりにあったもよう(関羽のおかげかもしれませんけど)
「幽州の兄ぃは公孫瓚のことだったんだー!」
「な、なんだってー!」
彼に関しては今の段階で色々違ってます。その理由は当然、どこぞの腹黒ですな。
客将の正体?ハハッってお話。









