1話。プロローグ的なナニカ
初平2年(西暦191年)7月。洛陽
漢帝国(後漢)の都として栄えた都市だが、本来の主である劉弁が喪に服すために洛陽を離れ、反董卓連合の結成に伴い丞相である劉協が長安へと避難し、さらに董卓が名家を潰して住民を移動させていたことで人口は激減。
さらに連合軍が入洛する前から董卓が遷都を告知して、既に帝国の首都としての機能は長安に移していたこともあり、反董卓連合にとって当初の目的に掲げていた『洛陽から董卓を排除する』と言う戦略目的は果たされていたものの、結局董卓は何も失っておらず、反董卓連合に参加した諸侯には逆賊の汚名と、軍備に費やした費用の請求書だけが残る結果となってしまう。
しかし、実際の収穫はともかく、やはり『洛陽攻略』と言う名を得たことは彼らの自尊心を大きく刺激し、洛陽へと入洛した当初、連合に参加した諸侯は「我々が董卓を追い出したのだ!」だの「董卓は我らに怖気づいて逃げたのだ!戦わずして勝つ。これこそが王者の戦よ!」等と嘯き、己を納得させようとしていた。
しかし連合軍が洛陽に進駐した後に、何度も火災等が発生したことで、今や彼らの中にあった『洛陽を制圧した!』と言う高揚感は鳴りを潜めており、それどころか長期の滞陣による厭戦気分に加えて諸侯がお互いを火災の下手人と疑っていることも関係し、今の洛陽の内部には連合に参加した諸侯たちの間で一触即発と言っても良いような、剣呑な空気が蔓延している状態である。
その原因は下手人の自白にあったと言う。
元々、この度重なる火災が事故などではなく人為的に引き起こされていたことは明白だったので、諸侯は血眼になって下手人を探し、何人かを捕らえることに成功していたのだが、その下手人を尋問した際に出てきた名前が問題だったのだ。
下手人の口から袁紹・袁術・曹操・韓馥・劉表・劉岱・橋瑁・鮑信、等々……これらの名が上がった時は『董卓が仕掛けた離間計だ』と一笑に付すこともできた。
しかし朱霊・陳蘭・曹純・麴義・蔡瑁、等といった、自陣営の人間でなければ名を知るはずも無いような人間の名が出てきたことで、諸侯の中に「まさかこれは本当に董卓の計略ではなく、奴らの策なのか?」と疑惑が芽生えてしまい、董卓のことよりも味方を疑うような空気が出来上がってしまう。
それもこれも『董卓の罠だ!』と言うことは簡単だ。しかし普通に考えれば、董卓が袁紹の配下である朱霊や袁術の配下である陳蘭の名を知っているのはおかしいし、袁紹と袁術が互いの足を引っ張ろうとしていることは周知の事実でもある。
よって容疑者となった者たちは『自分はやっていない』と言うことを証明する必要が生じているのだが、『悪魔の証明』と言う言葉があるように、やっていないと言うことを証明する事は不可能に近い。
その為、最近では事あるごとに袁紹が「袁術が自分を貶める為にやっているのだ!」と強弁するし、それを聞いた袁術も負けじと「袁紹が自分を嵌めようとしているのだ!」と、お互いを罵り合うような状況が続き、今では本当に袁術の配下が袁紹の配下を装って問題を起こしたかと思えば、その逆に袁紹の配下が袁術の配下を装って火付けを行うなどと謂った行動を起こしており、互いの不信感はこれ以上ないところまで高まっていた。
ここで問題となったのが、兵糧の問題である。
元々反董卓連合の兵糧は自前で賄うのが基本だったが、滞陣の長期化に伴い諸侯の懐具合が当初の想定以上に悪化してしまっており、早い段階から兵糧切れによる連合の消滅の可能性が囁かれていたのだ。
そこで袁紹は盟主としての立場もあり、費用の大部分を袁家で賄うことを宣言した。次いでその宣言を聞いた袁術も、自身が吝嗇と思われたくなかったのか同様の宣言を行ない、諸侯に兵糧の提供をすることになった。
これにより諸侯の懐事情は一時的に改善されたのだが、ここに来て袁術が「これ以上、自身を貶めようとする容疑者に対し兵糧を提供することは出来ない」と言い出したことで、諸侯の間に激震が走ることになる。
袁術の立場で言うなら「なんでわざわざ敵を援助しなければならんのだ」と言ったところかも知れない。
またこの宣言には『自分に従う者には援助を継続する』と言った但し書きが付け加えられており、戦後を見越して自身の派閥の強化を行うと言う意味では、非常に有効な手段と言えよう。
実際にこの宣言は、ただでさえ帰還後の領土の財政事情を想定して頭を抱える諸侯にとっては洒落にならない発言であったので、袁術に近い者たちはこぞって彼の庇護下に入ることを選択した。
そんな袁術陣営の動きを見て焦ったのが袁紹だ。
彼は確固たる自領を持たず、諸侯への援助とてコネやノリで親類縁者から金を集めて諸侯に援助をしていたので、懐具合に関しては汝南の本家を抑えている袁術ほど余裕があるわけではなかった。
また、彼の姉が嫁いだ為、早い段階から袁紹に頼られてしまった結果袁家から睨まれてしまった高家のように、袁紹に勝ってもらわねば未来がないということで、彼に全賭けした者達としても、銭が無限にあるわけではないのだ。
今までは『袁紹が袁術と比べて吝嗇だと言われては諸侯に見限られる』と判断していたので、渋々諸侯に援助を行っていたと言うのが実情であった。
そんな感じで常々援助を停止したいと思っていたところに、袁術が援助を止めると言う宣言をしてくれたのだ。彼らが渡りに船とばかりにこの波に乗ることを提案(と言うか強要)するのは当然のことと言えよう。
結果として親類縁者から突き上げを喰らった形となった袁紹は『袁術が援助を止めるなら俺の一人勝ちじゃないか!』とか考えていたらしいのだが、支援者一同から『自分の懐でやれ』と説得されてしまい、渋々諸侯に対する援助の停止を宣言することに至る。
こうして兵糧援助の打ち切りや、派閥への強制参加が求められるようになった頃。
諸侯の中の厭戦気分は留まることを知らず、今や誰かが『こんなところに居られるか!俺は自領に帰るぞ!』と言い出すのを待っているような状態であったと言う。
―――
「……で、どこまでが向こうの策だと思う?」
今日も今日とて身内同士で固まり、ひたすらに袁紹を褒めて袁術側に参加している連中を罵るという、何のために行われているかわからない宴会を終えてきた曹操は、己の幕僚たる陳宮に対して問いかけた。
「最初の火付けは間違いなく彼らの策。それ以降はこちらの自爆です。故に『どこまでが策か?』と問われましたら『最初からここまで見越して手を打っていた』とお答えするしかありません」
「そうか。……見事なものだな」
「誠に」
陳宮の答えが自身の中にあるものと相違ないことを確認した曹操は、溜息を吐きながらこの策を立てたであろう腹黒の姿を思い浮かべ……ようとしたが、何かとてつもなく嫌な予感がしたので、彼のことを考えるのは止めた。
代わりに考えるのは、今回の策の流れだ。
「今回向こうがやったことは簡単なことだ。兵士に金を掴ませて、火を着けさせる。そして捕まったとき用に依頼主の名を仄めかす。これだけだ」
その際に仄めかすのは、当然相手陣営に所属する人間の名であることは言うまでもない。
「そうですな。まさしく離間計の基本です」
「あぁ。やはり策は基本が強い……ということだな」
「はっ」
連合軍の最大の欠点である『纏まりのなさ』コレを最大限に活かす環境を作り、実行する。単純だからこそ回避出来ないという、ある意味で必殺の策と言える策である。
二人としても、まんまとその策に嵌ってしまったことに忸怩たる思いも有るが、この期に及んでは相手の方が上手だったと素直に認めるしかない。
「向こうの計画は、我々を利用して遷都を行う事と、連合を再結成が出来ない程度に分断することだろうな」
「はっ。おそらくはその通りかと」
遷都により洛陽の澱みを取っ払うと同時に、名家などが不当に溜め込んだ財を徴収、その上で洛陽に袁紹と袁術を纏めることで両者仲違いをさせ、今後の再結成の可能性を消す。
ついでに言えば、連合軍が洛陽を焼き払ったと喧伝することで連合軍を逆賊とし、連合に参加した諸侯に対する皇帝からの評価を地に落とすと言うおまけ付きだ。
最初の『遷都を行う』と言う面倒さえ解決出来るなら、これ以上ない良策と言えよう。曹操も軍略家としてこの策に気付かなかったことを恥じる気持ちも有るが、今は反省よりもするべきことがある。
「つまり彼らは最初から遷都……洛陽の放棄を視野に入れていたという事になるな」
「そうなります」
戦をしながら遷都と言う大事業を成し遂げる。それもこちらに知られることなく、迅速に。
このようなことが突発的に出来るはずがないと言うのは、少しでも目が利く者なら言われずとも推測出来ることである。よって今回の遷都は緊急回避的なものではなく、初めから計画されていた策だと考えるのが妥当だろう。
「では彼らが打った最初の一手とは?」
「洛陽から袁紹を逃がした事でしょう」
「……やはりそうなるか」
元々反董卓連合の契機となったのは橋瑁の檄文では有るが、その彼が連合を維持する為の資金面で宛にしたのが袁紹だ。
初動で董卓を恨むこと甚だしい彼を盟主に据えることで袁家内の家督争いを表面化させ、本家の袁術を釣り出すことに成功したことが連合の肥大化に繋がったと言うことを考えれば、連合を作ってもらいたい側の人間としては、袁紹に洛陽から逃げ出した挙句、地方で惨めな隠遁生活を送ることで鬱屈したモノを溜め込んでもらう必要があったのだろう。
連合の発足当時から『何故謹慎しているはずの袁紹が洛陽から逃げ出すことが出来たのか?』と言う疑惑があり、公式では『袁隗が逃がした』とされて袁家や袁家の関係者に対する恩赦の枠がかなり減らされることになったのだが、なんのことはない。
今まで『敵を強大化させる為に逃す』と言う発想が無かったために気付かなかったが、今ならわかる。袁紹を逃がしたのは董卓陣営だったと言うことだ。
これは『連合が強大化しても確実に潰せる』と言う絶対の自負から生まれる策であり、傲慢とも増長とも取れるかもしれない。しかし実際に連合側は戦では手も足も出ずに叩き潰され、大軍を擁していても守ることしか出来なかったと言う事実を考えれば、この策こそが最も効率の良い策だったのだろう。
「とりあえず洛陽は死地だ。できるだけ早く出る必要があると思うが、異論はあるか?」
「ありません。……もしここで董卓軍が襲ってくれば、連合は再度一致団結出来る可能性もありますが、期待はしない方が良さそうですな」
確かに、今は同士討ちの一歩手前の状況となっている連合軍だが、当初の目的である董卓軍を前にすれば、一致団結する可能性はある。
……そうしないと全滅するからだが、どんな理由であれ綻び始めている連合が再度団結する事になるのは確かである。
「うむ。当然向こうもそれを理解しているだろう。だからこの絶好の機にも攻めてこないのだ」
そう断言する曹操だが、流石に『豚を太らせるために見逃している』と言う考えには至っていない。これは能力云々ではなく、董卓陣営の内部事情を知らないので、仕方のないことかもしれない。
とは言え、連合を分断するのも彼らの策の一つであることは間違いでは無いので、この読み違いが致命的な失態となることは無い。……今の段階では。
「やはりそうですか。あれだけの軍を率いておきながら油断も慢心も無いとは、董卓殿は某が思った以上に厄介な御仁ですな」
「否定はせんよ」
その董卓の手綱を握るどこぞの腹黒を警戒するのは当然だが、野生溢れる涼州の軍勢を完全に統率しているのは董卓であることは間違いがない事実。故に曹操は陳宮の言葉を訂正する必要を認めず、頷くに留めた。
「で、問題はこれからだ。洛陽を出たらどうするべきだと思う?」
もはや連合に先はない。故に彼らが停滞しているうちに先手を取って動く。確たる地盤の無い曹操は、ここで地盤を築くことが出来なければ勢力を維持することが出来ない。
よってこれからの行動が彼の将来を左右すると言っても良いだろう。
「……そうですな。まずは鮑信殿と共に兗州に赴きましょう」
「兗州か」
「はっ。衛茲殿の弔いと称し陳留へ入り、そのまま実効支配するのがよろしいかと」
「……弔いは実際に行うぞ?」
「はっ。失礼致しました」
自身の為に討たれた衛茲の死を利用する。
そんな策を提案してきた陳宮に対し、流石の曹操も多少の反感を抱くも策自体は悪いものではないし、袁紹のように感情で動く人間がどのように見られているかを知っているので、一先ずは不満を飲み込んで、陳留へと行くことを承諾することにした。
「袁紹には『陳留で董卓を抑える壁になる』とでも言えば納得はしそうだな」
「可能性は高いかと思われます」
実際にもし董卓が東征することになれば、真っ先にぶつかることになるのが兗州の諸侯なので、この言葉には一定の説得力があったりする。
まぁ実際のところは
問・実際に董卓が攻めてきたらどうする?
答・さっさと降伏して陳留を差し出す。
と考えているのだが、わざわざ他言することでも無いだろう。
とにかく今後の行動は決まった。後は自分同様に宴会に辟易している鮑信と口裏を合わせて、帰還するだけだ。
この曹操の動きが連合解散の引き金となるのだが、連合に参加していたほぼ全ての諸侯が組織として末期にあった連合から抜ける為の口実を欲していたので、曹操は諸侯の恨みを買うどころか感謝されて送り出されることになったと言う。
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(よし、まずは危機を脱したぞ!……これまでは『俺が袁紹に逃げることを伝えたせいで袁紹が洛陽から逃げ出した』と糾弾される懸念もあったが、このような裏があるなら、董卓に下った後でも俺が裁かれることはないはずだ。たぶん。きっと)
現状を楽観的に捉えている曹操だが、実は現在のところ彼には『袁紹の逃亡幇助・董卓暗殺・洛陽からの逃亡・連合に参加・袁紹の親友にして片腕』等々、様々な容疑が掛けられており、もしも董卓に降った場合、懲役100年の刑が確定していることなど、今の彼には知る由も無かったと言う。
……蛇足ではあるが、丞相こと皇弟劉協は『陳留王』でもあると言うことをここに明記しておく。
反董卓連合、さらりと解散でごわす。
実際酸棗の連合軍は兵糧切れで解散してますからねぇ。
20万の兵を維持するのは大変なんですってお話。