幕間 高祖の風③
この小説はフィクションです。
実在する人物や組織等に対してのアレなアレは一切ありません
レビューありがとうございます!
初平2年(西暦191年)青州某所
董卓率いる官軍と袁紹率いる反董卓連合が司隷周辺で睨み合っていた頃、青州では張純の乱に乗じて黄巾の残党や、青州刺史孔融の苛政(正確には現実を無視した政策)によって苦しめられていた民が蜂起していたため、董卓とは関係のないところで、官軍と賊の戦が繰り広げられていた。
「……もうそろそろ大丈夫か?」
「……あぁ。大丈夫みたいだ」
そんな中青州のとある戦場では、やたら耳の大きな男と、特に特徴のない小男が倒れ伏しながら、小声でボソボソと話し合っていた。
日は既に沈み、月が周囲を照らしているのだが……その周囲は尋常な状況ではなかった。
なにせ彼らの周囲には死体しかなく、倒れている二人も血塗れで一見しただけでは死体との区別がつかないほどに汚れているのだ。
夜中であることも関係し、第三者がこの場に居たら「死体が喋った?!」と驚く者も居たかもしれない。
しかし、彼らはしっかり生きている。
ではそんな生きているはずの二人が死体に埋もれて寝そべり、何をしているか?と言えば…………実はこれまで彼らは死体に紛れて死んだふりをしていたのだ。
なぜ彼らが死んだふりをしていたのかと言うと、その原因は今回の戦で敵味方入り乱れての混戦となってしまった際、劉備らのいた部隊が敵中に孤立しかけてしまったことに起因する。
その戦いの最中に、普段は耳の大きな男の側から離れない赤ら顔の大男や、虎髭の大男とはぐれてしまい、彼らは己の身を守ることも難しい状況に陥ってしまった。
さらに敵の勢いが強く「あ、このままじゃやべえな」と考えた耳の大きな男は、隣で自軍の兵士が倒れた際に己も倒れ、死体の影に隠れて敵軍をやり過ごそうと考えた。
そんな彼の目論見を見抜いた特徴のない小男も、耳の大きな男に便乗して地に伏して身を隠し、結果として敵軍の目から逃れることに成功した。
そうして今になって、ようやく周囲から動く者の気配が消えたと判断し、会話をし始めたと言うわけだ。
なんと言うか、意地だの名誉などと言った言葉からは程遠い生き汚さであるが『戦場に於いて最も重要なのは生き残ることだ』と考えるなら、彼は決して間違った行動をしていないと言えるのが、彼を評価する際に困るところだろう。
そんな生き汚い耳の大きな男の名は、劉備玄徳。言わずと知れた大徳の主であるが、今はしがない属尽の一人でしかない男だ。
「……あのなぁ旦那」
「お前ぇさんの言いたいことはわかる。だから今は黙っててくれねぇか?」
そして一見して特徴が無い小男の名は簡雍と言い、劉備と同郷であり、彼が義勇軍を旗揚げする以前からの付き合いがある男だ。
そんな関係なので、簡雍と劉備の付き合いの長さは、劉備を兄と仰ぐ赤ら顔の大男こと関羽や虎髭の無頼漢こと張飛の二人よりも長い。
故に、簡雍は誰も言えないようなことでさえも、ハッキリと劉備に告げることが出来る数少ない人物でもあった。
「いんや、そろそろ誰かがハッキリ言わなきゃ駄目だと思うんだ」
「あ~あ~聞こえねぇ~よぉ~だ」
「いやいや、餓鬼じゃねぇんだから。いい加減諦めろって」
簡擁は耳を押さえて頭を振り、話を誤魔化そうとする劉備を見て溜め息を付きながらも、会話を止めるつもりはない。
なにせ普段から一緒にいる二人は、劉備に自分達の夢を託している為か、基本的に劉備の行動を否定するようなことを口にしたりしないのだ。
それが影響してか、ここ最近の劉備は『我慢する』とか『自重する』と言う言葉を頭の中から捨てているようで、これまで以上に自身の行動を省みる事が無く、無計画に動き回るようになっている。
その結果が如実に現れたのが、以前の督郵に対する折檻である。あれのせいで彼らは職を失い、犯罪者として追われる立場になってしまった。
つまり劉備の堪え性の無さのせいで、今の自分達が在ると言っても良いだろう。
今まではそれでも何とかなってきた。しかし今回のようなことが頻発するようだと、命がいくらあっても足りないのだ。
だからこそ簡雍はお付きの二人が居ない内に、しっかりと劉備に説教をしようとしていた。
とは言え今さら彼が劉備に何を言ったところで、劉備の性根が変わる訳ではない。故に簡雍が劉備に言いたいことは一つだけ。
「さっさと定職に就こうぜ」
と言うことだった。
「あ~言いやがった!こいつ、言っちゃならんことを言いやがった!」
「いやいや、当たり前のことだから。お袋さんだって、地元を飛び出したお前さんが定職にも就かず、こんなところで死んだふりしてるとか知ったら……普通に泣くと思うぞ?」
そう、簡擁は常々『誰かがこの良い歳こいてる癖に夢見勝ちな属尽に対して現実を突きつける必要が有る』と思っていたのだ。
数年前に起きた黄巾の乱の際、武功を上げて手っ取り早く出世する為に正規軍ではなく義勇軍を立ち上げ、そこそこの功績をあげた結果、劉備は県の尉として正式に任命されたことは記憶に新しい。
いや、劉備としてはお付きの二人の武力を考えればその役職に不満が有ったのかも知れないが、そもそもアレは何の伝手も実積も無い(盧植との繋がりはむしろマイナス評価になっていた)彼に対して与えられる恩賞としては、最上位の待遇と言えるものだった。
その程度のことすら、気位が高く意外と世間知らずな劉備は自覚できていなかった。
さらに関羽と張飛と言う豪傑を抱えたことで、自尊心が肥大してしまったのも問題だ。
彼らの気持ちを言葉にするなら『自分(自分達の義兄)は小さな県の尉程度で収まる器ではない』と言ったところだろうか?
しかし、一般常識として戦場でどのような武功を立てようと、県令だの郡の太守になることは不可能なのだ。
これは差別でもなんでもなく、単純に政治と軍事では求められるモノが違うからである。
故に、県の尉よりも上の地位に立ちたいのなら、金で役職を買うか、上の人間にその才を示す必要が有る。
本来ならその機会を得るのが大変なのだが、劉備は属尽と言う立場と賊の討伐と言う武功を以て第一段階をクリアしていた。
だからこそ、劉備はあと数年を尉として過ごしつつ、実績と経験を積んでいたなら黙っていても上の地位に昇れたのだと簡雍は思っている。
それなのに彼は、現状に不満を抱き、依りにも寄って査察官を殴殺すると言う事件を起こし、漢と言う国に逆らう罪人として正式に手配されてしまった。
そしてそれは何進が死に、霊帝が死んで新帝が即位した今でも変わっていない。
当の劉備や張飛は『死んだのはたかだか地方の役人じゃないか。なんでこんなにしつこいんだよ?』等と言っているが、地方の役人を侮るなかれ。小役人と揶揄されようと、実際に国を廻しているのはその役人達なのだ。
そもそも文官たちから見て劉備のような者たちは、推薦(保証人)も何もなく、ただ武功(人殺し)で成り上がった正体不明の無頼漢である。
この孝廉による推挙が基幹となる人事登用制度には、賛否が有るのだが、有る意味では抑止力にもなるのも確かなことだ。
どういうことかと言うと……通常、誰かに推挙された場合は、自身を推挙してくれた人間に対しての配慮が必要になるので、非常識な真似は慎むものだし、推挙した方もそれなりの責任が生じるので『基本的には』常識から外れる行動を取るような人間を推挙したりはしない。
さらには、同じ人間に推薦された者たちの横の繋がり等も発生するので、孝廉によって推挙された人間には、最初からそこそこの社会的信用が有るので、それを投げ捨てるような非常識な行動は取りづらくなると言うことだ。
故に、もしも罪を犯した人間がこういった信用を持つ人間だったならば、役人だって少しは気を利かせることも有ったかもしれない。
しかし、社会的信用が無い無頼漢が引き起こした事件に対してはその限りでは無い。
『成り上がりを嫌う由緒正しき生まれのお役人様が、罪人に配慮することなど有り得ない』と言うのは、古代中国的常識である。(古代中国に限ったことではない)
と言うか、もしもこのまま劉備の罪を許してしまえば、今後領主から派遣された督郵(査察官)を、査察対象が気分で殺すと言うことが常態化してしまう可能性が高まるので、劉備に対して恩赦が適用される可能性は限りなく低いのは当然のことである。
そして罪人である以上、彼らがまともな職に就くのは絶望的な状況であった。
ん?『ならば定職に就けと言う簡雍の意見はおかしい?』とは中々良いツッコミだが……甘い。
つまるところ簡雍は劉備に対して「いい加減に自首して罪を償おうぜ」と言っているのだ。
そして肝心の罪の償い方だが、彼とて当たり前に処罰を受ける気など更々無い。
ならばどうする?
まず前提として、目下劉備が犯した罪を明記するならば、役人を殴殺した罪と体制批判めいた木札を利用した挑発行為をした上で逃亡した罪となる。
古代中国的価値観で考えれば、これだけでも十分に死罪に足る行為だし、それを理解しているからこそ劉備たちは今も逃亡生活をしているのだ。
しかし、簡雍は『この程度なら反董卓連合に所属している諸侯に味方すれば何とかなる可能性は高い』と踏んでいた。
何故なら彼ら連合軍は、現在進行形で『帝に背く』と言う大罪を犯している連中だからである。
そのため、旧体制によって手配されている形の劉備の罪も、彼らの中に入ればあやふやになる可能性が高いと推察したのだ。
実際連合を率いる盟主でありながらガチガチの差別主義者でもある袁紹は、属尽である劉備が氏素性知れない役人を殺した程度ではその罪を裁くことは無いだろうから、簡雍の狙いは間違ってはいない。
「……あぁ、お袋なぁ」
流石の劉備も、散々苦労をかけてきた母親のことを思えば、故郷に錦を飾るどころか罪人として手配されていることに対して思うことが有るようで、先程までの必死に簡雍の意見を聞くことに抵抗していた勢いは徐々に無くなって行く。
「だからよぉ。まずはつまらねぇ仕事でも我慢してみようぜ?今の世の中なら数年で良いとこまでは行けるって」
もしも今が平時なら劉備には出世の目などなく、良くて盗賊の頭目が関の山だったであろう。
しかし今の情勢を見れば、世は徐々に乱世になりつつあるのが見てとれる。
そして乱世なら、劉備が持つ人を惹き付ける魅力や、関羽・張飛と言う超級の暴力装置の存在は、必ずや彼らの未来を彩る力となるだろう。
そんな中での自分の仕事は、彼らに現実を教え、現実と結びつける接点になることだ。
一味の良心にして、唯一の常識人を自認している簡雍は、犯罪者扱いからの脱却と、定職に就くことこそが自分達に必要なことだと力説する。
「あ~う~」
そして力説された劉備としても、老い先短い母親のことを考えると『誰かに仕えるのは性に合わん!』などと言う我儘を言い続けるのは難しい。よって簡雍の言葉に対して相当に悩んでいる様子を見せていた。
予想以上の手応えに『お?これは行けるか?』と期待の目を向け、劉備が導きだす決断を待つことしばし。
「…………」
「…………」
どれだけ待っただろうか。月の光に照らされながらうんうんと唸っていた劉備は、ポン!と膝を打つと、勢いよく立ち上がり、北の空を見上げた。
「よっしゃ!決めたぜ!」
「そうか!決めてくれたか!」
気合いを入れて宣言する劉備を見て『これで明日をも知れない逃亡生活からおさらば出来る!』と考えた簡雍だが、続く言葉を耳にし、劉備と言う漢は自分の常識で推し量ることが出来るような男では無かったことを痛感させられることになる。
「取り合えず幽州の兄ぃに世話になるぜ!」
「へ?」
思わず間の抜けた声を上げた簡雍に、劉備は『おいおい、何て顔して驚いてんだよ』と言う顔をした。
「『へ?』じゃなくてよ。お前ぇだって兄ぃは覚えてるだろ?」
「いや、まぁ、うん。そりゃ忘れちゃいねぇけどよ」
当然簡雍も劉備が言う『幽州の兄ぃ』が誰のことかは知っている。
しかし彼が知る限り、その『幽州の兄ぃ』は反董卓連合に所属していない。むしろ劉備を捕らえようとしている体制派の人間である。
(そんなところに行ってどうするつもりなんだ?)
(何か深い考えでもあるのか?)
色々勘ぐる簡雍だが、物事とは得てしてもっと単純なものだ。
「なんつったって、知り合いのところの方が下っ端扱いされなくて済むからな!」
(何も考えてなかったーー!)
この時代、就職に人脈を使うのは極々一般的なことではあるが、一般的なことだからこそ縁故採用される側にも色々な配慮が求められるものだ。
それを念頭に置いた上で、劉備の師である盧植や、固い親交を結んだはずの『幽州の兄ぃ』が彼を自陣に招いたり、誰かに推挙しなかったと言う現実を考えれば、簡雍には劉備の楽観論は危ういモノにしか見えなかった。
「いや、あのな?」
だからこそ、彼に自分の懸念を伝えようとしたのだが……
「おーい。長兄ー何処だぁ?生きてるなら返事しろぉー」
「お!ようやく迎えが来たか!まったくあのアホは。死んでたら返事なんか出来ねぇだろうがよ。おーい!コッチだコッチー!」
「おぉ。生きていたか。簡単に死ぬとは思っていなかったがな」
「とかなんとか言って、兄貴はかなり心配……あだっ?!」
「おいおい、俺がこんなとこで死ぬわけねーだろ!でもってこれからなんだが…………」
へへへっと笑いながら、自分を探しに来た義兄弟達に返事をして、さっさと合流してしまった劉備に対し、簡雍は声を掛ける機会を失ってしまった。
「はぁ~」
劉備を過大評価するが故に、常識の枠に嵌めることを良しとしない二人が来てしまっては、もはや劉備の説得は不可能であることは明白。
簡雍は彼の肩に乗せようとした手を降ろし、これからのことを考えて深い溜め息を吐いたと言う。
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幽州に風が吹くとき、かの地に何が起こるのか。
それは神のみぞ知ることであった。
幽州 「こっちくんな」
劉備もそろそろ動き出します。いや、まぁ前々からコソコソしてるんですけどね?
関羽や張飛は武将として使えますが、劉備は何に使えるのだろうか……
既存の組織にとっては癌にしかなりそうもない彼を『幽州の兄ぃ』はどうするのか?
簡雍の明日はどっちだ?!ってお話。