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38話。2章エピローグ的なナニカ

初平2年(西暦191年)6月。弘農


袁紹率いる連合軍による洛陽焼き討ち。


この異常とも言える行動は即座に河南尹の各県に知れ渡り、連合軍の評価を落とすこととなった。


そしてその情報が洛陽からさほど離れていない(古代中国的価値観では至近距離)弘農にも伝播することになるのは当然の事であり、また弘農に情報が伝わると言うことは、喪に服している今上の帝こと劉弁の耳にも入ることとなるわけで……


「なにしてくれてんだえんしょぉぉぉぉぉ!」


ダンッ!バキッ!!


側近からその報告を受けた若い皇帝は、その顔を怒りに染め、思わず手に持っていた筆を机に叩き付けながら叫び声をあげる。


「ひ、ひぃぃぃ!」

「……陛下。その筆と紙の代金は、陛下のお小遣いから引かせて頂きますからね」


そんな皇帝のすぐ近くには、間近で皇帝(絶対君主)の怒りに触れ、自分が悪いわけでも無いのに即座に土下座態勢に移行する少年と、頭を下げるどころか、黙々と己に課せられていた作業をしながら劉弁に『物を粗末にしてはいけません』と教育を施す余裕がある少年が居た。


言わずと知れた徐庶と司馬懿である。


「あ、うん。ごめん」


そんな司馬懿に対し劉弁(絶対君主)は怒るでもなく、素直に己の行いを省みて謝罪をする。


……通常ならば劉弁は謝る必要などない。むしろ古代中国的価値観で言えば、正しい行動を取ったのは即座に土下座態勢に移行した徐庶であり、司馬懿の言動こそ不敬極まりない行為である。


これは処刑されても文句は言えない行為であった。


しかし劉弁にとって司馬懿と徐庶は、臣下であると同時に同じ師(太傅)の教えを受ける一門としての先達だ。よってその言動が自身の教導に関わっている場合に於いては、不敬に当たらない場合もある。(学問所で先達から教えを受けた際に『不敬だ!』等と騒いでは皇族に教えを授ける者が居なくなる)


更に劉弁は太傅(自分たちの師)から常々『自身に注意してくれる人間を蔑ろにしてはいけない』と言う教えを受けているし、なにより今は喪に服している最中なので、余程無礼な真似をされない限りは、不敬を罪として相手を裁くような真似は慎まなければならないと言う状況なのだ。


まぁ彼ら二人(司馬懿と徐庶)の場合『余程の無礼』に関する基準は、他の連中よりかなり高いところに設定されているので、平時であってもこの程度の事を不敬で咎めるようなことは無いだろう。


そんな子供たちの友情はともかくとして。


「私に謝られましても。とにかく、折角途中まで書き上げられたのに残念ではございますが……残念ながらこれではもう使えません。最初からやりなおしですな」


「う゛っ」


洛陽の話を聞いて、つい『かっ』となってしまった劉弁だが、そもそも彼らは仕事兼修行として、師に言われたように兵法書の写本をしている最中であった。


こう言った作業をする場合は本来なら安価な竹簡に書き写すところを、身分の関係も有り高価な紙に書き写していたのだ。そんなところに墨が塗られた筆を押し付けてしまったら、折られた筆は当然として、台紙となった紙も台無しとなるのは避けられない。


「……おぉのぉぉれぇぇぇえんしょぉぉぉ」


手元の紙の無残な状況を視認すると、劉弁の目からはハイライトが消え、その口からはブツブツと袁紹への恨み言が紡ぎ出されて行く。


何やら洛陽が焼かれたことよりも、手元の数万の文字を書き写すと言う苦行を途中で台無しにされたことに恨みを(つの)らせているような気がするが気のせいだろう。


「へ、陛下、今はお勉強中です!とりあえず袁紹の事は忘れましょう!」


「……むぅ」


虚ろな目でクドクドと『えんしょーゆるさん』だとか『ひざをこわすか○○をこわすか……』と呟く劉弁だったが、同じ師に学ぶ先達から『まずは目の前の事をしましょう』と思考を切り替える事を提案されては無下には出来ないものがある。


そして弱った敵に対して無慈悲な追撃を行うのが司馬懿と言う少年である。


「然り然り。実際ここで連中に恨み事を言っても無駄なのですからね。陛下ともあろう御方が無駄なことをなさるのはよろしくありません」


「むだって……」


仮にも皇帝の憤りを無駄と切って捨てる司馬懿に、さすがの劉弁も苦笑いを禁じ得ない。しかし司馬懿には司馬懿の言い分が有る。


「更に言わせて頂ければ、師が良く仰るように『殺す!』だとか『刑罰に処したい!』と言うのは願望であり、弱者の遠吠えなのです。それは無駄に相手を警戒させるだけの愚行でしかありません。故に陛下程の御方ならば、そのような思いは態々口に出すことなく胸に秘め、刑を執行した後に一言『殺した』もしくは『処した』と結果を語るだけになさいませ」


「ま、まぁそうなんだろうけどさぁ」


これは以前から劉弁に対して、どこぞの腹黒が『どうせ陛下はその出自(母の身分)で周囲の連中に見下されているのですから、そのまま油断させて後で足元を掬えば良いではないですか』と言う、身も蓋もない言い方ではあるが、立場を利用すると言う点で実に有効な策を献策していることを知っている司馬懿だからこそ言える忠言である。


劉弁としても基本的にはその方向性で行こうとしているので、そのことに対しては特に異論は無い。


異論は無いのだが、歳若い彼が『簡単な愚痴も言えないのはなぁ』とやや自分の立場に面倒臭さを感じるのも仕方のないことだろう。


だが、司馬懿からすれば、軽々しく愚痴を言おうとしている劉弁の価値観が間違っているのだ。


「単なる愚痴なら良いのですよ。ですが先ほどの陛下のお言葉には心が籠っておりました。アレでは我々はともかくとして、王允殿のような方が聞いたら『陛下より袁紹を殺せと言う詔を頂いた!』と言い出しかねませんぞ」


「……あぁ。そうなるのかぁ」


「えぇ。そうなるのですよ」


無表情で頷く司馬懿だが、彼は一切嘘をついてはいないし、物事を大げさに伝えているわけでもない。


なにせ皇帝と言う存在は絶対君主である。


故に皇帝は、忠義と言うか、絶対主義と言うか、帝の命令こそ至上!と考える連中からすれば、本人にとっては何気ない日々の愚痴でも、立派な勅となってしまうと言うことを理解しなくてはならないのだ。


具体的な例を挙げるとすれば……たとえば徐庶の母に対して「徐庶が女の子だったらなぁ」と言おうものなら、その日のうちに彼は母親の手によって去勢されるか女装させられることになるだろう。(最悪はその辺の女の子を養子か何かにして徐庶を名乗らせるまでする)


つまり皇帝とは、冗談や不平不満を言うにも時と場所と相手と言い方を選ばねばならないと言う面倒な立場の存在であると言えよう。


それでも劉弁の中にある『袁紹憎し』の気持ちは冗談でも何でもないし、出来るなら今すぐ処刑したいと言うのも嘘偽り無い気持ちではあるのだが、ソレは絶対にやってはいけない事だと、しっかりと太傅(どこぞの腹黒)から釘を刺されているので、この件に関しては何とか我慢をしているところだ。


「ん~。だけどさぁ」


「「だけど?」」


「あくまで、()()()だめってだけなんだよね?」


「ひぇぇぇぇ!」

「そうですね()()駄目なんです」


恨み・憎しみ・怒り等々、様々な負の感情を滲ませて笑う劉弁(絶対君主)を見て、彼が引き起こす未来を連想してしまい腰を抜かす徐庶に対して、司馬懿は淡々と肯定の意を示す。


「何せ現状では戦には勝てますが、勝った後の統治に支障が出ますからね。もう少し人材を揃えなければ、陛下の威信に傷が付きます」


「うん。そうなんだよねぇ」


そう、元々連合軍の結成当初から劉弁は『袁紹死すべし』を標榜していたし、王允や董卓はそれに反対することなく、彼らを殲滅する為の戦略を考えようとしていたのだが、そこに待ったを掛けたのが帝の側近にして師でもあるどこぞの腹黒であった。



―――



どこぞの腹黒曰く


『今の段階で彼らを滅ぼした場合、人材の枯渇を招きます。その場合漢全土を統治することは出来ません。もしも董閣下の配下の皆様が全員で牛馬の如く文官仕事をしても、軍部を回すだけで手一杯になりそうです』


「そうなの?」


「……否定はしません」


問われた董卓としては本来ならば見栄を張るべきところなのだか、全員が牛馬の如く働かされることを前提にされては、口が裂けても「大丈夫です」などとは言えなかった。


また、誰の目にも文官不足が深刻になるのは目に見えていた事実である。


董卓も現状は自身の軍勢と官軍の管理だけで一杯一杯だし、王允もかなり多忙の身であるので、今の段階でその管理地域を広めようと思うものは居なかったと言う。


そうして董卓や王允からの反対意見が出ないことを確認した外道は、さらに言葉を重ねる。


「そして地域を管理する人材の不足は陛下の統治に穴が空くことを意味します。もし人材が整うまでの数年で何事も無ければ良いでしょう。しかし何かしらの問題が発生した場合、その全ては陛下の所為(せい)にされてしまうのですぞ?」


「……そうなの?」


「……太傅殿の仰る通りです」


劉弁に問われた王允は、苦々しい表情を隠すこともできずに、肯定するしかなかった。


元々中国と言う国では古来より『天災や災害は天子たる帝に徳が不足しているからだ!』と言う意見が有る。


これは主に清流派と呼ばれる連中が唱える意見であり、絶対君主に対する意見としては不敬な行為なのだが、天災が発生した場合はこの糾弾も例外となる。


何せ天子(皇帝)に評価を下した相手は正真正銘の『天』だからだ。


このときばかりは絶対君主である皇帝も、名家の連中に対して反対意見を述べることが出来ず、徳を積む為と言う名目で彼らに利益供与をせざるを得ない状況となるのが常であった。


つまり役所仕事を一手に担う名家の連中が、天災を口実にして帝やその周囲に居る外戚や宦官に対してマウントを取るだけの話なのだが、君臣共に儒に染まった連中なので、それが当たり前のこととして通ってしまう。これもまた後漢クォリティである。


更に具体例として、先々代の桓帝や先代の霊帝が受けた扱いを聞かされた劉弁としても、態々自分を悪し様に言われようとは思わない。


その為彼の中からは、無理に連合を滅ぼそうと言う気持ちは薄れて行ったと言う。


しかし皇帝として己に弓を引いた逆賊を許しておくと言う選択肢は無い。あってはならないと言うことも理解していた。


故に劉弁が「……ならばどうするつもり?」と発案者である外道に解決策を求めるのは当然のことだろう。


そしてその問いを受けたどこぞの腹黒は、その言葉を聞きたかった!と言わんばかりに頷き『なに、彼らに統治させればよいのですよ』と、何のことも無いような口調で宣ったのだ。


「「「はぁ?」」」


いきなり叛乱を起こした連中を黙認し、帝の権限を弱める事を認めるような事を抜かす彼の意見を聞いて、呆けた顔をする一同を前に、彼はその言葉の意図の解説を始めたと言う。


「まず大前提として、現状で漢全土を網羅するには人材が足りません。これは陛下もおわかりになりますね?」


「うん。そうだね」


人の体は一つしかないし、その腕は二本しかないのだ。当然出来ることは限られるし、根性論や理想論ではどうにもならないことがある。


洛陽から出て、現実主義者に囲まれている今の劉弁には『皇帝の威光があれば何でも出来る!』等と言う自惚れは無い。


「よろしい。ではそこから逆に考えましょう」


「「「逆?」」」


「えぇ、我々が現状漢全土を管理出来ないなら、統治出来る所だけを統治して、残る地域は他の人間にさせれば良い……ってね」


「えぇ~」


「それはまぁ……」

「そうなのでしょうけど」


腹黒外道曰く『支配できないなら、支配しなければ良いじゃないか』の理である。


「納得出来ませんか?ならば陛下にお伺いしますが、彼らを滅ぼした場合に発生する問題は先ほどお伝えした通りです。では逆に、彼らに統治させた場合はどうなりますか?」


「どうって……あ!」


ここまで言われて劉弁はようやく太傅(自らの師)となった男の意図に気付く。


「気付きましたね?そう、陛下に対する悪評は生まれず、むしろ彼ら諸侯に対して『この度この地が天災に見舞われたのは、領主が陛下に謀叛を起こしたからだ』と言うことが出来るのです」


帝が治めている地に何かが起これば、それは帝の不徳となる。ならば帝から離反した諸侯が治める地に何事かが出来(しゅったい)した場合は誰の不徳となるだろうか?と言う話だ。


「……なるほど。その場合は陛下に逆賊と認定された諸侯の不徳となりますな」

「左様ですな。それが連中を滅ぼす更なる口実にもなります」


話を聞いていた董卓と王允も同じ答えに至ったようだ。


つまり、ここで諸侯に土地を治めさせることで、連合軍を潰した場合に劉弁へ来ることになる悪評を、諸侯に向けることが出来るということだ。


「うーん。それはわかった。だけど、もしもなにももんだいがおこらなかったらどうなるのかな?」


劉弁の中(と言うか普通の人間の価値観)では、天災が起こるかどうかは天の采配次第なのだ。


故に、何も問題がおこらない可能性も有るんじゃないか?と考えるのも無理はない。


劉弁は『もしも何の問題も起こらなかった場合、皇帝の立場が揺らぐことになる』と言うことを憂慮していた。


何故なら、元々連合に参加した連中は各々の地域を治めていた地方領主であるが故に、洛陽に頼らなくても管理する人材は足りていると推察できる。


この場合、諸侯は今まで通りの統治を行えば良いだけなので、領地運営に支障が出ることは無いだろう。


その上で彼らの治める土地に天災等が発生しなければ、連合に参加した諸侯は『皇帝に叛旗を翻しておきながら何も起こらない。つまり自分は天に認められたのだ!』と強弁することも出来なくはない。


こうなれば、皇帝の権威は丸潰れとなる。


劉弁の立場としては何があってもそのようなことを認めるわけにはいかないので、こういう状況に陥った場合どうするんだ?と発案者に訪ねるのは必要なことであった。


皇帝としてその懸念は尤もである。また、この問題を自ら思いつき、しっかりと問題提起できる劉弁はやはり優秀なのだろう。


しかし今回に限って言えば、その懸念は杞憂である。


「陛下、領地を運営する為にはとにもかくにも様々な資財が必要なのです。今までは洛陽に漢全土の財を集めて、集めた財を適度(笑)に各地に分配しておりましたが、今後はそれが出来なくなるのですよ?たとえ旱魃(かんばつ)などと言った災害が起こらなくとも、間違いなく各地域で問題が発生します」


「……なるほどなぁ」


本来洛陽に集められた租税とは、宦官や名家の連中の懐を潤す為に集められるものではない。国家の役割の一つである治水を行ったり、軍を維持する為に使われるものだ。


そこで洛陽からの支援が無くなれば、地方の都市は自前の予算で軍を維持しなくてはならなくなるし、治水や開墾、都市開発に関する予算も全て自前で賄わなくてはならない状況に陥ってしまう。


つまり今までそれぞれの所領を運営してきた役人たちにしてみれば、いきなり出費が増えることになるのだ。


その額は、洛陽に支払う租税を遥かに超える額になるのは確実であり、都市の運営資金が足りなくなるのは目に見えていると言う訳だ。


「あとは地方に蔓延(はびこ)る小役人どもの処理に関しても、諸侯に一任してしまいましょう」


「こやくにん?」


「……あぁ」


この外道の言葉には董卓が深く頷いた。


洛陽しか知らない劉弁には分かりづらいことなのだが、漢帝国を腐らせている虫は洛陽の役人だけではない。


最も数が多いのは、地方で中抜きやら何やらを行ったり、租税を誤魔化して私腹を肥やしていた小役人どもなのだ。


そしてそいつらは未だに健在であり、今も元気に不正を働いているのである。


彼らをどうにかしない限り領地の財政が健全化することは無い。しかし今の漢帝国には、そいつら全てを始末して統治を健全化させるだけの余裕も無い。


だからこそ、この外道はそれらの処理を諸侯にさせるつもりだった。


つまりこの外道の策とは『数年かけ自分達で国家を運営する人材を育成すると同時に、各地の諸侯に各々の領地を健全化させ、それが終わった後で諸侯を一掃する』と言う大戦略であり、これを劉弁主導で行うことで漢と言う国を救うと言う腹案を献策していたというわけだ。


もちろん、数年かけて領地を健全化させた諸侯が己の成果を横から奪われることを大人しく認めるとは思えないので、間違いなく抵抗することになるだろう。


この場合の抵抗とは即ち戦だ。


しかし、だ。今の段階でさえ潤沢な予算を持ち、連合に所属する諸侯の全てを相手取っても勝利できる軍事力と、現役の皇帝陛下と言う大義名分を併せ持つのが劉弁の陣営である。


そんな彼らを相手に、己の所領の財政を健全化したばかりの諸侯がまともな抵抗が出来るのか?と問われれば、誰に聞いても答えは『否』と返って来るであろう。


それに、地方で潤沢な予算を貯めこんでいた名家の筆頭である汝南袁家は、今回の連合軍の維持の為にその財をかなり放出してしまっている上に、袁紹と袁術の二人が家督争いをしている状況なのだ。


これでは、彼我の差は縮まるどころか開く一方となるのは誰の目にも明らかであった。


故に劉弁は下手に焦ることなく、数年掛けて人材の教育と軍事力の拡大に努め、頃合い良しと見たら一気に纏めて擂り潰せば良い。


この案を採用するならば、地方の諸侯はこちらの準備が整うその時まで所領を管理させる為に生かされているに過ぎないと言うことだ。


「うん。それならいいか」


一言で言うなら『豚は肥らせてから喰えの計』と言ったところだろうか。ともかく、劉弁が腹黒の策を認めたので、晴れてこの策が劉弁陣営の戦略の基本骨子となったと言う。



―――



こういった事情が有るからこそ、董卓は洛陽を使った空城計で連合軍を焼き尽くしたり、夜を徹した破壊活動(消火作業)で疲弊している連合軍に対し追撃を加えるような真似はしなかったし、劉弁も()()袁紹を殺す気は無い。


彼らはその内心で『精々後々の自分たちの為に所領を栄えさせれば良い』と考えている。


ただ、散々己の顔に泥を塗られた劉弁が「処刑の際は洛陽を焼いたことを後悔させてから殺してやる!」と、心の中の台帳に袁紹の犯した罪を追記し、日々その脳内で袁紹の処刑を繰り返すことになるのだが……これくらいは誰に迷惑をかけるわけでも無いので、認めてあげるのが大人の優しさと言うものだ。



そして少年たちが話に一段落を着け、師から言い渡された宿題を再開している頃。


腹黒外道と恐れられる李儒は何をしているのかと言うと……受け入れた難民へ仕事を割り振ったり、弘農の開発計画を進めたり、長安の開発計画の草案を出したり、洛陽の再開発事業の草案を作ったりと、董卓が処理する量の数十倍の書類と戦っていたと言う。




―――



おまけ。


ある日のこと。


ひょんなことから、大量の書簡と激闘を繰り広げる己の最側近にして師である男の日々の仕事量を目撃した劉弁は、ある疑問を抱き、その男を最も良く知るであろう己の友人兼配下兼師兄である司馬懿に訊ねてみることにした。


「ねぇしばいー。りじゅってたしか、ゆうゆうじてきのいんきょせいかつをしたいんだよね?」


「えぇ。その通りです。師は二言目にはそう言いますね」


「それにしては、すっごくしごとしてるけど?」


明らかに自分から仕事を持って来ているようにしか見えない彼を指差して、本当に不思議そうな顔をする劉弁。確かにこの時代の人間基準で言えば、明らかに彼は働き過ぎである。


「私もその辺を不思議に思い、以前師に「悠々自適な隠居はなさらないのですか?」とお尋ねしたことがあるのですが……」


「へぇ~それで、かれはなんていってたの?」


いつも無表情で何でも知ってそうな司馬懿でも分からないことがあるんだなぁと、微妙に失礼なことを考えた劉弁だが、今の興味は間違っても『悠々自適』とは言えないような状況の腹黒外道が司馬懿の問いに何と答えたのか?と言うことに向いていた。


「師、曰く『年金生活(悠々自適の隠居生活)は60を超えてからに決まってるだろうが』と」


「…………そ、そうなんだ」


「そうなんです。やはり師は我々とは発想の規模が違うと言うことを思い知ることとなりました」


「う、うん。そうだね」


『それ、決まってたの?』とか『60まで生きるの?』とか『60まであの調子で働くの?』とか色々な思いが去来した劉弁だが、なんとか口にすることが出来たのはそれだけであったと言う。


そんな劉弁の横では、社畜の一番弟子を自認する司馬懿がウンウンと頷きながら「流石我が師(さすわし)」と呟いていたとかいなかったとか。



袁紹め!ゆ゛る゛さ゛ん゛っ゛!!


洛陽に入った連合軍に関してはまさかの放置である。

取り敢えず袁紹に関しては搾り取るだけ搾り取ってから殺すことが確定しているもよう。


え?主人公?アレですよ。拙作は群像劇に近いので、10万字の中の5千字くらいに関わってれば良いんです。どこぞの提督とか金髪の人もそんなとき有りますよね?ってお話



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