8話。黄巾の乱の終わりと涼州の乱の始まり①
いんたーみっしょん。新ヒロインが2人追加か?
誤字・脱字の修正は任せたぞ! (投げやり)
中平二年(西暦185年)三月・洛陽。宮廷内。
河北や中原を席巻した黄巾の乱が鎮圧されてからおよそ半年。あらかたの戦後処理も終わり「これから何時もの政治闘争が行われることになる」と洛陽の誰もが確信し、自らの進退を懸ける陣営を見出してそれぞれの決断をしようとしていた頃。
宮中の奥深くにある軍議の間では、涼州から朝廷の下に送られてきた書状で発覚した非常事態への対策を練る為の会合が行われていた。
会合と言ってもこの場に居るのは僅かに三人。しかし三人が三人とも、漢を動かす重鎮と言っても良い人物である。
「……韓遂めがっ」
辺章と共に乱の首謀者の一人とされる者の名を憎々しげに呟き、ギリッと音が出るほどに強く歯を食い縛るのは、宦官の代表としてこの場に赴いた十常侍筆頭の張譲である。
彼ら宦官は後宮に居りびたる帝と接触出来る存在であり、色と食に溺れる帝に対して彼らが望む情報だけを与えて、帝から彼らに有利な言葉(勅)を引き出したり、忖度や捏造をしたりすることで勅を偽造し、宮廷内に置ける政敵を排除し続けてきたことで帝(絶対権力者)の代理人として権力を握る存在だ。
しかしその絶対権力は限定的なところもある。良い例が何進を排除出来ないことだろう。彼らはあくまで帝の威光が有ってこその立場であるので、帝の寵愛を受ける后の身内である何進には手が出せない。
また、直接的な武力も持たないので権力を怖れない (というか理解出来ない)存在とは相性が悪い。
具体的には異民族だ。
そんなこんなで自前の武力を持たない宦官なのだが、帝の身柄を握り増長して好き放題やっている連中にとって、己の権力(帝の威光)が通じない武力集団の存在など許容できるはずがない。
さらに相手は、洛陽に居た際に名家や軍部の人間に自分達宦官の殺戮を促していた男でもある。
故に彼ら宦官にとって、今回の乱は首謀者も賛同者も二重・三重の意味で赦せるモノではなかった。
……と言うのは勿論ポーズである。
実際は武官の分際で帝に近く、さらに先の戦で功を上げて発言力を増し、さらにさらにあろうことか成り上がりの何進に接近しつつあると言う噂が立っている、名家閥の皇甫嵩を失脚させる為に彼を洛陽から遠く離れた涼州へと出陣させるつもりであった。
韓遂?羌などと言う蛮族を後ろ楯としてどうすると言うのだ?精強なる官軍を敵にした以上は討伐されるゴミに過ぎん。洛陽から逃げて逃げた先が涼州だかどこだかは知らんが、所詮は都落ちした負け犬よ。
勝手に騒いで勝手に死ね。と言ったところだろうか。
「ふむ。羌がここで動くか」
張譲とは対照的に冷静な口調で言いながら「その発想は無かった」と言わんばかりに目を丸くするのは、名家の代表としてこの場に立つ司徒・袁隗だ。
基本的に名家閥も宦官同様に自前の武力を持たない集団であるので、宦官同様に自分たちの権力が及ばないモノには嫌悪感を抱く習性がある。
宦官と違い帝との直接の接点が少ないにも関わらず、彼ら名家が力を持つことが出来ているのは一言で言うならば知識層を独占しているからだ。わかりやすく言うなら、彼らは官僚集団である。
識字率が低く、計算など出来るものはほんのひと握りでしかなかったこの時代。帝が何を命じても、彼らが動かなければ政は動かないと言う状況であった。
だからこそ、彼らに動いてもらいたい者たちは付け届けを送ってでも仕事をしてもらおうとするし、彼らが独占している要職のポストを貰うために派閥に入る。結果として帝ですら早々に手が出せない集団となっているというわけだ。
そして彼らは韓遂に対して含むところはない。むしろ洛陽に居たときは宦官誅殺を唱え、軍部相手に派手に騒いでくれていたので、そのまま軍部と宦官に確執を作ってくれることを願い「良いぞ!もっとやれ!」と影ながら応援していたくらいだ。
故に彼が気にするのは、漢にとっての宿敵と言っても良い羌族についてとなる。漢の忠臣を自認する名家としては彼らとの戦いを避けることは出来ない。(無論自分が戦うわけではない)
それに連中は既に三輔(長安周辺地域。京兆尹・左馮翊・右扶風)にまで手を出してきているらしいではないか。偉大なる高祖が定めた都である長安を、異民族等に汚させては漢の名折れ。必ずや後悔させてやる必要がある!と意気込んでいた。
……と言う名目で、最終的には「敵は強大だ!だからこそすぐに最大戦力を出すべきだ!」と言う論法で皇甫嵩を出陣させ、失脚させようとしている俗物である。
何せ最近の皇甫嵩は「自分は名家とは関係ない」と言わんばかりに、帝派の王允や董承らに接近しているし、さらには何進に協力をしようとしていると言う情報まで有るのだ。
外戚の中でも名家の血筋である董承ならまだ許せる。そのまま帝の信任と武功を表に出して、宦官と争ってくれたら最高と言えるだろう。
しかし庶民出身の何進はダメだ。
伝統も格式も無く、ただ妹を帝に差し出しただけの下郎が自分と同格のようにして居るだけでも腸が煮え繰り返りそうになると言うのに、これ以上権勢を増す様な真似は容認できない。
さらに前回の乱において、自分たちが推薦した崔烈や董卓が乱の鎮圧に失敗し、皇甫嵩がその尻拭いをしたと言う形になったのも問題だ。そのせいで帝は軍事についての相談を、自分たちではなく何進にするようになったと言うではないか。
外戚と言うだけで大将軍となっただけの何進に何ができる!と嘯くのは簡単だが、何進が成果を上げてしまった以上はこの言葉に説得力がなくなってしまう。
ここでさらに彼に功績を上積みされてしまえば、軍事と言う一点において何進を止める事が出来なくなる。その為、今回の件に関しては宦官と名家は対何進と言うことで一時的に手を結んでいた。
そんな両者を「こいつらに軍事を語らせても意味ねぇな」と見下しているのが、庶民の代表にして官軍の兵権を預かり、武力と食糧と情報を握る我らが何進大将軍閣下である。
そもそも当時の大将軍は外戚(広義では皇族に嫁・婿入りした一族。狭義では帝の妃や、帝や皇太子の母の一族)の筆頭に与える名誉職のようなモノであった。
なにせ名目上漢の兵権を預かる身分とは言え、強大な漢帝国の中にはこれまで大きな乱などなく、異民族も懐柔(檀石槐に関しては幽州や并州のことと切って捨てていた)していたために外にも敵が居なかったのだ。その為、大将軍とは細々と動く賊どもを帝に変わって将軍に討伐を命じて、討伐させるだけの仕事として認識されていたのだ。
それが先の黄巾の乱で大きく変わることとなる。
そう。初めに名家と宦官が推挙した将帥が敗れ、何進が任命した将帥がそれらを打ち破ったことにより、何進はただの外戚ではなく抜群の実績を持った外戚となったのだ。
元々は帝の外戚(霊帝の母董太后の一族)である董承の権力を弱めるために宦官の郭勝が後押しをして彼の妹を宮中に入れ、その縁で推挙されたと言う経歴を持つ何進だが、彼は宦官に恩など感じておらず(推挙されるためにかなりの金を使っている)口先だけの名家を見下していた。
この辺を例えるなら(少しニュアンスが違うかもしれないが)現場の何進と管理職の名家・宦官が対立しているようなモノと考えればいいかもしれない。
さらに、本来なら名家連中の協力が無ければまともに軍を回すことも出来ないはずだったのに、李儒と言う奇貨を得たことで、軍事に関しては自派閥だけでなんの問題もなく業務を回せるようになっている。
これにより何進の中では名家閥はその存在価値を落としており、残る敵は宦官とおなじ外戚の董承のみとなっていた。
だからこそ、ここで名家と宦官が手を組んでくれたのは彼にとっては脅威ではなく、むしろありがたいことなのだ。何せ注意を向ける先が分散されないと言うことは、それだけ予想外の方向から足元を掬われる心配をしなくても良いと言うことだから。
さらに李儒と言う、己の思考の穴を埋める存在が居るのも良い。これにより何進は彼らを恐れることなく大胆な手を打つことも出来る。
「ここに居ねぇ奴に恨み言を言っても始まらねぇさ。とりあえず話を進めるが、今回の乱に関して俺としては王允を派遣しようと思っている」
そんな後方に不安のない何進が、張譲や袁隗を差し置いて話を進めようとする。この態度に2人は当然不快げに眉を顰めるが、そもそもの議題が「乱の鎮圧」である。当然のことながらイニシアチブは軍部を握る何進にあると言っても良いだろう。
そんな何進の推挙する相手を聞き「……むぅ」と呻く張譲と「王允殿か」と瞑目する袁隗。
王允。後の美女連環計が有名な彼だが、今は漢帝国に仕える一人の人間でしかない。そんな王允は先の乱で豫州刺史となり乱の平定に尽力した帝派の人間であり、分類するなら名家閥と言っても良い人間である。
しかし王允は張譲と因縁がある。それは去年の黄巾の乱が終結した際に「張譲こそが封諝、徐奉などの宦官に指図をして馬元義など黄巾を支援していた存在である!」と言うことを帝に告発したことだ。
何進も黄巾に対しては支援を行っていたが、それはあくまで陰ながらであり、洛陽の人間が気付くことは無かった。しかし洛陽にしか伝手がない張譲にそのような隠蔽を出来るハズもなく、証拠を抑えられた彼は霊帝に謝罪することで難を逃れたと言う経緯がある。
よって張譲にすれば皇甫嵩は潜在的な敵だが、王允は直接的な敵だ。その為「追い落とすならコッチの方が良いのでは無いか?」と言う欲が出る。
対して袁隗にとって王允は特に拘りがない相手とも言える。強いて言うなら豫州刺史と言うことで汝南袁家に何かしてくる可能性がある程度。
何進がここで王允を推すのは帝派の切り崩しが目的なのかもしれないし、豫州に関しての権限を持つ者を野放しにする気はない。しかしながら今回皇甫嵩を嵌める為に用意した策を使う程の者でもないのは事実だ。
「王允殿も悪くはないだろう。しかし今回の乱は既に三輔地域まで賊が来ていると言うではないか。ならばこれは早急に平定する必要が有ると思うのだが……張譲殿は如何に?」
王允は張譲にとっては最優先で仕留めたい敵ではあるが、宦官閥にとってはそうではない。そしてそれは名家閥にとっても同様なので「悩んでないでさっさと打ち合わせ通りに動け」と張譲に話を振る袁隗。
この様子なら黙っていても張譲が片付けるだろうと言う思いもある。
「……そうですな」
そして、ここまではっきりと釘を刺されてしまっては張譲も今更「王允でも良い」等とは言えないので、袁隗の意見に同調するしかない。
「一刻も早く乱を鎮める必要があるってのは同感だが、それじゃそっちには何か腹案があるってのか?前みたいなのはゴメンだぞ」
そんな二人に対して「お前らが推した連中は失敗したから信用できねぇ」と言う特大の皮肉をぶつける何進。張譲も袁隗もこの態度や口調に激昴しかけるものの、まずは目標の達成が最優先であると判断し、内心で苦虫を数千匹噛み潰すことで何とか怒鳴り散らしたいと言う衝動を抑えることに成功する。
元々何進が皇甫嵩を推挙していたら皇甫嵩ごと何進を引き摺り下ろす予定だったのに。何進がそれを選ばなかったこともまた不満の種なのかもしれない。
それはそれとして。
「先の戦で抜群の功績を上げた皇甫嵩将軍こそ、官軍にとっての最高戦力でしょう?ならばここは最初から彼を出すべきですな」
「……左様。陛下も皇甫嵩殿の活躍を心待ちにしておられる」
「まぁ、否定はできねぇけどよ (良く言いやがるぜ)」
袁隗も張譲も『前の戦の実績』を前に出して皇甫嵩を推してくるのが、連中の裏を理解している何進にすればこの態度は滑稽でならない。とは言えそれで「はい、そうですね」等と言ってしまえばこちらの裏が疑われてしまう。
「いや、皇甫嵩が優秀なのは事実だが働かせすぎだ。ここは一度洛陽で休ませるべきだろうと思っている。とりあえず大将軍府で俺の補佐をさせるつもりだ」
「いやいや、優秀だからこそですな……」
「左様。彼は補佐等ではなく現場でこそ……」
もう功績は十分だから、じっくり取り込む。そのために時間が必要だと臭わせる何進に対し。当然それを阻みたい二人は反対意見を述べて、何とかして皇甫嵩を引き摺りだそうとする。
――――
宦官・名家・外戚。
澱みに澱みきった洛陽の中枢にあって、更に澱みきった泥沼の奥底で縄張り争いをする彼らの姿は、李儒から見たら狐と狸の化かし合いどころではない。在来種の鯰と外来種のブラックバスの生存戦争だ。
つまるところは生きるか死ぬか。両者の間に妥協の文字はない。
前話が長すぎました……
と言うわけで黄巾の大まかな戦後処理が終わった後の話。次の乱に突入準備中。
いや、本当はもっとグダグダですよ?宦官は宦官で権力争いが有りますし、名家は名家でグダグダですし、外戚も後宮の女達も次の皇太子の座を巡ってグダグダ。軍部だってそれぞれの派閥の人間が足を引っ張りあってます。
よくもまぁコレで国が崩壊しないもんだと感心するレベルですってお話。