35話。襄陽の戦い
初平2年(西暦191年)3月。
孫堅は韓胤を江陵にて出迎え、兵糧の負担についての確約を得るとすぐさま北上を開始した。
この孫堅の動きに対して韓胤は『自分が返事を持ってくるまで待ってくれ』と頼んでいたはずなのに……とやや憮然とした表情を見せたのだが、孫堅が用意した言い訳に言い負かされて、文句を口に出すことは出来なかった。
まさか『袁術殿のご気性と袁家の懐事情を考えれば、二万人程度の兵糧を吝嗇るとは思っていませんでしたからな。それがわかっているなら準備をするのは当然でしょう?ついでに言えば兵は神速を尊ぶモノですし、袁術殿とて私が即座に要請に応じた方が良いと思いましてな』等と言われてしまえば、袁家に仕える者としては何も言えなくなってしまうのは仕方の無いことだろう。
それを聞いていた孫策らは
「「「よくもまぁそんなことが言えたものだ」」」
と思ったものだが、実際に袁術が『ならば二万人の兵糧を用意するから出てこい!』と即断しているため、孫堅の判断に誤りは無かったと言うことを認めざるをえない。
ちなみに孫堅は昨年11月に韓胤が長沙を訪れた後、すぐさま兵を集め長江を渡り、江陵に兵を進駐させていた。
これに関して孫策らは兵糧が無駄になる可能性を危ぶんだのだが、上記のように袁家を知る孫堅には十分な勝算があったし、もしも袁術が『兵糧の負担はしない』と言ってきた場合でも普通に自前で兵糧を用意して動く予定だったので、どちらに転んでも問題はなかったりする。
そして今回の場合、予定通りに袁術に兵糧を用意させることに成功した為、軍を興す際に最も面倒な兵糧の問題は解消されているし、出向いた先で補給が受けられると言うことで、より素早い行動が可能になった。
そして孫堅は韓胤に対して『一度襄陽で補給させて欲しい』と伝え、承諾を貰っているので、片道分の兵糧だけを用意して北上すれば良いと言う状況まで作っている。
……なんというか普段の力押し一辺倒の孫堅らしからぬ行動に驚く一同だが、本人に言わせればこの程度は策でもなんでもないらしい。
そんな感じで清濁併せ持つ姿を配下に見せて評価を上げつつ北上した孫堅軍は、4月上旬に襄陽に到着し『後方を支える』と抜かして一向に前線に出ようともしない劉表から補給を受けることとなる。
連合軍を激震させた事件は、そこで起こった。
―――
同年4月。襄陽。
襄陽に到着した孫堅らを出迎えるために城門が開けられ、桟橋が下ろされると同時に孫堅軍は襄陽内に侵攻し、呆然とする劉表以下主だった諸将を捕らえ、襄陽の確保に成功した。
その流れたるや、ある意味で攻城戦の理想とも言えるものであった。なにせあまりの手際の良さに兵士たちが反抗する前に事が決してしまったほどだ。
この際、徹底抗戦を唱えた部隊長らは率先して殺され、一般の兵士らは武装解除を命じられて粛々と従うしか無かったと言う。
そもそも部隊長以上の人間は劉表やお偉いさんの関係者だったり、何かしらの恩があったりするのだが、一般の兵士たちは食うために兵士になったのだ。
そこに大義も名分も無い(有った方が兵士としても気が楽なのは確かである)。故に死んでまで劉表の為に尽くそうと言う兵士はほとんどおらず、部隊長や蔡瑁らと仲が良かった者たちも、最初に劉表らが捕らえられたことで、その反抗を封じられていた。
つまり、劉表が孫堅を出迎えるために城門の近くまで来ていた時点で、否、襄陽での補給を承諾した時点で彼らの負けは決していたと言うことだ。
そして今、襄陽の主要な箇所を制圧したと言う報告を受ける孫堅の前には、凄まじい形相で彼を睨む大男が首に縄を打たれ蔡瑁らの死体と共に転がされていた。
「孫堅!貴様、裏切ったな?!」
その大男、劉表は血を吐くような声で孫堅を糾弾するのだが……
「はて、劉表殿は何を言っているのやら。某が誰を裏切ったと仰るのですか?」
「なにを今更!」
激昂する劉表に対して、孫堅は白々しく肩を竦め、そして持論を展開する。
「そもそも某は帝に忠を尽くす者にございます。そして現状を鑑みれば、洛陽に弓引く劉表殿こそ、否。反董卓連合を名乗る連中こそが漢を裏切り、貶める罪人ではございませんか?」
故に自分は誰も裏切っていないと嘯く孫堅に対し、劉表は一瞬返す言葉を失ってしまう。
「そ、それは董卓が!!」
しかしここで何も言い返さなければ、自分が帝に叛旗を翻したと認めてしまうことにもなるので、なんとかして『自分は董卓の横暴を掣肘する為に立ち上がったのだ!』と言う自分自身も信じていない大義を掲げるも、状況はすでにそのような言い訳が通じる段階ではない。
「貴殿らが一方的に敵視している董卓殿を信任したのは陛下です。その決定に対して陛下に意見するというならまだしも、洛陽に兵を向けてしまっては逆賊の謗りは免れませんなぁ」
もしも今、漢に住む者たちに洛陽に仇なす不忠者は誰か?と聞かれれば、大多数の士大夫(名家を始めとした知識層)たちは「董卓だ!」と声を上げるし、その声を聞いた庶民もそう思うのかもしれない。しかし肝心の皇帝は連合軍こそ逆賊であるとはっきりと明言している。
皇帝一人に主権がある絶対君主制に於いて多数決に意味はない。そしてそれがあるからこそ朱儁や皇甫嵩らが率いる官軍は董卓に従うのだ。
「ぐぬぬ……」
ゆえに、ここで劉表が董卓が幼帝を操っているのだ!と言っても、その言葉に意味はない。
先代の霊帝や先々代の桓帝とて宦官に操られていたし、その前は外戚だ。彼らの共通点は『帝から信任を得ていたこと』と言っても良い。
ならば『彼らが良くて董卓が駄目!』と言うのは名家どもの我侭に過ぎないし、そもそもの問題として、基本的に董卓は政治的な問題には関わっていないという事実がある。
一応軍事行動は政治に関わる問題なので最低限の把握はするが、人事や政策等については、名家の官僚たちが推挙してきた人間に対して承諾をしたり、未だに帝からの信任を得られていない王允らが作った草案を帝に上奏しているだけ。
反董卓連合に参加している面々で言えば、袁家に仕えていた韓馥を冀州刺史に任じたり、劉岱を兗州刺史に任じたのも、董卓ではなく彼の権力の増大を恐れた王允や伍瓊・周毖・何顒と言った袁紹に近しい人間たちが画策したことなのだ。
それらを考えれば、董卓こそ袁紹らが政治的に好き勝手するために傀儡にされかけていたと言っても良い。これでは董卓が『帝を傀儡としている』と言うのには無理があるだろう。
「ま、今更何を囀ろうと貴殿が帝が逆賊と認定した連合に加担していると言う事実は変わりません。故に、帝の忠臣として某が貴殿を捕らえた。これに何か問題はありますかな?」
「くっ!」
董卓が関与していようがなんだろうが、帝の意思こそ尊重されるべきだ。と嘯く孫堅に対し、劉表は咄嗟に言葉を返す事が出来なかった。
(よし。このくらいで十分か)
「おい、劉表殿の口を塞げ」
「はっ!」
「な、何……ムグッ!」
これ以上会話を続ければボロが出そうだったので、孫堅は劉表との会話を打ち切り、口を塞ぐことにした。
そもそもこの会話は周囲にいる人間や文官たちに対して『裏切り者は劉表だ』と喧伝するためのものであって、劉表との討論の場ではない。
故に彼が言葉に詰まったところで言動を封じ、周囲に『大義は自分にある』と言うことを印象付けた時点で、この戦は孫堅の完勝であったと言えよう。
数分後、身動きがとれなくなった劉表を見下す孫堅に、横から声をかけて来る者がいた。
「……劉表様はどうなりますか」
「蒯越か。さて、どうしたものかな……」
それは文官の筆頭として劉表に仕えていた蒯越であった。
主君であった劉表を罪人とされた蒯越らは、これまではなんとかして劉表を助けようとしていたのだが、今の論争を聞いてしまっては、劉表を庇う事は自身も逆賊とされ処罰される可能性が高いことを理解していた。
古代中国的価値観に於いて最も忌むべき事とは、逆賊として死ぬことだ。それは自身の名声を汚すだけでなく今までの先祖の孝徳をも汚す行為であり、子孫にまで悪名を背負わせることになるからである。よって、家を残すことを第一と考える人種からすれば何としてでも避けなければならないことなのだ。
しかし、このままでは劉表が逆賊として処罰されてしまうかもしれない。
そうなればこれまでの劉表の行い等に対して献策をしてきた自分も無関係ではないし、短いながらも主君と仰いだ人間だ。
色々と思い悩んだ結果として、自身の誇りやら何やらを天秤に掛けた蒯越は、弁論で孫堅を言い負かすのではなく何か別の方法で劉表を救おうとしていた。
そのために『ここで劉表を殺す』と言われることだけは何としてでも防ぎたかったのだが、元々孫堅にそのつもりはない。
そんな思わせぶりな態度を取る孫堅を見て、まだ脈があると考えた蒯越は意を決し、己の意見を述べる。
「確かに都督殿が言われるように、劉表様は逆賊に味方しました。しかし同時に劉表様は皇族に準じる方でもありますし帝から任じられた刺史でもあります。故に罰するのは帝の認可を得てからにすべきではありませんか?」
これはつまり勝手な判断で劉表を殺したら大変なことになるぞ!と言う脅しであるが、決して間違ったことは言ってない。
絶対君主制に於いて絶対君主である皇帝とその身内の価値は、他の人間を遥かに凌駕する。さらに儒の教えも重なれば、劉表と言う人間の価値はある意味では袁紹よりも高いのだ。
そんな人間を帝の許可なく殺すのは不味いと言うのも事実である。
「ふむ……其の方の言にも一理ある」
「で、でしたら!」
「とは言え現状では陛下に弓引いた大罪人であることは変わらぬ……そうだな。では蒯越の意見を考慮し、まずは江夏にでも護送しようか」
「……江夏、ですか?」
孫堅の立場を鑑みれば襄陽に留まらせるのは危険だと言うのはわかる。しかし連合の人間に利用されないようにするなら江陵の方が良いはず。
それなのに敢えて江夏に送ろうとする?それも自分の意見を考慮した結果?その理由に見当がつかず、蒯越らは首を捻るも……
「何、陛下が劉表殿を許すというなら、逆賊討伐の先陣を申し出るべきだろう?南郡は私が抑えているし、南陽は袁術が居座っている。ならば残るは江夏しかないではないか。故に劉表殿には陛下のお言葉が有るまで江夏で兵を養ってもらいたいのだよ」
「……なるほど」
と、孫堅の思惑を説明されて一応の納得をすることになる。
ここで「もしも劉表様が陛下に従わなかったらどうするのですか?」と聞かれれば、孫堅は「逆賊として滅ぼすだけだな」と答える予定であった。
なにしろ、すでに劉表に味方していた蔡瑁の一族は討たれており、残る武官は江夏の黄祖くらいのものでしかない。さらに言えば江夏だけで賄える兵は五千に届くかどうかと言ったところでしかないのだ。
対する孫堅は今でさえ単独で二万の軍勢を用意できたのに、襄陽含めた南郡全てを掌握したならば、彼に用意出来る兵は今の倍では利かない数を集める事が出来ることとなる。
その上で蒯越や蒯良と言った文官を手放す気は無いので、劉表が孫堅と戦えるようになるには最低でも数年の時と袁術の支援が必要不可欠となるはずだ。
そして袁術が劉表の為に動くか?と言われれば……微妙としか言えない。
孫堅にしてみたら防衛戦で叩き潰した方が楽なので、是非袁術に挑戦して来て欲しいところなのだが、董卓や袁紹を敵視している彼がこの期に及んで孫堅まで敵に回すかどうかは不明である。
袁術の立場で言えば、完全に囲まれる前に、まずはどれかと手を組む可能性が高い。そして孫堅が南郡都督で満足するようなら、孫堅を懐柔する為に劉表を差し出す可能性すら有るのだ。
そんな未来の可能性はともかくとして、孫堅はここで劉表を生かしておくと言う決断をしたことで、蒯越ら生き延びた文官たちから一定の信用を得ることに成功することとなる。
しかめっ面で劉表の護送の段取りを組む孫堅は、襄陽を取ったことよりも、何よりも欲していた大量の文官を得たことを内心で喜んでいたと言う。
――――
「なんじゃと?!孫堅が襄陽を!」
襄陽落城。その報は当然のごとく南陽にも届けられ、居並ぶ諸将に衝撃を与えることとなった。
「はっ!」
「くそっアヤツめ!韓胤はどうしたっ今すぐ呼び出せ!」
孫堅を説得したのは彼である。故に責任を取らせようとしたのだが、それは不可能だ。なぜなら彼はすでに殺されているからだ。
「……襄陽の城門が開いたと同時に討ち取られたとのことです」
「おぉぉぉぉぉおのれおのれおのれおのれおのれぃ!!!」
己の手で韓胤を罰しようとした袁術が、すでに孫堅の手で殺されていると聞けば『人の家臣を勝手に殺しやがって!』と言う怒りが湧き上がる。
「たたたたたた大変です!」
「今度はなんじゃぁぁぁ!!」
このように襄陽での一連の流れの報告を受け激昂する袁術の下に、更なる急使が訪れ、彼らに更なる衝撃を与えることとなったのは、偶然か必然か……。
「牛輔が兵を退いたそうですッ!頴川の陣には捕虜となっていた者たちの死体しか残っていないとのこと!」
「「「な、ナンダッテーー?!」」」
こうして河内の袁紹よりも半月ほど早く董卓軍が撤退したと言う情報を得た袁術だが、いきなり連発した予想外の展開に思考が停止してしまい、決断を下す事ができなくなってしまう。
それに加え孫堅に対する警戒もあり、南陽に常駐していた連合軍はしばらく動くことが出来なかった。
結果として、袁術は洛陽へ一番乗りすると言う栄誉を逃がすこととなり、孫堅に対する憎しみをさらに深めることになったと言う。
反董卓連合の霊圧が……消えた?
そんなわけで襄陽の戦い。
南郡都督である孫堅には襄陽を治める権利もあるので、法律は彼の味方です。
文官をゲットしつつ董卓の味方アピールも成功させた孫堅=サン。マジ優秀
仕事量も増えますが、文官も増えるので、差し引きプラス……かなぁってお話。
―――
独断と偏見に満ちた人物紹介。
蒯越・蒯良:劉表が誇る二枚看板。特に蒯越は董卓にとっての李儒みたいな感じなので、作者は嫌いではない。光禄勲だし。
蔡瑁一族:演義の被害者。Gや諸葛亮のせいで散々な扱いを受けることになるが、軍人としてはそれなりに優秀であり、張允と共に曹操から水軍を任されている程であった。
黄祖:孫堅の死亡フラグ。拙作では江夏に赴任していたためここで死なずに済んだ。これからどうなることやら……









