34話。反董卓連合⑬
久々登場です。
4月・司隷河内郡。反董卓連合本陣
「なんだと?!」
酸棗方面の軍と合流し、十万近い兵を揃えて董卓の軍勢と対峙していた袁紹らの下に南陽方面から使者が訪れ、襄陽が孫堅の手に落ちたと言う報が届けられた。
「……そう来たか」
(酸棗方面の軍が徐栄によって散々に叩かれ、損耗してしまったが故に河内の袁紹と合流したのだが……これが正解だったかどうかは微妙なところだな)
「おのれぃ、あの田舎者がッ!袁家に受けた恩を仇で返すかッ!」
「これは許せることではありませんぞ袁紹殿!すぐに袁術殿に討伐の命を出しましょう!」
「待たれよ。そもそもあやつを呼び込んだのは袁術ですぞ。孫堅めは袁術からの密命を受けた可能性もあるのでは?」
「まさか!」
「……劉表殿は袁術よりも袁紹殿に近かったはず」
「いや、しかし」
「あやつと袁家との繋がりを考えれば、無い話では無い、か」
いつもの宴会の最中にもたらされた凶報に、真剣な顔をしながら的外れなことを討議する諸侯を見て、曹操は『こんなのが俺の同僚なのか……』と、内心で頭を抱えていた。
そもそも彼らは兵の数に胡座をかき、自分達から攻めることをせず、堅固な本陣に篭って宴会三昧をしていたわけなのだが、この宴会も本人たちは至って真剣に考えて動いているのだから質が悪い。
彼らの内心としては、袁術陣営が袁紹と董卓の共倒れを狙っていたように、袁紹陣営もまた袁術陣営と董卓の共倒れを狙っていたのだ。
故に彼らはただ宴会をしているのではなく、戦後を見据えた人脈作りをしながら『こちらで敵兵の大半を引き付けているうちに(実際涼・并州勢五万のうち、三万五千は河内に展開している)南から侵攻させる』と言う戦略的な策を遂行しているつもりなのである。
そのため、もしも孫堅が着陣し頴川にいる牛輔らを撃退した場合は『自分達が敵の本隊を抑えていたから勝てた』と言って武功を主張する気であった。
その上で袁紹は、疲弊した南陽の袁術軍を無傷の軍勢で叩き潰すと言う構想(妄想)も練っていたのだが、今回の孫堅の裏切り(袁紹ら連合にとっては裏切り行為)によってその策が土台ごと破壊された形となるので、袁紹以下の怒りは推して知るべしと言ったところだろうか。
……元々孫堅には袁紹を奉じる理由もなければ、袁紹らが有利になるように動く義理など無いのだが、儒に染まった名家どもや、それに担ぎ上げられている袁紹に世の常識を求めてはいけない。
「孫堅に捕らえられた劉表殿はどうなったのだ?」
……勝手に孫堅の動きを決めつけ、捕らぬ狸の皮算用をした挙げ句に向こうが予定とは違う行動をしたからといって「許せん!」と騒ぐ阿呆どもの相手などしていられるか。
騒ぐ諸侯を尻目に、曹操は少しでも情報を集めようとしていた。
なにしろ孫堅とは洛陽で何度も酒を酌み交わした仲だ。なので彼が董卓とも親しいことは知っている曹操としては『もしかしたら孫堅の行動は董卓の命令を受けてのことなのかも知れない』という思いがあるのだ。
もし劉表が洛陽へと送られたなら、それは董卓と孫堅が繋がっている証拠となるだろう。
しかし『董卓と孫堅の繋がりを確認したら直ぐにでも逃げよう』と考えていた曹操だったが、残念ながら孫堅と言う男は情報の重要性を理解している名将であるが故に、そう簡単に切り札(董卓との繋がり)を喧伝するような真似はしていなかった。
「はっ。孫堅は皇族に準じる立場の劉表様を討つことを躊躇い、劉表様を江夏へと追放致しました!」
「……ほう」
ここで縄を打って洛陽に送りつけたと言うなら話は簡単だったのだが……あくまで劉表を『皇族に準じる人間』として扱うことで、漢王朝に対しての配慮としてきたか。
さらに劉表は清流派からの評価も高かったから、文官を欲する立場である孫堅としては、生かして名声を得ることを選択したと言うことだろうか?
まぁ気持ちはわからんでもない。俺とて僅か数千の兵を率いるのに四苦八苦しているのだ。
南郡都督として荊州の大半を束ねる孫堅にしてみれば、優秀な、いや、普通でも良いから書類仕事が出来る人材を求めるのは当然だろうよ。
「袁術の阿呆が!奴には大義の何たるかも理解出来んのかッ」
つまり孫堅は、己の名声を高めて人材を確保する為に、あえて自分に恨みをもつであろう劉表を解放したと言うことだな。
孫堅の判断に一人納得して、ウンウンと頷く曹操に対し、現在進行形で帝に弓を引いている集団を代表する立場にある袁紹は声を荒げていた。
どうやら今回の件について、彼の中では『袁術が孫堅を使い、南陽方面の連合軍の中にいる袁紹派の人間を粛清した』と言う形で決着が着いたらしい。
生来の思い込みの激しさもあれば、社会を経験していないが故の世間知らずさもある。
さらに側近が袁紹の好みを理解している審配や逢紀と言った連中なので、袁紹に入る情報に対してフィルターを掛けてしまう。
結果として袁紹と言う男の視野は自分が中心となってしまうし、自分の目で物事を見ようにも、取り巻きの連中がそれを許さない。
取り巻きの連中から離れたとしても、本人にあらゆる経験が無いから、己の目で見たことすら理解出来ない。
よってその判断は、自分に都合の良いモノ以外は除外してしまう。
平時に洛陽の宮中か汝南の家の中に篭り、配下を使って家を盛り立てる当主としてならば有りかもしれない。
戦の際も、自身は居城で大戦略だけを練り、戦場でのことは全て配下に任せておけば良い結果になるかもしれない。
ある意味では皇帝のような在り方では有るが、地方に根を張る名家など、程度の違いは有れどもそれぞれが地元では王のように振る舞っているので、一概に『袁紹の教育を間違えた』と決めつけることは出来ない。
……袁術を当主とするつもりなら大問題だが。
しかしまぁ袁紹と言う男は、その血筋(コネと金)と性格(頭の悪さ)を見れば、御輿としては優秀なのである。
だからこそ連合軍に所属する諸侯は仲違いすることなく彼を担いだし、発足から一年を経過してもこうして連合が一つの集団として在るのは、袁紹の存在が有るからと言っても過言ではない。
無論、袁紹がいなければ、袁術はさっさと連合を脱していると言う意味も有る。
ただし、そもそも董卓が連合に『仕事』をさせる為に意図的に潰さないからだと言う意見は割愛させていただく。
そんなこんなで、袁紹と言う男は、連合が連合として在る為に必要不可欠な存在なのは確かだ。
しかし臨機応変が求められる戦場に居てはいけない存在でもあり、総大将として存在した場合は最悪のケースと言える。
基本的に彼は感情を抑えることが出来ないので挑発に弱いし、その性格から相手を侮ることが多い。
そして彼も彼の取り巻きも戦と言うものを知らないので、攻めるべきときに守り、守るべきときに攻めるような節がある。
つまり何が言いたいかと言うと……袁紹が自分で考えて、発案することは大抵ろくでもないことになると言うことだ。
「内部に裏切り者がいては勝てる戦も勝てん!兵を南陽に向けよ!先に袁術を討ち取るぞ!」
「「「はぁ?!」」」
……こんな風になる。
元々袁紹にとって最大の敵は董卓ではなく袁術であり、昔からその命を奪う機会を虎視眈々と狙って居たので、隙有らば袁術を賊に仕立て上げようとするのだ。
袁術の方でも袁紹が董卓と戦って消耗したら、そのまま潰す予定ではあるので、袁紹としては『先に潜在的な敵を討つ!』くらいの思いなのだろうが、やることは完全に同士討ちでしかない。
「待て待て、董卓軍を前にして仲間割れしてどうする」
取り巻きの一部を除き絶句している諸侯を代表し、曹操は朋友兼相談役として袁紹の暴走を諌めようとする。
普段なら『勝手にやってろ』と吐き捨てるところだが、さすがにそうも言ってられない。
「曹操っ!君は袁術を庇うのか?!」
「別にそんなつもりはないさ。俺も汝南袁家を継ぐべきなのは君だと思っている。それは俺だけじゃない。だからこそ酸棗の軍勢は南陽ではなく、こちらに合流したんだぞ?」
実際は誰が継いでも構わないし、南陽方面の人外の凄まじさは伝え聞いて居たので、彼に追い回されることを嫌っただけだが、結果として曹操は袁紹を頼ったことに違いはない。
「そ、そうか。なら……」
袁紹としても、曹操が袁術ではなく自分を選んでくれたことに対して思うところが有るのか、先程の殺意混じりの態度は鳴りを潜め、その雰囲気もかなり和らいでいた。
そこを見逃す程、曹操と言う男は甘くはない。
「だが、今の敵は董卓だ。我々は董卓の専横を誅する為に立ったと言うことを忘れてはいけない。なぁ袁紹。君の叔父上の仇は誰だ?」
「むっ……」
何進を殺した時には理不尽な叱責を受け、軟禁状態にされた (と思っている)袁紹だが、袁隗から受けた恩を忘れている訳ではない。
むしろ擦れ違って仲違いをしたまま二度と逢えなくなってしまった事を、深く後悔すらしていた。
「それに殺されたのは叔父上だけではあるまい?」
「むむっ……」
そして帝に取り入り、袁隗を殺したのは洛陽にいる董卓だ。そして董卓に殺されたのは袁隗だけではない。
前当主の袁逢を始めとした、洛陽に居た袁家の関係者全てが董卓によって処刑されたのだ。
袁紹とて、洛陽に残っていたらいつ殺されるかわからなかったからこそ、大将軍府の内部に居た友の配下が自分を逃がしてくれたと言う経緯もある。
「……確かにそうだ。私が先に殺すべきは董卓だ。まずは叔父上らの仇を取らねばならん!」
「「「(よくやったっ!)」」」
今まで引き立ててやった恩を仇で返された上に、自身に惨めな逃亡生活をさせた董卓への恨みを思いだし、袁紹は袁術討伐を思考の隅に追いやった。
恩人の仇だの何だのと、どこぞのゲームの主人公のような心境になっている袁紹だが、全ての元凶は自分の暴走であると言う自覚はない。
ちなみに周囲の諸侯は、袁紹の配下ではないので『袁家の家督争いに自分達を巻き込むな!』と言う思いしかなかった。
故に曹操が袁紹を説得したことに内心で拍手喝采していたとか。
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「た、大変ですッ!か、か、かゆ、かゆ、かゆうま……」
「「「落ち着け」」」
そんな擦れ違いをしている連合軍の下に、さらなる報がもたらされた。
「い、一大事なのです!華雄が、華雄がっ!」
「何?!華雄がどうしたッ!」
「「「華雄……ッ!!」」」
これまで兵の多さを利用して潰そうとして、何度も返り討ちに遇った連合の諸侯にとって、華雄と彼が率いる涼州勢は恐怖の対象である。
それは初陣同然の袁紹も同様であり、普段から偉ぶってはいても、その瞳からは戦に、いや、華雄に対する恐怖が見え隠れしていたのは河内に居る諸侯なら誰もが知るところである。
「そうか動いたか……」
対して曹操は慌てることなく、事実を淡々と受け止めようとしていた。
これは、すでに涼州勢が強いことを知っているし、戦っても寄せ集めの連合軍では勝つのは難しいと言うことも理解しているので『どうやって抵抗するか』と言うよりも『どうやってやり過ごすか』と言う風に思考をシフトさせていただけの話だ。
しかし諸侯は華雄の名を聞くだけで慌てる袁紹と、泰然自若としている曹操を比較してしまい『曹操こそ本当の反董卓連合の盟主なのだ』と言う評価を固めたと言う。
ちなみに、河内と酸棗の連合軍が合流したように、向こうも華雄と徐栄が合流している。
その為、河内では十万余の連合軍と三万強の董卓軍が向き合っている状況であった。
これは、野戦なら三倍を越える連合軍を突き崩すことが出来ると言う自信があった董卓軍だが、陣に篭って守りを固める軍勢に対して挑みかかる程無謀ではなかったと言うことだ。
そして連合軍には率先して前に出る気などなかったので、結果としてこれまで睨み合いをしていたのだが、何やら動きがあったらしい。
(ここで動くのは恐らく孫堅の動きが関係しているのだろうな)
此方も彼方も特に目立った動きが無い以上、華雄が動くとしたら此方を突き破る算段が立ったか、他の戦線に異常があった場合となる。
そして後者に該当する報が先程自分達の下に届いたばかりだ。
(ならば華雄の動きは攻めではないな。配置替えか?)
抵抗することよりもやり過ごすと言う、後ろ向きな考えを念頭に置いていたからこそ、曹操は諸侯に先駆けて事実に近いところに辿り着く事ができた。
だからこそ、駆け込んできた者が告げた言葉を聞いても、動揺を表に出さずに済んだのだが、それが良いことなのかどうかは誰にもわからない。
なにせ水を飲んで落ち着いた者からの報告は、通常では有り得ないことだったからだ。
「か、華雄が撤退しました!これまでに密かに物資などを移動させていたようで、既に敵陣は空ですッ!」
「「「な、なんだってーーー?!」」」
(え?撤退?配置替えじゃなく?何で?孫堅は何をした?董卓軍が目の前から消えたらこれからどうなる?不味いんじゃないか?)
誰もが驚き、己の目で敵陣を見ようと駆け出していくなかで、一人変わらずに地図を眺めていた曹操は、その落ち着き振りから更に評価を高めることになるのだが…………その目は白目を剥いていたと言う。
袁紹もなぁ。なんで態々河内で待機してるんだか……あ、王匡は当たり前に駆逐されております。
華雄は何故撤退したのか?孫堅は何をしたのか?気になる続きはwebで!ってお話。
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独断と偏見に満ちた人物紹介。
華雄:かゆう。華氏と言う一族なのか、それとも華雄が諱なのかすら不明な武将。鶏の首狩りマシーンを自称するお茶目さん。
演義では関羽によって殺られるが、史実では孫堅に殺られたらしい。
噛ませとして有名だが、殺られるまでに連合に与えた損害はすさまじく、将軍としては間違いなく優秀。
徐栄や呂布と言った有名人の影に隠れてしまったのが、彼の不運かもしれない。









