32話。反董卓連合⑪
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11月。長沙
「ふむ……」
「……こちらも無理を言っているのは理解しております」
南陽からの使者が来たと言うことで孫堅自身が応対したのだが、使者が述べた内容は『連合軍に参加してもらいたい』と言う内容のモノであった。
半年前にも同じ要請が来たのだが、その際は南部に巣食う蛮族の存在を理由に断っていた。これが決して口からでまかせの嘘では無いと言うのは、未だに孫堅が江陵ではなく長沙に拠点を置いていることでもわかるだろう。
つまり孫堅は現在も『漢の外敵と戦う』と言う、都督としての義務を果たしている最中であり、余剰の兵力など無い。
さらに言うなら、孫堅の下にも南陽方面に展開した軍勢が一敗地に塗れたと言う情報は伝わっていると思われる。そのため、わざわざ不利な状況の袁術の要請に応えることはないだろう。
今回、孫堅の下に使者を送った張勲はそう考えていた。故に彼は断られることを前提に使者を送り出したのだ。
しかし彼らの予想は大きく外れることになる。
「……よろしいですぞ」
「うぇ?本当に?!」
袁術の命を受け、孫堅に会う為に長沙までやってきた使者の韓胤は、孫堅の返事に驚きに目を見開くこととなった。
「いや、そこで驚かれましても……」
「あ、いや。し、失礼した!」
孫堅にしてみたら『なんとかお願いします!』と言われたのに対して『しかたねぇな』と返事をしたら『いいの?!』と本気で驚かれたようなものである。
わざわざ長江を越えて出陣要請に来て、一発で良い返事を貰ったのにこの有様では『何しに来たんだお前?』と言われても反論はできないだろう。
ここでもしも韓胤が『駄目と言われてもなんとしても食い下がる!』と言う気骨の持ち主であったなら違った反応も出来たかも知れない。しかし残念ながら韓胤にはそのような気骨はなく、むしろ『どうやって袁術様を納得させるか』を真剣に考えていたほど、今回の任務に対してやる気が無かった。
しかし、それも仕方のないことかもしれない。先述したことだが、孫堅は以前、南方の蛮族が跳梁し跋扈っていることを理由に袁術からの誘いを断っていると言う経緯があったのだ。
それから半年足らずで何かが変わるわけでもないだろうし、さらに南陽方面軍が不利な状況にあると言う情報を得ていると考えたなら、現時点での孫堅の参戦は常識で考えてあり得ないことと断言しても良い。(袁術の為に人柱になるとは考えていない)
もちろんこの程度のことは張勲も理解している。それなのになぜ孫堅に使者を出したのか?と問われれば、彼らは『高度な戦略的な判断である』と答えるだろう。
そう。彼らは自分達の戦術的勝利を諦め、南陽方面以外で戦況が動くまで、ひたすら時間を稼ぐことを選択したのだ。
その為の名目として選ばれたのが南郡都督・孫堅である。
つまり韓胤を孫堅の下に送ってきた張勲の狙いは『孫堅の説得に時間がかかっている』と言う名目で自分たちの出陣を避けることにあった。
ずいぶん後ろ向きな戦略的判断だが『勝てない敵と戦わない』と言うことと『袁紹と董卓の共倒れを狙う』と言う方向性自体は、袁術を担ぐ立場の人間が取る戦略として間違ってはいない。
そんな負け犬&三下思考はともかくとして。
ダメ元で使者として派遣されてきた韓胤は断られることを前提としており、これから袁術を誤魔化すことだけを考えていたので、完全に意表をつかれた形となった。
あまりにも予想外の状況に、内心で「何故だ?」と訝しむ彼に対し、孫堅は苦笑いしながら説明をする。
「我らとて洛陽を荒らす逆賊に対して思うところが無いわけではござらん。誅する機会が有るならばみすみす逃そうとは思いませんぞ」
「……なるほど」
これでも韓胤という男は汝南袁家が政務官として抱える人材であり、決して無能ではない。そのため彼はすぐに『あ、コイツ橋瑁の檄文を信じてやがる』と判断することができた。
こうなれば事情は大きく異なることになる。そこで無能ではない彼の頭で損得の勘定を行ったところ『孫堅が出陣すると言うのなら特に問題はない』と言う結論に至った。
と言うか、出陣することに問題があったら『何しに来たんだ?』と言う話になるのだが、わざわざここで計算しなくてはいけないあたりが無能ではなくとも三下が三下である所以と言える。
「で、では如何程の軍勢を出して頂けるのかな?」
軍勢を出すと言うなら、次はその規模だ。どうせ袁術に報告するなら良い報告をしたいと言うのもあるので、明確な数字を引き出したいと言ったところだろうか。
「……ふ~む」
ちなみにこの韓胤という男、南郡都督の孫堅に対しても微妙に上から目線であるが、韓胤は汝南袁家当主袁術の代理人であり、汝南袁家の家格は孫家より遥かに上なので、一応この態度でも儀礼上の問題はなかったりする。
ただ、当然のことながら受け取る側がどう思うかは別問題だ。
孫堅の立場で考えれば、使者の態度もそうだが、そもそも袁家を支えてきた実績がある袁隗や袁逢ならまだしも、袁術などただの名家の小倅としか思っていない。そんな奴に無条件に頭を下げるのは面白くないのも事実だ。
そこで孫堅は多少の嫌がらせをすることにした。
「兵糧次第ですな」
「兵糧……ですか?」
「うむ」
訝しむ韓胤に対して孫堅は敢えて仰々しく頷いて言葉を紡ぐ。
「使者殿も知っての通り、私は南郡都督とは名ばかりの田舎者でしかありません」
「そ……い、いや、そんなことは……」
いきなり自嘲を始めた孫堅に対して、反射的に「そうですね」と言いそうになる韓胤だが、なんとか堪えることに成功したようだ。
「世辞は結構です。実際に前回の要請を断った際に問題にしていた蛮族についても、未だに解決の糸口も立ってませんしね。故に現在の我らには、兵はともかく物資に余剰がないのです。だからこそ先ほども『機会があるなら』と申しました」
「……なるほど」
何がなるほどなのかは知らないが、孫堅の発する威に無意識下で飲まれていた韓胤は、孫堅の語る内容に違和感を感じることが出来なかった。
この辺は実際に兵を率いて戦った経験がない文官の欠点と言えよう。
それに全くの嘘でも無いと言うのも大きい。
なにせ孫堅が治めている土地は、南郡の江陵を別とすれば、長沙・桂楊・武陵・零陵であり、特に零陵あたりは交州と接しているため蛮族の動きが活発である。
付け加えるならこの地域は亜熱帯地域になり、その植生は密林に近い上、道もろくに整備されていない。そんな密林の中で蛮族と戦うのは、涼州で騎兵を相手にするのとは別の苦労がある。
そんな地域で都市開発を行い、領地を治め、税収を得るのがどれだけ難しいことか。政治家でも有る韓胤にとって、孫堅たちの苦労を察するのは難しい事ではなかった。
「では、もし兵糧を我々が全負担すると言った場合、最大でどれだけの兵を出すことが可能となりますかな?」
「(ほう)」
出陣してもらえることは分かった。後はその最大規模と最小規模を把握して、袁術に報告するのが韓胤の仕事である。その仕事を実直にこなす様子を見て、孫堅は彼の評価を一段上げる。
「そうですな。全てを負担して頂けるなら、二万までならなんとか出しましょう」
「二万ですと?!」
「えぇ。あくまでも兵糧の全てを負担して頂ければ……と言う話ですがね」
「……それだけの規模でしたら即答はできませぬな。一度袁術様に諮る必要があります」
予想以上の数字を聞かされた韓胤は、流石に己の手に余ると判断したようだ。この辺で空約束をしないのも文官としての能力の高さを表している。
「そうでしょうとも。使者殿にはお手数をお掛けして申し訳ないが、一度南陽にお戻りになって袁家の皆様と共にご検討をしていただきたい」
孫堅の立場で言えば、出陣すること自体が袁家の顔を立てる行為となるので、是でも否でもどちらでも構わない。これで彼らから『否』と言われたら内政に専念するだけだ。
「了解した。あぁ、準備については返事を持ってきてからにして貰ってもよろしいか?」
何の確約もないのに、勝手に『袁家が兵糧を準備すると思った』とか言って万単位の軍勢を用意され、それにかかった費用を請求されては堪ったものではないので、しっかりと釘を指す。
「無論です」
孫堅としても、どうしても戦に出たいわけではないし、準備はしたものの『費用は払わない』などと言われたら大損となるので、返事を待つことに異論はない。
選択肢は袁術にある。この時点で韓胤は外交的な勝利を収めたと言っても良いだろう。また、南陽への帰還と協議する期間や、さらにもう一度長沙へ赴いて出陣の準備をする期間など、もともとの目的であった時間稼ぎも果たすことが出来るのだ。まさしく完全勝利と言っても過言ではない。
それらの事情もあり、来るときは沈鬱な表情をしていた韓胤は、会談後は混じりっけのない笑顔で歓待を受け、満面の笑みを浮かべて袁術の下へと帰還することとなったと言う。
――――
「父上、あのような約束をしてよろしいのですか?」
韓胤が帰った後、残った書類を片付けている孫堅に対して孫策が疑問を差し挟んだ。
「特に問題はないだろう。それとも何か問題でもあるのか?」
その疑問に対する返答は、単純明快であった。しかし孫策からすれば疑問が晴れるどころか、さらに大きくなってしまう。
「問題と言いますか……私が見たところ父上は大将軍に対して同情的でした。むしろ袁紹や袁術を敵視していたように思えます」
「……何やら勘違いしているようだな」
ここで『主君たるもの感情で動くものではない!』と一喝すればこの話はそれで終わるのだが、孫堅は息子の勘違いに危うさを覚え、下手に韜晦することなく、孫策の目を真っ直ぐに見据えて、その勘違いを糺すことにした。
「勘違い。ですか?」
そう指摘された孫策は、自分が何を勘違いしたのか?と頭を捻るも、残念ながら何も浮かんでこなかった。
「理解できんか?」
「……はい。申し訳ございません」
「いや。少しずつ学んで行けば良い(一応『考える』と言う行動を取ったから及第点だな)」
息子に対して大甘な判定をする孫堅だが、今までの孫策の行動を見れば、これだけでもかなりの進歩であることは事実だ。この成長ぶりを見れば黄蓋などは泣いて喜ぶかも知れないのだから、普段の行いと周囲の苦労が偲ばれるところである。
そんな孫家の後継者事情はともかくとして。今回の会談についてだ。
「まず、我らは向こうに兵糧を出させることで、経費の削減が出来るな?」
「え、えぇ。そうですね」
二万の兵を派遣すると言うが、何もゼロから組織するわけではない。元々居る部隊を編成するだけなので、再編成に多少の手間暇は掛かるが、そのあとの維持費が丸々浮くことになるのは間違いなく美味しいことだった。
「次に俺もそうだが、配下の連中に不満が溜まっている。その解消も兼ねている」
「あぁ……」
孫策自身も日々の書類仕事でかなりストレスを溜め込んでいるので、これは良く分かる。今までの蛮族相手とは違い、普通の戦が出来ると思えば悪くは無いのかもしれない。
だが、そこが孫策の一番の懸念事項と重なる部分でもある。
「しかし董卓大将軍は……ッ!!!!」
父上の友人では?そう言いかけた孫策は、孫堅から発せられた威に言葉を遮られる。
「そして三つ目だ。なぁ策。俺は『洛陽を荒らす逆賊を誅する機会が有るなら、みすみす逃そうとは思わん』そう言ったのだぞ?」
そう言って獰猛な笑みを浮かべる孫堅を見て、彼はようやく父が放った言葉の真意と己の浅はかさを理解した。
初平2年(西暦191年)2月
南軍都督・孫文台。二万の軍を率いて出陣。
厭戦気分が漂い始めた中、反董卓連合に所属する諸侯が待ち望んでいた『変化』が訪れようとしていた。
今回のお話を一行で言うなら
孫堅。出るッ!
ってところでしょうか?
もう少しで反董卓連合が終わりそうな予感。
ようやく本番が始まる!ってお話。
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独断と偏見に満ちた人物紹介
韓胤:かんいん。袁術配下の政治家で外交官(だと思う)。一時は呂布との同盟を締結させたものの、呂布が陳桂に説得されたせいで破棄された。もしも同盟を結んでたら曹操もやばかったかもしれない。おのれ陳桂。
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