31話。反董卓連合⑩
そのころの洛陽の様子になります。
11月。洛陽・大将軍府。
日々書類仕事に追われる董卓の元に、遷都関連のゴタゴタや各地から戦況報告が加えられることで、執務室の中は地獄の様相を見せて……いなかった。
いや、相変わらず書類仕事は多いのだが、その内容は本格的に戦端が開かれ完全に戦時体制となったことで、大将軍府は純軍事的な内容に専念するようになった為、董卓や李粛と言った書類整理をする者らにとって理解しやすい内容のみの作業になり、幾分気持ちに余裕ができている。
なにせ今までは、洛陽の警備やら、名家の監視やら、陵墓の掘り起こしやら、掘り起こした物資の輸送の手続きやら、輸送中の護衛やら、保管場所の確保や警備の人員の配置やら、それぞれの担当者の調査やら何やらに加えて、通常の軍務まで行っていたのだ。
それらが董卓の手を離れ長安の丞相府によって行われることになったので、作業的には随分と楽になっていると言うわけだ。
……要するに、今まで元々大将軍府がやる仕事ではなかったものまで回されていたと言うことであるのだが、董卓は未だにそのことに気付いておらず、仕事が終わる時間が早まったことだけを見て「お?なんか楽になったぞ!」と喜び、笑みを浮かべていたと言う。
そんな肩の荷が軽くなって上機嫌な董卓の下に齎されたのが、先述した各地の戦況報告である。
「はぁ~……」
将軍として、この報告の重要性を理解している董卓は真っ先に内容を確認して、安堵と失望が同居したような溜息を吐いた。
「河内の華雄も酸棗の徐栄も、南陽の牛輔も『膠着状態を作り出すことに成功』……か」
普通に考えれば華雄は二万で八万を、徐栄は一万五千で五万を、牛輔も一万五千で七万の軍勢を抑えているのだから、不満はない。そう、普通に考えたら十分過ぎる程の成果だ。
「兵力差を考えれば十分。と、言いたいところですが、流石に南陽は無理がありませんか?」
しかし同じ報告書を見た荀攸が、牛輔が上げてきた書簡に不自然なところを見付けて指摘してくる。当然董卓もそのことは把握していた。
しかし、今の董卓には牛輔の気持ちが痛いほど良くわかるので、あえて見て見ぬ振りをしていたのだが、そこを突き込まれた形となってしまった。
「それはそうだな。しかし連中の気持ちもわからんではないからなぁ」
荀攸が触れなければそのまま流していたのだが、こうなってはそうもいかない。
書類仕事の彼の機嫌を損ねないように、なんとかして牛輔を庇おうとする董卓だが、その語調は非常に弱いものとなってしまう。
大前提として、牛輔率いる軍勢が袁術らの軍勢とぶつかり、一度の戦で数万の損害を与えたと言うことはこちらが送った軍監からも報告を受けているのだ。
故に彼らが送ってきた戦果に誇張がないのは確認している。
しかしここで問題なのは、それだけの大打撃を与えておきながら『南陽に籠る敵軍は尚も抵抗が激しく、現在は膠着状態となっている』と言うのはあまりにも白々しい嘘にしか聞こえないと言うことだ。
事実南陽にいる敵方の兵卒の中には『目を閉じると理性を失いながら襲いかかってくる呂布の叫び声を思い出して寝れなくなる者』や『馬の蹄の音を聞くだけで体を硬直させる者』等々、心を壊したものが多数おり、それらの存在が他の兵卒に対して恐怖が伝播し広まっているので、死傷者の数以上に深刻な被害を齎していると言う報告が上がってきている。
つまり向こうは抵抗などしていないし、膠着もしていないと言うことになる。
本来ならこれは虚偽報告に当たるのだろう。だが『指揮官として敵を警戒するのは当然の事である』と考えれば、この判断も決して間違いではないのでこれを罰するのは難しい。
まぁ洛陽の書類仕事がもっとアレだったならば、董卓とて有無を言わさず彼らを召喚するのだが、現在は多少の余裕が有る。(あくまで全盛期と比べてのことだが)
そのため董卓としても、今の洛陽を書類地獄と勘違いし『何が何でも戦場からは離れないぞ!』と言う意志を見せる配下に対して無理をさせようとも思っていなかった。
だがしかし、それはあくまで董卓の都合である。
「そうですか。しかし……酸棗で曹操を捕らえられなかったのは痛いですね。罰として徐栄殿を呼び戻しましょうか?」
「やめてやれ」
未だに大将軍府関連の書類仕事の大半を扱っている荀攸にすれば、多少楽になったと感じて一息吐いている董卓とは違って『多少』楽になったところで救いはない。
むしろ『多少楽になった今だからこそ、一気に面倒ごとを片付けるべきだ!』と言う思いがある。
そのため今の彼は『一人でも多くの書類仕事が出来る人間を集めたいし、洛陽で動ける将帥が欲しい』と言う気持ちが強かった。
なので、ここで牛輔か徐栄を洛陽に喚んでしまえ!……と思ったのだが、董卓によって阻まれてしまう。
普段準備や根回しに十分な時間を掛けることを善しとする荀攸が、このように突発的とも言える提案をするのには当然訳がある。
実は彼らは数ヵ月前から民草に対して『逆賊率いる20万の軍勢が洛陽に迫っている』と言う情報を伝え、その恐怖を煽り、少しずつ洛陽の民衆を長安へと移動させていたのだ。
そのため各部署ではどうしても手が足りず、文官たちは日々満足な睡眠も取れずに仕事を行っている。
ただ、この場合は「手が足りない」で済んでいるところが、どこぞの腹黒の下準備がどれだけ異常であったかを物語っていると言っても良いだろう。
今回の遷都に先立ち腹黒は、劉弁が弘農に移動した際『弘農の開発の為』と言っておよそ10万の民を弘農へ強制移住させた。ついで丞相である劉協を長安に避難させる際にも『長安周辺の開発の為』と言う名目で10万人を移動させていた。
この時点で20万人が移動を完了していることになる。
残った40万のうち5万は官軍に所属する軍人であり、その家族がおよそ20万ほど居た。そこで腹黒は『官軍が心置きなく戦えるように』と宣い、彼らを長安へと避難させることに成功する。
それに合わせて彼らの親族や関係者、また彼らを相手に商売をしていた者たちも長安へと移動したので、実は本格的な戦端が開かれるまでに、おおよそ6割~7割の民が洛陽からの避難を完了していたのだ。
こうなれば焦るのは残った者達だ。
彼らは奪われる立場に在るが故に暴力と言うものに敏感である。そんな彼らに大半の人間が洛陽を離れた後で『20万もの逆賊が洛陽に迫っている』等と言う情報を流せば「自分も避難したい!」となるのは当然の話であった。
なにせ名家の連中が謡うように「強気で構えていれば良い!」と言うのが事実であるのなら、幼い丞相を避難させることも無いだろうし、兵士の親族を集団疎開などさせるはずがないのだから。
さらに皇帝である劉弁が洛陽から姿を消しているのが大きい。
彼の場合は連合発足前から不在なのだが、一般市民にはその前後関係などわからないし『袁紹らが挙兵することを知ってたから避難したんだ』と言われてしまえば、多少のズレなど意味を成さなくなる。
よって、現在。残った20万の民は自ら希望する形で洛陽から離れるための手続きを行い、徐々にその移動が始まっている状況である。
本来ならここからが面倒なところなのだが、今回はその手間はかなり薄れている。
それもこれも、どこぞの腹黒が『このうちの10万を弘農で引き受ける』と言う宣言を出したからだ。
結果として長安では残る10万の民を受け入れるだけで済む形となっており、その彼らに対しては三輔地域に分散して農耕や治水。砦造り等の仕事を与える予定となっている。
これで洛陽に住む大凡60万の民の移動に目処が立った。
残りは避難を希望せず、洛陽に留まると選んだ連中だ。
名家や宦官連中についてはともかく、それ以外で洛陽に残った彼らがどうなるかは……連合軍の判断に任されることであろう。
そもそもこの避難は『希望制』なので、残った彼らに関しては董卓も荀攸も関与するつもりはない。
そんなわけで、一番面倒な住民の説得や受け入れ先の承諾、さらに移動先での就職先の手配などは全て終えているので、あとは粛々と移動をさせれば良いだけの状態となっている。
……ここまでの流れを見た諸兄はわかるかもしれないが、実は腹黒は一般人に対して『遷都』と言う言葉を一切聞かせていない。
そのため、彼らは『自分たちが行っているのはあくまで緊急避難である』と思っている。
そこで今後の予定としては、彼らが避難先で数ヵ月過ごした後。具体的には簡易だが己の家を持ち、それなりに足場を築いたところで、逆賊に洛陽を荒らされた皇帝が『長安に遷都する』と言う宣言を出す予定なのだ。
この段階になってしまえば、反対しようにも「なら逆賊に荒らされて何もない洛陽に戻るのか?」と言われてしまうだろう。それは生活に余裕のない一般人にはどう頑張っても出来ない選択となる。
これは通常の遷都ではなく、緊急避難を利用してなし崩し的に遷都を終わらせると言う手法であり、普通なら絶対に行えない。それどころか思いつきもしない。まさしく外道と呼ばれる人間に相応しい荒技であると言えよう。
そして残った名家や宦官閥の生き残りに対して、遷都に関する情報を与えているのも彼が『腹黒』と評される所以だ。
汝南袁家然り頴川荀家然り、基本的に名家と言うのはそれぞれの土地の名士で有るが故に、土地に縛られる。
つまり洛陽で名家として名を上げた家の人間にとって、長安への遷都と言うのはただの移動ではない。洛陽で積み重ねてきた全てを捨てると言う行為だ。
しかも一般市民とは違い、戦は董卓陣営が有利であることも知っているし、もし董卓が負けたとしても、名家を束ねる立場である袁紹が率いる連合軍に処罰されることはない。
つまり立場上どちらに転んでも安全と言う状況にある彼らは、洛陽から離れる必要が無いと言うことになる。
それらの事情も有り、洛陽に残る予定のわずかな民とは別に洛陽に残ろうとするものも居る。荀攸はその処理を徐栄に任せようとしたのだが、それを董卓が押し留めたのだ。
「では。徐栄殿を呼び戻さぬと?」
「あぁ。徐栄は甘いところがある。なのでここはそう言った甘さがない李傕と郭汜にやらせよう」
据わった目で自分を凝視する荀攸に内心怯えながら、董卓は徐栄を呼び出すのではなく、別の配下にさせようと提案する。
これには洛陽に呼び出された徐栄がヤケクソになる可能性も考慮して、配慮をしてやったと言うのも有る。しかしそれ以上に、今回の作業に対して適任者を割り当てると言う気持ちが強い。
「あの二人ですか……」
そうつぶやいた荀攸が、一瞬眉を顰めたのを董卓は見逃さなかった。
なにせ荀攸から見て李傕と郭汜と言う二人組は、自身が想像していた蛮族そのものである。あらゆる意味で『お上品』な人間である荀攸とは反りが合うわけがない。
故に荀攸も使うことに抵抗があるようなのだが、だからこそ彼らが適任であると董卓は確信している。
「今はあやつ等の荒々しさが必要なときであろう?」
「……承知しました」
荀攸もそれはわかっている。これ以上は自分の感情に過ぎないと判断した荀攸は、二人の起用に反論することなく、董卓の決断を承認した。
――――
「時期は……年明けだな」
「ですな。連中にもせめて正月くらいは迎えさせてやりましょう」
それは荀攸なりの慈悲なのか、それとも名家としての拘りなのか。
彼が内心でどのようなことを考えたのかはわからない。ただわかるのは、これが洛陽に殺戮の炎が吹き荒れることが確定した瞬間であったと言うことだけであった。
腹黒外道、弘農で遊んでいるわけではなかったもよう。
かなりのご都合主義ですが、史実であるように二ヶ月で洛陽から長安に遷都するよりは現実的だと思っていただければ幸いです。
地獄の4丁目を知ったので、1丁目が軽くなる感じですな。
曹操が居れば董卓や荀攸も定時で帰れる程度に仕事は減ってます。
……社畜の道は険しく遠いってお話。
―――
なぜか頭に浮かんだ次回予告。
19×年!洛陽は蛮族が放つ炎に包まれた!
家は焼け、血が流れ、あらゆる人間が絶滅したかに見えた。
だぁ~がぁ~…………董卓軍は絶滅していなかったッ!!
無法の荒野と化した中華の大陸に救世主は現れるのか?
世紀末救世主伝説・第一話、神か悪魔か、洛陽に現れた最強の漢ッ!
?『腹黒外道だけが笑っている。こんな時代が気にいらねえ!!』
?『……お前はもう、死んでいる』
(作者、迷走中)









