29話。反董卓連合⑧
久し振りに主人公登場ッ!
初平元年(西暦190年)10月。
「……むむむ」
連合軍の拠点の一つである酸棗に於いて、各地の情報を集めつつ、戦況の把握や軍の維持などを行いながら着実に実務経験を積んでいた曹操は、最近の洛陽の動きに頭を悩ませていた。
「河内や南陽もか?」
「はっ。どうやらそのようです」
その悩みの種とは、いままで積極的に動くことがなかった董卓軍の動きが活発化したと同時に、洛陽で情報規制が行われていることだ。
しかもそれは酸棗だけではなく、袁紹の居る河内や、袁術が居る南陽も同様だと言う。
予定では『暫くは滞陣して、膿を出し切ると同時に、名家の財を浪費させる』はずだったのが、ここに来ていきなりの方針変換だ。
一軍……どころか、一部隊の将に過ぎない曹操としては、下手に董卓の軍勢とぶつかって少ない戦力を消耗させたくは無いので、何としても安全な場所に居たいと言う思いが有る。
しかし、洛陽からの連絡が無くなった今、その『安全な場所』が分からなくなってしまった。行動の一つ一つが自分たちの死に繋がると言うことを自覚している彼にしてみたら、今の状況は綱渡り状態どころではない。
「……どう見る?」
かといって何かしらの行動を起こす為には、判断材料となる情報が必要だ。曹操は洛陽に居る宦官閥の連中から(大将軍府が意図的に流した)情報を得ていた。しかしそれが使えなくなった以上、別の情報源が必要となる。
その為、幕僚であり、荀攸を始めとした洛陽の名家閥との繋がりがある陳宮に『何か知っているか?』と尋ねたのだが、答えは芳しくは無い。
「某にもなんの連絡も有りません。洛陽、もしくは長安で何事かが出来したと考えるべきでしょうな」
「『何事か』なぁ」
洒落や諧謔は好むが曖昧な物言いを嫌う曹操にとって、陳宮の意見は面白いものではない。しかし陳宮とて好きでこのような曖昧な報告をしている訳ではないと言うのはわかっているので、特に不満を覚えたりはしていなかった。
これまで董卓は彼にとっての獅子身中の虫を炙り出す為か、連合を混乱させる為かは知らないが、洛陽から脱出する人間に対して規制を行ったり咎め立て等をすることはなく、むしろ様々な情報を放出していたのだ。
それが数ヶ月前にいきなり『許可なく外に出ることは許さない。出ようとする者は全て間者』と言わんばかりに規制を強化し、外に出ようとする者を捕縛や殺害するようになってしまった。
これでは諸侯が洛陽に持つ伝手を使うことが出来ないし、騎兵を中心とした涼州勢に「怪しい者は殺す」と言わんばかりの徹底した防諜体制を敷かれてしまえば、洛陽を脱した間者が生きて戻ることは不可能になる。
結果として今の連合軍は洛陽の情報が一切入ってこないと言う状況となっていた。
「まずいな」
「えぇ。非常にまずいです」
洛陽で何があったかは知らないが、ここまで強引に間者の動きを封じると言うことから推察するに、すでに向こうは身中の虫の炙り出しが終わったと見ても良いだろう。
そしてそれは、元々用意されていた策が次の段階に移ったと言いかえることができる。
それは良いのだ。確かにこのままいつまでも軍勢を展開させていれば、袁家を始めとした名家の連中の財を削ることが出来るだろう。しかし連中は「減ったなら絞りとるだけだ」と言わんばかりに民から搾取することで、減った財を補充しようとするはずだ。
搾取の結果として、漢と言う国が持つ潜在能力とも言うべきモノが失われてしまい、どちらが勝っても国家の再建には多大な労力が必要になってしまう。
だからこそ、ここで策を次の段階に進めて事態の打開を図るのは、国家運営の観点からも間違ってはいない。
ただ問題になるのが、曹操も陳宮も『次の段階』に何をするかと言うことは聞かされていないと言うことだ。
普通に考えれば『用無し』となった名家らと一緒に廃棄処分扱いと見るべきなのだろうが、直前まで齎されていた情報や、董卓の性格を考えると自分がそのような扱いになるとは考えづらい。
そもそも董卓が本気で動くなら、洛陽を官軍に任せ、涼・并州の精鋭部隊を南陽や酸棗に差し向けて各個撃破すれば良いだけの話でしかないのだ。
反董卓連合と言えば聞こえが良いが、集まった集団は正しく烏合の衆であり、曹操から見てもこの連合軍は非常に脆い。
この現状を簡単に言い表すなら下記のようになる。
盟主に絶対的な指揮権が無い。
盟主に大軍を率いるだけの経験や能力が無い。
連合参加者に大軍を効率的に運用出来る者が居ない。
まともな経験をもつ将軍が居ない。
其々の指揮官が積極的に動く気が無い。
盟主と副盟主が本気でいがみ合っている。
一つの集団ではなく、複数の集団として半独立状態。
補給・情報の伝達が出来ていない。
其々の兵士の装備や練度・士気が違う。
等々。連合を組む際にやってはいけない事をコレでもかと言うほど実践しているのが、この反董卓連合の実情だ。
ちなみに連合の配置図を見たどこぞの腹黒には『これなんてア〇ターテ会戦?』と、心の中でツッコミを入れられ、弟子に対しても『大軍の無駄遣い。連合軍の悪い例』として教材としたほど、理想的な反面教師扱いをされている有様であった。
そんな事情が有るので、もしも連合を用済み扱いするのなら『董卓軍が活性化する程度』では済まないと言うのが曹操の見立てで有り、陳宮もまたその意見に同意する。
「洛陽は、河内の袁紹殿の下には華雄を中心とした涼州勢、およそ二万。南陽の袁術殿の下には牛輔を総大将にして呂布を中心とした并州勢の一万五千を向かわせ、ここ酸棗には徐栄が率いる一万五千を派遣してきております。本来ただでさえ少ない兵を分けると言うのは兵法上の悪手なのですが……」
ここで言い澱むのは、今まで学んできた兵法は所詮机上の理論でしか無かった事を痛感したからだろうか。
「うむ。兵法上は間違いなく悪手だ。しかし軍勢が騎兵だけの軍勢で、さらにその速度を最大限活かすことを考えれば、あのくらいが最適なのだろうな」
曹操も己の常識を完全に破壊され、机上の理論よりも実際に起こっている事実を認めざるを得ないと言う状況だ。
まず河内。袁紹が居る河内には8万もの兵が居たのだが、華雄が率いる2万の軍勢に手も足も出ずに蹂躙され、今では陣を固めて迎撃すると言う方針で一致したと言う。
次いで南陽。向こうには7万の兵が居たのだが……牛輔の指揮はともかくとして、呂布が酷かった。
「もう嫌だぁ!!」だの「お前らが!オマエラガァァァ!!」と言いながら襲い来る彼を妨げることが出来る者はおらず、彼一人の突撃によって開けられた穴を張遼らが広げる形で蹂躙。
一度の戦で万を超える死傷者を出したらしい。
そしてここでは徐栄が、
「曹操だ!曹操を捕らえて洛陽へ送れ!絶対に殺すなよッ!」
と配下に指示を出しており、曹操の軍勢が重点的に狙われ、兵の半数以上を賄ってくれた衛茲は戦死。彼の上司である鮑信や張邈の軍勢も蹴散らされ、5万の軍勢の内から2万近い死傷者を出すと言う甚大な被害が発生してしまう。
このことで、曹操は連合内部に於いて「彼は董卓に徹底的に恨まれている」と言う風評が生まれ『董卓の暗殺に失敗して逃げ出した』と言う設定が真実味を増し、真剣に董卓を敵視している者たちから『曹操こそ反董卓連合の盟主である』と言うような扱いを受けつつあった。
そんな連合内部の評価はさておくとして。
「はっ。あの突撃と騎射を見れば、我々が率いる騎兵は騎兵ではありません。……歴戦と言う言葉は軽く無いと実感致しました」
一言で言うなら経験。向こうは兵士の一人一人が己の為すべきことを理解した軍勢であり、そしてその兵を率いる指揮官も、兵法書を読んでいるだけでは絶対に得られないモノを習得しているのだ。
兵も将も強いなら、その軍勢が弱いはずもない。
陳宮は会戦前に心のどこかで相手を「まともな兵法も理解していない蛮族」と下に見ていたことを自覚し、素直に己の慢心を認めて恥じ入っていたが、曹操の関心はそこにはなかった。
「確かにそうだ。私も学んだよ。しかし今の問題は何故連中が私を求めるのか?と言うことだな」
これが『殺せ』と言うならまぁ分かる。董卓だって己の暗殺が狂言だ等と配下に伝えることはしないだろう。しかし『殺さずに捕えろ』と言うのが分からない。
周囲の人間は『生かしたまま捕えて拷問をする為』と勘違いしているのだが、暗殺が狂言で有る以上、董卓が曹操を拷問する理由は無い。
何か話したいことがあるのか?と思いたいところだが、それなら使者を出せば良いだけだ。
間者は洛陽から出ることが出来ないだろうが、今なら徐栄の率いる軍勢に使者を紛れ込ませておけば接触は可能なので、それをしないのはおかしい。
結局のところ、現状では向こうの動きがちぐはぐすぎて、どう動くのが正解なのか分からないのだ。
「……陳宮、君は李儒と言う男を知っているか?」
「……噂だけなら」
「それでも構わん。その『噂の中の彼』なら何を企てるか考えて欲しい」
敵の狙いが分からないなら予想するしかない。そして予想する為には策を立てたであろう人間を知らねばならない。
曹操は今回董卓を大将軍にしたのは李儒だと知っているし、董卓が大将軍となった後にこうなることも理解していたのを知っている。
つまりこの状況を作り上げた張本人を知っているということだ。しかしその曹操にして、彼と言う人間が何を考えて動いているのかが全く分からない。
だから違う角度から切り込んでみる必要性を感じて陳宮の意見を聞いてみたのだが……
「う~む。噂で聞く彼の人となりを考えれば……曹操殿を捕らえ、洛陽で書類仕事をさせるつもり……でしょうか?」
「いや、さすがにそれは……」
陳宮が聞いた噂は「兎にも角にも書類仕事をさせる人間」であると言うことだった。
自身も役人として働き、こうして兵を率いる身になれば分かることだが、書類仕事と言うのは非常に重要なのは確かである。
平時の補給任務でさえ『言った言わない』だの『忖度』だの『申請した物と違う』だのといった問題は多々発生する。
その時は面倒かも知れないが、後々発生する可能性が有るそれらを防止するために書簡を残すと考えれば、実に有用な方針だし、書簡と言う形で残って居れば引き継ぎも楽に終わるのだ。
機能的な事務仕事を行う為に最善の行動を取りつつ、怠慢や賄賂を許さず無慈悲に働かせる『文官にとっての死神』と言うのが、噂を聞いた陳宮の評価である。
その死神が裏で糸を引いていて、曹操の身柄を狙う理由は何か?と問われたなら『書類仕事じゃないですか?』と思うのも無理は無いだろう。
とは言っても陳宮も「噂を元に考えたらそう言う意見が出て来ただけ」であって本気でそう考えたわけでは無い。曹操の気分転換の為の諧謔のようなものだ。
「普通に考えれば拷問・尋問以外で敵を捕らえる理由はござらん。しかしその可能性が無いと言うのならば、それ以外の要因を考える必要があります。その為には……」
「そうだな。結局は洛陽の状況を知らねば話にならん。……いっそ徐栄に捕えられてみるか?」
策士として敵を知ることは最優先で行うべき事柄だ。よって向こうが自身を殺す気が無いなら乗り込んで情報収集と洒落込むか?と言った感じで軽口を叩く曹操だが、言われた方としては軽々に賛同できる内容では無い。
「配下の皆様が路頭に迷うことになりますが?」
「……諧謔だ。すまんな」
「いえ、気持ちは分かります」
言うまでもないことだが、敵の狙いが分からないと言うのは兵を率いる将帥にとって多大なストレスとなる。
もしこれが袁紹のように、己の価値観に沿って相手の行動を決めつけて動くタイプなら良い。しかし曹操や陳宮と言った策士にとっては、このストレスが時に寿命を縮めるくらいに厄介なモノになるときがあるのも事実だ。
なので陳宮にも曹操が「もういいよね?」と全てを投げ出したくなる気持ちも分からないではない。しかし今の曹操は小なりとはいえ、一つの勢力の長。それが軽々しく身を捨てられては困る。
後日、この陳宮の苦言が結果的に『自ら阿鼻叫喚地獄に向かおうとしていたところを救ってくれた』ことを知った曹操は、陳宮に深い恩義を感じることになったと言う。
え、前書き詐欺?ハハッ。ちゃんと主人公(の名前)登場したでしょ?
連合軍が河内・南陽・酸棗等に分散していたのは史実でもそうですね。これは地理的な要因もありますが内部の派閥の問題も影響していたようです。よって袁紹と袁術が仲違いしている拙作でも分散してるんですね。
拙作の董卓=サンが本気で勝利を狙うなら、まずは真ん中の酸棗を潰し、次いで南陽。最後に河内を攻めることで各個撃破が理想的となります。
相手を上回る機動力や、それぞれの部隊を撃破出来る精強さ、更に洛陽内部(官軍)に不穏分子が居ない等、いくつか条件が必要になりますが、拙作では全部満たしてますので不可能では有りません。
一体何故曹操は彼らに狙われたんだぁ?(棒)
実は前に曹操を助けた「とある県令」は陳宮だったんだーッ!ってお話。
作者的には李儒君が居なければ陳宮を主人公にしたいと思っていましたが、どうしても蒼天の印象が有るので遠慮しております。