26話。反董卓連合⑤
曹操の大冒険が、いま始まるッ!
初平元年(西暦190年)7月。
なんやかんや有ったが、曹操は無事に兵を集め、反董卓連合へと参加することとなった。
さて、それでは多少ではあるが、ここで董卓の暗殺に失敗したことになっている曹操が洛陽から逃げ出したときの話をしよう。
例の会談の後、正式に大将軍暗殺未遂容疑で指名手配された曹操は、自身の似顔絵付きの手配書を見て大将軍府の思わぬ本気ぶりを知り「うぇ?!」となったものの、なんとか洛陽を逃げ出した。
しかしそこで油断したのか、司隷と兗州の境目である中牟県で捕らえられてしまう。
牢獄に入れられた彼は「このまま洛陽に連れ戻され、董卓の前に引き摺り出されたら彼はどんな反応をするのだろうか?」と半ばヤケになっていたのだが、荀攸から事情を聞かされていた『とある県令』によって牢から解放され、無事に司隷を脱したと言う。
そしてその県令と共に兗州は陳留に到着した後、豪商呂伯奢と面会。董卓から預けられた手形を使って彼の支援を取り付けることに成功。
その際、県令の紹介で張邈の配下の衛茲と言う男と会うことになった曹操は彼と意気投合し、彼に呂伯奢を通じて資金を渡して兵を募ることを要請し、陳留を発った。
それから色々とあって、無事に故郷の豫洲沛国に戻ることに成功した曹操は、先発していた使者からあらかじめ話を聞かされていた曹嵩が用意していた金を使い、自前で2千の兵を用意した。
この際、親族であった夏侯淵・夏侯惇・曹洪・曹仁・曹純らを正式な配下とし、一つの勢力を作り上げる。これが魏武の第一歩である。
ちなみに曹操という男に惚れ込んだ衛茲は、呂伯奢からの資金援助だけでなく己の家財を売ったりしてなんとか3千の兵を集め、曹操と合流。これで曹操の軍勢は5千となった。
その後、袁紹に使者を出して正式に反董卓連合に加わることになった曹操を待っていたのは、連合の盟主・袁紹の相談役と言う実質的なナンバー2への任命と言う大抜擢であった。
これにより彼は、なんの実績もないにも関わらず(諸侯の中に実績のある者など居ないので、衛茲やその上司である張邈の名が効いたと言うのもあるだろう)連合に参加した直後にコネだけで袁紹派閥における実質的なナンバー2になってしまうという珍事に見舞われることになる。
この洛陽脱出から連合のナンバー2に至るまでの怒涛の展開には、さすがの曹操も苦笑いを禁じえず、彼から報告を受けた董卓もまた「お疲れさん」としか言えなかったと言う。
このような曹操の珍道中などがあったものの、全体として順調に膨張を重ねた彼ら反董卓連合は、最終的に総勢20万ともいわれる大軍を用意することに成功していた。
そして空前絶後 (?)の大軍勢を集めることに成功した袁紹ら諸将が『これだけの大軍が集まれば董卓もひとたまりもあるまい!』と宣い、戦う前から戦勝の宴を開いている間、標的とされている董卓は巷で噂されるように傍若無人に遊興に耽っていたわけではなかった。
董卓は4月の段階で并州の軍勢を掌握すると共に、涼州から軍を呼び寄せて自身の軍の補強を行っていたし、万が一の可能性を配慮して丞相である劉協を長安に避難させた際、彼から正式に官軍の指揮権を委譲されたことに伴う官軍の再編成なども行っている。
結果として反董卓連合と向き合う董卓の軍勢は、官軍5万と涼・并州勢5万を合わせ10万の軍勢となっていた。
ちなみに官軍の数が少ないのは、未だ続く張純の乱に数万の軍勢が当てられていることや、怪しい動きをしそうな益州の劉焉等の動きに即応するために、劉協が避難している長安に皇甫嵩や張温と言った将軍と官軍の一部を回したからである。
それらの編成をしながら、何故か各地に分散している連合軍に対して、彼らを合流させないようにするために徐栄・牛輔・胡軫・華雄と言った歴戦の諸将を各地に派遣し、連合軍に参加した諸侯と一進一退の小競り合いをさせているのが現状だ。
この上で洛陽にいる董卓の仕事は何か?と言うと、全戦域の状況の確認や、それぞれの部隊の装備や兵糧などの物資の補給。人員配備や指揮系統の調整が彼の担当する仕事であった。
つまるところ、膨大な作業に比例した書類が待ち受ける執務室こそが彼の戦場であり、義息子となった呂布もまた、并州運営の実績を買われてこの戦場に強制的に連行されていたと言う。
荀攸?彼を始めとした文官たちは『自分たちは騎兵を使った戦を知りませんので……』と言って、官軍を中心とした書類仕事に従事している。
……その戦場は、処理しても処理しても処理しても処理しても無限に仕事という名の敵が湧き出てくる、紛れもない地獄だった。
際限なく溜まる書類とストレスに誰もが「もう嫌だ!」と筆を投げ出し、弓を手に取り馬を駆って戦場に行きたくなるが、自分の仕事を疎かにした瞬間に部下たちが飢えて死ぬことになるのだから、逃げることはおろか手を抜くことすら不可能と言う、まさしく無限の地獄。
つまり猛将として曹操を畏怖させた漢は、膨大な量の書類を相手に日々激戦を繰り広げていたのだ!
寝ても覚めても文字と数字に襲われ、眠る為に酒を飲めば翌日の仕事が滞り、書類が積み重なるという悪循環。常に胃と頭を痛めながら戦場を夢見て書類と戦う日々。
いろんな意味で末期症状になりつつあった大将軍に止めを刺すべく、どこぞの腹黒から使者と言う名の刺客が送り込まれてきたのは、大将軍府に曹操からの悲鳴が書かれた書簡が届いてから数日後のことであったと言う。
――――
洛陽・大将軍府執務室
「お久しぶりです閣下。ご健勝……ではありませんな」
古代中国的価値観からすれば5年以内なら最近と言っても良いので、2月の末に帝と共に洛陽を去った使者と董卓の再会が久しいと言えるかどうかは微妙なところである。
ただ、彼が数か月振りに顔を合わせることになった董卓は、明らかに洒落にならないレベルで疲弊していた。
なんというか、良くも悪くも『むせる程の戦塵を身に纏い、威風堂々という雰囲気まで感じさせる程であったはずの歴戦の将軍』だった董卓が、少し見なかったうちに、頬は痩せこけているのに眼光が異様に鋭いという『まるで徹夜明けの文官』のような雰囲気を醸し出していたのだ。
そんなある意味で変わり果てた大将軍を見て、使者として送られてきた男は流石に社交辞令でも『健勝』だの『お元気そう』だのと言った言葉を告げることは出来ず、素直な感想を述べる事になってしまう。
「あぁ……淳于将軍も大変そうで何よりだ」
「ハハッ……」
そんな使者、淳于瓊からのある意味不敬極まりない挨拶を受けても、今の董卓は怒る気にはなれなかった。
と言うか久し振りに見た淳于瓊は、眼精疲労と肩凝りで死にそうになっている董卓をして心配せしめるレベルで疲弊しているのだ。故にその姿を見た董卓は『苦労しているのは自分だけではない』と言う謎のシンパシーを抱くに至り、怒るより先に憐れみが来てしまったのだ。
淳于瓊の態度は一将軍が大将軍に取る態度では無いが、董卓は董卓で太傅からの使者に対する態度として正しくはない。
結局のところ両者共に無礼を働いた形ではあるが、同病相憐れむと言うか何と言うか……とりあえずお互いが『苦労してるなぁ』と言う感想を抱いていたことが、無駄な諍いを回避できた要因と言えるかもしれない。
共通点?知らん。
それはともかくとして、こちらが何かを依頼したわけでもないのに、わざわざ弘農から使者が来たと言うことは、向こうが自分たちに何かしらの用があると言うことを意味する。
「さて、積もる話は多々ありそうだが、職務を優先しよう。早速だが用件を頼めるか?」
それを理解している董卓は、使者の饗応という形で淳于瓊と酒盛りすることを心に決めつつ、淳于瓊に対して使者としての任務の遂行を促すことにした。
「はっ。実はですな……」
「む?……(よし)」
言いよどむ淳于瓊を見て、この時の董卓は彼の態度を訝しむよりも先に、安堵したという。
なぜかと言うと董卓は洛陽の政治に疎いので、大将軍と太傅の使者はどちらの立場が上なのかわからなかったからだ。
ここで不敬だの無礼と言われてもアレだと思い、とりあえず同格と言った感じで扱うことにしてみたのだが、それがどうやら間違いではなかったと分かり、安堵したのだ。
だが、彼はここで気を抜くべきではなかった。淳于瓊ほどの人間が言い淀むという意味を考慮すべきであったのだ。
「実は……………と」
「な、なんだと?!本気……いや、正気か?!」
「はっ。間違いなく正気で有り、本気です」
常識で考えたらありえないような策を提示され、董卓は「何かの間違いではないのか?」と期待を込める意味で問い質すが、残念ながら策を立案した者も、策を承認した者も、そして策を伝達した者も正気だし本気である。
「そ、そうか……そうなのか……まさか!まさかあの御仁は最初からコレを狙っていたのか?!」
ありえん!と言う思いと、ヤツならありえる!と言う想いが混在した問いであるが、現実はいつだって非情なのだ。
「どうやら……そのようです」
「……ゴフッ!」
ゴンッ!と、鈍い音が部屋中に響く。一度気を抜いたせいで心理的な防御が甘くなったところに腹黒外道の非情の策が突き刺さり、董卓の中の何かを直撃した瞬間であった。
「閣下?!」
机に頭を叩きつける形となった董卓を心配する淳于瓊だが、当の董卓は「フ、フフフッ!」と笑い声を上げていた。
……筋肉ムキムキの中年マッチョマンが、机に頭を叩きつけて笑っている。もうこれだけで怖い。
淳于瓊としてはさっさとこの場を立ち去りたかったのだが、彼にはどこぞの腹黒から董卓の補助をするよう命じられていたし、打ち合わせもあるので勝手に逃げることもできず、董卓の復活を待つことしかできなかった。
数分後。董卓はガバッ!と言う音が聞こえそうなほど勢いよく顔を上げ、正面に立つ淳于瓊を見据えると、おもむろに立ち上がり、ガッ!と彼の肩を掴んでこう言ったと言う。
「……淳于将軍」
「はっ!」
「今日は飲もう」
「……はっ」
この時の淳于瓊には、力強く、同時に泣きそうな目をした董卓に対して返す言葉が無かったと言う。
この日、董卓は泣いた。酒を飲みながら泣いた。翌日以降の書類がどうなろうと構わん!と、呂布や荀攸を呼び出して宴会を開き、大いに飲み、大いに食い、大いに笑い、そして泣いた。
そんな、何やら色々吹っ切れた様子を見せる董卓の態度を疑問に思った参加者が、淳于瓊に事の次第を確認し、問われた淳于瓊が策の内容を公表した瞬間……宴の席は阿鼻叫喚の巷と化した。
この日宴会に参加した大将軍府の全ての人間は、どこぞの腹黒外道に対して明確な殺意を覚えたと言う。
曹操の大冒険、省略されて終わる。
曹操と衛茲が紡ぐ漢の友情物語ッ!ちなみに史実ではこれが初対面では無く、何度か会っているそうです。まぁそうじゃなければ家財を売ってまで曹操のために兵士を集めたりはしませんよね?
ホストに貢いでる?……なんのことやら?(ΦωΦ)?
??「演義における『関羽千里行』並の大冒険が、非常にアッサリ終わるのは何故だ?!」
??「曹操だからさ」
1月に檄文飛ばして2月に軍勢が集まって宴会して3月に戦とか出来るわけ無くない?
陳寿=サンは亜熱帯の蜀の人だから、冬がわからないんでしょうかねぇ。
後半は雪の描写もポツポツあるんですけど、それだって諸葛亮が雪を利用して羌族を嵌めたってだけだしなぁ。
一番反董卓的な行動をしているのはどこぞの腹黒外道じゃないかってお話