25話。反董卓連合④
どこぞの虎さんのお話
初平元年(西暦190年)4月。
反董卓連合の結成と連合への参加を呼び掛ける使者は連合への参加者が増加するのに比例して増えて行き、今では張純の乱の始末に追われる幽州や、董卓の勢力下である涼州・并州を除く漢全土に派遣されていた。
そう。益州の劉焉や交州の士燮に至るまで、本当の意味で漢全土に派遣されたのである。
それはつまり中央の混乱を避けるため、敢えて本拠地を長江を越えた先にある長沙にしていた南郡都督・孫堅の下にも届けられていたということでもある。
―――
5月。長沙・宮城執務室
「父上!反董卓連合に参加しないと言うのは真実ですか!」
「はぁ……(ようやく袁術が送って来た使者が帰ったと思ったら、次はコイツか)」
袁家の威を笠に着た小物との会談と言う心底うんざりするような仕事を終えて「さて、溜った仕事を片付けるか!」と机の上にある書簡を見て頑張ろうと気合を入れた矢先にコレである。
あれだけ嫌っていた書類仕事に前向きになれるくらい孫堅の意識が変わったのか、それとも相手をするだけで書類仕事以上に気が滅入る程の疲れを感じさせる人間を使者に送って来た袁術が凄いのかはさておくとして、だ。
孫堅はコレ以上自分の仕事の邪魔をさせない為、いまだに軍務関係の書類仕事から逃げ回ってここに来たであろう息子の相手をすることを決意した。
「真実だ。分かったらお前はお前に与えられた仕事をしろ」
まぁ相手をすると言っても、これだけで終わる話である。たとえ息子であろうとも、家長の決定は絶対である。勝手に戦争に参加するなど許さないし、そもそも孫策には孫策に与えられた仕事がある。
「うぐっ!い、いや、しかし!」
「しかしも案山子も無い。お前が書類を提出しなければお前の部下に物資が行き渡らず。結果として部下が餓えて死ぬのだぞ?いつまでも『俺の息子だから』と周囲が忖度してくれると思うなよ?」
「……」
父親からの真っ当な意見に完全論破された形となった孫策だが、その目に理解の色は見られない。
反抗期……とも違うだろう。今の孫策は己の中の情動に駆られて半ば暴走しているので、そう簡単に退くことが出来ないと言ったところだろうか。
所謂『退いたら負け』だと思い込むお年頃なのである。
そんな息子を見て内心で「誰に似たんだか」と溜息交じりに呟く孫堅だが、もし黄蓋らがその呟きを耳にしたなら「間違いなく殿です」とノータイムでツッコミを入れてくるだろう。
そんな似た者親子の内面に関する話は後にするとして、孫堅は無理やり書類仕事をさせるよりも、反董卓連合への不参加の理由を伝えて納得させることが有効だと判断した。
無理やり従わせて暴走されたり、何度も来られても面倒だと思ったとも言う。
「そもそも何故我らが董卓殿を敵に回さねばならんのだ?彼は帝に認められて大将軍となり、その職責を果たしているだけだぞ」
孫堅としては別に董卓に恨みがあるわけでは無い。それどころか彼は自らが望んで大将軍になったわけでは無く洛陽の権力争いに巻き込まれる形で大将軍になったのだと言うことを知っているのだ。
よって董卓に同情することは有っても積極的に敵対する気も無い。
「しかし董卓は洛陽で帝の威を借りて乱暴狼藉を働いていると言うではありませんか!そしてそれを見た帝も董卓を討てと命じたのでしょう?ならば我らも立つべきではありませんかッ!」
「……」
反論出来ない孫堅の顔をみて「言ってやった!」と胸を張る孫策だが、言われた方の孫堅は彼の意見に対して心を動かされて反論出来なかったわけではない。むしろ
(これは危うい)
と、息子の在り方に警鐘を鳴らしていた為の沈黙であった。
橋瑁が捏造した情報を信じ込み、そこに大義があると見てしまったのだろう。自身が正義だと思い込んだ子供ほど厄介なモノは無い。
自分の息子がそんな厄介なモノに成り下がって居ることを見た孫堅は、一瞬その表情を歪めるも「いや、今のうちに知ることが出来て良かった」と教育の機会を得られたことを喜ぼうと思考を切り替えることにした。
「策よ、これから俺が言うことを良く聞け」
「え?あ、はい」
「董卓殿が洛陽で乱暴狼藉を働いていると (橋瑁が)言ったな?」
「はい!ですからッ……!」
「それは嘘だ」
「董卓の討伐をって……え?」
「はぁ~~~~」
嘘?嘘って何だ?と言う顔をする息子を見て、どこぞの虎は頭を押さえながら深く長い溜息を吐いて言葉を続ける。
「橋瑁が言っている乱暴狼藉は主に『村祭りに参加していた農民を殺した』だの『名家や富豪を襲って金品を奪った』と言うものだな?」
「そ、そうですね」
己の主張の前提条件を一撃で破壊され茫然自失状態に陥った息子を見て、動揺しつつも話は頭に入っていると判断した孫堅は話を続けていく。
「まず董卓殿が入洛したのは9月下旬だ。それから洛陽の内部では政治的な調整やら何やらを行っていたので10月・11月の間、彼はずっと洛陽の内部に居た」
自分も大将軍府の中に居たので、これは間違いなく事実である。
「その上で外に出られたとしたら12月だが……12月に村祭りをする村が有るか?そもそも先帝の喪が開けていないのだぞ?もしそんなことをする村があるなら、不敬として処されても文句は言えまい」
もしこの時期に村祭りを行う村が有ったなら、その村は古代中国的価値で見れば村ごと殉死扱いされてもおかしくない。儒教家でもある名家の連中がそれを非難すること自体がおかしいのだ。
「た、確かに……」
「もし新年や即位の祝いと言うなら、董卓殿が村人を裁く理由が無い。そもそも彼には村を視察している余裕など無かろう」
「なるほど」
南郡都督の自分ですら書類に潰されかけて居るのに、大将軍にそんな余裕が有るはずが無い。父から告げられた言葉は、南郡都督の息子として今も書類仕事に襲われている孫策に対し、絶大な効果を発揮したと言う。
「そして財を奪われた名家と言うのは、基本的に袁紹とともに『宮中侵犯』と言う大罪を犯して粛清された家やその関係者だ。富豪とやらもその名家と繋がって財を得ていた連中だな。故に橋瑁が言う被害者とは罪人でしかない。金品を徴収するのも当然のことだな」
帝の命を受け罪人を出した家を粛清し、その罪人が不当に蓄えていた財を徴収し、国庫に納めた。それだけの話でしかない。
橋瑁の場合は『恩赦される予定だった親類縁者を助けようとしたのに、全員殺された!』と言う怒りが有ったのだろうが、所詮は恩赦の予定である。
どう言い繕っても彼らは現時点では間違いなく罪人だったのだから、殺されても文句を言える立場ではない。
それなのに丁原が処刑されたのは、公式には『帝が恩赦する予定だった人間を殺したから』と言う罪を問われた結果であり、あくまで『帝の予定を狂わせた』と言う罪を償ったに過ぎないのだ。(他の恩赦予定の名家の関係者を納得させる必要もあった)
なので、彼らの言う『董卓の乱暴狼藉』は、どう解釈しても罪人の身内が己の立場を弁えずに「やりすぎだろう!」と騒いでいる程度の意味しか持たないと断言しても良い。
……こんな感じで、今回初めて洛陽の事情を聞かされた孫策は、完全に頭の中が真っ白になってしまう。しかしその中でもどうしても聞き捨てならない言葉があった。
「え、袁紹による宮中侵犯とは何ですか?!彼がそれをしたと?そんなの紛れもない大罪ではないですかッ!」
「そうだな。普通なら九族縁座の上、その郎党も連座して処刑される程の大罪だ。故に……あっ!」
「な、何か?」
いきなり父親からブチ込まれた特大の厄ネタに慄いていたところ、その父親が急に声を上げたと思ったら徐々に顔色を悪くしていくのを見て「もっとヤバイことが有るのか?!」と戦々恐々とする孫策。
だが孫堅が声を上げたのは何かしらのヤバイ情報が有るからではない。
彼はどこぞの腹黒外道から『袁紹の犯した罪に関しては領内でも他言は無用です』と釘を刺されていたのを思い出したのだ。
その際「何故?」と問うた際、彼は「ちょっとした考えが有りますので」と言っていたのだ。あの時は分からなかったが、今ならわかる。その考えとは、反董卓連合を結成させて袁紹をその盟主にするための仕込みだったのだ。
もしも反董卓連合が結成される前なら、そしてその連合に袁紹が関わらないのなら、反董卓連合は反何進連合のなりそこないでしかなく、個別に鎮圧されて終わって居たはず。
しかし袁紹が水面下で袁家の力を使って造っていた『反何進連合の下地を生かして結成された反董卓連合』は、現時点でさえ膨大な規模とそれなりの纏まりを持った集団となっているし、その規模をみて連合が勝ち馬と判断してそれに参加する者も増え続けているのが現状だ。
そしてその参加者とは主に洛陽にいた名家や宦官に推挙された者達。これを帝の視点で見れば、正しく『地方にいる膿を出し切っている状態』と言っても良いだろう。
……ここまで組織を肥大化させた後で、洛陽が袁紹の『宮中侵犯』の罪を鳴らせばどうなる?理由はともかく、袁紹が宮中に入って張譲を討ち取ったと言う事実は既に世に知られている。
だがその張譲殺害と言う英雄譚そのものが、宮中侵犯と言う帝から見たら己に刃を向ける行為の上に成り立った結果で有る以上、袁紹が漢にとって滅ぼすべき大罪人で有ることは変わらない。
そんな大罪人を盟主と仰いだ連合に大義は無くなるし、袁紹の影響力が落ちたところで袁術らが動けば黙っていても彼らは同士討ちを行い、連合は瓦解するだろう。そして董卓は彼らが自壊したのを見計らって、参加者や協力者全てを『帝の敵』として個別に処刑していけば良い。
これにより地方に根付いた名家の連中が滅び、新帝による新たな秩序の構築が可能となる。
残る懸念は董卓が連合との戦に勝てるかどうかだが、孫堅から見ても今の連合軍はまともな将軍が居ない上に、指揮系統の統一と言う戦における基本中の基本すら出来ていないそれなりの集団でしかない。
その彼らが、数年前涼州で自分が見た正真正銘の軍勢を率いる董卓に勝てる見込みなど無いに等しい。
もし連合に自分が加わったら?多大な犠牲を払えばそこそこいい勝負は出来るかも知れないが、間違いなく使い潰されてしまうだろう。
そもそも連合が瓦解するのは目に見えているのだから、董卓には無理をする必要が無い。よって適当に戦った後で兵を退き、内輪揉めで動きが止まったところを策で切り崩すなり、兵で押しつぶせば良いだけの話だ。
最近になってそのことに気付いた孫堅は『絶対に連合には参加しない!』と心に決めていたし、その理由を問われたとしても、どこぞの腹黒外道の策の邪魔をして目を付けられる気も無かったので『口外するな』と言われたことを口外するつもりは微塵も無かった。
だからこそ今まで息子にも教えていなかったのに、今、こうして口を滑らせてしまった。
何処で誰が聞いているかもわからないし、息子が他の者を説得する為にこのことを話すかも知れない。その結果、策を潰すことになったら……
「父上、父上?!」
―――
『残念です。貴殿の所為で情報が洩れ対策されてしまい、結果として双方に不要な犠牲が出る事になりました。これがその明細です。あぁこの損失は今後30年で返してくだされば結構です』
顔色を悪くしながら胃を抑えるどこぞの虎の脳裏に、そんな声が聞こえて来たとか来なかったとか。
兎にも角にも、南郡都督・孫文台は領内における蛮族の跋扈を理由として反董卓連合に加わることは無かったと言う。
幕間に近いですかね?
説明口調で物語を補強していくスタイル。
基本的にこの時期は矛盾が多いのです。
理由としては正史とされた三國志の作者である陳寿が蜀の人であり、自分が生まれる前のことを詳しく知らないと言うのが有ります。
そのため彼は自分が生まれる前のことは、魏史や呉史、後漢史などの記載を見たのでしょう。しかしそれぞれで年代や内容が異なったりした為に、纏める際に矛盾が生じたのだと思われます。
だからこそこの時期は色んな考察が入る余地が有るとも言いますけどねってお話。
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独断と偏見に満ち溢れた用語解説。
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正史:それぞれの時代の王朝が正式な歴史書と認めた史書と、その流れを表す言葉。
三國志は蜀の陳寿が、後漢書・蜀史・魏史・呉史等を纏めたモノであり、後の皇帝がそれを正式な歴史書と認定したので、これがこの時代の正しい歴史書となる。
つまり、正史とは時の正史認定委員会に認められた資料と言うだけで有り、本当の事が書かれていると保証されているわけでは無い。絶対君主制に於いては『皇帝が白と言ったら黒いモノも白である』と言うのが罷り通る時代だと言うことを忘れないようにしましょう。
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陳寿:三國志の作者と言うか編纂者。彼はあくまで各資料を集めて自分なりにかみ砕いて一つのモノにした一人の人間であり、正しい歴史の守護者とか感情が無い機械ではない。
その為、作中に蜀贔屓の感情が入ったり、色んな所に矛盾が生じるのは仕方のないことである。
だから彼のことを『コピペのせいで己の作品の矛盾に気付かないなろう作家』と一緒にしてはいけないよ。









