24話。反董卓連合③
( ゜Д゜)後書きが長い!
曹操が董卓に命じられたのは一言で言うなら『埋伏の毒となれ』と言うものであった。
この策により曹操が向こうの陣営に加わることで、董卓陣営に発生する利点は大まかに言って以下の三点が挙げられる。
①:洛陽内部で袁紹の味方をする者にとっての風除けが消えること。
今のままでは、調査をしようにも真っ先に曹操が疑われてしまうし、その調査の為の労力が無駄になっているので、曹操が居なくなることでそのリソースを削減できる。
②:曹操を頼ろうとする宦官閥の残滓を見つけることが出来ること。
洛陽の中に居る裏切り者の存在が判明するのは上記と同じ原理だが、曹操からの情報提供によって、より明確な情報が手に入ることになる。
③忠臣面して『曹操が怪しい!』などと言ってくる小者の相手をする必要が無くなること。
特に三番目は本当に自分を心配してくれる者と、小賢しいだけの小者の違いがわからないと言うこともあり、面会や世間話で地味に時間を取られていた董卓にとっても非常に嬉しい事柄である。
当然これ以外にも戦略的・戦術的な利点は多々あるのだが、大前提として董卓は今回発足した反董卓連合を戦略的・戦術的な脅威とは見做して居ないので、必要以上に曹操を働かせる気は無い。
それに、あまり目立つ動きをすれば曹操の身が危うくなるので、無理をするなという気遣いもあった。
ここまで説明を受けた曹操は、『朋友』とか何とか言いながら自身を追い込んでくる袁紹より、彼らが『傍若無人の田舎者』と呼んで忌み嫌っている董卓の方が、余程人間として信用出来ると判断していたと言う。
この一点だけを見て曹操を軽々しく『ちょろい』とか言ってはいけない。
彼は身内や周囲の環境に追い詰められ、常に命の危険を感じながらも己の職責を果たしていたのだ。そんな物理的にも精神的にも孤立無援であったところに、自分を理解し、気遣ってくれる人間が現れたなら、その相手を信用してしまうのも当然では無いか。
……まぁこの状況を見越してそこに曹操を追い込んだのはどこぞの腹黒なのだが、董卓はそのことを把握していないので、少なくとも董卓から曹操へ向けられる気遣いはホンモノであることを明記しておく。
ちなみにこの策を受けることで曹操が得られる最大の利益は、董卓が勝てば董卓の陣営に戻るだけだし、袁紹が勝てばそのまま袁紹の『朋友』で有り続ければ良いと言う『どちらが勝っても生き延びることが出来る』と言うことなのは言うまでも無いことだろう。
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「で、俺の暗殺に失敗したことにして洛陽を脱した後は、一度故郷に戻って兵を募ってから袁紹に合流して貰いたい」
「兵を?……確かに着の身着のままでは、私を『朋友』と呼ぶ袁紹はともかく、他の諸侯に舐められると言うのはわかります。しかし恥ずかしながらそれだけの兵を養うだけの元手が……あっ!」
「気付いたか?」
簡単に兵を集めろと言われても、数百人ならまだしも袁紹らが納得する規模を考えれば少なくとも三千~五千は必要になるだろう。
集めた兵の維持については袁紹に集れば良いとしても、今の自分にはその前段階である『兵を集めて装備を揃えること』すら不可能である。そう言おうとしたところで、曹操は己の父に返金された三千万銭もの大金の存在を思い出した。
あれは本来ならば返金されることは無かった金なので、曹嵩とてその使い道はまだ決めてはいないのだ。あの金の一部でもあれば五千程度なら集めることも可能だし、袁紹と合流するまでに装備や物資を揃えることも可能となる。
「ま、まさか大将軍閣下はここまで考えて、新帝陛下より父に返金をするように働きかけたのですか?」
もしそうだとしたら、これこそまさに深慮遠謀と言える策であろう。袁紹も橋瑁も戦う前から董卓の掌の上で踊らされていると言うだけの傀儡に過ぎないと言うことになる。
その可能性に行きつき顔を青くする曹操だが、当然この一連の流れは董卓の策ではない。
「俺の策ではない。だがこうなるように動かしている者が居るのは事実だな」
「それは……いえ、なんでもありません」
「うむ。それが賢い判断だ」
一体誰なのか?と尋ねようとした曹操は、すんでのところでその言葉を飲み込んだ。
知らなくても良いことは知らない方が良い。それと『洛陽を出るまでは暗闇の底を覗くべきではない』という、生物としての本能が策士としての好奇心を上回った瞬間である。
そんな優秀な能吏の前に、一つの手形が差し出される。
「閣下。この手形は?」
「まさか兵の準備や維持の全てを隠居した親と『朋友』の金頼みと言う訳にも行くまい?洛陽から出たら兗州にいる呂伯奢と言う商人にこの手形を見せれば、彼も貴公に協力してくれるだろう」
言われてみればその通りである。自分でも少しは甲斐性が有るところを見せなければ、曹操が集めた人員は袁紹の紐付きに堕ちてしまう。それを打開するための準備は必要だし、逃亡する身で現金などを持ち歩くわけにも行かないので、手形を持って行くのは合理的な判断であると言えよう。
後はその手形が空手形にならなければ良いのだが、これに関しては董卓や曹操の信用の問題なので、海千山千の商人なら上手く使うだろうと思われる。よって曹操が気になったのは、手形の存在よりも董卓に告げられた商人の名の方だった。
「呂伯奢ですか。確か父と付き合いが有った商人にそのような者が居た記憶が有りますが、その者でしょうか?」
「うむ。それで合っている。聞くところによるとそ奴は、曹嵩殿が一億銭を集める際にも尽力したらしい。故に貴公とも無関係ではないだろう。あぁ、当然曹嵩殿から見返りを貰っているのでそれなりに稼いでいるそうだぞ」
「なるほど……それなら問題ありませんな」
呂伯奢は曹嵩の投資の失敗に巻き込まれたように見えるが、実は太尉となった曹嵩を後ろ盾にしつつ一年で地盤を広めそれなりに儲けを出しているので、金が無いわけでは無い。
さらに今回の戦に於いて政府公認の手形が有れば、董卓が勝ったなら単純に利益は約束されるし、もし董卓が負けたとしてもそれは曹操が勝つと言うことだ。つまり投資先として見た場合、曹操というのは勝ちが確定している物件と言うことになる。
また曹操は連合の盟主となった袁紹が朋友と言って憚らない存在だ。そんな彼が連合の内部で要職に就いた場合、連合軍相手の商売にも食い込めると考えれば、これに味方をしない商人は居ないだろう。
父に戻された莫大な一時金と、地域の豪商との繋がり、更に曹操の能力と袁紹の個人的な関係を考慮すれば、曹操が連合内でも要職に就くのは決して難しいことでは無い。
そして曹操は要職に就いた自分に擦り寄ろうとする者や、連合の情報を董卓に流せば良いと言うことになる。しかしここまで考えが及んだ曹操は、一つの大きな疑問にぶち当たることになった。
「閣下、一つお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「答えられることならお答えしよう」
話は逸れるが……本来、大鴻臚である曹操に対して大将軍である董卓がここまで謙るような言葉遣いをする必要は無い。だが、ただでさえ命令系統の違いやら派閥がどうこう口煩く言われているので、今の董卓は誰に対しても『鷹揚では有るが無礼では無い程度の態度』を取るように心がけていた。
監修はどこぞの腹黒を見て学んだ荀攸であるらしいが、真偽の程は定かではない。
それはともかく。
「もしも私が本気で閣下を打倒しようとして、向こうの陣営の強化に全力を注いだらどうなさるおつもりでしょう?」
曹操とて『自分がいれば勝てる!』などとは思っていないが、自分がそれなりの要職に就き、それなりの権限を得た場合、反董卓連合は多少なりとも強化されることになるだろう。そうなれば徒に戦が長引くことになり、漢と言う国の力は間違いなく落ちてしまう。
敵は弱い者を討つ。もしくは弱くしてから討つと言うのが兵法の基本だと考えれば、悪手にしかならないのではないか?ここまでの画を描ける者が兵法の基本を理解していないとは思えないので、その辺をどう考えているのかが気になったのだ。
そんな曹操の疑問に対する董卓の答えは単純にして明快である。
「出来るのなら是非そうして欲しいモノだ。今のままでは連中が弱すぎて戦にならんのでな」
「は、はぁ」
弱ければそれで良いのではないか?と言う疑問が解決していないので、返事がアレな感じになってしまうが、それも仕方の無いことだろう。
董卓と曹操は根本的なところで戦に対する価値観が違うのだ。
「考えても見ろ。軽く一当てした程度で向こうが怖気づいて一目散に逃げ出してしまえばどうなる?追わねばならんだろう?だが追撃の為に兵を四方八方に分散させるのは悪手だし、何より面倒だ。だからこそ向こうから挑んできてくれるくらいの纏まりが有った方が良いのだ」
「それは……」
自分が負けるハズが無いと言う圧倒的な自負の上に立つ戦略を聞かされ、反応に困る曹操を見て董卓は解説を続ける。
「確かに向こうの陣営は兵力だけは多い。しかし集まった諸侯の中に、万の軍勢を率いて戦をした経験が有る人間が何人いる?大規模な戦を経験したことがある古強者がどれだけいる?まともな戦を知る将兵はいるのか?」
そんな戦を経験したことが有るのは幽・并・涼の軍勢や官軍とその将帥だけだ。(孫堅も万の軍勢を率いたことなど無い)
そして今回の人事で王允や楊彪によって家柄と儒教的教養を買われ、新たに郡太守や刺史になった連中には、そんな能力も経験も無いのは語るまでも無いことであろう。
「斯く言う俺とて、黄巾の乱の際には袁隗や盧植が用意した官軍を扱いきれず、連中に一杯食わされたのは忘れてはおらん。この事実をもって連中は俺の将才を『大したことが無い』と判断しているのだろうよ」
どんな兵を率いても勝つのが一流の将だと言うなら、確かに董卓は一流では無いのだろう。だがそんなのは夢物語の中にしか存在しない。
「だが俺にも今まで異民族たちと戦って来たと言う経験がある。数万単位で動く騎兵を相手にして打ち勝って来たと言う実績が有る!俺に従って来た兵たちにも、自分たちこそ数百年に渡り異民族の連中と戦い続けて来た漢の藩屏であると言う自負が有る!」
「(くっ!この圧はっ!)」
話しながら上がるテンションに比例して羊の皮が剥げていく董卓が発する威を受け、曹操は董卓と言う人物を見縊っていたことを素直に認めた。……認めざるを得なかった。
「俺が育て、鍛えて来た軍勢が!これまで戦い続けて来た我が将兵が!ろくに戦も知らんような烏合の衆や、これが実質的な初陣の小僧に率いられた軍勢モドキに負けるなどありえんッ!」
董卓が豪語するように、実際連合軍に参加している者たちは、まともな装備をして、まともな将帥に率いられた軍勢を相手にしたことなど無い。
盟主だ副盟主だと騒ぐ袁紹や袁術も、黄巾の乱以降に頻発している小規模な叛乱の鎮圧などは経験したのかも知れない。しかし数万単位の軍勢がぶつかり合う戦は間違いなく未経験である。
官軍とて装備や訓練が中途半端だった黄巾の連中が初めてだろう。そんな連中など、これまで数百回を超える戦を経験してきた董卓から見たら初陣前のヒヨッコに過ぎない。
そんなヒヨッコが、十分な訓練を施された実戦経験豊富な騎兵を相手にする?その結果起こるモノは戦とは言わない。ただの自殺と呼ばれる行為だ。
「故に貴様の『向こうの陣営を強化して俺の打倒を目論んだらどうする?』と言う問いにはこう答えよう。『やれるものならやってみろッッッ!』」
「……ッッッ!!」
この時、曹操が目の当たりにしたのは、清潔な執務室に在って日々の大量に発生する書簡に胃と頭を痛める大将軍ではなく、砂塵が舞う涼州で異民族と戦い続けて来た猛将の姿であった。
董卓と言う個人が己の内から発する、先祖が積み重ねてきた威名に依存する名家の連中とは種類も桁も違う威を正面から受けることになった曹操は、どう転んでも連合に勝利が無いことを確信したと言う。
董卓激昂。まぁ実質袁紹はコレが初陣ですからねぇ。油断慢心ではなく、普通に「相手にならんわ!」と思って、比べられること自体が屈辱だと判断しても仕方のないことでしょうってお話。
史実における190年の時系列を簡単に整理してみましょう。
袁紹が洛陽を逃げだしたのが189年のことと仮定します。
ただ逃げ出した月に関しては諸説あり、少なくとも袁紹らが洛陽に居た際に
董卓による劉弁廃嫡宣言
それに反対した丁原の暗殺をしようとして失敗
呂布を引き抜き、丁原の殺害に成功
その後并州の兵を吸収・再編成
などが有ったそうです。
更に涼州から兵を呼び寄せたと見せかけて、袁紹や袁術に圧力をかけたと言う話も有りますので、最低でも涼州から追加の兵が来たと言われても違和感が無いくらいの期間、彼らは洛陽に居たことになると思うんです。
それが正しいなら袁紹が洛陽から逃げ出したのは早くても10月から11月くらいが妥当になりますし、そこから1~2か月後に曹操が逃げるにしても……冬ですよ?
その辺は置いておくとして、
橋瑁が勅を偽造して檄文を出したのが元日。
董卓が天子を長安に逃がしたのが2月。
袁隗らが処刑されたのが3月とあります。
でも史書を参照しているwikiには190年3月に酸棗の曹操・鮑信・張邈らは消極的な袁紹らに業を煮やし、董卓軍に戦いを挑んだと言う記載がありますし、確かに正史でも3月に戦をしたって書いてます。
ツッコミ所は多々ありますが
反董卓連合の規模も知らないだろうに、天子逃がすの早すぎない?
曹操は何時兵を纏めて合流したの?
冬に兵を集めて合流できるもんなの?
袁紹らはワザワザ冬に集まって宴会してたの?
陽人の戦いが191年なのを確定とするなら、年を間違えたわけでもなさそうだし……
当時の諸侯が兵士と一緒にワープしつつ、気候を操り、携帯で連絡取ってないと不可能じゃね?
……うちゅうのほうそくがみだれる!
―――
曹操は実家に(豫州沛国譙県)に帰った後で家財を売り払って5千の軍勢を集めたそうですが、史実の曹操サンの家は前の年に一億銭が溶けてますので、それほどお金が無かったと思われます。
その上で洛陽から正式に指名手配されていたんですよ?一体彼はどこから予算を手に入れたんでしょうねぇ?
また前述の通り、その兵は急遽金で集められた連中なので、言ってしまえばまともな訓練もしていない義勇軍と同等。つまり雑魚も雑魚です。断じて演義やゲームなどで言われるような精鋭では有りません。
さらに曹操は宦官閥で、反董卓連合は主に名家閥です。そんな曹操が由緒正しい諸侯が集まる連合の副盟主っておかしくない?
まぁ地方に居た濁流派のまとめ役と考えれば無くは無いかもしれませんけどね。









