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20話。大将軍のお仕事

袁隗(その他一同)が死んだ!この人でなし!

初平元年(西暦190年)1月下旬。


年末に即位を宣言した新帝の名の下に新年の行事も滞りなく終わった後。袁隗を始めとした袁家の関係者と、宮中への侵犯を行ったとされる名家の人間合わせて数百人が、新帝の勅を受けた大将軍董卓によって粛清された。


本来であればこの倍以上の人間が死を賜るところだったのだが、司空の楊彪が新帝即位の恩赦を求めた為に彼らは罪一等を減じられた。さらに司徒の王允が『今後の就労態度によっては更なる恩赦が有る』と言うことを布告した為、名家らのヘイトは董卓に向かう事となる。


その董卓は粛清した名家の家を取り壊し、代々蓄えていた財を没収した。その上、残された女たちも売り払うことで、確実に各々の家を完全に断絶させていったと言う。


さらに彼らを支援していた商人らもその罪を咎められ、一部の財を徴収されることになる。


これに反発した者たちは問答無用で罪人とされ、一部どころか全ての財を失うことになったと言う。


隣人の家を潰される様子や、代々蓄えていた財を奪われることになる様子を見せつけられた(徴収された財は全て国家予算に回されている)名家の人間の中には『次は自分か?』と怯え洛陽を抜け出した者もいた。


そう言った者たちは、地方に居る自身の親類縁者に対して洛陽の悲惨さや董卓の悪逆を訴えたと言う。




……董卓の名誉の為に言わせて貰えば、そもそも粛清の原因を作ったのは袁紹と彼に迎合した者たちであり、本来彼らが犯した宮中侵犯と言う罪は九族どころか関係者全員が財産没収の上で処刑される程の罪である。


それが直接的な暴挙に及んだ連中以外の関係者のほとんどを許していると言うのは、ありえないと言って良いくらいの厚待遇だし、売られた女だって親族が買い戻せるように手配もしているので、悪逆と言われるほどのことはしていない。


そもそも彼は罪に対して罰を与えているのであって、今の状況はまんま犯罪者の身内が警察を逆恨みしているだけと言っても良いだろう。


だが人治国家における名家の人間の誇りは、時に法を凌駕する。


元々『所詮格式も教養も無い蛮賊なのだから黙って自分達に従えば良い』と言うのが基本骨子である彼らの価値観では、董卓と言う田舎の異分子が先祖代々漢を支えてきた自分達を裁くと言う行為そのものが不敬であり、不遜な行為なのだ。


……何もやましい事がなければ董卓に怯える必要は無いのだが、洛陽にいる名家と言うのは多かれ少なかれ不正をしているし、袁家と関わりが有る家など数えるのも億劫になる程存在する。


そんな連中が『いつ自分達もやられるかわからない』と言う不安を抱くのは当然だ。


そんな中、王允や楊彪が恩赦の拡大を上奏していると言う事実も重なり、彼らの中に『帝は董卓に脅されて勅を出しているだけだ』と思い込む者たちが現れるのも当然と言えば当然と言えた。


そして思い込みから生まれた言葉が、伝言ゲーム方式でさらに大きくなるのは世の常とも言える。


そんな際限無く大きくなっていく悪評を聞きつけたどこぞのお坊っちゃんが


「くっ!幼い帝を武で脅して勅を操り、取り立ててやった恩を忘れて叔父上らを処刑するとは……董卓め!なんたる外道よ!」


などと喚き散らすのも、予想の範囲内と言ったところだろうか。




初平元年。新帝が即位したとはいえ、漢には多数の火種が燻っていた。


―――



2月。洛陽・大将軍府執務室


「とりあえずはこのような感じですな」


「そうか、ご苦労」


并州刺史であり、今回の上洛で新帝から執金吾に任じられた丁原は、大将軍である董卓から依頼された『洛陽周辺に於ける軍部の動向』を報告していた。


「しかし董卓殿……いや、大将軍閣下」


「ん?別に董卓殿でも良いぞ?誰が見ているわけでも無いからな」


誰かが見ているところなら『大将軍としての威厳や格式が!』とか騒ぐ連中が出てくるが、自身の執務室の中ならそのような者の目も無い。


董卓としては執務室の中でまでガチガチの権威で固められても息苦しくなるだけだと思っているし、目の前に居る丁原は并州刺史の後任なので、それなりに話も合う相手と言うのもある。


今になって、何故何進が李儒にあのような態度を許していたのかと言う理由を理解した董卓だが、同じことは不可能である。


流石の彼も李儒に対して大上段に話しかける勇気は無い。


と言うのも、今の状態でも書類仕事が溜まって色々ヤバそうなのに、もう少ししたら李儒が劉弁と共に洛陽を離れることになるのだ。


これは関係者各位にもしっかりと告知されている確定事項である。


そして董卓からすれば、彼が洛陽を去る際に残されている書簡の量によって、自身の胃に与えられるダメージ量が変わるという事実がある。


だからこそ李儒の機嫌を損ねる可能性が有る行為をする気は無い。


大体いま行っている作業だって、彼が引き継ぎを重視すると言う弱点を熟知していた荀攸が説得したからこそ、仕事を手伝ってくれているだけなのだ。(一応輔国将軍でもあるが、帝の側に着く必要がある太傅と光録勲の仕事が優先される)


そんな感じなので、彼の気分を損ねたら大将軍府の仕事の大半が滞り、書簡に押し潰されることになると言う恐怖があった。


あと、元々の苦手意識も有るし、なにより自分が大将軍を降りた後の事を考えれば、彼は決して軽んじて良い存在ではないのだ。


……そんなどこぞの腹黒外道についての考察はさておき。


「そうですか。では遠慮なく董卓殿と呼ばせて頂きます」


丁原としても洛陽の人間に合わせた礼儀だの何だのは『面倒だ!』と思っている人間である。その為、董卓からの提案は正直に言ってありがたい言葉であったので、あっさりとその言葉に乗った。


「あぁ、是非そうしてくれ。で、何を言いかけた?」


「いくつか有るのですが、まずは洛陽の連中の考えですな」


「洛陽の連中の考え?どう言うことだ?」


洛陽の人間と言うのは恐らく名家連中に関してだろう。彼らは数百年に渡り漢に巣食っていた連中である。


袁家に連座した連中以外にも規模の大小を問わなければまだまだいくらでも居るし、連中は基本的に性根が腐っているので(涼州・并州的価値観で見れば全部一緒)丁原も足元を掬われないように警戒をしているのは分かる。


しかしそもそもの話、董卓は洛陽の連中に対しては何も期待していないし何も求めてはいない。


自身が汚れ仕事担当であることは自覚しているので『捕えよ』と言う指示が来たら捕えるし『殺せ』と言う指示が来たら殺すだけだ。


もはや彼にとって今の洛陽は屠殺場であり、名家の人間が家畜で自身が屠殺業者と言える。


……自身が何進の後継者だと思えば皮肉なものだと思うが、ソレは良い。


何が言いたいのかと言えば、董卓にとって家畜でしか無い連中が何を考えようが屠殺業者(自分)が気にすることでは無いと言うことだ。


家畜が屠殺場に送られる前に逃げると言うなら勝手に逃げれば良いし、牧場に居るうちから牧童に逆らって角を突き立てると言うならそうすれば良い。


……この場合の牧童は帝の意を受けた腹黒外道なので、立ち向かった結果がどうなるかは想像にお任せしよう。


「今の洛陽は董卓殿への怨嗟の声と称賛の声で二分されております。怨嗟の声を上げているのが名家の連中で、称賛の声を上げているのが庶民です」


「それはそうだろうよ」


ここで名家の人間が董卓に称賛の声を上げてきたらその方が驚く。と言うか、称賛の声が大きいのが意外なくらいであった。


しかしこれにもちゃんとした理由は有る。


第一の要因は、洛陽の民が宦官と名家の人間の権力争いが漢を腐らせていたと言う事実を知っていたことが大きい。


その為、董卓が行っている行為は腐った病巣を取り除く行為だと認識し、彼が名家や豪商を殺すたびに「いいぞ、もっとやれ!」と言う気分になっていたモノと思われる。


そして第二の要因は……公開処刑だ。現代日本人には理解しがたいことかもしれないが、近世までは公開処刑も民衆にとっては娯楽だったのだ。古代中国はその傾向は猶更強い。


特に『今まで自分は虐げられてきた』と考えている人間から見れば、これまで偉そうにしていた名家の人間が不正で捕まり、哀れな姿を見せて処刑されると言うのは最高の娯楽となる。


これを今風にいうなら『ざまぁ』だろう。


言い方はともかくとして、リアルで『ざまぁ』を量産する董卓は、現在洛陽における最高の娯楽の提供者として、急速に洛陽の市民に受け入れられつつあった。


それのどこに問題が有ると言うのか?


「そうですな。そのせいか、今や地方に居る名家の連中は董卓殿について有ること無いことを吹聴しておるようです。洛陽周辺では庶民も鼻で笑い飛ばして終わる話でしょうが、地方の連中はそうではありませんぞ」


今や漢の人間は中央の役人の腐敗具合を知っているので、庶民にとってはそんな役人を殺す董卓こそが善で、役人を輩出した名家が悪だと認識している。


また現在の洛陽は、罪人である名家よりも董卓の影響力が強いので、特に問題は発生してはいない。


しかし地方では名家の紐付きの役人の力が強い上に、連中は先年から続く乱の中で『自己防衛』と言う大義名分を得てしまった。


結果として中央政府が認めない軍事力を持つ地方軍閥の存在が現れ、容認されつつ有るのだ。


これらが董卓に対して牙を向けばどうなるか。


「なんだ、そんなことか」


「そんなことですと?失礼ながら董卓殿は洛陽の連中を甘く見ているのでは無いですか?」


丁原からもたらされた情報や彼が懸念している事など、董卓にとっては最初から覚悟していたことなので今さら驚くには値しないことだった。


しかし丁原にしてみれば、董卓の態度は名家を侮っているようにしか見えない。また『董卓が慢心して死ぬのは董卓の勝手だ』と言えない事情もある。


なにせ今まで漢を腐らせていた宦官が滅び、名家が大幅に減少してその勢力を衰えさせたのだ。


そんな中で新帝が即位したことで、心有る者たちは『これから漢の再興が始まるのだ!』と気合いを入れている最中だ。


地方の軍人として名家や宦官に苦しめられてきた丁原としても、ことあるごとに『○○して欲しければ賄賂を寄越せ』と言って自身の邪魔をしてきた名家や宦官の存在は憎いし、彼らを不要だと思っていたからこそ、何進の招聘に応えて兵を引き連れて上洛して来たのだ。


それなのに、現在『何進の後継者にして名家の敵』として洛陽で台頭してきた董卓が、名家の連中に足を引っ張られて失脚したり暗殺されてしまっては、折角出来上がりつつある改革の灯火が潰えることになってしまう。


なので李儒や荀攸を信用していない丁原としては、董卓に倒れられては困るのだ。


そんな丁原の考えを理解し『ありがたいものだ』と思いながらも、董卓は今の状況を悪いものだとは思っていない。


「つまりお主は、俺が洛陽の連中に利用されて捨てられることを懸念しているのだろう?」


「……左様です」


正確にはその結果、漢と言う国が更に混乱することを懸念しているのだが、わざわざ口に出す事でもないので、丁原もそこは黙って頷く。


「別に構わんよ」


「は?」


そして名家の狙いや丁原の考えを理解しておきながら、董卓が口にしたのは『それでも良い』と言う、まさかの容認の言葉であった。


「……そもそもの話なんだがな」


呆然とする丁原に苦笑いを返しつつ、董卓は話を続ける。


「そもそも俺は何進殿の後ろ楯を得た上で宦官を皆殺しにするために、兵を率いて上洛してきたんだ。その時の気持ちを言葉に表すなら『功は要らんが罪に問われることが無いようにしてくれ』と言うものだ。お主も似たようなモノだろう?」


「それは、まぁそうです」


違うと言うなら孫堅のように数人の部下を連れて来れば良いだけなので、軍勢を引き連れて上洛した時点で董卓と丁原の考えたことには、大した違いが無いと言うことになる。


彼らに違いが有るとすれば上洛の途上に劉弁らを保護して、彼らの信任を得たことくらいだろうか。


「それが袁紹の暴走で後ろ楯である何進殿と、殺すべき標的だった宦官どもが消えてしまったわけだ」


「そうですな」


今まで溜まりに溜まったモノを思いっきり叩きつけようとしたら、その相手が居なかったと言えばわかり易いかもしれない。


「で、今だ。なぁ丁原。今の俺の後ろ楯は誰だ?」


「……新帝陛下ですな」


「そうだ。そして殺すべき相手は?」


「罪を犯した名家……なるほど。確かに董卓殿が言われる通りですな」


つまり、今の董卓はある意味で外戚の何進などよりも強い後ろ楯を擁しているので、何の遠慮もなく殺れると言うことだ。


さらにその後ろ楯は名家を明確な敵と認定しているので、後ろから刺される心配もない。


そのため、連中が洛陽ここで皇族にどのような讒言をしようが、地方でいくら騒ごうが意味がないと言うことになる。


さらに袁家の重鎮と交換で袁術を汝南に解放したので、地方の名家の纏め役になる可能性が有る汝南袁家には現在、家臣団はともかくとして、家を纏める当主に相応しい人材が居ない。


これを純軍事的に考えた場合、董卓は『騒いだ奴を各個撃破するだけで良い』と言うことになる。


また、政治的なことに関しては不明な点もあるが、今の状況なら命令に従わない地方軍閥を朝敵とする程度ならばそう難しい事ではない。


つまり『面倒はあっても脅威は無い』と言うのが董卓の見立てとなっていた。


そして丁原も董卓の言わんとすることを察し、現状は彼の計画通りなのだと言うことも理解した。


「……どうやら余計な口出しをしてしまったようですな」


「余計とは言えんさ。感謝しよう」


丁原にどんな狙いがあるにせよ、自分を心配してくれたことは事実なので、董卓も素直に礼を述べる。


「あぁ、話ついでに伝えておく。そろそろお主が連れてきた兵を北軍か大将軍府の所属に変更することになるので、そのための用意をしておいてくれ」


「む?……あぁ。いつまでも『并州勢』と言うわけにはいきませんからな。了解しました」


彼らを執金吾で有る丁原が率いるならその所属は北軍となるし、大将軍府で預かるなら官軍となる。


これは軍の指揮系統や維持費などに関わる案件なので、何時までも并州からの遠征軍として扱うわけには行かないと言う、行政上解決すべき問題であった。


「そうだな。そして再編成が終わったらお主らにも俺の仕事を手伝って貰いたいと思っている」


「董卓殿の仕事?」


「あぁ。わざわざ并州から来て待機だけと言うのも……つまらんだろう?」


ニヤリと笑う董卓の顔を見て、後れ馳せながら丁原もその意図に気付いた。


「……なるほど、ご配慮痛み入ります」


董卓は『丁原らにも大将軍府の仕事を手伝わせる』と言ったのではない。『丁原が連れてきた兵も名家の粛清に参加させてやる』と言ったのだ。


繰り返すが、丁原も先ほど董卓が言ったように、何進を後ろ楯として宦官を殺すために兵を引き連れて上洛して来たのだ。


それがこうして政治ごっこに終始しているのでは、どうしてもストレスは溜まるし、配下の連中とてイライラしているかも知れない。


また丁原自身、宦官だけでなく名家の連中からも散々嫌がらせを受けてきた身である。


故にこうして自分達の鬱憤を理解し、さらに合法的に憂さを晴らす場を与えてくれると言う董卓に対して深く感謝したと言う。





この董卓の配慮が後に彼らを追い詰めることになろうとは、このときはまだ誰も予想していなかった。











ちなみに拙作の何進は、宦官に対して脅しをかけると共に、現在も続いている張純の乱や黄巾の残党を滅ぼす為に諸侯の兵を使おうとしたのであって、宦官を皆殺しにしようとは考えておりませんでした。


そもそも宦官を殺すだけならそんなに兵士要らないし……。


よって何進から丁原に出された書簡は『兵を引き連れて上洛するように』だけであり、宦官の皆殺しに関してはどこぞのお坊っちゃんの書状に書かれていたことです。


董卓は李儒君から言われていたので、袁紹と何進の考えの違いを理解していました。よって彼は最初から宦官と名家の両方の粛清を視野に入れていましたってお話。


史実の丁原?普通に洛陽で殺るつもりでしたよね?




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