19話。人事発表の後で
ま、またせたな……(小声)
「孫堅・曹操・董卓の三者とも、内心はどうあれ今回の人事を受け入れてくれたのは僥倖だった」
三人に内示を伝え受諾の言質を取った俺は、彼らが心変わりする前に全ての処理を終わらせる為、足早に己の執務室に向かっていた。
そもそも今回の内示は次期皇帝である劉弁が認めたモノなので拒否が出来ないと思われがちだが、逃げ道なんてのはいくらでも存在するんだ。
例えば病や親戚の死亡等だな。特にこの時代は、親戚付き合いを重んずるので親戚も多く、さらに死が身近にある時代なので『親戚が死んだ』と言われてしまえば周囲もそれほど深く突っ込むことは出来ない。
距離が遠いので確認も難しいし『葬儀の為』と言って洛陽から逃げだすことも容易いだろう。
ただ親戚の死の偽装は嘘が露呈した場合は儒教的に冗談では済まないので、本当に親族を殺す必要まであると言う禁じ手だし、喪に服すと言って洛陽から離れた場合は中央の役職から完全に隔離されてしまうと言うデメリットがある。
その為『親戚の死』は現代日本のバイトが使うように頻繁に使える手では無いのだが、彼らはいざと言う時に躊躇うような連中では無い。必要と判断したならば何時でも親戚を殺すだろうよ。
なので下手に彼らに勘付かれる前に、動く必要が有るんだよな。特に汚れ仕事をさせることになる董卓な。アイツが俺の計画を知って拒否反応を起こす前に色々終わらせておかなきゃならん。
「……よろしかったのですか?」
「おや荀攸殿。開口一番のご質問ですが、一体何のことでしょうか?」
俺が執務室の中に入ると同時に、部屋の中で待っていた荀攸が声をかけて来たんだが、いきなりよろしかったかどうか聞かれてもなぁ。マジで何のことだ?
「董卓の大将軍就任です。実戦経験豊富な孫堅を南郡都督とすることで彼を政治的に縛り、さらに袁家から引き離すのは分かりますし、曹操も監視する意味を込めて大鴻臚とするのも分かりますが、董卓については些か強引過ぎませんか?」
「ふむ」
あぁそれか。
孫堅に対しては袁家以外にも劉表に対する牽制も有るんだが、これは荀攸も知っているはずだから、わざわざ言わんでも良いよな。
曹操に関しても、以前から俺がヤツを警戒していることは伝えてるし、洛陽から離れにくくする為に親子を要職に就けたのも事実だから、荀攸的にも問題は無いのだろう。
だからこそ董卓だけが不自然だって言いたいのかねぇ。
「確かに董閣下に関しては、荀攸殿以外にも同じような疑問を抱く方はいらっしゃるでしょうね」
ふむ。今回荀攸が来たのは純粋に個人的な疑問を晴らす為なんだろうが、他の連中の場合は複雑なのかもな。
連中にしてみたら、大将軍府が消滅しないのは良い事だが後任に全く無関係な人間が来るんだから、そりゃ嫉妬も嫌な気持ちも有るってのは分からんでもない。
「えぇ。何もいきなり彼を大将軍にする必要など有りません。確かに何進殿の後任には『宦官や名家の手垢が付いておらず、尚且つ新帝陛下の覚えが良い者がなるべき』と言う李儒殿の意見は分かります。また『粛清を行うなら、名家連中の恨みを買っても良い地方の人間にやらせる』と言うのも理に適っていると言うのも私は分かっているつもりです」
うん。そうだな。粛清は地方の人間にやらせることに意味がある。それが無ければ「大将軍府は解体して劉虞のような皇族を大司馬にしよう」って声も出て来ただろう。
王允も楊彪も、もしかしたら董卓本人もそんな気持ちでいるのかも知れん。しかしなぁ。
「そこまで分かっているのなら、何も問題無いのでは?」
それを理解しているなら嫉妬もないだろうに。
大体汚れ仕事をさせられて、恨みを抱え込むだけの仕事なんざ誰もやりたがらんだろう?それともこれはアレか?『これまで自分たちが築き上げて来た大将軍府を、どこの馬の骨とも知らんヤツに預けるのは嫌だ!』って感じか?
もし荀攸までそういう気持ちが有るなら組織の私物化について説教をしなきゃならんのだが……どうなんだ?
「一時的なものならそれでも良いのです。しかし李儒殿には董卓を一時的な大将軍にするつもりなど無いでしょう?」
「……ほう」
あぁなるほど。そう言うことか。荀攸は優秀な軍略家だが、同時に優秀な政治家でもあるし、筍と違って儒に染まっているわけでも無い。
だからこそ何進と俺が目論んでいた計画には気付かなくとも、董卓を本格的に何進の代理として使おうとしていることには気付いたってことか。だがまだ知られちゃいけないことは知られてはいない、と。
流石に今の段階で俺の計画に気付かれたら、荀攸の立場なら当然こうして探るのではなく邪魔してくるだろうからな。
だがここでそれをされるのはちょっと困る。かと言って荀攸を殺すのも勿体無い。となれば俺が取るべき行動は……
「い、いや!別にソレそれが悪いと言っているわけでは無いのです!李儒殿には李儒殿のお考えが有り、それが漢と言う国にとって必要な事なのだと言うことも分かっております!あくまで大将軍府の中にも懸念の声が有ると言うことを知って頂きたいだけですので!」
「……?はぁ。左様でしたか」
さっきまでは明らかに自分が懸念してたことを確認してたと思うんだが、いきなり何だ?
つーか大将軍府の中での懸念ってのは、どっちの意味だ?董卓の大将軍就任に対する嫉妬か?それとも俺が董卓にさせようとしていることに気付いているのが荀攸以外にも何人も居るのか?
荀攸の様子を見ればそこまで深いことはバレて無いようだが、他の連中はどうなんだ?
むぅ。下手に戦力を分散させない為と思って気合を入れた結果、大将軍府に優秀な人材を集め過ぎたか。曹操や孫堅だけじゃなく、他の連中も調査してから弘農に下がらなきゃ駄目か。
はぁ~めんどくせぇ。……いや、下手に洛陽から離れてから知るよりはマシか。うむ、今の段階で気付かせてくれた荀攸に感謝すべきだな。
「確かに荀攸殿が仰るように、些か大将軍府の人間の気持ちを蔑ろにしていたようですね。ご指摘頂きありがとうございます」
つまりは幹部には個人面談が必要ってことだ。それも急ぎで。
そこで俺の計画をどこまで知っているか、何処まで勘付いているかを調査しつつ、董卓への嫉妬も抑えねばならん。もしどうしても『董卓を認めない!』と抜かすヤツが居たなら、配属を変えてやる必要もあるし。
もし配置がえをする場合は孫堅に押し付けるか、朱儁や皇甫嵩に押し付けても良さそうだ。前者なら中央と伝手がある人材を欲してるし、後者も大将軍府で実務経験がある人間なら無下にはすまいよ。
出向する奴にしても、仕事は腐る程有るからやりがいもあるだろうさ。
「は、ははは。なんのなんの。むしろこの程度しかお役に立てず申し訳ない」
あぁ、そういえば荀攸も昇進させる必要があるよな。
なんなら九卿……は無理だが、劉協の尚書令として配属替えをしても良いかもしれん。監視と言う意味なら弘農に連れて行くのも有りだが、流石に大将軍府を知り尽くした荀攸を洛陽から引き離せば董卓が死ぬからなぁ。
「いえいえ、謀は密を以て成すと言いますが、この場合は重鎮である荀攸殿にすら策を明かさぬ私に問題が有ります。とは言え現時点で策を明かすことは出来ません。よってあまり深く探られても困りますので、これ以上の追及はご容赦願いたい」
好奇心なら殺すだけだが、荀攸の立場だとそれじゃ済まん。勿体ない云々以前に、一族が騒ぐだろうし、毒殺するにしても周囲が納得する理由が必要だ。
……口論して勢い余って撲殺したとかならどうだ?
駄目だな。俺もいずれは職を辞して隠居するつもりだが、現時点で失脚して無職になるわけにはいかん。
「え、えぇ!無論探ったりはしませんとも!貴殿を信用してますからな、私は探ったりはしませんぞ!」
ん?あぁあれか。大事なことだから二度言ったか?まぁ俺を探らないと言うならそれで良いさ。
とりあえずこれから俺がするべきは個別面談と情報収集だ。いやはやまったく、知らぬ間に足元を疎かにしていたとは……これでは袁紹にしてやられた何進をどうこう言えんな。
あ、袁紹で思い出した。うむ。どうせ現時点で薄っすらと俺の狙いに気付きつつ有るなら、荀攸も巻き込もう。先っちょだけだがね。
「ときに荀攸殿は袁術の現状をご存知ですか?」
「……袁術ですか?彼は今、袁隗殿によって身柄を拘束されておりますな」
こうやって『何だいきなり?』って顔をしながらもしっかり答えるところが荀攸の良いところだよな。流石は未来の曹操の筆頭軍師。社畜の素質十分だぜ!
でもって『拘束』ねぇ。ま、謹慎処分だと袁紹の二の舞だもんな。流石の袁家も次は無いことくらい理解してるだろうから、それくらいはしっかり予防するわな。
「それは重畳。しかし袁術としては、袁紹の愚行のせいで自身が死ぬことに納得はしていないでしょうね」
「それはそうでしょう。普段から跡目争いをしていた間柄ですし、何より袁紹自身が洛陽から逃げ出しています。これでは死んでも死に切れぬと思うのは当然かと」
うむ。ただでさえ縁座や連座は「マジか?!俺悪く無いのにっ!」ってなるのに、その元凶が死なない上、最悪は袁家の当主を名乗る可能性もあるんだ。そりゃ袁術の立場なら到底納得は出来んよな。
「そんな袁術に朗報です。実は今、袁術を恩赦の対象にする用意が有ります」
「恩赦ですか。あぁ……その条件は袁紹の殺害ですね?」
ノータイムでそこに行き着くとは、中々良い勘をしているな。いや、流石にそれくらいは気付くか。
「えぇ。現状で袁術を殺した場合、袁紹が汝南袁家を纏める可能性が有りますからね。地方に散らばる連中を一つにされても困ります。よってここで袁術を解放して袁紹と嚙合わせることで、地方の名家の戦力も削ごうかと。あぁ袁術を洛陽から解放する条件として、汝南に残る袁家の人間を何名か洛陽に連れて来るように伝えましょう」
何も無ければ袁家が得をしすぎて不自然さが出てくるし、現在袁隗を支える人間が向こうに残られても困るからな。連中の家の力は落としすぎても駄目だが残し過ぎてもいかん。
人は城、人は石垣、人は堀ってな。
連中の場合は使える人間を程々に殺して、後任に派閥争いを起こさせるのが上策だろう。袁術にも袁紹にもそれを抑えるだけの力はあるまいよ。
二虎競食の計とは少し違うが、あの二人が個人的な恨みや家督を求めて共食いさせることで袁家の勢力を削るのが目的だと見てくれれば良い。
「……殿下、いえ、新帝陛下はそれに納得しているのですか?」
おいおい、心配するのはそこかよ。俺が劉弁を傀儡にする可能性でも疑ってるかもしれんけど、そんな面倒な真似して堪るか。
「無論です」
第一、袁紹の一族を皆殺しにしろ!って騒いでるのは何后であって劉弁じゃない。もちろん面白くは無いだろうが、劉弁や劉協にはこの恩赦に関してしっかりと俺の狙いを教えているから、意味もなく反対なんかせんよ。
それに俺は連中をタダで殺す気は無い。処刑なんて楽な死に方など認めるはずが無いだろうに。
「そ、そうですか!新帝陛下のご意向なら是非も有りませんな!」
うむうむ。荀家は漢の名家だからな。皇帝が認めたことに文句を付けることは無いらしい。しかし、あんまり慌てられると虎の威を借るキツネっぽくてアレだな。
……いや、事実今の俺は皇帝の威を借る光禄勲だから別にそれでもいいか。とりあえず重要なのは袁術じゃない。今の段階で俺の狙いがどこまで知られてるかの調査をすることだ。
「ご理解頂きありがとうございます。ではコレから数日は大将軍府の人間の意見を聞くために個別に面談することにしましょう」
「え”?」
「ん?」
何だ?『同僚や部下に不満を持つ奴が居るから、しっかり話を聞いてやれって話をしたいんじゃなかったのか?』それとも何か?急に探られたら困ることを知ってるやつがいるとか?
…………これは猶更気合を入れて調べなきゃならんな。
「い、いえ、なんでもありませんぞ!是非お願いします!」
「えぇ。しっかりと意見交換することにしましょう」
「そ、そうしてやって下され!(皆の者、すまん!)」
―――
この日から数日間に渡り、大将軍府の関係者に対して個人面談が行われることになり、大将軍府に勤める者たちは暫くのあいだ、胃を痛めることになったと言う。
大抜擢の人事には誰もが納得しているわけではありません。
特に大将軍府の人間は複雑だったもよう。
董卓にしてみたらいい迷惑以外の何物でもありませんがねってお話。