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6話。黄巾の乱③

新ヒロイン?登場の巻。


今更ですが、作者なりの考察と言う名のご都合主義が満載です。


耐えれる方のみ閲覧お願いします

中平元年(西暦184年)8月。洛陽・大将軍府


「「「…………」」」


董卓敗戦。洛陽に当たり前のように届けられた報に対し、李儒以下大将軍府の面々は粛々と事務処理に当たっていた。


向こうから届けられた報告によると損害はおよそ9千。そのうちの死者は3千で負傷者が6千らしい。そもそも洛陽から出された軍勢は頴川方面に向かった皇甫嵩や朱儁と同じく4万の軍勢だったことを考えれば、2割以上の損害を出したと言うことになる。


地元の義勇軍?あんな連中は数には数えん。むしろ装備や練度が違う上に軍規に従わない連中が居ては指揮系統が狂うから、黙って町や村を守っていろと言いたい。


それは良いとして。今回の報告は一度の決戦で出た損害ではなく、およそ一か月続けられていた戦の中でのことを纏めたモノなので、コレが最終報告だ。つまりこれからさらに損害が増すことはない。


敗因は盧植が罷免されてから董卓が派遣され、さらに董卓が軍部の掌握を行っている間に向こうに籠城の準備を整えられたことと、やっぱり董卓には盧植の軍の掌握が完全に出来なかったことだ。まぁ知ってたけど。


「李儒殿、手が止まってますぞ」


「あぁスミマセン」


俺は主簿じゃねぇ!と言うか大将軍府に所属してるわけでもねぇ!と言いたいところだが、自他ともに認める何進の子飼いであり、何進から「やれ」と言われている以上はそんな言い訳は通用しない。


血走った目で計算を続ける先輩に頭を下げながら(官位役職の上では李儒の方が上である)書類を捌くこと半月。同僚たち(李儒の所属は違うので正確には同僚ではないが)が、「ようやく作業が終わったー」と言う言葉と共にイイ笑顔で倒れこむ中、李儒は何進による呼び出しを受けていた。



――――


洛陽・大将軍府・執務室


「李儒。お呼びにより参上致しました」


「おぅ。入れ」


「はっ」


本来ならば大将軍閣下との面会にはもっと面倒な前置きが有るのだが、何進自身が正しい前置きを知らないし、何より呼び出す度にそんな事をするのは面倒なので、李儒にはそう言った儀礼は無視することを許可している。


そして李儒が部屋の中に入れば、そこには部屋の主である大将軍である何進と、見たことも無いゴツイ武官が……ってあぁ。コレが董卓か。


本来であればもっと自信満々で居丈高な態度なのだろうが、今回は敗戦の後だから多少委縮しているのだろう。それと俺も蒼天〇路的な印象が強かったから気付かなかった。


しかしこの場にあっても、実戦で鍛えられた武官としての雰囲気は隠しきれていない。火薬の臭いは無いが、辺境の黄砂に揉まれてきたのだろうことは一目で分かる。


一言で言えば「むせる」だな。それにこの体格を見れば馬上でも両手で弓が引けると言うのも誇張では無いのだろう。


だが相手が悪かったな。今の貴様では今の俺には勝てんぞ! (錯乱中)


「お初にお目にかかります。そちらにおわすのは董卓将軍閣下とお見受けいたしますが、相違無いでしょうか?」


「む?あ、あぁ。確かに私は董卓ですが……」


大将軍への挨拶もソコソコに自分に話しかけてきた「李儒」を名乗る文官の態度に「これ、良いのか?」と何進を見る董卓だが、当の何進は面白そうなモノを見る目でコチラを見るだけで、咎めるような気配はない。


「丁度良かった。ではコチラを確認して下さい」


そんな視線もなんのその。李儒は何進の態度を当然のように受け流し、脇に抱えていた3つの竹簡(半月の苦労の結晶)を董卓へと手渡す。



「か、確認ですか?」


「そうです。確認です。あぁ万が一破壊されても写しは作っているので問題ありませんよ」


「そ、そうですか」


董卓にしてみれば名家出身者にありがちな長ったらしい前置きも嫌味も何も無く、それどころか挨拶もそこそこにいきなり竹簡を手渡してくる李儒の行動の意味が分からないし、何進がソレを黙認しているのがもっとわからない。


自分は「今後の扱いについての話が有る」と言うことで呼び出されたのだが、コレはどういうことだ?


しかし李儒と言えば何進の懐刀にして神童と言われた男だ。何進がココまで出世出来たのは彼が居たからだと言う噂が有るのは知っているし、洛陽に有る数少ない伝手である蔡邕からも「洛陽に於いて何進よりも気を付けねばならない男」と散々注意を受けている。


最初は「文官如き何するものぞ」と思っていたが、何と言うかこの……数日徹夜した後っぽい疲れ切った顔から発せられる「さっさと確認しねぇと殺すぞ」と言わんばかりの眼光と雰囲気には逆らい難いモノを感じるのも事実だ。


「ん?あぁ、もう終わったのか?」


「えぇ。本来なら董卓閣下に確認をして貰う前に大将軍閣下にお見せして、その後で大将軍閣下から董卓閣下に確認を取るのでしょうが……正直に言えば二度手間ですからね。ココで董卓閣下が確認して大将軍閣下の前で認めてくれれば、さっさと決裁して処理に入れますよ」


まぁその前に二日は寝ますけどね。と虚ろな笑いを浮かべる李儒に、内心でドン引きする董卓。それは別に李儒が浮かべる空虚な笑い顔に引いたのではない。


いやまぁ、それも有るが、本当に引いたのは彼が言った言葉についてだ。ここで彼が言っているのは己の敗戦処理についてだろう。


だが一言で敗戦処理と言っても、その処理は実に多岐に渡る。


まずは功罪。敗戦で有る以上敗因は有る。ソレを作った者への懲罰等も有れば、敗戦とは言え功が有る者もいるのでそれに見合った褒美を与えるのが当然である。


これだけでも面倒なのだが、さらに面倒なのは使われた兵糧や返却された装備・馬等の確認だ。コレが厄介と言われるのは、装備だけでなく兵糧もちょろまかしが無いかどうかの確認が必要だからである。


今回の戦では余剰分の兵糧の一部を兵士に分けても良いと言う許可を得ていたのだが、ソレに使った分と普段からの兵糧の使用量を確認した上で、過不足の確認をしなくてはならないのだ。


……数万の軍勢が消費した兵糧のチェックを行うのだ。想像しただけで気が滅入ると言っても良い。


そしてそんな面倒な作業を行うだけでもアレなのに、こうして最終確認者である何進の元にその資料を携えて来たと言うことは、すでにそれらの作業の一切合切を終えたと言うことを意味する。


だが、それが分かるからこそ董卓は「信じられない」と言う思いに包まれてしまった。


これが自分の負け戦だけならまだ良いのだ(それにしても早すぎるが)。しかし黄巾との戦をしているのは自分だけでは無い。皇甫嵩や朱儁もそれぞれの功績を報告してきているだろうし、不足分の兵糧や物資の催促だって来ているはずだ。


その上で自分に代わる新たな軍勢の編成や物資の用意もある中、急ぎでもない敗戦処理に関する事案を取りまとめるのは異常だし、通常これらの作業と言うのは少なく見積もっても数か月から一年は必要な案件だろう。


ソレを自分が帰還してから半月たらずで終わらせたと言うのか?他の戦線に何ら悪影響を出さないようにして?


そして何進の目の前で自分にこの資料を見せると言うことは、中央の文官にありがちな武官の功績への横槍のようなものもしていないし、内容に誤りを指摘されても構わないと言う自信の表れとでも言うつもりなのだろう。


功罪や兵糧。さらに戦死者や負傷者に対する補填等々、簡単に考えただけでも面倒事が満載の敗戦処理がこれほど早く終わったという事を理解した董卓は大将軍府の仕事量と処理速度の速さに驚くほかない。


しかし李儒に言わせればその認識は前提から間違っている。


なにせこの時代の文官共は、能力が無いと言うのもあるのだが、それ以前に無駄な行動というか、無駄に名族意識が強くて仕事を勿体付けて行う癖があるのだ。


何というか……当時の文官は、賄賂を貰って動く自動販売機みたいなモノと思えば良いだろう。あの高速道路に有るうどんとか作るアレだ。賄賂をもらわなければ動かないのが常態化しているし、手当が無ければ仕事が遅いと言うのもあった。


そんな連中に対して「有給?残業代?差し入れ?ナニソレ?」を地で行く社畜の李儒が情けを掛けるはずがない。


当初何進を侮りまともな仕事をしなかった文官共に対し、何進(社長)と言う明確な権力を後ろ盾に持った李儒は「良いからやれ。職務怠慢で死ぬか?」と真剣に(真剣を首に添えて)仕事をさせることから始めた。


そんな中でも阿呆は居るもので、家の権力だかなんだかを声高に叫び、仕事をサボろうとした者も居たのだが、そんな阿呆に対して李儒が行ったことは、命令違反及び職務怠慢の罪で首にすることだったと言う。


そんな阿呆を見せしめの意味を込めて何度か処刑することで、李儒はサボり癖のある文官たちからは心から恐れられ、真面目に仕事をしていた者たちからは崇拝される事になった。結果として大将軍府の文官たちは仕事をサボったり勿体つけて行うことを悪とし、仕事が溜まる前に処理をすると言う当たり前のことを当たり前に出来る集団となっていった。


そのせいで、本来大将軍府に関係ないはずの李儒が大将軍府の文官筆頭のような扱いを受けるのは、まぁ自業自得と言えなくもない。


それはともかくとして、話を今回の処理についてに戻そう。


元々董卓から上げられた報告は現場から上がって来たものであり、現場士官が上げてきた報告書類には名家連中のように虚飾に塗れた文章を書く事もなく非常に簡潔に纏められていた為、普段洛陽で名家の相手をしている文官衆からすれば、作業自体はそれほど面倒な仕事ではなかった。


それに、兵糧に関しては大将軍府から監督官も派遣していたので書式もきっちりとしていた為、洛陽での作業自体は決して多くは無かったと言うのも有る。


ただ面倒だったのは、大将軍府の監督官を通さない報告だった。


例えば名家閥の人間が付けてきた軍監による報告は、実際に戦をした様子がどうこうではなく「○○家の人間が~」だとか「○○の子は~」などと言ったように無駄に家や個人を賞賛するものが多く、資料としてはまったく役に立たないモノもあったりしたのだ。


さらに報告を纏める際にダブリが有ったかのような数字の異常や、誤字脱字。後は細かい単位(3人が10人とかの違いは結構ある)についての真偽の確認に時間が掛かった程度である。


それでもなんだかんだで半月ほどの時間と労力を掛けて作られた資料だ。


その内容は基本的に日付順に纏められており、更に董卓が上げた報告と監察官が上げた報告の矛盾点などを指摘しており、他者から見た己の行いがどのようなモノだったかを簡潔かつ客観的に俯瞰出来るようになっている。


(これが李儒か……)


そんな「これこそ報告書だ!」と言わんばかりの完成度を誇る竹簡を見せられて、董卓はその内容と製作者であろう男に対して純粋な驚きを覚えていた。


そもそも李儒と言う人間に対しては、今回の戦に参加している諸将からの評価は極めて高かったのだ。


それと言うのも、乱の当初は外戚と言うことで大将軍となった何進に対し、諸将は「所詮は肉屋の倅。兵法など理解はしていないのだから邪魔だけはするな」と見下していたところがあった。


それが戦の前に外戚と言う立場を利用して、帝に対し党錮の禁の解禁などを提言するなどと言った配慮を見せたり、名家や宦官によって選出された将が負けて戻った際に、周囲の予想とは裏腹に連中との足を引っ張ったり揚げ足を取るなどと言った政争を行うことなく、乱を収めることを最優先とすると言って精力的に軍議を開いたことで軍部からの評価を高めた。


そしてその軍議において、諸将に対して正確な情報と予測に基づく的確な指示を出したり、物資や相手の情報を一切誤魔化さず、欲しいモノを欲しいだけ(必要なモノを必要な分だけ)用意していたことで、その評価はさらに上がった。


極めつけは何進が諸将に対して「名家だの宦官との折衝はコチラで行う。諸将は賊を討つことだけ考えてくれればいい」と訓示を出し、その言葉通りに全ての面倒な手続きを完了させ、盤石な後方支援を遂行していることだ。


皇甫嵩や朱儁も後方に不安が無いと言うことでかなりのやりやすさを覚えているし、帝の命で更迭された盧植も何進に対しては一切文句が無い。


かく言う董卓も最初から何進に「袁隗の横槍を防げなかった。面倒をかけて済まねぇな。出来るだけ支援はするから無理はするな」と言われていたし、実際に洛陽からの支援が滞ることは無かった。更に言えば今に至るまで敗戦の責を問われるようなことも無い。


何進が謀略や政略に長けていると言うのは知っていたが、ココまで軍の運営に対する知識が有ると思っていなかった諸将は、外戚としてではなく『大将軍』としての何進を評価することとなったのだ。


しかしながら彼らはコレを何進個人の能力であると見ることも無かった。誰かが何進に入れ知恵をしているのは確実だからだ。


そこで誰が入れ知恵をしているのか?と皆が何進の周囲を探った際に浮上してきたのが、数年前に何進の下に出仕した「李家の神童」こと李儒であった。


彼が何進の配下となってからというもの、河南(洛陽)に於ける治安は目に見えて向上したし、各部署の仕事の処理速度も劇的に向上したと言う。


このとき清流派(反宦官勢力)だの濁流派(親宦官勢力)に所属したくない名家の者たちを抱え込み、職を与え、その家柄ではなく成果に対して評価をさせることで、何進は名を高めている。


そして今回、党錮の禁から解放された者たちからも一定の評価を得ていることから、今では名家閥の中に何進派と呼ばれる派閥まで形勢されつつあるくらいだ。それらが積り積もった結果が今の立場(大将軍)だと言うのは衆目の一致するところ。


つまり李儒とは、外戚の一人に過ぎなかった何進を大将軍に押し上げた功労者にして、信任の厚い懐刀にして、諸将にとっては恩人とも言える存在だ。(物資に関してもそうだが、軍事に関して素人である大将軍に絡まれたり、宦官だの名家の権力争いに巻き込まれず無駄な行動をしなくて済んでいると言うだけでかなり助かっている)


一応何進とて太守やら何やらを経験しているので、軍事について全くの素人と言うわけでは無い。しかし流石に漢全体に広がる軍勢の差配が出来るとは思っていない。結果として大部分を李儒に任せることにしているのが現状だが、そもそも大将軍とは『使う者』である。


故に、李儒を信じて任せると言う決断が出来ると言うだけで、何進の評価が上がるには十分と言えるだろう。


それはそれとして。


言うなればこの寝不足気味でテンションが危険な状態になりつつある男こそが官軍の生命線であり、袁隗によって切り捨てられそうな董卓にとっての命綱なのである。


「う、うむ。特に問題は無いように思えます。私に異論はありませんぞ」


本来は中郎将である董卓の方が格上なので(へりくだ)る必要は無いのだが、李儒と言う男に対しての評価を定めた董卓は、彼の機嫌を損ねないように報告書の内容を承認して李儒に返す。


「そうですか。ありがとうございます。では大将軍閣下、ご確認を」


そうして董卓から竹簡を受け取った李儒は、そのまま何進へとソレを渡した。この態度からも「もうさっさと寝たい」と言うのが有り有りと分かるが、残念ながら何進は報告書の確認の為に李儒を呼んだわけでは無い。


「おう。ソレは預かる。で、今回お前を呼んだのは董卓の今後についてだ。さっさとお前の計画を話せ」


「……はっ」


何進の言葉に一瞬顔を歪めるも「仕事だ」と割り切って不満を己の中から消す李儒。そう、真の社畜とは不平不満を我慢するのではない、不平不満を認識しないのだ!


「某の今後ですか?」


董卓にしてみればいきなり話を振られた形になるが、これは正しく死活問題だ。ここで李儒に倒れられては困るが先送りに出来る話題でもないので、李儒に「さっさと話せ」と言うような視線を向ける。


ずんぐりむっくりな何進と、筋肉モリモリな董卓からの熱い視線を受ける華奢な若者の(コイツら二人がゴツイだけであって、決して貧弱では無い)李儒。


見る者が見れば非常にアレな光景であるが、当然のことながらそこにツッコミを入れる者はこの場には居なかった。



蒼〇航路の影響で、どうしても董卓の口調に(まぁ基本的に時代を考えれば全部ですが)違和感がってお話。



――――




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