10話。洛中でのこと④
いきなりだが、もしも他人から「貴殿は袁紹と言う男をどう評価しているのか?」と問われたならば、李儒は迷わず『天才一家に生まれた馬鹿のボンボン』と赤○先生も苦笑いするような返答を返すだろう。
この評価に関しては前世の知識の偏りが有る点は否めないが、彼の現在の様子を見た上で、李儒は「基本的に袁紹の為したことは袁家の威光があってのことだ」と確信している。
実際当代の袁家と言うのは『四世三公の家』と呼ばれるように、名家の中でも絶大な権力を有していた。ただまぁ、四世三公だけならそれほど珍しくは無い。
問題なのはその時期だ。
そもそも名家と言うのは事務仕事を一手に握っている為に滅ぼすのは容易ではないのだが、彼らの場合はさらに厳しい。なにせ彼らは桓帝の時代、外戚の梁冀等が猛威を奮ったときも、それを単超ら宦官たちが誅殺して、彼らが猛威を奮ったときも無事に生き延びている。
そして現在袁紹の保護者でもある袁隗と言う男に至っては、宦官の全盛期と言っても良い霊帝の世に於いて、名家閥の代表として十常侍と真っ向から競り合いつつ権勢を保っていたほどの人物だ。
そして彼の兄であり袁術の父である汝南袁家当主の袁逢も、袁隗と共に宦官と戦いつつ汝南袁家を纏めていた実績を持つ政治家である。
さらに言えば彼らは兄弟仲も良く、弟の袁隗は兄の袁逢を良く支え、兄の袁逢は優秀な弟に嫉妬することなく共に家を盛り立てる事に成功していたのだから、これに関しては見事と言う他無い。
結果として彼らは宮中に繋がりが無い者は居ないと言える程の交友関係を築くことに成功しており、袁家の関係者を処罰するとなると数千の人間に累が及ぶという状況まで勢力を拡張させていた。
ちなみに先述した梁冀の場合、本人とその関係者である300~500人を誅殺した結果、宮中が空となり朝廷の政に支障を来たしたと言う記録が残っている。
今の袁家は最低でもその倍の影響力が有ると考えれば、その危険度の大きさも理解しやすいかも知れない。
そんな政治の化物たちの数少ない失点が、袁逢・袁隗の兄である袁成の子・袁紹の扱いに失敗したことだ。
いや、失敗したとは言っても、個人的な能力に限って言えば幼少の頃より優秀な親族や家臣によって養育された袁紹の能力は他の者と比べても決して低くはない。
しかし、その能力を運用する能力に欠けていたのが致命的だった。
これに関して言えば、そもそもの原因は袁隗にある。彼は袁紹をただの甥としてではなく兄の子として見ていたし、さらにその兄が早世したと言うことが重なって愛情を注ぎ過ぎてしまったのだ。
その結果袁紹は『袁逢は自分が元服するまでの代理の当主であり、正統な袁家の世継ぎは自分なのだ』と勘違いしてしまう。
そうなると、袁紹に求められる能力は人を使うことであり、自分が働くことでは無いと言うことになる。その為彼は朝廷にも出仕せず若くして隠棲し、名士のみと誼を交わすことになる。
これは名家の当主として考えるならそれほど悪いことではない。しかし汝南袁家の当主は袁逢であり、袁逢に認められた次期当主は袁術だ。袁紹では無い。
元々自分が次期当主になると勘違いして育ち、朝廷への出仕を拒むレベルにまで自尊心を肥大化させた袁紹にとって、誰かの下に付くことは我慢できる事ではなかった。それも自分より年下で自分より素質に劣る袁術に従うなど有り得ないことである。
袁隗が袁紹に対して「袁家を滅ぼすつもりか?」と叱責したのも「準備も何もなしに宦官と戦うつもりか?」と言うのと「袁家を割る気か?」と言う二つの意味があったのだ。
そしてその意味を正しく理解していないまま袁紹を無理やり何進の下に送り込んだことで、彼らの中で致命的な齟齬が生まれてしまう。
袁隗としては真面目に働くと同時に、何進の政治手腕や謀略について学べと発破を懸けたつもりだったのだが、袁紹は「下賤の者を大将軍と言う役職から引きずり下ろし、自分が軍部を掌握しろ」と言う密命を受けたのだと勘違いしてしまったのだ。
その結果が禁軍の掌握からの何進と張譲の殺害であり、袁紹としては「これで私が軍部を握る事が出来る!」と確信をしていた。
そして彼が意気揚々と凱旋し自身の成果を誇らしげに報告したところ、待っていたのは拳による制裁と謹慎処分であった。
その処分を受けて「何故だ!誰もが何進と張譲の死を望んでいたではないか!」と叫ぶ袁紹は、やはり己の行いを理解していないボンボンであると言えよう。
袁隗にとっては、目を掛けて来た甥が武装して宮中に侵犯したというだけでも大問題なのに、それに加えて宦官殺害だけでなく名家出身である女官の拐かしを誘発してしまったのも痛すぎた。
これにより名家の中にも袁紹を敵視する者らが大量に生まれてしまったからだ。さらに共犯だった禁軍の者たちは既に全員が処刑されているのだが、彼らに対しては劉弁から「禁軍だった者の一族には累は及ぼさない」と言う布告が出されてしまっている。
よって、身内の罪で自分たちが裁かれる心配がなくなった彼らからの支援も受けられそうにない。
こうしてコネの大半を封じられた中で、何とかして家を生き残らせようと四苦八苦していたところ、袁隗だけでなく洛陽全体に衝撃を与える事件が発生した。
――――
「やはり持つべき者は真の友よ。呉匡、曹操、少しだけ待っていてくれ。必ずや君らも助けてみせる!」
大将軍府に拘束された朋友たちの姿を思い、目に涙を溜めながら洛陽を脱し、東へ向かう男が居たという。
……ちなみにその男が出た城門は北門であった。
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孫堅がその情報を掴んだのは、ある日の昼頃であった。そこで自分なりに情報収集をした後、饗応役である曹操に確認を取ることにしたのだが……
「袁紹が行方不明と言うのは本当ですか?」
「……ハイ。ホントウデス」
「そうですか。事実でしたか……(何故カタコト?)」
曹操の顔は真っ白であり、目からも完全に生気が失われているようにも見える。
「ところでその。大丈夫ですか?」
「……エェ」
「(絶対大丈夫じゃねぇ!)」
そんな今まで見てきた才気溢れる感じが微塵も感じられない曹操を見て、さすがの孫堅も心配になるのだが「下手に藪を突くと巻き添えを喰らうぞ」と己の中の何かが囁くので、とりあえず彼の状態に対しては考えないこととする。
と言うか、今の大将軍府はそれどころではない状況であった。
「まさか宮中侵犯の主犯を逃がすとは……袁家の狙いはどこに有ると思いますか?」
孫堅としては行方不明=死とは思っていない。もし大将軍府の人間や名家の人間が彼を殺したならば下手人が名乗りを上げるだろうし、名家には彼を殺す理由がないのだ。
もし関係者が減刑を願うなら、劉弁らに対して袁紹を生きたまま差し出すのが一番効果的であるのは常識である。さらに死体を隠すことで偽装を疑わせ、彼らの罰を重くするためか?と考えることもできなくはないが、現状で彼らは九族処刑が妥当とされているので、これ以上の罰は存在しない。
よって袁紹は殺されて死体を隠されたと言うよりは、洛陽から逃げ出したと考えるのが普通であった。そして逃がしたのは誰だ?と問われた場合、上がってくるのは袁家以外には無い。
普通は。
「……袁家と言うよりは袁紹の独断でしょう」
「ほう?」
カタコトでは無くなったが、なおも顔色の悪い曹操はそう断言する。実際袁紹が北門から逃げたことは昔の伝手関連で掴んでいるし、そもそも北門から逃げられるように融通を利かせたのは曹操だ。
その融通も「袁紹を逃がせ」と言うものではなく「符牒を持っている者を融通してやってくれ」と言う程度のモノであったが、間違いなくソレを使っていると思われる形跡があったので、間接的に曹操が袁紹の逃亡を幇助したと言う事実が出来上がってしまっていた。
前に袁紹に洛陽からの逃亡を唆した際に、彼にその符牒を渡していた事を忘れていた自分が悪いのだが、まさか袁家や大将軍府が袁紹を逃がすとは思っていなかった……と言うのは言い訳に過ぎないだろうか?
「袁家としては袁紹を謹慎処分にして、劉弁殿下が即位した後に差し出すことで、袁家に対する恩赦か何かを引き出そうとしていたはず。よって今の段階で彼らが袁紹を逃がすなどありえません」
「……謹慎処分ですか?アレが?」
言外に「自由気ままに洛陽を動き回っていたが?」と言う含みを込めたのだが、それは曹操とて重々承知のこと。
「袁紹にとっては「洛陽から出るな!」だの「○○家へ行くな!」と言うように自身の行動を束縛された時点で謹慎処分を守っていると言ったところだったのでしょう」
「それはまた、なんとも」
謹慎と言う言葉の意味を調べておけ!と言いたい所だが、かつて『洛陽の常識非常識』と言う言葉を聞いたことがあるので、孫堅としても「そうか」としか言えないのがもどかしいところだろう。
無論、洛陽の常識でも袁紹の行動は非常識であることは、洛陽に住む者たちの名誉の為に明記しておく。
それはともかくとして。
「そして袁紹は公に罪人とされていたわけではありませんからな。謹慎も袁家内部のことですし、門番も袁紹の顔など知らないでしょう。よって『正規の手続き』で洛外に出るのを止めることはできません」
「なるほど」
何故か『正規の手続き』をやけに強調した曹操だが、言っていることは間違っていない。
朝廷にしてみれば「宮中に侵犯した者が投獄されずのうのうと生きている」と言うだけでも醜聞であるので、実情はどうあれ対外的に今の袁紹は「張譲を殺して何進の仇討ちを果たした漢の忠臣」でしかないのだ。
よって門番も法的に彼を束縛することはできないので、商人の一行に紛れて外に出るなどといった偽装をしなくても、手形なりなんなりを持っていれば洛陽から外に出ることはそれほど難しくはなかったりする。
それでも追っ手のことを考えれば多少の偽装が必要なのは常識なので、ここは流石の袁紹も偽装をしていたようであった。こういう誰の得にもならないことについては常識を踏襲するのも袁紹のタチの悪いところである。
そして袁紹の常識云々による偽装に加えて基本的に城門と言うのは入ることに関しては厳重だが、出るときに関しては比較的扱いが軽いものだ。さらに今は各地から諸侯が集まりつつある状況なので、門番たちの意識は外側に向いていると言うのもあった。
それらを顧みて「(袁紹は正規の手続きで逃げたんだ!だから俺は悪くねぇ!)」と自己弁護してなんとか精神の均衡を保とうとしている典軍校尉が居るらしいのだが、当然のことながら罪だの罰を決めるのは当人では無く司法に携わる役人だ。
曹操としては、まさかこの状況で自分も逃げるわけにも行かない。と言うか、堂々と大将軍府に居ることが自身の無罪を主張できる状況証拠にもなるので、必死で取り繕っているのだが、彼の頭と胃は激しい痛みを訴えていたと言う。
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同時刻・宮城内
「袁隗殿。困ったことをしてくれましたなぁ」
「……申し開きのしようもございませぬ」
袁隗は自らより、いや、問題を起こした甥よりも年下の若造に深々と頭を下げる。面子?誇り?それどころではない。この期に及んで失態とすら言えない致命的なミスを犯した袁隗は、自身が目の前に座る男に抵抗する術はないということを誰よりも深く理解している。
今や何進や張譲に勝るとも劣らぬ政治の化物は、料理人の前に置かれた俎の上の食材に過ぎなかった。
そろそろお話が動きます。色々な狙いがあって袁隗は生かされてますが、流石になぁって感じですね。
張譲・何進・袁隗(袁隗の場合は予定ですけど)等々、優秀な政治家を大量に失った洛陽(漢)はどうなっちゃうの~?ってお話。
尚、後漢の政治家として優秀なこと=漢にとって良いこと。では無いもよう。
――――
登場人物紹介
呉巨:史実においても何進の配下なのだが、それ以前に彼はニート時代の袁紹とも仲良くしており、袁紹も彼を奔走の友として扱っていた。つまり大将軍府における袁紹派の人間。
史実に於いては袁紹・何苗らと一緒に宮中へ乱入し宦官を殺し回った後で、どさくさに紛れて何進の配下の兵に対し「何進が死んだのは何苗のせいだ!」と煽動して、兵士たちに何苗を殺させている。
コイツの行動をみれば、史実の袁紹の行動に対しても「明らかに何一族の勢力を削ごうとしてたよな?何進と張譲を殺す機会を狙ってただろ?」と言う嫌疑をかけても良いと思う。









