8話。洛中でのこと②
中平6年(西暦189年)10月。洛陽
何進の死から始まった袁紹らによる宦官の虐殺、劉弁・劉協の洛外脱出、そして帰還した西園軍による禁軍の粛清と、一歩間違えば誰もが命を失うような暴風が吹き荒れていた洛陽は、両殿下の帰還を受けて表面上の落ち着きを取り戻していた。
もちろん水面下では各勢力であれやこれやの策謀が行われているのは変わりない。
例えば袁家の場合は袁家の人間ではなく、袁家の関係者が何后や劉弁・劉協に対して助命を願い出ていたり、袁紹の暴走を上司である李儒のせいにする為に各種讒言をしていたりする。
それに対して、組織の自浄に成功した西園軍はそのまま宮中警備や鍛錬に専念しているし、大将軍府も生前何進が呼び寄せた諸侯に対する受け入れの準備などで時間を取られていたことや、何進のように朝廷への影響力と政治手腕を両立できる者が居ないので、宮廷工作において袁家に一歩も二歩も遅れを取っていた。
……かのように見えた。
―――
「はぁ?弘農に下がる?この状況で?」
何を言っているんだコイツは?
「いやいや、そんな正気を疑うような目を向けられても困りますよ」
(何を言ってやがる!)
李儒の正気を疑うような発言を受けて、目を座らせた荀攸は、いつでもこの男を殴り倒せるように張遼をこの場に用意しなかったことを深く後悔していた。
「正気を疑いもします。李厳が言うには大将軍は李儒殿に策とお孫を託されたと聞きましたが?」
それはどうする気だ?
「えぇ。閣下のお孫様に関しては弘農で養育する予定です。洛陽よりはマシでしょう?」
「それはまぁ……そうですな」
どう考えても今の洛陽は子供を育てるのに適した環境とは言い難いし、何進の孫と言うことでどのように政治利用されるかもわからないので、荀攸としてもそこは認めるしかない。
だが荀攸が問題にしているのは教育環境云々ではないのだ。
「しかしそれでも李儒殿が洛陽を離れる理由にはなりますまい?」
養育と言っても李儒が行うわけではない。特に今はまだ2歳だか3歳の子供なので、彼がどうこうするとも思えないので「それは理由にならん」としっかりと釘を刺す。
「無論、それだけではありません。何進閣下に託された策は、今回の件を利用して袁家と宦官を滅ぼすこと。そのためには私の辞任、いえ免職が必要なことなのですよ」
「……言わんとすることはわかります」
劉弁や劉協は細かく説明されてようやく理解したが、流石に荀攸はそこまで鈍くはない。李儒の狙いが自身の保身と袁家を追い込むためのモノであることは瞬時に理解した。
まぁそれと同時に、目の前の腹黒外道が内心で「楽隠居の大義名分を得た!」と喜びの声を挙げているのも理解していたのだが、今の荀攸には李儒の隠居を止めるだけの名分が無いので、彼は内心で「ぐぬぬ」と呻くことしか出来ない。
「両殿下からも許可は得ておりますしね」
「むぅ」
そんな彼に対して李儒はしっかりと追撃を行うことを忘れなかった。確かに劉弁と劉協が認めたと言うならそれが漢という国の決定となるので、一臣下に過ぎない荀攸に反論の余地はない。
「それは分かりました。しかし何故両殿下や董卓殿らは李儒殿の隠居を認めたのですか?」
これから始まるであろう名家の粛清の結果、ただでさえ人材不足が予想される中で、帝に忠実(反抗する理由がないと言うだけで、忠誠心が高いとは言っていない)で政治力や武力を持つ李儒を表舞台から外すことに意味があるとは思えないのだ。
それに両殿下は子供だから何とでも言いくるめることが出来るだろうが、李厳ら周囲の人間も李儒の隠居に異論を唱える様子がないのも不自然極まりないことである。
これが王允だの趙忠のように帝に忠義を誓いつつも大将軍府の権力拡大を嫌う者たちならわかる。何進が死に、袁紹の暴走で袁家が滅び、その上で李儒も袁紹の不祥事に巻き込まれて失脚すると言うなら万々歳だろう。
だが大将軍府の人間や軍部の者たちからすれば、どこぞの蹇碩のような現場を知らない名家や宦官の息が掛かった人間が上に立つよりも、現場を知る人間が上に居てほしいと思うのは当然のことである。
そして現状では李儒以上に後方支援の才と実績を持つ者が居ないと言うことは周知の事実だし、未だに張純の乱を始めとした国内のゴタゴタが完全に収まっていない状況で、彼を罷免するなど認められたものではないと言うのが常識なはずだ。
少なくとも荀攸が知る董卓と言う男は、戦の理や一般常識を理解した将帥だ。そんな彼までもこの常識をぶち破るような事を認める理由がわからなかった。
「あぁ、それは簡単ですよ。劉弁殿下の療養を兼ねているからです」
「……療養?」
劉弁が病に冒されていると言う情報を知らない荀攸は、いきなり暴露された情報に首を傾げる。
「あれ?もしかして荀攸殿もご存知では無い?」
「ええ。一体何のことでしょうか?」
知っていて当然と言うような反応をする李儒を見て「もしかして報告に有ったか?しかしそんな重要事項を見落とす筈が……」と不安になるが、李儒は状況証拠から水銀中毒と推察しているだけであるので、正式に書面で報告を上げた事などないので知らないのも当然である。
よって荀攸の確認漏れに関する心配は完全に杞憂なのだが、万が一を考えれば看過出来る内容ではないので、荀攸は必死で記憶の中から情報を漁ろうとするも、当然知らないものは知らないと言う結論しか出てこなかった。
「お恥ずかしいことですが覚えがありません。詳しく教えて頂けますか?」
いくら頑張っても思い出せなかったので、荀攸は恥だとかそういうのを抜きにして頭を下げることにした。
なにせことは帝に関することなのだ「知らない」では済まされないし、知ったかぶりをしてこの場を凌いでも、後から言及されれば一族の命が無くなる危険性もある。
それらを考えれば、ここで李儒から叱責を受けてでも情報を得ようとするのは間違った行動ではない。
それに間違っているのは、皇帝が毒を飲まされていることを知りながら放置してきた李儒なのだから尚更と言っても良いだろう。
「えぇ。隠しているわけでも有りませんからな。実は……劉弁殿下は病。ではなく、毒に冒されているのですよ」
「はぁ?!」
「細かく言うならこのような状況でして……」
…………
「ま、まさか歴代皇帝が霊薬として飲んでいた水銀が毒だったとは!」
う~む普通に驚いてんのな。
荀攸みたいな名家だと普通に霊薬としてしか情報が無いのかねぇ。水銀なんてどう見ても体に悪そうなのに、なんでアレを薬として認識して、さらにありがたがるのかがわからん。
もしやこれも現代日本の価値観と古代中国の価値観の違いなのか?
……予想以上に驚く荀攸を見て李儒は『価値観』で片付けようとしているが、彼には価値観の違いだけではなくそこに知識量の違いも加わっていると言う自覚は無かった。
なにせ彼が前世で暮らしていた現代日本は、今から1700年以上先の世界である。当然それまでに様々な研究や発見があったし、それらがほとんど(当然隠されているものもある)一般に公開されていたのだ。
それは今生の「知識は秘匿するのが当たり前」と言った世相からは想像も出来ない世界である。
そんな世界で知識を培ってきた下地と、今の古代中国的価値観を無理なく両立させている李儒は、それだけである種の化物と言っても過言ではない。
そんな化物と同じ価値観を持てという方が無理な話だし、知識量については言わずもがな。李儒は先読み程度にしか考えていないが、曖昧とは言えこれら科学技術の知識こそが真のチートと言えるだろう。
まぁ技術の再現については本人の知識が曖昧なことと、現時点での冶金技術のような根幹技術が未熟なので活用する術が無いと思っていることが周囲にとって救いと言えば救いなのかもしれない。
そんなチートに関してはともかく。
「辰砂は秦代の前は普通に毒物として扱っていたようですね。おそらくですが始皇帝によって不老不死の霊薬を探せ!と無茶を命じられた当時の人間が、毒を薬と偽って飲ませたのでしょう。それを歴代の皇帝陛下が薬と思い込んだのが始まりのようです」
まぁ根拠のない推測だが、この時代は状況証拠と理論立った推測で周囲を納得させることができれば、それが正しい理屈になるのが後漢クォリティ。
「なんと……」
秦の始皇帝の晩年の暴君ぶりを知るからか、荀攸も誰かが始皇帝に毒を盛ったことに関しては否定しないか。まぁ漢にとって始皇帝は偉大だが、秦は貶めるべき敵だ。漢の名家である荀家も違和感を抱きにくいんだろうな。
「さらに張譲らは水銀が毒と知っていたようですな。先帝の死に際しても薬として水銀を服用させてたようですし」
「……」
実際は毒と知っていたかどうかは知らんが、水銀を飲ませていたのは事実だ。当の本人は袁紹に殺られたらしいが、とことん利用させてもらうぞ。
死者に対する遠慮?そんなの宦官には必要ねぇんだよ。
「さらに言えば、連中は劉弁殿下には水銀を飲ませていましたが、劉協殿下には『これは皇帝になる方のみが服用される霊薬です』と言って飲ませていませんでした。これも私が宦官を疑う要因の一つです」
「た、確かにそうですな」
皇帝専用の薬って、厳しすぎるだろ。薬だと思えば納得ができても、毒と思えば悪意しか見えんぞ。
「さらに劉弁殿下のお体に現れる症状は毒によるものである可能性が高い。何進閣下の甥である殿下には敵も多いので、一度洛陽を離れ、私と共に弘農で療養して頂くのが必要であると愚考した次第です」
「なるほど、そういうことでしたか」
わかるかね?俺が隠居するんじゃない。劉弁が療養する必要があり、それに俺が着いて行くんだ。ある意味で忠誠心溢れる行動ってことだな。
「……劉弁殿下が療養すると言うことは、帝位はどうなりますか?」
それな。確かに漢の人間なら気になるだろうよ。
「まず劉弁殿下を太子とし、劉協殿下を丞相とします。そして劉弁殿下には先帝と何進閣下の喪に服すと言う名目で一年療養していただき、経過を見たいと思っております」
一年でどうにかなるとは思えんが、重要なのは洛陽から離れることだ。だから今はこれで十分。
「喪に……確かに言い分としてはわからなくもありません。では一先ずは劉協殿下を代理とする形で朝議を執り行うと?」
「えぇ。そうなります」
劉弁だろうと劉協だろうと今の段階で政に口を出せるわけじゃないからな。それに今までも皇帝なんて宦官や外戚が政敵を殺したり私腹を肥やそうとして勅を利用するだけの存在だったし、最終的に承認するだけの存在でしかないんだから、居ても居なくても一緒だろ?
理想としては象徴として君臨してくれるのが一番ありがたいってな。
……かなりの暴論であるが、李儒が内心で考えていることは決して間違いではない。政治も軍事も知らない子供に絶対命令権を持たせるなど正気の沙汰ではないということはわかりきっていることだし、実際に何か命令を出されたら困るのは周囲の人間だけではないのだ。
それを考えれば、病に冒された劉弁を隔離し、残った劉協を絶対的な決定権を持たない丞相とするのは妙案と言えるだろう。
「……両殿下がそれを認めていると言うなら、私にも言えることはありません」
「ご理解いただきありがとうございます(ふっ。勝った!第二章完ッ!)」
ようやく荀攸から敗北宣言(李儒の中ではそうなっている)を引き出した李儒は内心で喝采を挙げるも、残念ながら荀攸は負けを認めたわけでは無かった。
――――
「……では今後は弘農まで迅速に書類を送る手はずを整える必要がありますね。手間がかかりますが仕方有りませんな」
「……え?」
コヤツ、今なんと言った?
「いえ、洛陽に劉弁殿下がいないのでしたら、弘農に書簡を送るのは当然でしょう?なにせ劉弁殿下に認可を頂く必要のある書類も有るのですから」
「え、えぇ確かにそれはそうですね」
サインだけとは言え、本人の許可が必要なこともあるのは事実だよな。
「その時『ついでに』李儒殿宛の書簡も送るかもしれませんなぁ」
おい。まて。ヤメロ。
「い、いや、流石に機密などの関係もありますので……」
いつの時代も情報漏洩は処刑案件だぞ!
「ハハッ何を今更。それに引き継ぎなどを考えれば、どうあっても貴公は関わることになりますぞ。それとも弘農に行く前に完全に終わらせる自信がお有りか?」
「ひ、引き継ぎ……」
社畜にとって決して看過出来ない言葉を持ち出され、さらに『光禄勲・司隷校尉・将作左校令・輔国将軍・弘農丞と言った役職の後任を定めてそれらに完璧に引継ぎをするのと、自分でやるのどっちが良い?』と選択を迫られた李儒は将来に絶望し……そして考えることを止めたと言う。
社畜にとって『引き継ぎ』の言葉は重い。なぜなら大半がまともな引き継ぎを受けたことが無いからだ。
だが自分がきちんと引き継ぎをしなければ、休みの日にも電話がかかってくる。よって休みの前の日などは引き継ぎの資料を作るために残業するのが通常である。
それが嫌なら?休むな。
……哀しき企業戦士の宿命よ。ってお話
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