7話。洛中でのこと
サブタイが思い付かん!
「西園軍、突入せよ!投降する者は捕らえ、それ以外は殺せ」
「「おぉぉぉ!」」
本来なら宮中に武装した兵を入れるなどあり得ない事だが、劉弁・劉協の許可を得た李儒からの命令を受けた淳于瓊に率いられた西園軍は、一切の躊躇無く宮中に踏み込んで行く。
「う、うわぁぁ!」
「こ、こいつら正気か?!」
「ここは宮中だぞ?!」
「お、俺たちは仲間じゃねぇか!見逃してくれよ!」
最初は交渉から来ると思っていた禁軍の者たちは、次々と討ち取られ、前回数千の宦官の血を吸った宮中は、禁軍たちの死体で埋まっていく。
「仲間?寝惚けるな!」
「禁軍の面汚しが!」
「前々からお前らは嫌いだったんだよ!」
「「「「死ねや!」」」」
「「「「ぎゃぁぁぁぁぁ」」」」
投降?その前に殺す。何せ李儒からの命令は彼らを捕らえることではなく、滅ぼすことなのだから。
以前は一方的に宦官や女官達を殺した禁軍だが、淳于瓊が率いる西園軍に対しては手も足もでず、一方的に殺されていく。
同じ装備をしているはずの禁軍同士の戦いで、なぜこれほど一方的な戦い(粛清)になるのか?
第一に挙げられるのが練度の差がある。
現在の禁軍には元々宮中警備を行っていた者たちと、去年帝直属の軍として発足したものの先帝が崩御したことで、組織としての大義名分を喪失し、一時的に禁軍と統合されることとなった西園軍の者たちが存在しており、両者の中には明確な差が存在していた。
また、西園軍の内部に於いても優秀な者とそうで無い者は存在する。その中で、優秀な人間は李儒が弘農へ向かった際に連れ出したため、現在宮中に居る連中はまともな実戦経験もない者たちだけであった。
実戦経験の有無は戦に於いて非常に大きな意味を持つと言うのは、わざわざ語るまでも無いだろう。
更に両者の違いを挙げるとすれば、それは兵の殺る気と指揮官の差と言っても良い。
少し考えれば分かると思うが、宮中に詰める禁軍や帝の直属の軍である西園軍の兵士と言うのは、その辺の農民の中から一般公募を行った訳ではない。
後宮に入った女官達と同様に、全員が中級~下級に分類される名家の家の人間だったり、地方の名家から推挙を受けた人間である。
前者は地方の名家の三男や四男と言えばわかりやすいだろうか?そして後者はその三男や四男の親が推薦人となっているケースが多かった。
問・これらが一つの部隊に居たらどうなる?
答・内部派閥や、正式な階級以外のカーストが発生する。
そう。霊帝の肝煎りである西園軍は、結成当初から上記のような内部派閥や階級以外のカーストが存在するグダグダな組織であった。
更に西園八校尉と呼ばれる指揮官の内の半数が不正で処罰されたことからもわかるように、指揮官もまともとは言えない面子である。(これは当時の常識の裏をかいた何進と李儒の罠でも有ったが)
まぁ上軍校尉(総司令官)が、戦略戦術どころか単純な戦闘も知らない帝のお気に入りの宦官で、中軍校尉がニートなお坊っちゃんな時点でまともな組織では無いのはわかりきっていたことではある。
しかしながら、そんな組織でも誇りを持って真面目に任務と向き合おうとした兵士たちも確かに居たのだ。
そんな彼らは推薦された立場の人間に多かったと言う。
何度も言うが、後漢と言う国は管理責任よりも任命(推薦)責任が非常に重い国である。よって推薦された者が粗相をすれば推薦した人間にまで類が及ぶのが当たり前だ。
更に言えば事は帝に関わることなので、推薦する方も「賄賂を貰ったから」と言うだけで推薦するようなことはしなかったと言う。
いや、実際は賄賂目当てで推薦してくる奴も普通に居たのだが、そう言うのはほとんどが何進によって弾かれたので、推薦されて西園軍に所属することになった人間は、武芸に優れ人格についても比較的まともな人間が多かった。
そんな比較的まともな連中の代表が淳于瓊であり、それらを鍛えて真の精鋭部隊を創ろうとしたのが李儒である。
何せ彼らは完全な職業軍人であり、装備や食事をケチられることもなく、さらに上司が不正で首を斬られた (物理)こともあり、結成から1年も経っていないが、職務に忠実な精鋭部隊として成り立つ下地があったのだ。
国や皇室の金を使って兵士を鍛えるのが法的にどうなのかはアレだが、少なくとも禁軍を管理する光禄勲が精鋭を創ろうとするのは間違ってはいないので、表だって反対する者もいなかったのが、この計画に拍車をかけることとなる。
そんな順調に鍛えられ、様々な任務をこなしてきた【まともな西園軍】にとって、部隊内で家柄を誇るだけの子供のように、日々の訓練にすら付いてこれない連中は断じて仲間とは認められない。
その上、自らの鬱憤を晴らす為に自身が守るべき者に対して乱暴狼藉を働く連中など、職業意識も持ち始めた彼らからすれば、もはや賊以下の屑である。
そんな連中と自分たちが一緒に見られるなど、今の彼らには耐えられることではなかった。
故に、淳于瓊に率いられた西園軍の者たちは、彼らを生かして捕らえる気など無い。投降を呼び掛けることもなければ、武器を捨てた者も容赦なく切り捨てた。
例外は、何后を守るために後宮の最奥の部屋で武器を構えていた者たちだけであったと言う。
この日、宮中に立て籠っていた数千の禁軍・西園軍は残らず殲滅された。これにより近衛は生まれ変わることになる。
――――
「いやはや、どのような指示が来ても良いように準備を整えていたのは知っていましたが、まさかこれほどとは……」
「そうですな。一度動いたら一切の無駄がない。これが何進大将軍が組織した大将軍府ですか」
曹操が驚きの声を上げれば、隣にいる孫堅もまた荀攸らの手際に舌を巻く。
二人は何進の謀略や政略の才や李儒の腹黒さが知られる大将軍府だが、一番怖いのは彼ら個人ではなく、どのような状況にも即応できるよう様々な才の有る人間を纏めている『大将軍府』と言う組織そのものだと言うことを見せつけられた気分になっていた。
実際に何進も李儒も、一人で何でもかんでも出来た訳ではない。
李儒に至っては10歳の司馬懿を労働力として使うくらいには苦労しているし、自身の構想を活用するために荀攸らに仕事を割り振っているところも多々有る。
そして大将軍府に集められた面々は、未来の知識と価値観があるが故に、常に先手を取っていくことが可能な李儒を例外とした場合、地元では神童だとか天才だとか、当代随一と言われるような人材を抱え込んでいるのだ。
当たり前のことを当たり前にやらせるならば、彼らと比肩することができる組織は、現段階では世界でもローマの中枢以外に存在しないと言っても良い。
そんな組織に殲滅対象として認定されたのだから、元々禁軍には助かる道など無かったとも言える。
「それに西園軍も予想以上に強いですな」
さらに孫堅が驚いたのはコレだ。黄巾の乱の際に官軍の精鋭部隊を知り、さらに辺章・韓遂の乱に於いて涼州の騎兵の強さを見た孫堅から見ても、西園軍は軍としての完成度が高いように見受けられた。
「あぁ。西園軍は元々素質の有る人間が集められましたからな」
「なるほどなるほど」
端から見ても驚きを隠せない孫堅とは違い、西園軍の内実を知る曹操としてはそれほど驚きはない。
『そりゃ一人一人が武や人柄を評価されて来た人間であり、日々の食事や装備に気を使うこともなく、一日中訓練が出来る人間たちによって作られた軍勢が無能な筈はないだろうよ』
と思っていたし、その中でも選りすぐりの連中が実戦を経験して来るのだから、強いのは当たり前だと考えていたからだ。
しかし前評判が最悪だった為に、地方にいた孫堅にはより印象が強く残ったのだろう。加えて淳于瓊の指揮の巧さもあり、西園軍に対して『自身が率いる軍勢ですら勝ちきるのは難しい』と言う評価を下していた。
惜しむらくは、その数が五千~六千とやや少ないことだろうか。
まぁ元々が宦官たちが何進に対抗するための軍勢であったし、財政の問題などから一万程度の軍でしか無かったのだから、数が少ないのは当然と言えば当然なのだ。
しかし実際に兵を率いて賊と戦ったことがある曹操や孫堅から見れば、官軍以上の専業軍人の集団はひどく魅力的に見えたと言うのは間違いない。
特に、既に郡太守として自前の軍を形成する権限を持つ孫堅は「アレを編成する為の予算は……」等と、予算について考え始めたくらいである。
江東の虎が最初に考えるのが予算で良いのかどうかは賛否が別れるところであろうが、健全な軍隊運営には金が掛かるのは事実なので、いきなり「新しい軍を編成するぞ!」とか言い出すよりはマシと言っても良いだろう。
それはさておき。
「それではこの後の彼らの予定は、袁紹の捕縛……いや、袁家の討伐ですか?」
孫堅としては汝南袁家には少なからず縁が有るので、それを元に下手に身内扱いされては堪ったものではない。そのため彼らに連座される可能性が有るなら、すぐにでも動く必要があると感じていたのだが、残念ながら洛陽の政とは快刀乱麻を断つような真似が出来るほど生易しいモノでは無い。
「いえ、まずは両殿下のご帰還を待つことになります」
「……連中に時間を与えることになりますが?」
孫堅にとって、洛陽の政治家とは基本的に化物である。そんな連中に時間を与えたら思わぬところで足下を掬われるのではないか?と懸念したのだが……
「仕方ありませんな。なにせ禁軍にも大将軍府にも袁家を裁く権限がありません」
「あぁ。それは確かにそうでしたな」
残念ながら、今回の禁軍の粛清と袁家への懲罰は別問題である。
今回、淳于瓊が率いる西園軍は両殿下が帰還するにあたって、宮中の不穏分子を排除することを命じられた。これは同一組織内の問題なので問題なく出来る。
しかし彼らは名家に対する警察権を有している訳ではない。
帝の勅命が有れば良いが現在帝は不在であり、両殿下が「袁家を滅ぼせ」と言ったところで、連中が両殿下を認めずに適当な皇族を立ててしまえば、袁家の討伐どころの話では無くなってしまう。
同様の理由から、今は大将軍府も動けないと言うことになる。
そもそも大将軍府は何進の私物ではなく、漢と言う帝国の一組織に過ぎない。よって袁紹が掲げた『何進の仇討ち』は個人としては良いかも知れないが、組織を動かす名分にはなりえないのだ。
そのため大将軍府も禁軍も、まずは両殿下の帰還を待ち、袁家に釈明する機会を与えるのが正しい順序となる。
これを感情で否定すれば、感情で兵を動かした袁紹の同類となってしまう為、今は怒りを圧し殺しつつ待機するしかないと言う状況であった。
「……しかし袁家の連中が馬鹿正直に殿下の前に現れますか?」
「少なくとも袁紹は逃げるでしょうな。アレは己の行いが罪になると言うことを理解しておりませんので」
今までは誰が両殿下を確保しているかわからなかったので、袁家の人間たちは必死で生き延びる為の手段を探していたが、洛外で李儒によって保護されたことを知れば、弁明などは諦めて逃げることを選ぶのではないか?
孫堅がそう尋ねれば、個人的に袁紹を知る曹操は、さも当然のように袁紹が逃げる可能性を認めた。
「……よろしいので?」
「逃げるのは袁紹の勝手。逃がすかどうかは……」
「あぁなるほど」
逃亡したところを捕まえれば罪人として処罰できる。それが大将軍府の判断だろうと曹操は予想し、孫堅もその可能性が高いと判断する。
逃げようが逃げまいが殺す。両者から見ても既に袁家は詰んでいるとしか思えなかった。
(……もしやこれで袁紹が逃げ延びたら、逃走を促した私が罪に問われるのか?)
自信満々に孫堅の相手をしているように見えて、内心では冷や汗を流す典軍校尉が居たとか居なかったとか。
西園軍はエリート集団なんだぜ!ってお話。
完全な兵農分離を為し遂げており、さらに官軍のように各地への移動もなく、昼夜訓練浸けに出来る兵力ですからね。
まともに運用すれば、かなりの精鋭部隊となるポテンシャルがあるんですよ。
孫堅と曹操は今後の事を考えているようだってお話。