幕間。弘農でのこと
中平6年9月。弘農
7月に何進から弘農での任務を授かった李儒は、大方の予想を覆し、弘農での任務を終えると同時にすぐさま董卓と合流し洛陽へと帰還していった。
この件において一番の被害者は紛れもなく董卓なのだが、弘農にいる者たちもまた、不満を抱いていた。
まぁ不満と言っても師匠に適当にあしらわれた10歳児が、内心で頬を膨らませる程度の話である。普通に考えれば問題になるようなことではない。
……その10歳児が、普段から己を見せることがない司馬懿と言う人間で有ると言うこと以外は。
――――
カタンカタン。
じゃぶじゃぶ。
「し、司馬懿様~そろそろ機嫌直しましょうよ~」
「……貴方が何を言っているのかわかりませんね。私はいつも通りです」
カタンカタン。
じゃぶじゃぶ。
まったく何を言っているのやら。私は洛陽に居る連中とは違い、生まれで相手を評価する気は有りません。しかし彼は少し考えが浅いようですね。
「いやいや、先生が帰ってきた時と全然違うじゃないですか~」
「いや、それはそうでしょう」
カタンカタン
じゃぶじゃぶ。
まったくこやつは何を言っているのやら。師が居るならば直接教えを受けることも出来ますが、師が居なくては教えを受けることが出来ません。
それに与えられた仕事も簡単なものばかりですから、いつも通りの日常を送ることになるのは当然でしょうに。
「ほら、先生だってお仕事が忙しいんですから、僕たちは僕たちで与えられた仕事をしましょうよ!」
「そうですね」
カタンカタン。
じゃぶじゃぶ。
そうとしか言えません。と言うか、私もこの徐庶もすでに議郎としての役職と給金を貰っているのですけど、これは大丈夫なんですかね?
いや、師の懐がどうとかでは無いのは理解していますよ?
しかし私は10歳で徐庶は14歳です。こうして元服前の子供を正式な職に就けて就労させるのは、あまり褒められたものでは無いはずなんですけどねぇ?
「あ~やっぱり不機嫌じゃ無いですか~」
「五月蝿いですねぇ。そりゃ師に学ぶことも出来ずにずっとこんなことをしてたら不機嫌にもなりますよ」
カタンカタン。
じゃぶじゃぶ。
そう言いながらも、師と仰ぐ李儒から与えられた仕事に妥協をするつもりはない司馬懿は、カタンカタンと音を立てながら動く木で出来た枠を、じゃぶじゃぶとすることを止めず、ひたすらに手を動かしていた。
14歳と10歳の少年たちが並んで何をしているのか?と言えば、彼らは李儒に言われて、貴重品として扱われる紙を作っている最中だったりする。
彼らがこの仕事をさせられることになった経緯としては、以前にもチラリと言ったかもしれないが、李儒が紙を欲したからだ。
この時代、紙と言えば宮中で使うような高級品であり、特に高級なモノは絹に字を書いたりしたのだが、それ以外で使う場合は羊毛紙のようなモノだったり、パピルスのように植物の繊維を織り込んだりしたような、現代日本に生きた人間から見たら『紙』とは認め難いモノが一般的に使われていた。
そんな紙モドキでも一応は紙だ。竹簡よりは嵩張らないし、字も読みやすいので大将軍府に於いてもそれなりに需要が有る。
しかし中途半端に前世の知識がある李儒としては、羊毛紙も繊維紙も使い勝手が悪い上に、羊毛は別なことに使いたいと言う気持ちもあったので、木の皮から紙を作る試みを行うことを決意したのだ。
だが肝心要の李儒の知識は「紙ってたしか木の皮をお湯に浸けて濾して乾かせば出来るんじゃなかったか?」程度の、非常に曖昧なモノであった。
流石の李儒もそんな曖昧な知識で、ただでさえ忙しい大将軍府の人間や宮中に居る部下たちに作業をするよう命じることは出来なかった。
そこで白羽の矢が突き立てられたのが、李儒の個人的な弟子である司馬懿と、そのお付きとして鍛えている最中の徐庶である。
そもそも李儒が司馬懿を議郎に任じたのは、従来の職に司隷校尉という役職までプラスされ、リソース的に飽和状態になりそうだったところ「司馬懿ならば現時点でも洛陽で仕事をしている小役人以上に仕事を出来るはずだ」と判断して、彼にも仕事をさせようとしたのが発端だ。
そして「司馬懿に色々仕事をしてもらう為には役職と給料を与えねばならんだろう」と妙な社会人意識を発揮した結果、司馬懿は正式に議郎となり、実務経験と言う名の修行として、様々な仕事をさせられることになっていた。
つまるところ、李儒は己の立場を利用して逆らえない子供に労働をさせると言う、どこぞの聖帝のような外道行為を行っていたのだ。
時代が時代なら労働基準局から救世主が送り込まれて来てもおかしくはない行為なのだが、当然この時代にそんなものはないので、子供たちは黙々と与えられた仕事をするしかなかった。
しかしここで一つの契機が訪れる。
それは、今回李儒が短時間ではあるが洛陽の仕事から離れたことで余裕が出来てしまい、今まで司馬懿たちに任せていた細々とした仕事が自分で出来るようになってしまったと言うことだ。(社畜に黙って休むと言う概念はない)
その結果として、李儒が司馬懿から仕事を奪うことになってしまい、司馬懿に『役職に就いていながら仕事が無い』と言う事態が発生してしまう。
普通ならそのまま彼を休ませれば良いだけの話なのだが、何故か「むぅ。窓際はいかん。つまり司馬懿にも何か仕事をさせねばならんよな」と言う『職場で暇=罰』と言う考えに囚われた李儒が、司馬懿のために新たな仕事を用意した。
その作業こそが『紙の製作』と言うわけだ。
因みに腹黒の名誉の為に言うと、彼には悪意など一切無く、本気で弟子を心配して仕事を与えているし、当の司馬懿も放置されるよりは仕事を貰っている方がありがたいと思っているので、決して幼児の虐待をしているわけではないと言うことを明記しておきたい。
……そもそもの話、この時代は子供でも普通に働いているので、誰も気にしては居ないのだろうが……一応、そう、一応、念のためである。
そんな誰に対する弁明かわからない弁明はともかくとして。
賢い読者諸兄であれば、この流れには司馬懿の御付きでしかない徐庶には、特に出番は無いことに気が付くだろう。
実はこれ、当の本人が「10歳の司馬懿様にもお仕事があるのなら、自分にもできるお仕事はありませんか?」と自ら仕事をすることに名乗りを上げてきたのだ。
そんな社畜予備軍を前にした李儒は『ん~む。司馬懿一人に作業させるのもアレだよなぁ』と考えていたこともあり、これ幸いと「仕事が欲しいか?ならばくれてやる」と言って、徐庶にも紙の製作を行うように指示を出すことになったと言う経緯があったりする。
そして元々徐庶には、司馬懿の付き人として仮の議郎職を与えていたのだが、ここで『紙の製作』と言う正規の任務を与えたことで、正式に議郎として就任し、司馬懿とともに仕事をすることになったのだ。
ちなみに周囲の名家連中の中には「元服前の子供のうちから働かせるのか?」と言う声もあったのだが、単家(裕福では無い家)の人間である徐庶は元服前でも仕事をすることに対して忌避感は無かったし、教育ママとして名高い彼の母親も、徐庶の作業を止めるどころか「光禄勲様の為にしっかり働きなさい!」と発破をかけるような状態であったので、公私共に特に問題にはならなかったと言う。
司馬懿?弟子は師の言うことを聞くものだ。
そんな社畜予備軍はともかくとして。
なんだかんだ言っても結局やることは単純な肉体労働だ。その為、司馬懿の機嫌は作業時間に比例して悪くなりがちであったので、一緒に作業している徐庶が戦々恐々としながらフォローを入れているのが最近の彼らの日常である。
ちなみにこの『カタンカタン』と『じゃぶじゃぶ』も李儒があやふやな記憶を辿って行わせていることであるので、効果の程は保証されてはいない。
よって当の李儒から「より良い方法があったら自分等で試してみてくれ」と言う、ある意味ありがたい許可を貰っていたりするのだが、そもそも二人も正しい紙の作り方など知らないので、現在は何となくで言われた通りの作業をしている状態であった。
これではテンションが上がるはずも無く、ろくなことにならな……と思いきや、何気に二人のやる気は高かったりする。(機嫌が悪いのとやる気は別)
「そ、そうは言いますけど、何だかんだで紙っぽいのは出来てるじゃないですか!これは凄いことだと思いますよ!」
「まぁ……それはそうなんですけどね」
何故やる気が有るかと言うと、徐庶が驚いているように、実際に木の皮を茹でて濾したモノを乾かすと紙っぽいものが出来たからだ。
これには日々無表情の司馬懿も内心では驚いていたりする。
当然色は茶色っぽくてガサガサしているが、紛れもなく紙と言える存在である。
こうして成功例が出来たことで二人のやる気は上がったし、弘農の文官たちも「え?本当に出来たの?」と驚きつつ、二人が作る紙を仕事に使っているので、司馬懿としても作業自体に遣り甲斐を感じつつあることは確かだった。
「それに司馬懿様は先生から宿題を出されてましたよね?」
徐庶も李儒の教えを受けては居るが、扱いは司馬懿の付き人扱いであるので、司馬懿ほど教育に熱が入っている訳ではない。
これは差別と言うよりは、元の知識量の違いに起因するものだ。
今の司馬懿が中学生レベルとすれば徐庶は小学校の高学年レベルのようなモノなので、同じ授業を受けても理解度に差が出てしまうのだ。
それでも一般の学問所よりは教材がしっかりしているし、李儒が居ないところでも勉強は出来ているので、徐庶の学力は同年代でもトップクラスと言っても良いのだから、李儒は師としても優れていると言っても良いかも知れない。
それはともかくとして。
「えぇ。師からは『情緒的な感性を磨くように』と指示を受けております」
司馬懿の欠点として名高いのは詩が下手だと言うモノがある。
基本的に彼は事実を事実のまま受け止めて認識するタイプの人間なので、無駄(遊び)が無いと言う長所と短所を持ち合わせていた。
そのため李儒は彼に冗談や諧謔を教えたりしているのだが、これが中々難しい。そもそも李儒も理詰めで物を考えるタイプだし、感性は人それぞれなので、何かしらの題材を決めても『これと言った正解が無い』と言うのも事を難しくしている要因でもある。
そんなわけで困った李儒は『宿題』と言う形でぶん投げることにしたと言う。
まぁ提案したあとで「あれ?これなら司馬懿も周囲に聞きながら出来るだろうし、意外と悪くないんじゃないか?」と自画自賛していたようだが、それは誰が知っても得をしない情報であるので割愛させていただこう。
……まさしく知らぬが仏と言ったところだろうか。
しかし李儒にとっては投げっぱなしたモノでも、彼を師と仰ぐ二人からすれば立派な課題だ。故にそれに向き合う際の表情は真剣そのものと言っても良い。
「う~ん『情緒的な感性』と言うと、詩や音楽でしょうか?」
「そうですね。まぁ音楽については専門の職があるので、やはり詩を詠んで師にお見せするのが基本となるようです」
徐庶の意見を聞き無表情ながらも「ふんす」と胸を張る司馬懿。
しかし、言われた当初は彼も李儒の意図が全く分かっておらず、周囲の人間に話を聞いて漸くその意図を把握したと言うのは公然の秘密である。
「へぇ~それじゃあもう先生にお見せする詩は出来たんですか?」
「無論。秋の夜長を体現した自信作です」
「おぉ~」
普段は内面を見せない司馬懿が、ここまで自信満々な様子を表に出すのは珍しい。……どれくらい珍しいかと言えば、今の司馬懿を実家の司馬家の人間が見たら、慌てて医者を呼ぶレベルの珍しさである。
そんな司馬懿を見て徐庶は「やっぱり先生の影響は大きいなぁ」と思ったと言う。
「それって僕にも聞かせて貰うことは出来ますか?」
そして司馬懿がここまで自信満々に語る詩にも興味が沸くのは当然と言えよう。
「ふむ。師に課題の答えとしてお聞かせする前に、貴方に聞かせるのも良いかも知れませんね」
「す、凄い自信ですね~」
「それだけ良い詩なのですよ」
「お、おぉ~」
自分からハードルを上げまくる司馬懿に感嘆どころか恐怖心が浮かんでくる徐庶だが、所詮は詩である。剣術の試し切りとは違い誰が死ぬわけでも無いので、気を楽にして聞こうと思い、彼は気持ちを切り替えることにした。
「では拝聴なさい」
「はい!お願いします!」
このとき徐庶は「あんまりアレならどうやって慰めようか?」などと考えていたのだが、ここで「司馬懿は格が違う」と痛感することになるとは想像もしていなかったと言う。
――――
「ではいきます」
「ごくり」
『名月や。おぉ名月や。名月や』
「「………………」」
「……どう思いますか?」
「……凄く、名月です」
「ふっ。そうでしょうそうでしょう!」
そこには徐庶からの賛辞を受けて、珍しく端から見ても機嫌が良くなったとわかる10歳児が居たと言う。
そして後になって彼らが作った紙と共に提出されたコレを聞かされた李儒は「くっ!名作なのか迷作なのか判断がつかんッ!」と、中途半端に知識が有ったが故に評価出来ず、頭を抱えたと言う。
……これは英雄たちの若き日の出来事である。
サブタイ通りの幕間です。弘農での弟子が何をしているのかってお話。
作中で徐庶の年齢について記載してましたかね?もし記載があったら訂正しますので、ご一報よろしくお願いします!
弟子は李儒君から五七五と韻についてを学んだもよう。
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