32話。洛陽の泥の中で➇
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「どうしてこうなった?」
張譲はこの日もう何回目になるかわからない自問を繰り替えす。
彼は何進の上奏に合わせて彼を暗殺するため、彼らが使うであろう食器などに毒を塗ったり、その毒を回避した場合に備えて自分たちに従う禁軍の連中の囲い込みを行ったりと、さまざまな準備をしていた。
だが食器に塗った毒に関しては、何進は出された物を一切口にする気配は無いと言う。それどころか何苗や何后に「食器が危険だ」と注意する余裕まであったので毒殺は期待は出来ないだろう。
毒殺の失敗に臍を噛む思いだったが、張譲らは「まだ兵士による実力行使と言う手段が有る」と己に言い聞かせ、その機を伺っていた。
……しかし現在、事態はそれどころでは無くなってしまった。
なんとあろうことか袁紹が兵を率いて宮中に乱入してきたのだ。
それだけではない。袁紹は己の権限をフルに活用し、禁軍を掌握して、元から宮中に居た者たちだけでなく、何進が用意した禁軍の連中までも扇動して宦官狩りを行っているではないか。
しかも袁紹らにとっての主目的は帝を確保することではなく、自分たち十常侍を含めたすべての宦官の抹殺である。
ことここに至っては何進の暗殺等と言っている場合ではないと判断した張譲らは、今更自分たちを裏切れない禁軍ら10数人を護衛として一目散に逃げることを選択した。
まぁ一目散と言っても最低限の (と自分たちは思っている)私財を持っての逃走なので、その準備に多少の時間が掛かってしまったが、それでも何も出来ずにウロウロしたり隠れ潜んで面白半分に殺されている連中に比べたら迅速な行動と言っても良かっただろう。
だが彼らはその無駄な動きが災いし、自分たちが権力を握るために必要不可欠な存在である劉弁や劉協を確保することは出来なかった。
これには元々何進の指示により李厳の配下が彼らを確保していたと言うこともある上に、何進からの退避命令が早かったと言うのもあるので一概に宦官の行動が遅かったとも言えないのだが、結果は結果。
張譲の最大の誤算は、劉弁や劉協を確保した李厳に対して張譲が持っていた「皇室の人間しか知らない抜け道を知っている」と言うアドバンテージがまったく意味をなさなかったことだろう。
彼らの道案内を必要としない李厳は、宦官たちを無視してそのまま洛外に退避してしまったのだ。
流石の張譲もそこまでの経緯は知らないので、確保された二人は抜け道を使って洛外へ逃げるのではなく、普通に裏門かどこかから逃げ出して大将軍府へ向かったであろうと当たりを付けていた。
それも常識から考えればそれほど間違った考えではない。
なにせ大将軍府は正真正銘何進の城である。あそこまで逃げ切れば袁紹の権限は及ばなくなるのだ。
よって大将軍府へと避難し、自身の安全を確保した後は大将軍府の兵を動かして袁紹を殺すか、董卓を迎えに行った李儒が兵を引き連れて戻ってくるのを待ってから、袁紹を一派を殺せば良いだけの話となる。
張譲としても袁紹が死ぬのは良いと思う。むしろ自分が惨たらしく殺してやる!とすら思っている。
だがそれ以前に、ここで自分たちが逃げ延びることができなければ意味はない。
今の袁紹らは捕虜など取る気は無いだろうから、投降したとしても間違いなく皆殺しにされてしまうだろう。
そう考えれば、張譲らが『今は劉弁も劉協も放置して一刻も早く避難しなければならない』と言う結論に至るのも当然と言えば当然であろう。
もちろん帝や皇后、もしくは皇太子の庇護がない宦官が宮中から外に出たとしても、無事に生き延びることが出来るかどうかは別問題であるが、それとて今を生き延びてからの話。
「どうしてこうなった?」
そこについては考えないことにして、まずは宮中から逃げ出すことに専念することを決めた張譲は、抜け道の有る部屋が近付くにつれて、何度も自問しながら今回の件を脳内で反芻していた。
普通に考えれば、今回の件は「袁紹の暴走と言う形を以て十常侍ら宦官を殺す」と言う何進、もしくは袁家を排除したい名家の連中の策だと思われる。
なにせ宮中への乱入と言う大罪に対する罰と言えば、一族郎党の処刑以外にないからだ。
袁紹は何やら詭弁を弄しているようだが、彼が何を囀ずろうと両殿下の確保に失敗した以上、袁紹はただの狼藉者でしかない。
いくら袁隗とてこの期に及んで「袁紹が勝手にやったことだ」と言って袁紹一人を切って言い逃れが出来るようなことでは無いのはわかるはず。
ならば今回の袁紹乱入の黒幕は、宦官や袁隗の敵。つまり大将軍府に於ける何進の知恵袋である李儒か荀攸の可能性が極めて高い。
実際、彼らが袁家と宦官を滅ぼすために今回の策を立てたと考えれば、筋が通るのだ。
他の可能性としては、何進が単独で「名家と宦官を潰し合わせる策」を遂行したのではないか? と言うのが思い浮かぶが、これも結果は似たようなものだ。
また、状況証拠の一つとして、何進が引き連れてきた2000の禁軍の存在がある。
これは何進の警護だけでなく、袁紹が暴走した際に両殿下の確保をしつつ、袁紹の味方として宦官を殺させる為に何進が用意したと考えれば辻褄も合う。
「おのれ肉屋の小倅がッ……」
真偽はどうであれ、張譲は今回の袁紹の乱入には何進の一派が裏で糸を引いていると言うことを確信していた。
「してやられた!」と奥歯を噛むも、今は生き延びることが最優先。
一刻も早く洛外に逃げ出して袁紹の暴走をやり過ごし、その後で劉弁と劉協に対して「今回の件は何進の策謀である」と言い聞かせ、場合によっては劉弁を暗殺してでも何進を殺す! 張譲はそう心に決めていた。
ここで彼とかち合うまでは。
「よぉ張譲。そんなに急いでどこに行く気だ?」
「「「げぇ?!」」」
張譲が必死でたどり着いた部屋には、先客がいた。
それも、つい先程まで『必ず殺す!』と心に決めた相手。
「何進! 何故貴様がここにいるのだ!」
「…………」
張譲らが駆け込んだ部屋は、皇族や大宦官のみが知るはずの抜け道の入口にあたる部屋である。
皇帝とその一行が脱出する抜け道を隠すという意図もあるこの部屋は、一見すれば多少広い倉庫のような造りとなっている上に、特に目立つような物も置かれていないので、知らない者が見てもただの『空の倉庫』としか思わないように造られている。
ただ、皇帝や宦官がその身一つで逃げ出すわけもないので、それなりの数の人間が財貨を抱えて来ても不自由しない程度の広さがあるため、多少目端が利く者は違和感に気付くかもしれないが、そもそもこの部屋は後宮の奥にあるので、外部の者がこの部屋の存在に気付く可能性は皆無なはず。
そう言った思いを込めて声を挙げた張譲であったが、何進には張譲の疑問に答える気はない。
「ち、張譲様の質問に答えんか! これだから礼も知らぬ無礼も……「死んどけ」……のべらっ?!」
自分たちより先に部屋の中にいた何進の姿を見て一斉に悲鳴を上げた宦官に対し、何進は小型の鉈のような刃物を投げ、あっさりと殺害する。
その様子を見た張譲は死んだ同僚には目もくれず、即座に護衛として連れてきた禁軍の兵士の陰に隠れ、この場を確保するために自分たちに先行した禁軍や宦官たちの死体の上に片膝を立てて座る漢に再度声をかける。
「何故だ? 何故貴様がここにいるっ?!」
何度も言うが、この抜け道は皇族や張譲ら大宦官しか知らない抜け道である。その入口となる部屋に何進のような下賤な人間がいると言うのが張譲には理解出来ないし、それ以上に、この鉄火場に何進がいる理由がわからなかった。
抜け道のことを知っているならさっさと逃げ出して洛外に行けばいい。知らなくても両殿下と共に大将軍府へ帰還すれば良いだけである。
(それなのに、何故こいつがここに居るのだ?!)
何もかもが理解できない張譲は、思わず声を上げていた。
さらに言えば自身が目の当たりにしている何進は、張譲が知る尋常ならざる謀略家のものでも無ければ、油断も隙もない政略家のものではない。
今の何進はその身から滲み出る殺意を隠そうともせず、純粋な「暴力」を体現するかのような雰囲気を纏っており、長年彼を敵としてきた張譲も初めて見るほどの威風を醸し出しているではないか。
(コイツは本当に自分が知っている漢なのか?)
何故、何故、何故。
様々な疑問を含めて問いかけた張譲の問いに対する何進の答え、は至極単純なものであった。
「あぁん?なぜってお前ぇ、そんなのお前ぇを殺す為に決まってんだろぉが」
「なんだと、この肉屋のこせ……「うるせぇよ」……ガラバッ!」
「「「?!」」」
洛陽の澱みを泳いできた張譲ですらも思わず後ずさるような威を撒き散らす漢は、心底馬鹿にするかのような声で張譲の問いに答えつつ、その答えを聞いて頭に血が昇ったのか張譲に変わって声を上げようとした宦官に対して、先ほども見た小型の鉈のようなものを投げつけて絶命させる。
「あぁ~あ。本来は足を壊してから逆さ釣りにして、それから頭なんだがよぉ」
「……なんの話をしている?」
突然の登場と殺害による驚愕で禁軍も周囲の宦官も驚愕で動きと思考が止まる中、その実行犯である相手とこうして会話が出来るだけでも、張譲という男は傑物であった。
だがその張譲をして、己の手で頭を砕いて絶命させた宦官を見て、何やら失敗したかのように語る彼には違和感しか感じない。
(これは何だ?)
拷問して殺したいとかそういう感じでもなく、殺意はあるものの、それは怨みや何やらに起因したものではない。
言ってしまえば「殺すべき対象を殺しただけ」と言う無機質な感じが垣間見える。
その上、殺害対象であるはずの宦官を殺しても何の感慨も湧いていないようにも見えた。
張譲の知っている人間で言えば、粛々と目的を殺すことを考える腕の立つ殺し屋に近いが、あれは自らを道具と割り切っているからこそのものであって、言ってしまえば【使われる立場の者】だからこそ至れる境地である。
そして張譲が知るこの漢は、出自はともかくとして分類するなら間違いなく【使う者】に分類される人物だ。
そしてその【使う者】は部下に殺させることが普通であって、自らの手は汚さないのが基本である。そんな彼らが手を下す場合は「何が何でも己の手で殺してやる!」と言う激情があって初めて手を下すと言っても良いだろう。
だが目の前の漢からはそのような気配は感じない。
だからこそ張譲は「これは何だ?目の前の相手は自分が知る漢なのか?」と惑うのだ。
だがそれは張譲の都合でしかない。確かに分類するなら男は【使う者】だ。だが使う相手は文官だとか武官ではない。
「知らねぇのか?肉ってのはなぁ。ただ殺すだけじゃねぇんだ。旨い肉を作るには殺す前の血抜きってのが重要なんだよ。で、その方法が殺す前に逆さ吊りにしてから頭を飛ばすのが正当な順序だってだけの話さ」
「「「……」」」
獰猛な笑みを見せながら、ポンポンと大きな牛刀のような武器を弄ぶ漢は、淡々と食肉の作り方を語っていく。
それは「宦官だろうと禁軍だろうと、自分の前ではただの肉に過ぎない」と言う宣言。
「……しかし自分で殺るのが久しぶりで流石に勘が鈍ってるみてぇだ。いやはや、隠居したら元に戻るのも良いと思っていたんだが、こりゃもう屠殺業者は名乗れねぇな」
そして漢は自らを屠殺業者と名乗る。
そう、彼は確かに【使う者】だ。しかし今の彼が【使う】のは破落戸か、良くて職人だろう。
将軍? 武官? そんなのは破落戸の延長に過ぎん。
その証拠に自分は大将軍として君臨できたではないか。屠殺業より大将軍の方が楽だと嘯くことが出来るのは、彼が現役の大将軍だからこそだろう。
「肉屋の小倅が……」
そこでようやく今の彼が何者なのかを理解した張譲は、忌々しげに漢が今まで言われ続けていた蔑称を口にする。
しかし今、張譲の目の前にいる漢は、今さらその程度の蔑称を言われたところで、目くじらを立てる狭量な存在ではない。
「……あぁそうだ。前々からてめぇらに言おうとしてたんだがよぉ」
狭量ではないのだが、それはそれとして、彼は自身の蔑称に対して言いたいことはあったらしい。
「……なんだ?」
「いいか。俺の家は肉屋じゃねぇ!屠殺業者なんだよッ!!」
「「「…………」」」
大将軍・何進遂高。彼は屠殺業者と肉屋には大きな違いがあることを理解していない名家や宦官達に対して、随分とストレスを溜めていたようだ。
これは袁紹が「自分と李儒を同じ名家扱いするな!」と叫んだり、張譲が「その辺の宮刑を受けただけの宦官と自分を一緒にするな!」と激昴するのと同じ類のモノだが、どれも部外者からしたらどうでも良いことである。
元々蔑んでいた漢が、今や大将軍としての気位も何もかもを捨て去って破落戸に戻った。
そう理解した張譲は、漢に対しての警戒よりも蔑みの目を向ける。
「獣か。ならばもはや語る言葉などないわ」
権威を利用する事で生きていた張譲にしてみれば、権威を投げ捨てた一人の人間など自分が命じれば殺せるだけの存在でしかなかった。
宦官として生きてきた彼の価値観を考えれば、こう言った結論になるのも、ある意味当然のことである。
「はっ今さら何を抜かしてやがる」
だが人間と言うのは、肩書きやら何やらをとっぱらった時が何より恐ろしいのだと言うことを、張譲は理解できていなかった。
そして、権威や肩書きをとっぱらった時に、自分には何も残ってないことも自覚出来ていなかった。
だからこそ彼らは簡単に死んでしまう。
ドンッ!
「アギャ?!」
「段珪っ!」
そんなあまりにもどうでも良い宣言に言葉を失い、動きを止めた張譲らに対して物陰から鉈のようなものが襲いかかる。
十常侍が一人として思うがままに権力を振りかざしてきた段珪は、その鉈を腹部に受け自身の内臓が零れ落ちる様子を見て、絶望した表情を浮かべながらその生涯を閉じた。
目の前の何進に集中しすぎたために、物陰に居たもう一人の屠殺業者に気付かず、隙だらけの姿を晒したのが彼の死因であった。
「おいおい、苗よ。先に張譲の足を切れよ」
「え? あぁそれはすまん。でもよぉ、兄貴ももっとはっきり言ってくれねぇと」
「そのためにわざわざ足の話をしたんじゃねぇか」と愚痴を零す何進に対して「馬鹿な俺に含みを持たせた会話がわかるわけがないだろ」と返すのは、張譲が離間計を施して何進との仲を裂き、さらに酒宴やら何やらを施すことによって自分たちの操り人形としたはずの何進を上回る田舎者であった。
「何苗?!なぜ貴様がッ?!」
「何故って、お前。そもそも兄貴を説得する為に俺を宮中に招き寄せたのはお前だろうが」
「くっ!」
言いたいのはそう言う事ではない! と声を荒らげたいところだが、前後から挟まれた以上、兵士の影に隠れていた自分も決して安全ではない。
とは言え前面に居る何進から注意を逸らせば、すぐさま何進によって殺されてしまうかもしれないと言う恐怖が、張譲の動きと思考を阻害していた。
そもそも何進が居ること自体が計算外なのに、何故この男までもがここに居るのか。
それにあれだけ何進に対する不満を溢していたにも関わらず、何故こうして当たり前のように何進の側に立つのか。
田舎者らしく張譲らを雲上人として恐れていたはずの男が、何故こうして自分たちに刃を向けるのか。
何故何故何故何故………。
そして彼の最大の失敗は「戦場では動きを止めたものが死ぬ」と言うことを知らなかったことだろう。
ドンッ!
「ぎ、ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
「張譲さ…「お前もだよ畢嵐」…バッ!」
何事も計画通りにいかず、棒立ちになった張譲の足に何進が弄っていた鉈が突き刺さる。
流石に切断までは行かなかったが、元々が年寄りであり、か細い張譲だ。間違いなく足は砕かれた。
そして倒れる張譲に声をかけた畢嵐は、張譲以外は殺しても良いと言われていた何苗の一撃を頭に受けて、その命を落とす。
段珪や張譲と違い、即死できたことが彼にとっての唯一の救いだったかもしれない。
「うぐわぁぁぁぁぁベシッ!!」
「ひぃひぃひぃヒデブァ!!」
「た、たたたたすけテヮバッ!」
「う、うわ!うわ、うわらばっ!」
そして護衛対象のそばを離れられない禁軍は、正面の何進と後ろの何苗に挟まれたことでさらに動きを封じられ、痛みに転がる張譲を囲むように陣を組むものの、彼らの射程外から投じられる鉈によって次々と命を落としていく。
張譲がおらず、しっかりと兵士として動けたならば、彼ら禁軍は何進も何苗も殺すことは出来ただろう。
しかし個人的な武の素養はともかく、破落戸の喧嘩では刃物や石を投げるのは基本中の基本だし、致命傷を負った敵を殺さずに残すのは兵法の基本である。
その二つを実践した二人の前に、張譲によって買収や脅迫されたことで従っていた禁軍は抗する術も持たず殺される事になった。
残るは、
「足がぁ!足がぁぁぁぁぁ!!」
と騒ぐ張譲だけ。
「うるせぇなぁ。苗、もう一本やっとけ」
「あいよ」
そんな張譲に同情の視線など向けるはずもない二人は、血抜きに失敗した肉を見るかのような目を彼に向ける。
そして何進は眼前で痛みに騒ぐ老害に対して、何かの奇跡が起こっても絶対に逃げられないようにする為、彼の足を奪うことにした。
「ぎゃぁぁぁぁぁ!!」
牛刀がドンッ! と言う音と共に振り下ろされ、張譲の左足が膝の上あたりから失われる。
「あ、こいつ漏らしやがった。汚ぇなぁもぉ」
「ま、宦官はいっつも小便臭ぇからなぁ。とりあえず縛っとけ」
「はいよぉ」
無事な方の足に牛刀を下ろされて完全に切断されてしまい、張譲は痛みで泡を噴いて気を失ってしまう。
そして何苗はそんな気を失った張譲の太ももをキツく縛り、簡単な止血を施していく。
彼らが行っているのは当然治療などではない、これから彼には地獄が待っているのだ。それを味わう前に死なれては困るので、こうして簡易に延命処置を施しているに過ぎない。
「さて、随分時間が経ったが、そろそろ来るか?」
「あぁ、こんなに騒いだらここもバレるよな」
こうして張譲らを片付け、袁紹を待つかのような時間的な猶予があるにも関わらず、何進らがここから逃げ出さなかったのには、彼らの意地以外にも様々な理由がある。
まず張譲らがここを使って逃げる際に、自分たちの背後を襲って来ることを警戒したことだ。
両殿下を連れている以上、李厳らの動きはどうしても遅れるし、洛外に有ると言われる牛車だって追っ手の足と比べたらどうしても鈍くなる。
ならばと馬に二人乗りしようにも、そもそも脱出先に馬があるかどうかがわからない。
と言うよりも、宦官や帝が乗れないのに馬が有ると考えるのは危険だろう。
そんな不明瞭な点が多すぎたことに加えて、何進には走って逃げるだけの体力が無いときた。つまり普通に逃げても高確率で全員が捕まってしまうのだ。
故に何進は「足手まといでしかない自分を捨てて両殿下を逃がせ」と李厳に命じ、李厳もまたそれに従ったのである。
それに、元々袁紹は何進と張譲らを殺すことを目的として動いている。
そこで何進と張譲が争った後を見つけたら、必ず何進を追ってくるだろう。だがここに逃げ遅れた(と思わしき)何進が居たらどうなる?
答えは簡単だ。
「ここに居たか!それに段珪と畢嵐も!そしてそれは……おぉ!張譲かっ!」
今回の事態を引き起こした元凶が、自身の兵を連れて件の部屋に乱入してくると、まずは何進を見てニヤリと笑い、次いで標的であった十常侍が倒れ伏している様を見て喝采を挙げる。
「……袁紹ぉ」
「おぉ何進よ。露払いご苦労。下賤の者にしては良くやったと褒めてやろう。後は安心して死ぬがいい」
「何様だ」
「ふっ。貴様ごとき下賤の者にはわかるまいよ」
完全に大将軍に対する言葉使いではないが、今の袁紹は中軍校尉・虎賁中郎将として禁軍を指揮している立場である。
自身が仕えるは帝のみ! と嘯く彼には何進などただの肉屋の小倅に過ぎない。
禁軍によって囲まれている何進と禁軍を指揮する自分。
袁紹にとっては、この完全に自分が上位者である今の構図こそが漢と言う国のあるべき姿だと確信しているので、何進の殺気を受けても恐れ入るどころか哀れな獣を見るかのような目を向けるだけであった。
―――
漢の腐敗を生んだ元凶の一つ、十常侍は張譲と念の為にと避難していた趙忠を残して全滅し、宦官そのものも趙忠とともに避難した少数以外の者は皆が殺された。
女官たちは拐かされ、後宮に有った財のほとんどは賊によって失われたと言われている。そして現場に残っているのは、平民出身の大将軍である何進と名家として名高い汝南袁家の袁紹のみ。
後世嘉徳殿の乱と謳われる事になる騒乱は、ここに終局を迎えようとしていた。
何進の前に張譲がっ!
二人共まだ死んでませんが、絶体絶命のピンチです。
ここに救世主は来るのか?
卸売業者と小売店は全然違いますってお話。









