31話。洛陽の泥の中で⑦
作者の妄想と言う名の考察が入り混じるお話。
いや、無理だろ?と言うツッコミは無しでオナシャス!
文章の修正の可能性有り。
宮中への乱入。儒教に染まった漢と言う国に於いて、この行為は正しく天に唾を吐く行為であり、如何に名家閥の筆頭格であった袁家であっても一族郎党の断罪は免れないであろう愚行である。
その為、何進も荀攸も今回の参内で何進を脅かす者は、宦官か宦官によって買収・脅迫された禁軍(近衛兵)だけであると判断し、それに備えた準備を整えてから参内を行っていた。
その時間を使って張譲が何苗を用意したことについては、まぁ宦官連中とて黙って殺されるような殊勝な連中ではないと言うことを知っておきながら、対策の一つも練らなかった自分たちの未熟であると諦めよう。
だがここに来て袁紹がこのような行動を取ることは完全に想像の範囲外であり、報告を受けた際には何進も「何をトチ狂っていやがる?」と思ったのだが、良く良く考えれば袁紹は、否、袁紹だけはこの愚行を犯しても生き残る可能性があると言うことに気付く。
その根拠は袁紹の役職にある。
まず袁紹の役職は何か?最初に思い浮かぶのは先帝が組織した近衛である西園軍の中軍校尉だろう。なにせこの組織、先帝が崩御し、蹇碩を含む5人が死に、事実上禁軍に組み込まれていても、次代の帝が廃止しない限り組織的にはまだ存在するのだ。
ではその中軍校尉の役目とは何か?と問われれば、明確に答えを出せる人間は居ない。実際同じ西園八校尉である曹操も「コイツって何してるんだ?」と疑問を抱いたことは一度や二度ではないのだ。
そもそも西園軍は黄巾の乱で活躍して武功を上げた人間を登用すると言う制度だったにもかからわず、総司令官である上軍校尉が宦官である時点でおかしいと言う突っ込みは結成当初からあったし、同じようにまともに戦に参加をしていなかった袁紹が中軍校尉となったことで、ほとんどの人間が西園軍を先帝のお遊びと認識したのは記憶に新しい。
その中で袁紹の権限はさらに不明瞭であり、結果として「数合わせ」だとか「名家閥として席を確保しただけ」と言う印象が強いものだった。
しかし、数合わせだろうがお飾りだろうが、袁紹は西園軍の中軍校尉なのだ。
そして本来、西園軍の兵権は光禄勲である李儒にも無ければ大将軍である何進にもない。その兵権は上軍校尉である蹇碩にあった。ではその蹇碩が居なくなれば誰がその権限を継ぐのか?と問われたなら、誰の名前が上がるだろうか?
今は「率いる無上将軍がいないから」だとか「役割が同じだから」と言う理由で光禄勲である李儒が監督しているが、制度上は蹇碩の補佐役としての権限が有る中軍校尉に移ると言う答えが出るのも、まぁ自然と言えば自然だろう。
さらに実働部隊を率いる下軍校尉の淳于瓊は現在李儒と共に出征中であるし、典軍校尉の曹操は蹇碩に警戒されていたので兵権は無いと明言されている。つまり現在洛陽に居る禁軍のうち、西園軍に所属する者たちの指揮権は袁紹にこそ有る。
あくまで制度上の問題ではあるが、制度=法でもあるので、そう強弁されてしまえば何進とて文句は言えない。
更に問題がある。
それは袁紹のもう一つの役職の【虎賁中郎将】と言うものだ。これは元々光禄勲の属官なので完全に李儒の配下なのだが、その役職は読んで字の如く皇帝直属の部隊である虎賁を率いる将である。
大枠では近衛と同一視されるので、それを指揮する光禄勲である李儒が居れば彼の命令が最優先されるが、李儒の副官であり左中郎将の李厳には虎賁や西園軍に対しての命令権は存在しない。
よって袁紹は西園軍の指揮官としても、虎賁を率いる将としても宮中に押し入ることが出来る権限を有しているのだ。
とは言え、流石に何もない平時にこのような真似は出来ない。だが今回、何進が禁軍とは言え兵を引き連れて参内したことで、袁紹には彼の動きを見張ると言う口実が生まれてしまう。
本来近衛は大将軍とは管轄が違うと言うことを考えれば、近衛の指揮官が何進の行動を掣肘するのは決して荒唐無稽な話ではない。それに何進が李厳を連れてきたのはそう言った反論を抑えるためでもあったので、これに関して李儒の備えが足りないと言う事でもない。
完全に結果論になってしまうが、このミスは参内の準備期間中に袁紹の行動の確認を怠っていた何進と荀攸の落ち度であった。
――――
そんな責任問題についてはさておき。問題は今である。
「袁紹はどうやって兵を集めた?そしてどれだけの兵を引き連れている?」
何進は現状を把握するため李厳に状況の確認を取るが、事態は何進が思った以上に悪かった。
「はっ。袁紹自身が集めたのが100人程度。さらに付き合いがある名家閥の若手が数十人加わり、それらがそれぞれ私兵を雇い入れております。その合計はおよそ500人から600人でした」
「でした?」
李厳からの報告を聞き、500か600程度なら……と考えた何進だがその報告が過去形であることに気付く。
「はっ。現在袁紹に呼応して禁軍が宦官の抹殺に参加しております。その数は1000を超えました。どうやら連中、禁軍にも相当恨まれていたようです」
「……なるほどな」
今の洛陽に於いて、袁紹のように漢の為に宦官死すべし!を標榜する人間は決して少なくはない。いや、むしろ多いと言っても良いだろう。それは名家の場合は今までの権力争いもあるし、党錮の禁によって宦官によって粛清された者の身内や、迫害された本人等は彼らに対して恨み骨髄に至っていると言うのもある。
実際に今の名家閥を代表する袁隗とて、宦官に対しては「いずれ殺す」と公言しているし、その機会があるなら殺るべきだと言う声は根強い。
また名家以外の人間の中にも、漢と言う国が衰退したのは宦官に原因が有ると考える人間は多い。そして禁軍に所属する人間には「自分とて好きで宦官を守っている訳ではない。自分たちの任務は皇宮の守護であり皇族の守護なのだ。断じて帝に寄生する宦官を守る為の存在では無い」と言う強い自負が有る。
それに彼らの中には、宦官に友人や身内を殺されたものもいれば、女官たちに面白半分で虐げられて来た者たちも居る。故に連中に恨みは有っても恩は無いと言う者が大半であった。
そんなこんなで、今までは不満が有っても我慢してきたが、機会があるなら宦官や女官どもを殺してやりたいと思って居た者らは袁紹を止めるどころか積極的に合流し、最初は600人に過ぎなかった袁紹の軍勢は今や1500人を上回り未だにその数を増やしていた。
こうして袁紹に加わった禁軍の者たちは袁紹に宦官や女官の隠れ場所を報告し、女官を見つけ出しては拐かし、宦官を見つけては無残に殺して行く。さらに名家に金で雇われた兵が宮中にある財を奪うなどの狼藉を働き始め、それを見た禁軍も止めるどころか自分たちも略奪に参加すると言う完全に箍が外れた状態となっており、普段優美と言う言葉を形にしたような後宮は、血臭漂う混沌の坩堝と化していた。
そして忘れてはいけないことがある。
袁紹らの狙いは宦官だけではない。何進一派もその標的であると言うことだ。
そもそもの話だが、彼ら名家閥の人間は何進の能力を認めるか否かは別として、基本的に成り上がりの何進を嫌っている。今のところ袁紹がその最先鋒であるが、彼らの中には何進の命令を意図的に無視しようとした者もいれば、何苗の風下に立つ気はないと言って職を辞した者もいる。
党錮の禁を解いたことに対する感謝?そんなものは無い。なにせ彼らからすれば何進のような身分の者が自分の為に働くのは当然のことであり褒めることはあっても恩に着るなどありえないのだ。良くて「よくやった」程度の思いしかないだろう。
むしろ同じ名家である荀攸や李儒が何進を動かしたと考えているので、彼らに対して感謝して多少の便宜を図るくらいである。……そんなんだから彼らは大将軍府から排斥されるのだが、それすらも何進が名家を僻んでいると言う妄想を働かせるのだから、どれだけ救えない連中かと言うのは語るまでも無いだろう。
そんな使えない連中でも名家は名家である。つまり彼らにはそこそこの金が有って、そこそこ信用があると言い換えても良い。彼らはその金と信用で兵を集め、何進の行動を監視すると言う名目で宮中へ乱入してきたのだ。
この口実を考えれば、彼らの狙いは宦官ではなく何進であると言っても過言ではない。
彼らは「何進が後宮に兵をもって乱入した。自分たちは何進の暴虐を止める為に動いただけだ」と言って何進を殺すつもりなのだろう。
その後のことについては、彼らは彼らなりに勝算があった。まず彼らの思考としては以下のようになる。
①ここで張譲ら宦官や何進を殺してしまえば残るのは自分たち名家閥となる。
②大将軍府?李儒が何を言おうと、次期皇帝である劉協を抑えてしまえばそれで終わりだ。
③その後で大将軍府は解体して自身が招集した董卓や丁原などに殺させれば良い。
④荀家については多少の便宜を図る必要も有るだろうが、同じ名家として話し合いも可能だ。
こう考えたと思われる。
……本来ならこのような無法は罷り通らない。元々宮中に配備された禁軍や何進が率いてきた禁軍が彼らを止めるべきなのだが、先述したように袁紹は自己の権限をフルに活用して動いている為、禁軍の者には袁紹を止めるだけの権限がなく、むしろ内心で何進に従うことを良しとしていなかった者たちは袁紹に協力を申し出る始末であったし、やはり宦官への恨みは大きいのだろう。
彼らは扇動する形となった袁紹ですら引くくらいの勢いで、隠れ潜む女官や宦官を見つけ出しては惨殺していったと言う。
これは西園軍が皇帝直轄軍として組織された軍であることや、自分たちは普通の軍とは違うのだと言う誇りが影響していたし、袁紹と言う中軍校尉にして虎賁中郎将にして袁家の後ろ盾が有る存在が旗頭となることで、禁軍や集めた兵士たちに赤信号を赤信号と認識させずに暴れさせることが出来たのが大きい。
そんなこんなで今や元々居た者たちだけでなく、何進が引き連れてきた禁軍までもが暴徒化する危険性を孕む不穏分子と化してしまっていた。
今や完全に信用できるのは李厳が直卒する部隊のみ。この状況で袁紹と向き合うのは危険すぎる。そう判断した李厳は何進に対して避難を呼びかけたのだ。
「……李厳」
「はっ」
「俺らの避難は後だ。それより先に弁殿下と協殿下を逃がせ」
「兄貴?!」
「兄上?!」
「やかましい!」
少しの黙考の後に何進が出した決断は己の避難ではなく、次期皇帝の確保であった。そのことに何后と何苗は悲鳴を上げるが、何進は声を上げて彼らを黙らせる。
「なぁ李厳。俺が逃げれば連中は追って来るわな」
「……そうですね」
「そうなりゃお前ぇらは俺らを守りながら両殿下も守らなきゃならんわけだ」
「……そうなります」
「いざという時は、禁軍の連中は俺を殺してでも妹や両殿下を守ろうとすんだろぉなぁ」
「……可能性は高いと思われます」
むしろ率先して自分を囮に使おうとするだろう?そう言外に告げる何進に、李厳は否定の言葉を発することが出来なかった。
いや、李厳個人としては何進の価値を正しく理解しているので、血筋以外の取り柄のない子供より何進を優先して守ろうとするだろう。だが彼の部下たちはどうだろうか?一般的な価値観を持っていれば、換えの効く大将軍よりも貴い血の流れる次期皇帝を守ろうとすると考えるのは当然のことだ。
むしろ彼らに名家や宦官の息が掛かっている者がいたり、その思想を植えつけられている者が居た場合は「皇室の為に力を持ちすぎた外戚を排除する」ことを優先する可能性が高いと言わざるを得ない。
それに何進はずんぐりむっくりな体型でわかるように、単純に重い。何苗はそこまでではないが、どう考えても足手まといだし、何后に至っては劉協が確保できない場合の保険となるので、黙っていれば保護されることはあっても殺されることはないだろう。
そう考えれば、何進は二人の子供と一緒に逃げるべきではないと言う答えに行き着くのもわからないではない。ただ、これを何進以外の人間が言うならわかるが、こうして自分ではっきりと告げることが出来るのが何進が凡百の人間と違うところだろう。
「つまり俺らは逃げるだけ無駄だ。なら俺は連中に一泡吹かせることを選ぶぜ」
「……閣下」
今の何進は「無様を晒すくらいなら!」だの「誇りの為に!」などと言う妄言を吐いているわけではない。単純に自分の死に場所はココだと判断したのだ。そんな何進の表情は、いっそ晴れやかと言っても良いかもしれない顔をしていた。
むしろそんな何進を見る李厳の方が泣きそうになっている。
「そんな顔すんな。……南陽の肉屋の小倅が大将軍になって、お偉い名家の連中や宦官連中と肩を並べて張り合って来たんだぜ?十分楽しんださ」
「兄貴……お、俺もだ!車騎将軍だの河南尹だの未だに良くわからねぇが、それでも普段偉そうにしてる連中を見下すことができたのは事実だしな!」
「……そんな事してっからダメなんだろぉが」
「えぇ?!」
何苗も何進が覚悟を決めたのを見て、何進と共に死んでやる!と意気を吐いたのだが、その返事はまさかのダメ出しであった。
(見下すんじゃなく対等に付き合っていればもう少しマシだったろうに……)
そんな心の声は「ま、今更だな」と言う言葉と共に流された。
「この馬鹿はまぁ良いとしてだ。李厳、とにかくお前ぇは両殿下を確保して李儒に届けろ。それが袁紹たちにとって一番の痛手になるはずだ」
「兄貴?」
何苗には、ここでなぜ李儒の名が出てくるのか分からないが、彼の下で研鑽を積んでいる李厳はそれだけで何進の言いたいことを理解したようだ。
「何苗。李儒を舐めるな。あのガキはこうなることも予想して準備しているはずだ」
「「はぁ?!」」
この言葉には何苗だけでなく、ことの次第を見守っていた何后も声を上げる。その言い方では、あれだけ重用していた腹心である李儒が、一歩間違えなくとも何進に対して叛意が有るような言い方である。
「あぁ、勘違いすんなよ?あいつにとって一番良いのは、このまま俺が大将軍やって他の連中を纏めて、自分が楽隠居できるような組織作りをすることだ」
「「はぁ」」
楽隠居?この状況で出てくるとは思えない単語が出てきて混乱する2人に対して、李厳は無言で頷いているので、彼は李儒に何進への叛意などは一切無いと言うことを理解しているようだ。
「だがアイツは生粋の策士だ。当然この策が失敗した時のことも考えているだろうよ」
この場合の策の失敗とは何進が死ぬことだ。今回のように袁紹の暴走だのなんだのは予想できなくとも、何進が寿命だったり病で死ぬことも有ると考えれば、その時の為の腹案の一つや二つは用意しているだろうと言うのが何進の読みである。
「で、恐らくあいつにとって一番の援護になるのが両殿下の確保ってわけだ」
「……なるほど」
ここまで言われれば李厳でなくとも分かる。何進は己の命を使って張譲や袁紹を殺す気なのだ。
しかしここで両殿下のうちのどちらかを彼らに握られた場合どうなるか?彼らに恩赦を出されたりするだけではない。確保した殿下(二人確保出来た場合はほぼ確実に劉協)を次期皇帝とし、それを後ろ盾として何進が居なくなった大将軍府を接収し、李儒らの命を狙うだろう。
ここで両殿下を逃がしてそれを封じると言うだけでも、残った大将軍府の人間には十分な援護となるのは間違いないのは事実だ。
「わかったら行け。どぉせあの野郎から抜け道については知らされてんだろ?」
「はっ」
将作左校令である李儒は当然のことながら宮城の図面を見る権限がある。その権限を利用し、さらに自身の経験から「必ず皇族専用の抜け道がある」と確信していた彼は、図面の中にある不自然なスペースや何やらを調査することで、皇族と大宦官と呼ばれるような者しか知らないような抜け道までも網羅していた。
そしてその情報は警備に必要だと言うことで李厳にも伝えてある。
李厳はその抜け道を使って何進たちを逃がそうとしたのだが、その何進は逃げても自分が足手まといになることを自覚している上に、自分たち以外にその抜け道を知っている人間に心当たりが有るので、そいつらを片付けてやろうと言う気になっていた。
「まぁ出来るだけ時間は稼いでやるから、お前ぇはお前ぇの仕事をしっかりやれや」
「はっ!」
「あぁそれとだな」
「?」
自らの死を覚悟して、李厳に大将軍としての最後の命令を下した何進だが、ここに至って何かを思い出したようで気恥ずかしそうに視線を逸らして鼻の頭を掻いている。
そんな何進の様子を見て、李厳も何苗も何后も「いきなりどうしたんだ?」と不思議そうな視線を向ける。それに耐え切れなかったのか、一つ大きな溜め息を吐いて李厳を見ると
「時間は稼いでやるし、李儒の策にも協力してやる。だから……「せめて孫の面倒を見てやってくれ」そう伝えてくれ」
決まりが悪いのか、何進は恥ずかしそうにそう言って視線を逸らす。
「かしこまりました!」
そんな何進からの最後の命令を受けた李厳は、一刻も無駄にはしないと決意して一礼した後、足早に退出していく。
「……兄貴」
「……兄上」
「うるせぇ!」
あれだけ格好をつけていた兄の最後の望みが孫の心配とは。そう考えて思わず破顔する二人に対して、何進は顔を真っ赤にして怒鳴り散らす。まぁ迫力も無ければ威厳のへったくれも無いので、二人の笑顔がさらに深まるだけに終わったのはご愛嬌と言ったところだろうか。
室内には追い詰められているとは思えないほどの和やかな空気が流れるも、それも束の間。外の喧騒が少しずつ聞こえてくるに連れて、徐々に三人の表情は固くなっていく。否、表情が強張っているのは何后だけであり、何進と何苗は何が楽しいのか笑顔さえ浮かべていた。
「さて、そんじゃ最後にひと暴れすっかね」
直接荒事に参加するのは随分久しぶりだぜ。と言いながら何進が肩を回せば……
「へへっ。俺は将軍なんかよりこっちの方が得意だぜ!」
元々血の気が多い破落戸のような生活を送ってきたのだ。今更命懸けの喧嘩に怖がる何苗ではない。むしろ「これからが本番だ!」と言わんばかりにテンションを上げている彼は、まるで憑き物が取れたような顔をして武器になりそうなものを探していた。
「……まったくこの殿方共ときたら。もういい歳なのですから、もう少し落ち着いたらどうですか?」
この期に及んで生き生きとしている二人の兄を見て、嬉しいやら悲しいやら。涙ぐみながらも、二人の兄の姿を忘れまいと、何后は視線を逸らすことなく二人の背を見守る。
「孫は託した。連中に対する意趣返しもした。もう憂いはねぇ」
「おうよ!一人でも多く道連れにしてやる!」
「「名ばかりの小僧に玉無しどもが!屠殺業者舐めんなよ!」」
庶民から成りあがり天下を差配するまでに至った何進。その最後の戦いが始まろうとしていた。
そんなわけで袁紹が乱入してきました。
袁紹には袁紹なりの勝算があるもよう。まぁここで何進が死ねば何とでもなりますからね。その口実として何進の参内を利用したし、立場もフル活用しましたってお話。
長々と話しているように見えますが、李厳の報告から退出まで15分も経ってないです。
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