30話。洛陽の泥の中で⑥
またせたな!
いつも通りの考察と言う名の妄想垂れ流し。
耐えれる方のみ閲覧お願いします。
文章の訂正の可能性有り
中平6年(西暦189年)9月某日。洛陽
何進は布告した通り2000の禁軍を引き連れて宮城に参内し、後宮に造られた何后の住む建物での謁見を行っていた。
皇太后とは言え何后からすれば、何進は己の後ろ盾であり、何一族の当主。その上で歳の離れた実の兄だ。
更に何進は今回の上奏は大将軍としてではなく外戚として行うと宣言しているので、何后が何進に対する扱いは配下と謁見をすると言うものではなく、妹として兄を出迎えると言う形になっていた。
これについては何后としても特に文句はない。
なにせ十年以上居るとは言え、外の世界に比べたら息苦しいことこの上ない後宮と言う世界に於いて、肩肘を張らなくても良い相手と言うのは極めて少ないのだ。
そんな極めて少ない相手である兄との会話にまで格式を求めるほど、何后と言う女は権威に染まってはいない。
そのことは何進も理解しているし、何進にとっても肩肘を張らなくても良い相手は希少と言うことも有るので、参内と言うよりは当たり前に家長として、兄として嫁いだ妹の様子を伺うかのような感じで後宮を訪れていた。
……普通の訪問とは違い配下を護衛につけて居るのだが、そこはまぁ立場や状況の問題である。一応何進と何后が会合する部屋には護衛も入れないようにしているし、宦官も立ち入りを禁じられている。
これは何進だけでなく何后からの命令でも有る。更に「もし宦官が来たら不法侵入扱いで一族郎党も殺す」と言うのも告知済みで有るので、張譲らもこの場にはいない。
ついでに言えば追い詰められていると錯覚した宦官が余計なことをしないように、この場に居ない劉弁や劉協に対してもしっかり護衛の兵を付けていると言う念の入れようである。
まぁ連中は余計なことをするどころか、参内した何進が通る予定のルートには近寄らず、むしろ禁軍に見つからぬように内輪だけが知る部屋などで息を潜めていたりするので、何かを画策する以前の問題なのだが……念には念を入れるのが何進と言う男だ。
そんなわけで久し振りと言うか、何后が霊帝に嫁いでから初めてと言っても良いかもしれない、家族水入らずの会談が行われようとしていた。
しかし何事にも例外は有るもので、今回何進が望んでいた何后との1対1の会談は叶うことが無かった。
それは何故かと言うと……
ーーーー
「ようやく来たな兄貴!最近の兄貴はおかしいぞ!自分が何をやってるのかわかってるのか?!」
「そう言うお前ぇはここで何してんだよ……」
何進が何后の用意した部屋に入ると同時に男の声が部屋中に響き渡る。
その声は何進よりも若く、さらに宦官たちとも違う声。本来許可の無い者以外が立ち入りできないこの場で聞こえて来て良いものではない。
本来なら告知通りに不法侵入で捕らえて一族郎党を殺すべきなのだが、その声を発した相手を見た何進は、頭を抑えて顔をしかめるだけに留めた。
それはそうだろう。自分を兄貴と呼んだ男は、自身の義理の弟にして何后の兄である何苗である。後宮への不法侵入の罪を問い彼の一族を殺すと言うのは何進にとっては自殺に他ならない。
それに何進が外戚として参内すると言うならば、何苗だって同じ立場である。ならば彼には「自分にも会談に参加する資格はある!」と強弁することは可能だ。
これは「自分からの布告を受けて張譲が用意した嫌がらせ」と当たりをつけた何進は、とりあえず何苗が居ることは諦めた。
だが何進にとって今回の会談は、張譲ら十常侍を除く為に何后を説得するのが目的である。そんな彼から見れば何苗は邪魔者以外の何者でもないと言うことを自覚しているのだろうか?
「何をしてるか?だって?俺は兄貴を止めるためにだなぁ!」
自分のお陰で今の立場にある何苗が、自身の邪魔をして何がしたいのか?今も真っ赤な顔をして怒鳴り散らす義理の弟の考えていることが何進には心底理解できない。
そして何后に対して「何でコイツの参加を許可したんだ?」と言う目を何后に向ければ、彼女は一つ頷き、何苗を招いた理由を説明する。
「進兄上は張譲らを除くことを望んでいるのでしょう?ですが苗兄上は張譲らを使うことを望んでいます。私としても外戚のお二人が争うのは望んでおりませんので、この場で何一族としての意見を纏めた方が良いと思いまして」
「……阿呆どもが」
妹からしたり顔で告げられた理由に、何進は今度こそ頭を抱えることになる。
何后は賢しげにそれらしいことを言っているが、これは明らかに張譲による何一族の分断策だ。そもそも何苗は何進に対して意見を言うだけの能力や実績が無いと言うことを自覚していない。
彼は「何進は何后の外戚と言う立場を利用して出世した存在である」と考えているし「それなら自分も同格だ」と思っている節がある。
そして何進と血が繋がって無いのも良くないのだろう。何苗にとって何進とは親の再婚相手の子供であり、年長者と言うだけで偉そうにしている存在だった。
いや、今まではそれでも良かったのだ。屠殺業者の家の出と言うことでまともな教養を持たず、さりとて才能も無い彼は、自分の力では与えられた役職や権限を使いこなすことも出来ないので、義兄に言われた通りのことだけをやってきた。
その結果が、何進はいつの間にか大将軍となり、自分は車騎将軍。さらに妹の子が次期皇帝である。ここ数年間の間の怒濤の展開によって彼の頭は完全に飽和状態になるのも仕方の無いことかもしれない。
そんな彼が自分が何進の操り人形に、その何進が名家の操り人形になっていることを自覚した(本人は自覚したと思っている)のは、張譲派とも言える宦官と付き合いがある連中が彼に接触してきてからのことである。
彼ら宦官閥の人間は何苗に対して「同じ次期皇帝の伯父で有るのに、何故何進が何苗よりも上位に立っているのか?」と言う疑念を植え付けると同時に「何進が名家閥の李儒や荀攸によって操られているのだ」と言う考えを植え付けることに成功する。
実際に普段から自分の意見など聞かないし求めることをしない何進が、李儒のような小僧の言うことは聞くし、荀攸には自分から意見を聞いているのは知っている。
そんな何進を何苗の視点から見たら「兄貴は名家の言いなりになっている」と言うことに違和感を感じることは難しいだろう。
実際は何進は己が知らない名家や宦官の価値観を確認したり、軍略を学んだ李儒や荀攸の意見を取り入れることで自分の計画を多角的に見て、失敗をしないようにしているだけなのだが、何進の天才性を理解出来ていない何苗にはそんなことはわからない。
どこまで言っても屠殺業者の小倅でしかない彼を掌の上で転がすことなど、宦官にしてみたらまさしく赤子の手を捻るより簡単なことだった。
この場合の一番の問題は、何苗が何進は名家に操られていると確信しているのに対して、自分は宦官に操られていると言う自覚が無いことだ。
こうなると、何進によるどんな説得も「自分は正常だが兄貴は騙されている!」と言うバイアスがかかり無意味になるし、何后を説得する際にも何進の言葉に説得力が無くなってしまう。
無理矢理従わせようにも、権威やら何やらを正しく理解できていない何苗は頑強に抵抗するだけだろうし、そんなことをしたら周囲に弱味を見せるだけになってしまうだろう。
李儒が来れば「邪魔ですな」の一言で何苗を始末するのだろうが、何進としても数少ない一門をこんなことで失うのは避けたいと言う気持ちがある。
この辺は優柔不断だの割りきりが出来ていないと言うよりは、何進が身内(孫)に権力の継承を考え始めた為の躊躇と言えよう。
だからこそ何進は、今回は妹ではなく義理の弟の説得が必要だと判断した。まぁ彼が居る限り妹の説得が不可能だと言うこともある。
しかし何進が操られていると確信している状態の何苗は、多少の説得では意見を変えることは無いと推察出来てしまう。
わざわざ万全の態勢を整えて後宮に来たってのに、ここで何苗の相手をしなきゃならねぇのか……。
そう考える何進の表情は暗い。
張譲に何苗を用意されたことにより、今回荀攸と何進が目論んだ「李儒が来る前に張譲を排除する策」は水泡に帰した。これに関しては数日の猶予期間を使って根回しをした荀攸に対して、何苗を使うと言うカウンターを目論んだ張譲の策戦勝ちと言えよう。
まぁそれが張譲にとって良いことかどうかは微妙なところであるのだが……それはともかくとして。
「苗よ、そもそもお前ぇは何で張譲を殺すのに反対してんだよ?」
何進は話を進めるために、何苗の意見を聞くことにした。
何后ならまぁわかる。今までの憂さ晴らしと言うのも有るだろうが、力の有る宦官を従えておけば今後の後宮生活は安泰だと言う程度だろう。
しかし何苗が頑なに宦官を庇う理由がわからないので、いっそのことストレートに聞いてみることにしたのだ。
「そ、そんなの当たり前だろ!張譲様って言ったら先帝陛下の側近中の側近だぞ!本来なら俺達なんか目にすることも出来ないお偉いさんなんだぞ!」
そんな何進に対しての何苗の言葉は「立場が違う」と言うものであった。
「……正気か?」
「あ、兄貴こそ正気かよ!俺たちは所詮思(何后)が弁殿下を生んだから出世出来ただけであって、宮中のことなんか何もわかんねぇんだ!それなのに宮中を知り尽くした張譲様を殺すなんてとんでもねぇことじゃねぇか!」
「おいおいおい」
何苗の意見を聞き、何后も我が意を得たりと言った風に頷いているのを見て、ようやく何進は彼らの考えを理解できた。
結局のところ何后も何苗も、政治を理解出来ていない肉屋の倅と小娘に過ぎないのだ。
故に二人にとって宮中だの大将軍だのと言った世界は正しく別世界であり、自分の知識が一切通用しない未知の世界である。
そんな未知の世界を歩む為にはそこを理解している人間を使うしかない。宮中においてはそれが宦官であり、その筆頭とも言える張譲だ。その張譲が従うと言うのならば使うのが当然ではないか。そんな考えが根底にある。
更に言えば、何進が大将軍になって僅かに五年しか経って居ないし、何苗が車騎将軍になったのもつい最近のことだ。彼らから見たら何進だって自分達と同じように右も左もわからなくて混乱している可能性は否めない。
「大体兄貴が使ってる李儒とか荀攸は名家の連中だぞ?あんな連中信用なんか出来るかよ!」
そんな自分の状況と照らし合わせた結果、先述したように何苗は何進が名家に操られていると確信したのだ。
自分もそうなんだから、何進もそうに違いない。何苗の立場ではこう考えるのは不自然なことではない。
それに何苗は今まで宦官と接することが無かったので、直接宦官から虐げられたり蔑まれたりされたことは無いが、名家の連中からはこれでもかと言う程に虐げられて来たと言う経緯があった。
数年前までは政略と謀略に際立った才能があった何進にすら何かとちょっかいをかけてきた連中なので、何の取り柄もない何苗に対しては遠慮も何もしなかったはずだ。
それは何進が大将軍になっても続いただろうし、むしろ隙の無い何進よりも隙だらけの何苗を狙って憂さ晴らしをしていた可能性もある。
軍部においても能力ではなく血筋で立場を手に入れた者と見下され続けてきた何苗にとって、周囲の人間は、ことさら名家の人間は自分を虐げて来た敵だ。
これは平民出身の文官や武官なら当たり前に感じていることであるが、何苗の場合はなまじ立場を得てしまっただけに、直接名家との接点が有るのが良くなかったのだろう。
もしも荀攸……はともかく(彼の場合は無意識に他人を見下す場合があるし、学が無い人間には荀攸の言葉が理解出来ない)李儒はそんな無駄なことはしないので、李儒(異常者)と関わっていたら、彼も少しは名家に対しては違う考えも持てた可能性が有ったのかも知れない。
しかし李儒は無能に関わって仕事を増やされることを嫌うので、何苗とは接触をしていなかった。というか半ば無視に近い状態にあった。このことも何苗が名家を嫌うことになった一因とも言える。
そんな事情はともかくとして、何苗の価値観では今でも漢のトップは宦官と名家であり、そこに何進が居ると言う実感はない。
その為、何進が名家に操られているなら、対抗策として宦官を後ろ盾に使おうと言う考えとなっていた。
これは普通の庶民としては実に当たり前で、堅実とも言える一般的な考えであり、一般的な考えだからこそ何后も理解しやすいことでもある。
「……なるほどな」
結局のところ何が悪いと言うわけではない、なまじ身内なだけに彼らには何進の特異性を理解出来なかったと言うだけの話だ。
それを理解した何進は、まずは何苗に立場を与えるよりも現実を見せることで蒙を啓くことが先であり、今の段階では彼らを説得できないと判断して今後の予定を組み換えて行く。
今回の参内は妹の説得と言う点では不首尾に終わった。しかし今後のことを考えれば決して無意味ではない。
一門の結束の為に必要な者を理解した何進は、それを気付くきっかけをくれた張譲に感謝さえしていた。
……李儒が洛陽に帰還した際に、張譲らがどうなるかを予想して溜飲を下げることが出来たと言うのものも有る。
今まではどうやって李儒の暴走とも言える行動を抑えようかと考えていたが、向こうがこんな手を打って来るなら遠慮は要らないだろう。
「とりあえずお前ぇらの考えは理解した。おぅ苗よ」
「な、何だ?!」
「帰んぞ」
「は、はぁ?」
袁紹が招き寄せた軍勢による宦官の虐殺。これを容認する方向で動くことを決意した何進は、これ以上ここでの会談は無意味だと見切りを付け、何進の怒りを買ったと勘違いして身構えている何苗と共にこの部屋から退出しようとした。
その時、異常事態が発生する。
「閣下っ!」
「あぁん?」
自身が引き連れてきた禁軍の指揮官である李厳が突如兵を引き連れて部屋へと乱入してきたのだ。
「貴様は李儒のっ!」
「こ、この場が何処か理解しての狼藉か?!」
何苗や何后はいきなり現れた完全武装の李厳を見て、何進(名家)に都合の悪いことを言う自分達を殺しに来たのか?と警戒し、誰何する。
「李厳。俺は入室を許可した覚えはねぇぞ。……いや、何があった?」
しかし二人とは違い、何進はこの李厳が李儒の命令に逆らうことは無いと知っているし、その李儒が自分を害すると言うことが無いと確信しているので、即座にこの乱入は非常事態が発生したものだと判断して目の前で周囲を警戒する李厳にその内容の確認をした。
非常時にこそ落ち着き払って最善の行動を取る。言葉にするだけなら簡単だが、実行するにはとてつもない忍耐力と判断力が求められることであるが、何進は当たり前にそれを実行できる人間である。
「はっ。閣下と宦官を始末するために袁紹が動きました!急いで避難を!」
「……はぁ?」
そんな何進であってもこの報告は予想外であったらしく、珍しく呆けた声を上げてしまう。
この場に李儒が居たら「ずんぐりむっくりなおっさんの驚いた顔なんかどうでも良いからさっさと動け」と言う感じで何進の尻に蹴りを入れるのだろうが、流石に李厳にはそこまでの度胸は無いし、親密さも無い。
故に李厳には何進からの指示を待つ以外にないのだが、その何進もいきなりの事態に自失から回復するまで数秒を必要としてしまった。
ーーーー
この数秒が何進にとってどのような意味を持つことになるのか……。
洛陽を揺るがす大事件は、まだ始まったばかりである。
何后だの何苗の気持ちですね。
普通に考えて一般庶民である兄貴が体制の破壊みたいな真似をしたら止めますわな。この時代の宦官は庶民にしてみたら帝に仕えるお偉いさんみたいなもんです。
秀吉や小一郎の場合とは違い、信長に仕えて彼の価値観に触れたと言う期間が無いし、そもそも何進の出世も急激でしたので、何苗の価値観は貴族様や殿様を恐れる小市民のままであり、自分の甥が皇帝になると言われても、何をして良いのかわかりません。
後宮しか知らない何后も似たようなものですね。
そんな不安を抱いているところに張譲みたいな宮中を知り尽くした大物が後ろ楯になるなら喜んでお願いしますよね。
それを殺そうとするなんてとんでもない!となるのも仕方ないのかも知れませんってお話。
そして皆様が予想していた袁紹乱入。
彼については次話だっ!