3話。黄巾前夜
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光和6年(西暦183年)・11月。洛陽。河南尹執務室
何進に仕えること3年。それなりに実績を上げた俺は、将作左校令・弘農丞と言う20にもならない若造には過ぎたる役職を与えてもらっている。
これは俺の仕事への評価と言うこともあるだろうが、偏に何進が名家連中との折衝を行いたくないからだ。つまり『格』をつけさせてやるから連中の相手をしろってことだろう。
それはともかくとして。
「で、状況は?」
以前と比べて名家絡みのストレスが減ったせいか幾分恰幅が良くなった何進であるが、決して腑抜けてはいない。
むしろ権力の増大に伴う宦官や名家どもの横槍を事前に潰す為にアンテナを張り巡らせ、一切の隙を見せることなく順調に勢力を拡大していた。
そんな何進から問われたのは、来年に引き起こされる予定の黄巾の乱についてである。
「大体は整いました。あとは馬元義が洛陽に入り数日泳がせた後で捕縛します。予定は来年の正月明け。その後拷問を行い情報を得たと言うことにして、鎮圧の準備を進めていけば……」
「焦った連中が勝手に暴発するか。……見事なもんだぜ」
「お褒めに預かり恐悦至極」
「心にもねぇこと言ってるんじゃねぇよ」
何進はハンっと鼻で笑いながら俺の頭を軽く小突く。この3年の間、なんだかんだで忠実に仕事をしているのでこの程度の掛け合いはできるくらいの親密さはあるのだ。
「残る問題は、予定していたよりも規模が大きくなると言うことですね」
いやーまさか中原全部に飛び火するなんてなー。ここまで大規模な乱になるなんて予想外だなー。(棒)
「あぁ。洛陽もアレだが地方もアレだからな。ま、そんなんだからこそ不甲斐ない地方の太守や政治を知らねぇ将軍共を差し置いて俺が上に立てるわけだが」
「ですな」
黒い笑みを浮かべる何進と李儒。彼らが何の悪巧みをしているのかと言えば、黄巾の乱の誘発に関しての下準備の算段である。
そもそもの話、古代中国において数十万人の民が一斉に蜂起すると言うのは簡単では無い。(それは別に古代中国に限らないのだが)
まず距離の問題がある。後世において黄巾の乱における黄巾賊の拠点とされたのは、まず張角が居る冀州鉅鹿郡。そして馬元義や波才・張曼成らが挙兵した洛陽に近い土地、すなわち豫州潁川郡と荊州南陽郡である。
この3箇所との物理的な距離を考えれば、豫州頴川と荊州南陽は比較的近いが冀州鉅鹿とはかなりの距離が離れている。
前者が大体東京~名古屋くらいだとすれば、後者はざっと言っても鹿児島から青森くらい離れている。その上、両者の間には司隷や兗州が有り、さらに黄河と言う絶対的な壁も有る。その為、両者の合流は不可能なのは当然としても、情報のやりとりだって簡単ではない。
そんな状態で同時多発的な感じで一斉蜂起をするためには、事前の情報のやりとりや集まった連中に対する武具・食糧の準備など、入念な下準備が必要になるのは当然のことだ。
そしてその下準備に気付かないほど、何進と言う男は鈍くはない。と言うか、その下準備を密かに支援したのが俺を含む何進一派である。
洛陽における元屠殺業者の元締めであった何進にすれば、頴川・南陽方面における食糧の動きから彼らの規模を測ることは容易であったし、この動きを利用して軍部を掌握すると言う李儒の提案は彼にも理解しやすいことだった。
何進は最初、この動きを知った際「どうしたものか」と、どう利用すれば己の利益となるかを考えた。これに対し李儒は
「どうせ近いうちに不満を溜めた連中が蜂起するのですから、ここで暴発させて膿を出しきりましょう。ついでに地方で悠々自適に暮らす名家共を減らしてもらえれば最良ですな」
と抜け抜けと言い放ったと言う。
現在不満を溜め込んでいる連中が蜂起しないのは、なにも未来に期待をしているからではない。単純に金も武器も食糧も無いからだ。だからこそ、それを得たら連中は我慢など出来ない。
いくら上層部が「冷静になれ」と言ったところで、暴れ馬の如く手綱を振り切るだろう。
そんな李儒の提案を受けた何進の行動は早かった。伝手を使って黄巾の連中に食糧や武具を横流しさせ、およそ10万の軍勢が2ヶ月耐えられるだけの食糧を用意させたのだ。
そう、10万の軍勢が2ヶ月しか持たない量である。現状で頴川で予想される蜂起の規模は数十万単位(兵士として立つのが最低十万で、さらにその家族や親族のような民衆がプラスされる)であることを考えれば、これではどうしても食糧が不足することになる。
それこそがこちらの狙いだ。
問題:実際に兵を率いたことが無い暴徒の群れが、その分量を正確に把握できるだろうか?また適度の配分が可能か?
答え:不可能。
当然の話ではあるが、こうなる。
ここで、もしも馬元義をはじめとした幹部連中が生きていれば話は別かもしれないが、彼らは洛陽で残らず殺すから問題無い。
そして残った連中が冷静に食糧の消費を計算して配分出来る可能性は限りなく低い。下っ端は目の前にある食糧と十万を越える同胞を見て、確実に「コレだけあれば自分たちは戦える」と錯覚するし、上の連中もこちらと下の連中に追い詰められる前に蜂起するだろう。
何せ官軍は討伐の準備を隠しもしないのだから。
そして蜂起の後で思いのほか食糧が持たないことを知った連中は、同じ漢の民を襲う暴徒と化す。この時点で連中は何を言っても大義も何もない暴徒となるわけだ。
ちなみにその暴徒に襲われることになる地域に関してだが……まず頴川や南陽はもちろんのこと、豫州全域と兗州もかなりの大荒れを予想している。
また鉅鹿に近い冀州の北部地域や幽州、ガチガチの儒教家である孔融の苛政(本人はまったく自覚していない)によって苦しんでいる青州北海郡を中心とした地域も、黄巾賊に同調して派手に暴れまわると予測されていた。
あとは今まで一方的に国に搾取されるだけだった民の不満が爆発して、各地で黄巾の乱とは無関係な暴動が起こることになるだろう。まぁ暴徒化しようが何をしようが黄巾が立つのは2月で、その他も大体4~6月くらいだろう。つまりは春の収穫が終わるかどうかだ。
結局は食糧が不足することは確定しており、もっと言えば場所によっては奪うだけの作物も無い状態なので、民も賊も飢えることとなる。そして食糧を持たない軍勢がどうなるかなど、わざわざ説明するまでもないだろう。
簡単に言えばこうなった状態の連中を刈り取ることで何進の軍功として、出世の手段とするわけだ。
巻き込まれる民は迷惑どころの話ではないが、何進にも言ったようにどうせ近いうちに不満が爆発して乱が起こるのだから、ここでさっさと鎮圧して漢と言う国を終わらせるのがせめてもの情けって感じだな。
さて、このように乱の発生から鎮圧までの絵は描けた。あとはこの乱の責任は誰が取るのか?と言うことになる。
国の混乱だから中枢を支配する十常侍?もしくは乱を事前に防げなかった軍部?残念ながら違う。
基本は乱を発生させた郡や県のトップであり、それらを推挙した人間が責を負うのが後漢クオリティだ。
そして地方のトップと言うのは、宦官や名家とズブズブの仲である。よって宦官や名家の連中は朝廷(帝)に地方での大規模な武装蜂起(自分たちの関係者の不始末)の情報が入らないよう、必死で揉み消しに動くことになるだろう。
……それを防ぐための馬元義の確保だ。
河南尹であり前の頴川太守であった何進が頴川における連中の怪しい動きを掴むことも、洛陽に入ってきた賊を捕らえると言うことも当たり前と言えば当たり前だ。
そこで馬元義一味から齎された衝撃の事実を帝に伝えるのも、侍従である何進にとって当たり前の話だろう。
その結果、宦官だの名家連中の面目は丸潰れとなるし、この件に関わる全ての者を裁く事が出来ると言う寸法である。
それと、意外と思われるかもしれないが、実はこの黄巾の乱。濁流派ではなく清流派と呼ばれる人間が多く関わっている。
まぁ党錮の禁によって弾圧されて鬱屈としていると言うのも有るし、賊の武力を用いて宦官を殺させようとしたと言うのも有るんだな。
ついでに(と言うかこれもメインの一つだろうが)洛陽でそのような真似をすることで、河南尹である何進にもダメージを与えようとしたのだろうが、所詮は机上の策士が立てた策。
実際に食糧を動かして物の流れを掴んでいる何進の裏をかけるはずもなければ、黄巾の乱を知っている上に何進に倒れてもらっては困る俺の目を欺けるハズもない。連中も関係者としてしっかり処断する準備は整っている。
しかしここで持ち上がるのが黄巾の乱と同じく、漢を衰退させる決定的な要因となった地方軍閥の活性化問題である。
「残る問題は地方の名家の連中も「自己防衛の為」と言う口実で武装するってことだな」
「はっ。誠に恐縮ですが私にはコレを防ぐ手立てはございません」
「そりゃそうだ。誰だって「黙って暴徒に襲われろ」ってわけには行かねぇからな」
そう。この乱において、涼州・并州・幽州と言った対異民族用に配備されている軍勢以外にも、洛陽の軍部から独立した武力が国内に生まれてしまう。
権威とは武力の裏付けがあって初めて機能するモノ。逆に言えば一定の武力を持つ者は一定の権威を得ることになる。
さすがの名家連中も「兵を持つのが穢れ」などとは言ってられないし、何より実際に兵を持ったことで自分の権力が増し、十常侍たちの干渉を跳ね除けることが出来ると言うことに気付けば、彼らはそれを手放そうとしなくなるだろう。
これをどうするかを考えるのが正しい漢の忠臣なのだろうが、残念ながら李儒はそのようなお人好しではない。
「はっ。故に閣下が、国内の兵権を纏める大司馬もしくは大将軍となれば、その地方軍閥の力も閣下のものとなるでしょう」
地方軍閥が何を言っても漢の全ては帝のモノだ。故に帝から漢の兵権を預かる立場となれば彼らもまた何進の配下となる。
こうした後漢的な常識を利用し何進を納得させ、軍閥の発生を抑えるどころか、むしろ群雄割拠を加速させる為に動く。
それが己の為だと理解しているから。
「ふっ。連中の思惑すら利用するか。まぁ帝にしても頴川での反乱準備を見抜けなかった名家連中や戦を知らん宦官よりも、前の頴川太守にして今回の乱を未然に防いだ俺へ兵権を預ける可能性は高いって言うのは確かだろうよ」
ついでに寵姫である何后からも口添えが有れば、名家にも宦官にも反対する術がないと言うことになる。……世の中を動かすのは民衆ではない。その裏でほくそ笑む権力者だと言う事が如実に表れて居ると言えよう。
既に準備は整った。
これより漢を衰退させ、群雄割拠の時代を生み出す嚆矢となる大乱。通称『黄巾の乱』の幕が開ける。
そんなわけで黄巾の乱。策士的な考察も有りますが、作者としては黄巾は何進や名家・宦官の権力争いに使われたのではないかと考察しております。
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