23話。霊帝崩御
霊帝が死んだ!この人でなし!
中平6年(西暦189年)5月。洛陽
春の柔らかな日差しの中に、夏の暖かさが感じられるようになってきた。そんなある日、宮中において帝が帰らぬ人となった。
帝の崩御。
これは本来なら報せを受けた者達は嘆き悲しみ、彼のことを惜しんだ者らが殉死したり、数年の喪に服すると言う事が発生してもおかしくない事案である。
しかし霊帝こと劉宏は、政を省みず宦官を重用し数多の人間を粛清したり、売官によって官位官職を売りさばいたり、地方の役人が重い税を掛けることを黙認し、民に苛政を強いたことで黄巾の乱を引き起こす切っ掛けを作った愚帝と言う評価を下されていた。
また彼が帝位に就いていた期間には天災も多かった上に、晩年は後宮に篭りきりで、せっかく売官などで集めた金も宦官が好きに使っていたことが判明していることなどから、佞臣を侍らせて国を腐らせた帝として周囲の評価はすこぶる悪かった。
その為、民や地方の軍閥からも「死んでくれて良かった」と言う声が上がることはあっても、その死を悼むような人間は極々少数であったと言う。
しかも彼は、死んだら死んだで特大の問題を残していった。
それは、後継者を直接指名しなかったことだ。
まず3月の時点で彼が病に倒れたこと。更にその病が重篤であったことを何進が世間に暴露した。
そしてそれにより政が滞ることを懸念した何進は「帝が表に出られない程に重篤であるならば、まずは長子である弁殿下を仮の太子として立て、職務を代行させるべきである」と上奏する。
明けて4月。その時点では自らの意思で言葉を話すことが出来た (と言われている)帝は、何進の上奏を却下し、蹇碩に対して「劉協を支えて政を行うように」と言う勅を出したと言う。
しかし彼がその勅を布告すると同時に、同じ宦官である趙忠らが「それは偽勅である」と勅そのものを否定した。そして「蹇碩による政治の壟断は許さぬ」と声を上げる。
それを受けて宮中では劉弁派と劉協派に別れて後継者争いが勃発。
いつまで経っても決裁されずに溜まって行く書簡を前にした何進は、名家閥を率いる袁隗と協議を行い軍事や政に関して継承争いをしている両殿下の意を通さず、自分たちの権限で行うと言う宣言を発表した。
これにより何進は、一時的なものでは有るが政の場から帝(宦官)を締め出すことに成功する。
この段階でようやく何進と袁隗の狙いに気付き、焦った宦官達は一時仲間割れを中断しそれぞれ袁隗や何進に擦り寄ろうとする。
しかし既に帝の決裁を必要としていない彼らは「帝の権威を利用できる」と言うこと以外の価値を持たない宦官たちを歯牙にもかけなかったと言う。
5月。宦官閥の弱体化や両殿下の価値の低下を実感し、全ての責任を押し付けられそうになった蹇碩は、何進と権力争いをしていた外戚の董重と手を組み、諸悪の根源である何進の暗殺を決意する。
しかしその計画は何進の腹心であり、宮中の兵権を一手に握る李儒の手により露見してしまう。計画が露呈した彼らは何進の反撃を受けて捕らえられ、獄中で死亡することとなった。
さらに何進は自分に対抗する外戚である董氏を董重に連座させ、劉協と董太后を除く董重の一族郎党を処刑することに成功する。この一連の事件の結果として、劉協には後ろ盾となる者が居なくなってしまう。
こうして何進と袁隗が後ろ楯となっている劉弁の即位を妨げるものは徐々に、しかし確実に排除されていった。
6月。霊帝の母親である董太后が洛陽から追放され死亡。これにより劉弁が皇帝として即位することがほぼ確定する。
何進と争っていた董氏は消え、甥の対抗勢力となりえる劉協は孤立し、宦官は仲間割れでグダグダ。名家も武力を持つものは地方に分散しているか腹心である李儒の管理下に有る。
つまり現時点で何進にとって敵と言うべき相手はおらず、後は先帝の喪が明けた後で劉弁が即位すれば、漢において何進に逆らえる者は居なくなると言う段階まで来ていた。
――――
「クカカカカカカカ!阿呆どもが!勝手に踊って勝手に死にやがったぞっ!」
まぁほとんど自爆に近いのは確かではある。特に董重は何をしているんだ?いや、劉協がどうとかじゃなく、何進に対抗するためにって言うのはわかるんだ。
しかし十常侍と組んだら、名家や世間から酷評を受けて劉協の名が地に落ちるだろうに。普通に考えたら袁隗に連絡を入れておいて何進と袁隗の間に溝を作るべきだったと思うんだがなぁ。
いや、確かにそう動くように仕向けたし、細かい段取りを組んだのも確かだが、あまりに簡単すぎやしないか?まぁ結果論と言えばそれまでなんだが。
「クックックッ……奴等の命乞いをしたときの顔を思い出すだけで笑いが止まらねぇ」
「左様ですか」
しかしアレだな。大将軍になった時もこんな感じの上機嫌であったが、今回はさらにテンション高いな? 俺なんかここ数ヶ月仕事で忙しくて一日8時間も寝とらんのだぞ?
あまりの忙しさに弟子にも役職与えて働かせるくらい忙しいっつーのに、このオッサンは……とりあえず目を覚ませ。
「おめでとうございます閣下。それでは今後についての注意点を確認して行きましょう」
浮かれて馬鹿やって自爆するのは勝手だが、巻き込まれるのは御免だぞ。まだ敵は死んでは居ないんだ、瀕死と死亡は全然違うんだから、死亡を確認するまでは笑うのは止めておけよ。
いや、死亡確認した上で死んでない可能性も有るが……あの曹操の逸話ってどういう意味何だろうな?普通に診断ミスとかじゃないのか?
と言うか、もしかして王允って周りから王大人って呼ばれてたりするのか?
いや、あれの呼ばれ方についてはどうでもいいけど、今は何進だ。
「……一気に現実に引き戻しやがって」
「夢を見たまま死なれても困りますので」
「……そうだな」
なんか前にもこんなこと言った気もするが、まぁいいや。
「では話を戻します。今後の懸念についてですが、単純に暗殺されることですね。食事や酒には注意をし、名家連中が用意した料理は勿論、盃や器にも注意を払う必要が有ります」
「毒か。確かに有りそうだ」
この時代の毒殺はなぁ。下手な名探偵が出てくるまでもなく「毒だ!」ってのはわかるんだが、犯人の心当たりが多すぎて推理も何も出来ないんだよ。
動機で言ったら洛陽の名家や宦官の殆どに有るし。なんなら義理の弟や妹だって容疑者になるときた。さらに何進の暗殺を企むレベルの黒幕なら実行犯(鉄砲玉)なんか幾らでも量産出来るから、どれだけ警戒してもし過ぎと言うことはないんだ。
「特に戦勝の宴だの昇進記念だのは危険です。奴等は心中では閣下を見下しておりますので、本心から閣下の栄達を祝うことなど有り得ません」
とは言えまず注意すべきは名家だろう。連中の中では狡兎が宦官ならば、走狗は何進だ。
小者にすり寄らせて油断を誘い、一気に殺しに来る可能性は高い。しかもこの場合の小者は本心からすり寄って来るから危険なんだ。
「ふん。宦官の次は俺ってか?」
「えぇ。可能性は高いでしょうな」
奴等の理想としては何進と宦官の相討ちなのだろうが、無理なら何進に宦官を殺させてから、何進を殺す方向に修正するはず。と言うか、現在はその方向で準備をしている最中だろう。
まぁ結局のところ何進がどれだけ出世をしようとも、袁隗や袁逢がそれを認めることは無いと言うことだな。現在すり寄って来ている袁紹にしても、最終的には何進を利用してポイント稼ぎをしたいだけだし。
この辺を勘違いすると足元を掬われることになるから、調子に乗らんように釘を刺さねばなるまいよ。
「あとは張譲ら十常侍にも注意が必要ですぞ」
「あん?今のあいつ等に何が出来るってんだ?」
おいおい。史実だとお前はそんな死に体の奴等に殺されるんだぞ?今は史実よりも勢力を固めているし、連中が入り込む隙も殆ど無いとは言え油断は禁物だろうに。
「閣下。連中は数百年の間、漢の汚泥の中で生き抜いてきた化生です。生きている限り毒を撒き散らす化物を相手に油断などしてはいけません」
今の連中は陸に揚がったフグみたいなもんだが、瀕死だろうがなんだろうが猛毒を持った存在だぞ?毒袋を破裂させて相討ちを狙う可能性もあるんだから、注意は必要だ。
「……それもそうだな。んじゃお前はさっさと張譲どもを殺すべきだって言いてぇのか?」
しかめっ面する何進だが、気持ちはわかる。宦官の扱いに関しては、何進の配下の中でも意見が別れている難問であり、万事が順調に見える何進にとって数少ない悩みの種だ。
李儒はそう考えているが、その数少ない悩みの中に「どうやって李儒に自分の縁者を押し付けるか?」と言う悩みが有ることを、彼は自覚していない。
それはともかく。
「そうですね。正確には現状で力を持ちすぎている十常侍は殺して、適当な俗物を生かして使うのが一番かと」
意見で言えば曹操の意見に近い。袁紹は「宦官死すべし!」だが、流石に今の段階で一人残らず宦官を殺せば、権力を増しすぎた何進への風当たりが強くなる。
名家だけなら大したことは無いが、これに諸侯が加わると面倒になる。特に劉虞や劉表、劉焉のように軍事力を持つ皇族は厄介だ。
だからこそ、共通の敵として宦官は残す必要があるんだよ。
敵は分断して小さくしたのを管理すれば良い。ついでに言えば向こうが管理されていることに気付かなければ最高だ。
「言いたいことはわかる。今後のことを考えれば、確かにそれが一番楽だろうよ。問題は誰が管理するかだな」
管理は確かに重要だな。だがその手には乗らんぞ!
「そうですな。閣下と適度な距離が有ると思われていて、かつ連中が従いやすい者が良いでしょう」
「……具体的には?」
不満そうな顔しやがって。やっぱり俺にやらせる気だったな?!しかし流石に俺は無理だし、荀攸も無理だ。曹操もダメ。袁紹は論外で趙忠も力が強すぎる。ならば帝派にさせるべきだろう。
「王允などはどうでしょうか。彼は宦官に恨みを持っておりますが、帝にとって宦官が必要だと言うことも理解しております」
「ふむ。確かに奴なら宦官に配慮なんざしねぇか」
「はっ」
「そうだな。アイツなら宦官を生かさず殺さず管理してくれるだろうさ。それに帝派にも配慮しているところを見せれるし、何より曹操のように突飛なことをしないから行動が予想しやすいのも良い」
「ですな」
くくく、恨み骨髄にまで至っている宦官を差別することなく管理出来るかなぁ?……間違いなく日々の酒量は上がるだろう。葡萄酒でも贈ってやろうかねぇ。
アレは酔えない濁酒擬きよりもよっぽど旨かろう。そのままアル中にでもなってくれれば最高だよな。なんなら急性アル中で倒れてくれても構わんぞ?なんたって俺は高級品を贈っただけだし。奴が勝手に酒に溺れる分には責任も何もあるまいて。
もしも奴が倒れたら、筍にでも任せるか? 荀攸に近いと言われるかも知れんが、向こうは何だかんだで名家の拘りが有って何進を受け入れられずにいるみたいだし。
荀攸だって身内がニートは嫌だろう?何より奴は『王佐の才』って評価されてる位だからな。いずれ曹操に仕えることになるかも知れんが、とりあえず今はしっかり王(允)の横で働かせることで、ニートから脱却させてやろうじゃないか。
もしこの提案を断られても、それはそれで構わんぞ。重要なのは俺や何進が荀家に対する配慮は見せることなんだからな。
――――
これから激動の時代を迎えることで、ストレスで酒に溺れる王允とその介護をする筍の軍師を想像し、内心の愉悦ムーヴを隠そうともしない腹黒な外道を見て、どこぞの大将軍が「うわぁ」と言う顔をしたとかしなかったとか。
数ヵ月をダイジェスト化。
さらりと死んだ霊帝(ついでに上軍校尉)。残る不安は十常侍か?ってお話。
何度も言いますが、聡明だろうが周囲の環境が悪かろうが、民や宦官によって苦しめられた人間にとっては佞臣を重用して国を腐らせた愚帝です。
さらに後継者の指名と言う、帝としての最低限の仕事すらしなかったので(内々にはしたかもしれないが公表されなければ意味がない)この物語でも彼には無能・無責任の烙印が押されました。
何で西園軍のお披露目のときにやらなかったのか、作者には理解できませぬ。まぁ彼にも色々有るんでしょうけどね。
筍は荀イク=サンの隠語で、誤字ではなく仕様です。
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