26話
最終的に『自分が良ければいいや』の精神で書類を捌き続けて、約半年。
この間、益州に於いて劉弁が陽平関を落とし、さらに漢中を攻略。
その後は長安にいる連中からの嘆願を受け入れる形で帰還した。
長安に戻った劉弁は、留守中に溜まった仕事を片付けたり、俺が上奏した農業政策や後宮改革案に着手したりと、内政でも着実に成果を上げつつあるようだ。
それらに対して目立った抵抗や非難の声は上がらなかったとのこと。
どうやら劉弁のことを快く思っていなかった連中も、自らの意思で最前線に向かい、大きな損害もなく確かな武功を掴み取ってきた劉弁の評価を決めかねているらしい。
まぁ、名家だなんだと言っても、所詮は戦場に立ったこともない文官共では、今の劉弁を推し量ることはできまい。
やはり暴力。
暴力こそ全てを解決する。
ちなみに、国家の暴力装置である軍部では、元々最高責任者である董卓からの評価は悪くなかったことや、今回の戦いを経て皇甫嵩ら上級将官からの印象が良くなった結果、ほとんどの将兵から『真っ当な指揮官』という、なんともありがたい評価を得ているそうな。
実際問題、皇帝が戦上手である必要はないので、劉弁は『愚鈍な指揮官』とか『間抜けな指揮官』とか『袁術みたいな指揮官』とか言われなければ、それでいいのだ。
で、文官と武官が大人しくなったことで、政は滞りなく行われているらしい。
問題があるとすれば、劉弁の行動にとある制限が課されたことくらいだろうか。
それだけ聞けば腐れ儒者どもが「皇帝陛下に制限を課すなんてとんでもない!」と騒ぎそうなものだが、その制限が『次の子供ができる前に長安を空けることは赦さない』という、皇帝としての義務を果たすよう言われているだけなので、特段問題視している人間は劉弁以外いないそうな。
尤も、その劉弁とて唐后の教育係であった蔡琰を後宮に入れたので、近いうちに制限は解かれることだろう。周期とか安定期とかの知識も教えているしな。
政治の中心である長安が安定すれば、周囲もまた安定するもので。
涼州・司隷・荊州・兗州・豫州は着実に国力を増しているし、袁術軍による被害が大きかった寿春や廬江でも、支援物資のおかげで無事に冬を越せたことや、復興の兆しが見え始めていること、さらには今年の税は免除すると告知したこともあってか、領民たちの表情に笑顔が見えるようになってきたように感じる今日この頃。
「この分なら来年あたりに出征が可能だな」
などと呟いているとき、そいつはやってきた。
――
六月 揚州九江郡寿春
「孫策が?」
「はっ」
「口上は?」
「なんでも至急太傅様に直接お伝えしなくてはならない用件があるとのことですが、具体的には何も」
「……ふむ」
さて、一体何の用だろうか。
今のところ、長沙に張りつけている人間からは、異常があったとは聞かされていない。
揚州の劉繇も益州の残党どもも荊州に手を出せる状況ではなく、交州も落ち着いている。
対外的に問題がないなら、残るは内部の話だろう。
それも、今のところ外部の人間が知らない、そして嫡男である孫策を派遣せざるを得ないほど極めて重要な内容である可能性が高い。
なんにせよ情報が足りないため、少し待たせてから謁見するべきだろう。
普通ならそうするべきだ。謁見を断る口実もある。
前触れの使者もなく訪れた子供の相手をしているほど暇ではないのだから。
しかし俺には、孫策がきた理由に一つだけ心当たりがある。
寿命だ。
史実の孫堅は三七という若さで死んでいる。
翻って孫堅は今年で四〇。
俺の価値感ではまだ若い部類に入るものの、死んでもおかしくはない。
尤も、孫堅の死因は病死や寿命ではなく、黄祖との戦いで負った戦傷なので、同じように見るべきではないのだろうが、死なないにしても、何らかの病に冒されたのかもしれない。
もし俺の予想が当たっていたなら、孫策が具体的な内容を門番に話すことを躊躇う気持ちもわかる。
太傅に対する礼儀としてはどうかと思うが、孫堅のことを非常に尊敬している孫策にとって、これは戦場で大将に重要な情報を伝えるのと同じか、それ以上のことなのだろう。
「会いましょう」
「よろしいので?」
「えぇ」
俺にとっても孫堅は重要な人間なので、無視するわけにもいかない。
残る問題は、どこで会うかということだな。
普通であれば謁見の間で話を聞くべきなのだが、もし用件が俺の予想した通りであれば、あまり大っぴらにするのも気が咎める。
そうなると……。
「もし孫策が正式な謁見を求めるならそれに相応しい場を用意しますが、火急の用というのであればここで聞きましょう」
いずれ発覚するだろうが、今はできるだけ秘匿して、少しでも孫家の家督継承が円滑に進むよう手助けをしよう。
(孫堅と初めて会ったのは、辺章・韓遂の乱のときか。なんだかんだで一〇年以上。思えば長い付き合いだったな)
寂寥感を抱きつつ孫策が来るのを待つこと数分。
門番との問答で焦れていたのか、焦りを感じさせる表情を浮かべたまま執務室に入ってきた孫策は、そのまま俺の前に来て……。
「幼い皇帝を操り漢を荒らす佞臣李儒! ここが貴様の墓場だ!」
「は?」
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