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25話

一連の戦いに関連する論功行賞は終わり、個別に支払われる報酬とは別に、新たな人事も発表された。


まず、戦場となったため復興作業が必要となった豫州には、豫州潁川出身の名士である鍾繇(しょうよう)が刺史として配属されることとなった。


江夏の劉琦を撃ち破り、豫州の袁家という脅威が消えた荊州は、劉協がそのまま州牧となることとなり、その補佐役として蒯良や蒯越、孫堅らが名を連ねることとなった。


ある意味で色々と荒れた徐州は、陶謙が()()()倒れてしまったため、急遽劉容が期間限定の刺史に任じられることとなった。


孔融が罷免された後、正式な後任が決まっていなかった青州は、現在刺史の代行をしている田楷に対し改めて刺史となる意思があるかどうかを確認した後、刺史となる意思があるならそのまま田楷を正式に任命し、その意思がないなら蔡邕の従弟である蔡谷が任命されることとなった。


最後に、袁術の手によって大きな被害を受けたせいで、復興にかなりの労力を掛ける必要がある揚州の九江郡と廬江郡には、劉協の後見人として書類仕事に従事していた太傅李儒が割り振られることとなった。


劉弁からすれば、面倒極まるものの絶対にやらなければならない復興作業を任せるにあたって、人格・能力共に一番信用できる人間に任せただけの話だったし、李儒は李儒でその判断が妥当だと考えていたため、両者ともに思うところはない。


しかし、劉弁と李儒の関係性を知らない者たちは、そうは受け取らなかった。


長安から追いやられ荊州牧にされ、荊州の復興がひと段落したかと思えば、揚州二郡――それも最も荒廃した郡――に回された李儒を哀れむ者や、逆に『都落ちの噂は本当だった』と、その凋落を嘲笑う者。

さらには『長安政権に恨みを募らせた李儒が叛旗を翻すのではないか?』と疑い、李儒の動向を警戒する者とに分かれることとなった。


ちなみに呂布は李儒と共に揚州へと転属しているが、そのことに不満や不安は抱いていない。

むしろ『もう用済みです』と言われて処刑されなかったことに安堵していたのであった。


十二月。豫州九江郡寿春


渦中の人こと李儒は、今日も今日とて『自分が周囲の人間からどう思われているのか?』などという些事には一切興味関心を向けず、ただひたすらに机の上に積み上げられた書簡の確認を行っていた。


「やはり残りの討伐は来年、いや、再来年以降ですね」


「やはりそうなりますか」


「えぇ。報告は受けていましたが、袁術軍の残した爪痕が大きすぎる。労働人口が減ったこともそうですが、それ以上に物資が底を突いているのが痛い。このままでは大勢の民が冬を越せずに命を落とすことになるでしょう」


なにもしなければ間違いなくそうなる。

こちらから戦争を仕掛けて状況を悪化させるべきではない。


「当座の食糧を含む救援物資の手配はしましたので、多少はマシになるでしょう。後は来年の田植えに合わせて、農地の開発と改善を行う必要があります」


今のままでは自給自足すらできないからな。

外征以前の問題だ。


「開発はともかく改善、ですか……」


微妙な表情を浮かべる呂布。

気持ちはわかるぞ。

ここまで荒らされた土地が一年やそこらでなんとかなるとは思えないのだろう?

だが、安心して欲しい。

俺には長らく不毛の地とされていた涼州で農地改革を成功させた実績があるのだ。


「心配は無用です。幸いにも、必要なモノは揃っておりますしね」


農地を耕すための農機具は、司隷や荊州から運ばせる。

それを使う人間は、山などに逃げ散った民を集めるなり、官軍に屯田させるなりすればいい。

一番大事な、土地を潤す有機肥料の原材料はすでに調達済み。

それらは冬の間に加工させ、できあがったモノは春に使用する。

その段取りはすでに組み終わっている。


物資、労働力、そして肥料。


これらが揃っている以上、農地改革に失敗する可能性は極めて少ない。


「生き残った袁家の関係者には、漢の大地を荒らすだけ荒らした責任を取ってもらいましょう」


「……そうですな」


――ちなみにこの加工作業は、比較的罪が軽いとされて処刑を免れた旧袁術軍の兵士らに課された労役刑罰として扱われることとなった。

後日、この作業の内容を聞かされた兵士や民らは、彼らに深く同情することとなり、結果として翌年以降『元袁術軍』の肩書は、袁術に従って暴れた加害者ではなく、復興作業のために生み出された哀れな被害者として認知されることとなった――


呂布が納得したところで、次なる問題に目を向けよう。


今も益州で戦っている劉弁についてだ。


「と言っても、我々にできることはあまりないのですが」


「まぁ、確かに」


荊州にいたころならまだしも、さすがに豫州から益州へ行くのは現実的ではない。


そのため援軍は送れないのだが、書簡は送れる。


「陛下におかれましては、そろそろ長安に戻って頂かないと困ります」


「ですな」


一年近く最前線に留まり続けたことで、覚悟を示した劉弁に対する官軍や西園軍の評価は悪いモノではない。

しかし、さすがに二度目の冬を迎えるとなると、話は変わる。

長期間の対陣は兵士らに多大なストレスを与え、多大なストレスはそのまま厭戦気分となる。

兵士らの間に厭戦気分が生まれれば、軍に隙が生じる。

隙が生じれば、予期せぬ事故が起こる可能性が上がる。

万が一にも劉弁が討ち取られるような事故が発生すれば、政権が終わる。

それはなんとしても避けなければならない。


「情勢はすでに終盤。皇甫嵩将軍らがいて詰めを誤ることはないでしょう。ですが、戦は水もの。万が一ということも考えられます」


「確かに」


現状、劉弁らが戦略的に益州勢を追い詰めているのは紛れもない事実だ。

しかしそれは、逆に言えば益州勢はまだ諦めていないということでもある。

その辺を見誤って窮鼠の追い込み方に失敗し、傷を負われても困る。

だが、今更長安に帰還するよう求めても、首を縦に振ることはあるまい。

ならば。


「できるだけ早く漢中での戦いを終わらせて長安に凱旋してもらい、後継者作りに専念するよう上奏しましょう」


「大事ですな」


敵を追い詰めた挙句に退くのではなく、一定以上の戦果を以て凱旋すればいい。

なにも、一度の遠征で益州全土を攻略する必要はないのだ。

益州勢の主力が篭る陽平関を落とし、高祖所縁の地である漢中を攻略することは、十分な功績となる。

仕上げを皇甫嵩将軍に任せたところで、劉弁の武功に翳りが発生することはあるまい。


武功を携えて帰還した劉弁には、そのまま宮中の改革を推し進めてもらいたいと思っている。


具体的には、後宮に関する諸々のことだ。


これは後継者問題にも直結するため、決して粗略に扱って良い問題ではない。

しかし、だからこそ、今のうちに手を付けておきたい問題でもある。


とりあえず、俺が言及したいのは側室の数についてだ。

側室は必要だが、多すぎても駄目。


数が増えれば増えるだけ、彼女らの背後にいる関係者の数も増える。

関係者が増えれば、権力闘争が激化することになる。


これにより、妊娠が発覚した女性に対して攻撃が行われるようになるそうだ。

聞くところによると、子供を堕胎させるために事故を装ってぶつかったり、毒を飲ませたりするらしい。


皇帝の後継者を作るための場所で何をやっているのやら。


そんな魔境で碌な後ろ盾もなく劉弁を産み落とした何太后は、やはり一代の傑物なのだろう。


同時に、自分が散々苦労したからこそ、彼女は後宮を魔境にするような真似はしないはず。


正室である唐后も、本人が権力闘争とは無縁の性格をしていることや、すでに後継者となる男子を生んでいること、さらには実家がそんなに力を持っていない――劉弁はその生まれのせいで宦官からも名家たちからも見下されていた上、下手に力のある家の人間を宛てがった場合に何進の影響力が強まることを危惧されていたこともあって、まともな家から妻を娶ることができなかった――ため、後宮で権力闘争が起こることを恐れているはず。


劉弁に関しては、常日頃から『側室なんかいらない! 唐だけでいい!』と明言している。


太后、正妃、皇帝。

後宮に関わる人間全てが”是”としている以上、規制に関する上奏をしてもなんら問題はあるまい。


「そもそも、側后の数が多すぎるのです。そうは思いませんか?」


「……まぁ、そうですな」


一〇人や二〇人なら俺とて文句は言わない。

だが、さすがに百人単位はどうかと思う。

その上、大陸中から集められた数百人の美姫も、そのほとんどが一年で一回会うか会わないか分からないというのだから、驚きである。

それでも、本来の目的である血縁者を増やせていたのであれば文句はない。

しかしながら、先代霊帝の子はわずか二人。

先々代に至っては子供がいないので、霊帝を養子として迎え入れている始末。


後宮の存在意義はどこにいった。


――ちなみに、三国志を終わらせた晋の司馬炎に至っては、一万人近くの娘を後宮に囲っていたらしい。

これには女官や管理者(宦官)などが含まれているという説もあるが、それでも後宮の関係者だけで一万人近くの人間がいたとされている。

それだけの人間が後宮にいたにも拘わらず、司馬炎の子供は、夭逝した人物を含めて三〇人前後しかいない。

三〇人と言えば多いように感じるが、側室の数と比べれば少なすぎる。

つまるところ、後宮で囲い込む后の数と、子供の数は比例しないのである。


司馬炎の性欲とその結果についてはさておくとして。


予算の削減と政治闘争の抑止、さらには後継者問題の激化を防ぐためにも、劉弁には後宮で囲う人間の数は抑えて欲しいと思う次第である。


尤も、劉弁が喜び勇んで規制に賛成しても、子の代、孫の代になれば性欲を爆発させた皇帝がルールを変えるだろうけどな。

それによって外戚や宦官などが絡む問題が生じるだろうが、それはもうその時に生きている人間が対応することだ。俺には関係ない。


極端な話、俺は俺が生きているときに混乱が発生しなければそれでいいのだから。

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