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18話。西園三軍

キンクリ!ってほどでもありませんね。


諸事情により文章が粗いので、修正の可能性大!

中平5年(西暦188年)2月。洛陽・大将軍府大将軍執務室


年末年始のデスマーチを乗り越え無事に正月を終えた俺は、弘農に戻って弟子の教育をしようと思っていたのだが……緊急の課題が発生したため帰省することも許されず、何進の命を受けた荀攸によって捕らえられ、ここ、執務室に連行されていた。


……いや、扱いおかしくない?俺は現役の九卿で、若造だけど大将軍府のナンバー2だよ?


なに?何進(ナンバー1)が最優先?ごもっともです。


そんな脳内会議は良いとして。今日の議題は噂話と、それに反応したお偉いさんに対してどう動くかということだ。意味がわからない?まぁ聞いておくんなまし。


事の発端は、ある占い師(国家公認の占い師)による占いの結果が報告されたことだった。


なんというか、この時点でアレだろ?だがこの時代は普通に占い師の権限が強いので、決して馬鹿には出来んのだ。そして現在洛陽ではその占いの結果が噂として流布されていた。


まぁ流したのは宦官と名家連中だと言うことは把握しているし、さらにその内容を知るのは各派閥の一部の上層部だけという「それ、噂を流す意味有るのか?」と言いたくなるような稚拙な感じの噂話であるんだが。


と言うか、庶民代表の何進の下に俺や荀攸がいる限り、名家や宦官どもに庶民にまで幅広く噂を流すなどと言う行為は不可能だ。


なにせ連中の紐付きを見つけたら「都の民の不安を煽っている罪」で摘発して殺しているからな。


その結果、今では金を貰っても連中の手足に成りたがるヤツも居ないと言う状況である。


そんな感じで、噂自体は非常にニッチな感じでしかない。


しかしながら後漢に限らず専制国家は密室での会合ですべてが決まると言う社会なので、最終的には上層部の人間だけがわかっていれば良いと言わんばかりにゴリ押ししてくるのが最近の宦官や名家連中のやり口だったりする。


なら最初から庶民に噂をばら蒔くような意味の無いことをするなって?うん。普通はそう思うよな。


しかしながら連中は承認欲求が強いのと、庶民代表の何進が庶民の声を聞くことを知っているから、世間一般の声と言うことで断り辛くしようとしたと思われる。


連中も一応は考えては居るのだろう。しかしそのせいで連中の関与がバレるのだから、まさしく生兵法であると言える。


でもって、そんな連中が広めた噂とは何か?


「『都で戦が起こり両宮で血が流れる』ねぇ」


何進は胡散臭そうにしているが、何でも今回(ぼう)()者(雲気を見て吉兆を占う人)がこんなことを言ったらしい。


そもそもそれを予測出来るなら「こいつは馬元義の時に何してたんだ?」って話になるのだが、その辺は触れてはいけないお約束である。


問題は「この言葉を誰がどう使うのか?」と言うことだ。


「はい。この結果を受けて大将軍司馬である許諒殿と()司馬の伍宕殿が、「六韜に倣い帝が将兵を率いて四方を()(えん)すべきではないか」と主張しております」


「……なんでそう言う結論になったんだ?俺にはさっぱり意味がわからねぇよ」


「ご安心ください閣下。私もです」


うん。報告している俺が言うのもなんだが、さっぱり意味がわからん。


そもそも軍は何進が掌握している。そしてその何進は帝の後ろ盾あっての存在なんだから、わざわざ新たに軍を創設する必要などない。むしろ新たに軍を作ることで『両営』が生まれてしまうではないか。


常識で考えればこの時点で新たな軍の設立など有り得ないと考えるのだが、洛陽の常識非常識の法則はここでもしっかり仕事をしているようで、何故か宮中では軍の新設が確定事項のように語られている。


「そうですな。私にもよくわかりませんが、とりあえず連中は「今の体制に不備が有るから戦乱が終わらないのだ。故に新たな軍の創設をするべきだ」と言いたいのでしょう。現在の洛陽に必要なのは新たな軍では無く、何事にも足を引っ張る自分たちの排除だと言うのを棚に上げてこの有様。実に嘆かわしいことです」


荀攸はそう言って溜め息を吐くが、名家の代表のような筍の……荀家の出としては、まさしく目を覆いたくなるような状況なのだろう。


「ついでに言えば、現状の何進閣下の一人勝ち状態をなんとかして食い止めたい連中は『ならば軍部の権限を自分達のものにしてしまえば良い!』と考えたと言ったところでしょうか?」


「然り。まさしくその通りでしょうな」


「はぁ。これだから阿呆どもは……」


頭を抑える何進に荀攸が解説を入れ、俺がトドメを刺す。実に見事な連携と言えよう。


しかし何と言うかアレだよな。連中は、何進が纏めつつある軍部の権力を分割して自分たちで抱え込みたいと言うのが丸わかりだ。どうやら軍事力による権威の補強は連中が思った以上のものだと気付いたようだな。


そんなわけでなんとかして軍事力が欲しい連中は、現在洛陽に於いて軍事力を独り占めしている何進を追い落とそうと必死なわけだ。


とは言え連中に軍事力が無いのは何進が何かしたからでは無いんだよなぁ。


「一人勝ちも何も、そもそも軍事はコッチの専門だろうに。ついでに言えば宦官閥の張温にしろ名家閥(帝派)の皇甫嵩にしろ、連中が勝手に足を引っ張ったんだろうが」


「「ごもっともです」」


そうなんだよな。張温は去年の暮れに「乱の鎮圧が遅い」と言う理由で左遷させられているんだ。まったく、もう少しで張純と烏桓の連中を引き離すことも可能だったろうに。


……いや、その気配を感じたからこそ左遷させたのかもしれんがな。


その辺の内情はともかく、こういった内輪での足の引っ張り合いがある以上、連中が軍事力を手にすることは無いだろう。


と言うか、黄巾の乱からここまでの間に連中の手で失脚した人間が多すぎて、軍部の中で連中を信用してるのが居ないんだよ。


そもそも宦官は軍部(と言うか帝以外の全ての者)に嫌われてるし、名家も軍部の人間を見下すから、どうしても優秀な人間は帝派か何進派になるんだよ。


それを嫌った宦官や名家が成功しそうな将帥を左遷して、自分達の手柄にしようとするんだぞ?そんな状況で、誰が連中の部下になりたがるかって話しだ。


そのせいかどうかは分からんが、史実では次に行くのは軍部の人間ではなく皇族である劉虞となる。


おそらくは「何進に手柄をやりたくないが、自分たちの中に使える手駒も無い」と言う宦官どもが、直属の軍の設立と一緒に皇族に軍を率いらせることを帝に働きかけたんだろう。


こうなると今回の件は最初から公孫瓚と張温に下準備をさせて、皇族(宦官)が喰らうって感じを狙っていたと見るべきか?


しかしこれで劉虞による張純と烏桓の離間に成功されてもなぁ。そりゃ最初から乱に関わっている公孫瓚からすれば手柄を横取りされたようにしか思わんよ。


皇族は未だに軍を率いることを「穢れ」と思ってるような連中が多いから、現場主義の公孫瓚とは絶望的に相性が悪い。その上、現在交渉相手を模索している烏桓の丘力居(きゅうりききょ)だって、一介の将軍よりは皇族と交渉することを望むだろう。


結果として『張温や公孫瓚が出来なかったことを、劉虞が皇族の威光で成し遂げた』ってなるんだろ?これはもう戦争不可避ですわ。


コレを止めるには劉虞の派遣を止めるしかないのだが、今回の件で帝が無上将軍 (笑)となって兵権を持ち、自らの声で皇族を派遣すると決めてしまえば我々にそれを覆すことは出来ない。


せいぜいが経験豊富な将帥を副官とする程度だろう。……なりたがる奴が居るかどうかはわからんが。


つまり公孫瓚に関しては、もうどうしようもない。せめて物資を滞りなく送ることで印象を良くしておこうって感じだな。


「ごもっともって……まぁいいや。んで、結局俺は何をどうすれば良いんだ?」


名家や宦官の回りくどい宮廷語が書かれた書簡は完全に流したのだろう。何進は俺たちに結論だけを聞いてくる。


変に曲解したり、無駄に喧嘩腰になられても困るからこれはこれで間違ってはいないんだが、まさか大将軍司馬から大将軍に送る書簡が竹簡ってわけにも行かないって感じで、向こうからちゃんとした紙を使って正式な書簡として送って来たというのにこの扱いである。


この時代の紙は貴重品なんだぞ?もう少し扱いを……いや待て。あとで和紙みたいな感じで作ってみるか?細かいやり方は知らんが、それっぽいことをさせれば弟子あたりが普通に「できました」とか言って来そうだ。


まぁ個人で金を稼ぐ必要が有るほど貧乏ではないし、そもそも税とか既得権益が絡んで来るからやるにしてもかなり後になるだろうけどな。


それはともかくとしてだ。


「陛下が自前の軍を持ちたいと言うなら止めることはできません。さらに予算も売官で得た予算を使うと言うなら尚更反論も不可能ですね」


軍をなんだと思ってるんだ!とか、太尉や(えい)()がいるだろうが!と言いたくなるが、結局のところは洛陽から動かない宦官や名家が、何進に対抗するために自前の軍勢を持ちたいってだけなんだよな。


言ってしまえば連中の私兵だ。それを帝が許可を出して、帝の私財で運営すると言うなら俺たちには止められんよ。つーか勝手にやってろとしか言えん。


「李儒殿が言われた通りです。そして帝の直属の配下となる者も向こうですでに決定済み。……連中、今回は中々に準備が早いですな」


言葉だけなら向こうを褒めているが、今回の件では完全に連中に出し抜かれた形になったからか、流石の荀攸も悔しそうにしている。


実際大将軍府は張温の罷免から生じた雑務(軍を引き上げたり、地元の軍閥に対する各種雑務等)に労力を割かれていたとは言え、派閥としては完全に出し抜かれた形となるから荀攸の気持ちもわからんではない。


しかし連中は長年洛陽の泥沼に生息していて、さらに宮廷工作に特化した政治の化物だ。優秀では有るが、結局は良いところの坊っちゃんである荀攸では『澱み』が足りんと言う根本的なことを自覚できていないとしたら、同じ土俵の上にすら立てんで負けることになるぞ。


何進がそれを理解出来ていないとは思わんが、もしかしたら荀攸の優秀さを知って「コイツなら大丈夫だろう」って感じで油断したのかねぇ?


あ、ちなみに俺は今回の件で悔しさとかは感じていない。


なんたって俺は溜まりに溜まった大将軍府関連の書類を片付けることだけに専念しろって言われて、命令通りに黙々と書類仕事をしてただけだしな。


その間の宮廷工作は荀攸と何進の仕事だった。つまり今回出し抜かれたのは俺じゃないってわけなんだ。


いや、俺も西園八校尉の存在を忘れていたのは確かなんだが、現状を顧みて何進が連中にそんなん設立させる隙を作るなんて夢にも思わなかったってばよ。つまり、俺は悪くない!


……いやはや、何進も荀攸もまだまだ甘いのぉ。


「……張温の罷免やら年末年始の仕事やらが片付いて多少油断したのは認める。しかしその、何というかアレな顔は止めろ。普通に殴りたくなる」


「はっ失礼しました」


おっと、ついついドヤ顔してたようだ。失敬失敬。


「……李儒殿の表情についてはともかくとして、話を進めましょう。結論から言えば、現段階で閣下が出来ることは、下手に抵抗せずに自らが上奏して新たな軍の新設を認めることしか御座いません」


荀攸の意見を聞き嫌そうに顔を顰める何進だが、今のところはそうやってせめて自分の傷を小さくするしかないと言うのも事実である。


どうせ負けが決まっているなら、いっそのこと潔く退くのも立派な戦術と言うことだな。


しかしそれだけだとアレなんで、何進が溜飲を下げることが出来るように俺からも簡単な追加案くらいは出そうじゃないか。


「では連中の主張を認めるついでに官位を追加で買うべきですな。今までは他の方々に遠慮するように言われておりましたが、帝の軍を運営するための資金を軍部が負担すると言うのは当たり前の話でしょう?」


流石にもう九卿だの太傅は売らんだろうが、いくつかの郡太守や役職は買うべきだ。ついでに荀攸を尚書あたりにしたら良いと思う。そうすれば今後は荀攸が大将軍府の文官筆頭みたいな感じになるだろうし。


俺?俺はこれ以上は無理だ。普通に光禄勲の執務も有るし。いやぁ残念だなぁ。(棒)


「……ほほぅ?なるほどなぁ。連中は俺に対して「他の連中が買えなくなるからこれ以上買うな」と言ってきたが、今回の件を利用して「他の連中よりも帝の御意志を優先すべきだ」って話にする気か?まったく、相変わらず性格が捻じ曲がってやがる」


「確かに。そのような絡め手は私には思いつきもしませんでした。流石の性格の悪さですな」


「いやいや、褒めても何も出ませんよ?」


「「…………」」


まったく。なんか二人して俺のことを性格悪いだとか持ち上げて何がしたいんだか。大体性格が悪くない軍師なんかいないし、そんな奴が洛陽で政治に携わることなんか出来るわけ無いだろうに。


と言うかここまで来るのにかなり後暗いことをしてきた何進が言うことかねぇ?


しかしあれだな。庶民出身の何進と名家の代表格である荀攸が、こうしてしみじみと会話が出来る程度には仲が良くなっていると言うのは、間違いなく良い事だと思う。


荀攸のおかげで自前の名家閥の連中も補強できたし、今回の大将軍司馬だの仮司馬が馬脚を表してくれたおかげで、大将軍府内に於ける派閥が明確になったのも良い。


粛清……とまでは行かんが、しっかりと左遷してやるよ。今の俺たちに身中の虫なんざ生かす意味がないんだからな。



――――




中平5年(西暦188年)3月。


何進は帝に対して直轄軍の設立を上奏し、これを受けた帝は何進に兵を四方から集めるように勅を下すこととなる。


これを受けて何進は司隷・豫州・冀州・兗州・荊州など、各地から(人材)を集めると共に、大将軍府に所属する人間を朝廷の下に出向させ、直轄軍の設立を積極的に助けたと言う。


無上将軍劉宏が率いる皇帝直轄軍が正式に組織されることになるのは、それから数ヵ月後のことであった。

いや、これって本当に設立理由の意味がわかりません。おそらく当時も名家と宦官以外の人たちは「今更直属の軍を組織してどーすんの?」って思ったんじゃないですかね。


劉虞と公孫瓚はこんな感じだと思うんですよねぇ。公孫瓚相手に散々苦戦している上に、涼州の乱を起こした羌族も鎮圧されてます(史実では仲間割れでグダグダです)ので、烏桓はできるだけ早く漢と休戦したかったんだと思います。


そこに現れた世間知らずで理想主義者(儒教家)の皇族なんて、絶好の交渉相手じゃないですか。そりゃ頑張って尻尾振りますし、公孫瓚は「今更か!」って感じで邪魔しますよ。


なんだかんだで洛陽の内部では強い宦官と名家。根回しはしっかり行っているもよう。


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