22話
徐州を経由して兗州へ逃れようとしていた袁術を討ち取ったのは、袁術の再侵攻を警戒していた劉備率いる琅邪勢であった。
彼らはほぼ無警戒に徐州を移動していた袁術軍を発見するや、即座にこれを急襲することとした。
前口上も何もなく、ただ勢いに任せただけの突撃を敢行した琅邪勢に対し、予想外の攻撃を受けたことで右往左往する袁術ができることはなにもなく。
最後は部下たちを見捨てて逃走を図ろうとしたところを、関羽の手によって討たれている。
その際、袁術が最期に口にした言葉は「この袁術ともあろう者が!」というものだったそうな。
一応補足しておくが、徐州にその屍を晒すこととなった袁術だが、さしもの彼とて、一万の軍勢が移動しているのを察知されないと考えるほど呆けてはいなかった。
袁術が無警戒に進軍をしていたのは、先の侵攻の際、反抗を企てるどころか、平身低頭して『下邳を進呈するかわりに東海郡は見逃して欲しい』と頼み込んできた陶謙を侮っていたからだ。
そのときの様子を覚えていた袁術は『徐州勢は自分たちを発見しても動かない』と判断したし、それとは別に『動いたとしても弱卒揃いの徐州勢など蹴散らしてくれる』と考えていたのである。
確かに陶謙が徐州にいる将兵の軍権を握っていたのであれば、徐州へ侵入したものの、東海郡を狙わずに兗州方向へ移動しようとしている袁術軍に攻撃を仕掛けようとは思わなかっただろう。
事実、袁術軍が侵入したという報せを受けた陶謙は『誘い出す罠かもしれないから、軽々に動かず全体の様子を見る』と言って、自分が動かせる兵に待機を命じている。
なので、今回袁術が下した判断はあながち間違ったものではなかった。
袁術が間違えたのは、陶謙に徐州の全軍を指揮する権限があると判断したことだ。
先だって行われた侵攻に際し、率先して袁術に阿ったのは陶謙個人の判断であって、決して徐州勢の総意ではない。
当たり前だ。
勝手に自分たちの地元を売り払われて、いい気分になる者などいないのだから。
しかもそれが徐州全体のことを考えた苦肉の決断ではなく、あくまで自己保身に走った結果となれば、賛同を得られるはずがない。
もし陶謙が、事前にこのことを家臣たちに諮っていたら、ほぼ全ての者が考えを改めるよう進言しただろう。場合によっては、その場で陶謙が討ち取られていた可能性すらある。
当然、刺史でありながら下邳を見捨てた陶謙に対する武官や側近たちの評価は、大幅に下落した。
それでも、実際に徐州の者たちが袁術軍の猛威を目の当たりにしていれば、陶謙の行動を『結果的に被害を下邳一郡だけに抑えた好判断』と評価する人間も出てきたかもしれない。
しかしながら袁術軍は、下邳の一部で略奪をしたものの、その直後に行われた官軍の攻勢に対応するため撤退してしまった。
これにより、徐州内部で『最初から袁術に対抗していれば、略奪されることはなかったのではないか?』とか『官軍の動きに合わせて挟み撃ちにすることもできたのではないか』などといった、陶謙の軍事的手腕を疑う声が上がるようになった。
戦国乱世の主君に求められる最大の項目である軍事能力に疑問を持たれた陶謙は、軍部に対する影響力を失ったのである。
そして、陶謙の代わりに影響力を得たのが、先日名を上げた劉容を筆頭とする琅邪勢であった。
彼らは元々三万の軍勢で一〇万を号する大軍と戦おうとしていた男たちだ。
軍事的に頼りにならないことを露呈した陶謙が発した、極めて消極的な待機命令に従うような大人しさはなかったし、一万足らずの袁術軍を恐れて手出しを控えるような臆病さも持ち合わせていなかった。
そうこうして、標的を見つけた彼らは、勢いそのままに吶喊を敢行し、見事袁術を討ち取るに至ったのであった。
これもある意味では不幸なすれ違いと言えるかもしれない。
―――
「……まずいことになったぞ」
「だってよぉ! 袁術がこんなところにいるなんて思わねぇじゃんかよぉ!」
今回の戦で、逃走を図った袁術軍に止めを刺すという大金星を挙げた琅邪勢。
以前略奪された分の報復を成し遂げたこともあって、さぞ気分が高揚していることだろう……と、思いきや、意気軒高に騒いでいるのは兵士たちだけで、臧覇や劉備を始めとした上層部の面々は、揃って頭を抱えて意気を消沈させていた。
「あの馬鹿、なんでこんなところにいるんだよ!」
頭を抱える臧覇や慟哭の声を上げる劉備はまだしも、普段は抑え役に回ることが多い簡雍でさえ、こうして悪態をついているのだから、彼らの混乱具合もわかろうというものだ。
快勝したにも拘わらず、こうして彼らが憂いているのは、偏に袁術の首を獲ってしまったからである。
とはいえ、彼らが懸念しているのは『袁家の恨みを買う』ことではない。
最初に喧嘩を売ってきたのは袁術だし、逆賊になった後で徐州を素通りしようとしてきたのも袁術なのだ。
戦場でそれを討ち果たしたからといって、生き残った者たちに恨まれても困る。
というか、恨まれる筋合いがないとさえ考えている。
――ちなみに袁術が討ち死にしたことを知った袁紹は、袁家の当主を自称した男の死を喜ぶ気持ちはあるものの、それ以上に不遜の輩が汝南袁家に楯突いたことに対する怒りの感情を覚えたらしく、袁術や彼と共に移動していた袁家の者たちを討ち取った劉備らに対する敵意を隠そうともしていないのだとか。
尤も、これに関しては『一族の人間を討たれても報復を誓わないような弱卒に人は付いてこない』という考えに基づいて行われたアピールの側面もあるので、全てを真に受ける必要はないが、袁紹が劉備らを不俱戴天の仇敵と認定したのは確かである。
それがどうしたという話なのだが。
いや、もし現時点で袁紹が冀州全土を支配していており、その豊かな土地から齎される圧倒的な物量で以て公孫瓚との戦いを有利に進めていたり、兗州の曹操が袁紹に従って方々に兵を出しているような状況であれば、劉備らも袁家の恨みを買ったことを後悔していたかもしれない。
しかし、今の袁紹が治めているのは冀州の半分に過ぎず、それだって水面下で劉虞と勢力争いを繰り広げているため、盤石とはいい難い状況にある。
この状態の袁紹から恨まれても、別に怖くない。
厄介な相手である曹操はどうかというと、彼を含めた兗州の諸侯は、袁術に荒らされた陳留を始めとした兗州内部の復興に尽力しており、今のところ外に出る様子を見せていない。
彼らに外征する心算がないことは、どれだけ袁紹から要請されても、朱儁が抜けてがら空きになった司隷に向けて兵を出さないことからも明らかである。
曹操が動かないのであれば、劉備らには袁術を討ち取ったことで袁家の恨みを買ったことを恐れる必要はない。
では、彼らが何を危惧して頭を抱えているかというと。
「よりにもよって官軍から獲物を横取りしちまった……」
これである。
一か月前ならいざ知らず、今の臧覇や劉備は、袁術が徐州から撤退した理由が『袁家討伐軍の侵攻』にあることを理解している。
官軍が豫州と廬江の同時侵攻に用意した兵は約八万。
有象無象を集めただけの精鋭を自称する袁術軍と違い、常日頃から徹底的に訓練されて出来上がった正真正銘の精鋭部隊を朱儁、呂布、孫堅といった、漢でも有数の名将が率いるという大作戦だ。
彼らが本物の精鋭部隊であることは、豫州方面に展開していた五万の袁術軍を鎧袖一触で殲滅させたことでもわかるだろう。
そんな精鋭を大勢動員した官軍の狙いが、新たに逆賊と認定した袁術の討伐であることは火を見るよりも明らかなことであった。
その標的を、よりにもよって劉備らが討ち取ってしまった。
狩りに例えるなら、大勢の人間を使って獲物が巣穴から出てくるよう騒ぎ立て、いくつかの障害を乗り越えてようやく獲物が飛び出したのを受けて、彼らが「さぁこれからが本番だ」と意気を上げているところに、どこからともなく狩りに呼ばれてもいない地元の狩人が現れて、みんなが狙っていた獲物をかっさらったようなものだ。
どう考えても手柄の横取りである。
これで狩りをしていた者たちから悪感情を抱かれないと考える方がどうかしている。
一応『徐州に逃げてきた敵を徐州勢である自分たちが討ち取っただけ』と言い逃れすることは可能だ。
しかし、それとて官軍側から『いや、俺らもそれくらい予想してたし、備えもしていたから』と言われてしまえば、返す言葉はない。
「自分たちはそれらの計画を知らされなかった!」と訴えようとも、向こうから『絶好の機会であるにも拘わらず、自前の軍勢を動かそうとしなかった陶謙に教えるはずがない』と言われてしまえばお終いだ。
それどころか、陶謙が官軍と示し合わせて『自分は待機命令を出した。しかし彼らはそれに従わず、勝手に袁術を追った』なとど言って、自分たちを悪者に仕立て上げようとする可能性さえある。
実際に陶謙や官軍がどのような主張をするかは分からない。
だが獲物を横取りした自分たちに対して官軍が好意的な感情を抱く理由はないわけで。
「「「どうしたらいいんだ……」」」
頭を抱える三人。
彼らの姿を一見して、彼らが戦いに勝利した軍の指揮官と看破する者はいないだろう。
普段から楽観的な意見を唱えることが多い張飛でさえ励ましの言葉が見つからないほど、三人の表情は厳しく、醸し出す空気もまた非常に重苦しいものであった。
閲覧ありがとうございました









