18話
田楷との話し合いを終えた劉備は、その足で簡雍を待たせていた部屋へと向かった。
「お、戻ったか。で、どうだった?」
「いやーなんとかなったぜ。兄ぃには田楷の旦那からも口添えしてくれるってよ!」
「ほーん。あの堅物の旦那がねぇ。お前さん、いったいどんな嘘を吐いてきたんでぇ?」
「嘘は吐いてねぇよ! 嘘はな」
待っていた簡雍からの問いかけに明るい声で応じる劉備。
長年の付き合いからその声に無理をしている様子がないことを感じ取った簡雍は、劉備の言葉を疑うのではなく、単純に”劉備が田楷を説得した方法”に興味を示した。
今回の件に関してだが、大前提として『袁術に対抗するため徐州に残る』という行為が、公孫瓚に対する反逆行為に近いものだと理解している簡雍からすれば、どれだけ言葉を重ねても公孫瓚の腹心である田楷が納得するはずがないと踏んでいたのだ。
しかし劉備は田楷の説得に成功した。
それだけでなく、なんと田楷自身が公孫瓚に劉備の行動を赦すよう口添えまでしてくれるというではないか。
誰がどう見ても異常事態である。
しかも、その不可能ともいえる交渉を成功させてきた劉備は、大事なところを暈かしてきたではないか。
(こうやって誤魔化すとき、コイツは絶対になんかヤらかしてんだよなぁ)
確信する簡雍。
そして、ヤらかしたことを知りながら見逃してやるほど、簡雍は劉備という男を信用していない。
「……なぁ大将。お前さんがどうやって田楷の旦那を誤魔化したのか、包み隠さず正直に言ってくれ。それによっては今から謝罪しとかねぇとマズいことになるかもしれねぇからな」
どうせいつものように、あることないこと大げさに吹き散らかして誤魔化してきたのだろう。
それは別に構わない。
だが、吹いた内容によっては後から吊るし上げられる可能性がある。
というか、自分なら確実に吊り上げる。
まして内容が内容だ。
知り合いだからと言って反逆者を見逃すほど公孫瓚は甘くない。
むしろ、知り合いだからこそきっちりケジメを付けようとする男だ。
騙されたと知った田楷とて、面目に懸けて劉備にケジメを付けさせようとするだろう。
(怖っ!)
怒れる幽州騎兵から逃げきることなどできるはずがないし、もし逃亡に成功したとしても、その後が続かない。このご時世、公孫瓚を敵に回してまで匿ってくれる諸侯などいないのだから。
また、劉備に付き従っている自分たちが狙われるならまだ我慢もできるが、自分たちのせいで地元に残してきた親類縁者が狙われるのは困る。
そういった諸々の意味で公孫瓚の脅威を正しく認識している簡雍が、今のうちに張れる予防線があるなら、できる限り張っておきたいと考えるのは当然のことであろう。
「いや、本当に大丈夫だから」
「だったら話せ。今すぐ、できるだけ正確に」
「お。おう」
『誤魔化しは赦さねぇぞ!』といつにない気迫を見せる簡雍を見て、劉備は田楷と話してきたことを正直に報告するのであった。
―――
「はぁ。そんなら向こうが勝手に勘違いしてくれたってわけかい?」
「おうよ」
「まぁ、皇族様の要請となりゃ、大将も旦那も断れねぇわな」
「だろ? だから俺らが徐州に残ったところで旦那や兄ぃが怒ることはねぇんだって!」
「……どうだかねぇ。絶対に後からバレると思うぞ。まぁ、一度認めた以上は兄さんも表立って文句は言わんだろうが、怒られんのは覚悟しとけ。もちろん俺らは助けねぇかんな」
「うぐっ」
確かに劉容から要請はあった。
正確には劉容の配下である臧覇という人物を通しての要請だったが、そこはまぁいい。
問題は要請の中身である。
劉備が臧覇から頼まれたのは『できることなら徐州に留まり、袁術に対する抑止力となって欲しい。もしそれが叶わないのであれば、幽州に戻る際に自分たちも同行させてほしい』というものであった。
一応、外聞もあるので『徐州に留まって欲しい』とは言っているが、そんなのは文字通り上っ面を取り繕うための言葉にすぎない。
彼らの本命はもちろん幽州への帰還に同行することである。
というのも、劉容らには、現在進行形で賊徒共に荒らされて荒廃したうえ、これから袁術にも荒らされることが確定している徐州に拘る心算は一切なかったからだ。
むしろ彼らは、袁術の侵攻を理由にして徐州から逃げだし、冀州にいる劉虞の庇護を受けつつ、長安政権と交渉を行って徐州以外の場所に領地を貰う心算だったのだ。
そんな彼らの本音を察知できないほど劉備も簡雍も青くはない。
なので、彼らの要請に沿って動くのであれば、さっさと幽州へ退けばいい。
それが劉容陣営にとっても公孫瓚陣営にとっても最良の選択であることは劉備とて理解している。
しかし、今の劉備には軽々に幽州へと退けない理由があった。
「はぁ。なんだってうちの大将は、あんな見え透いた罠に引っ掛かるかねぇ」
「し、しょうがねぇだろ! あんないい女を差し出されたら誰だって手を出すだろうが!」
「そりゃお前さんだけだ。普通は罠とわかってりゃ我慢すんだよ」
「ぐふっ」
劉備が徐州へ留まる理由、それは女であった。
具体的には、地元の豪商である麋家の娘に手を出した対価として、彼らから『徐州を護って欲しい』と嘆願されたため、簡単に徐州を離れることができなくなったのである。
一般的に、生活水準を上げるのは簡単だが下げるのは難しいと言われている。
劉備の場合も同様で、祖父や父が生きていた時分にはそれなりの生活を送れていた彼は、祖父らが死んだ後、急激に悪化したそれに、完全に馴染むことができなかった。
劉氏でありながら没落し、母と共に莚を作りながら鬱屈した日々を過ごした劉備は、金や女や美食に溺れる豪族たちに対し、口では見下したような言葉を吐きつつも、強い嫉妬心や劣等感を抱いていた。
そんな劉備が、徐州でも有名な豪商と謳われる麋家の面々から美食と美酒と美女を使った持て成しを受けて我慢などできるはずもなく。
結局劉備はまんまと差し出された餌に喰いついてしまったのであった。
では、そもそもなぜ徐州でも有名な麋家が、公孫瓚の配下でしかない劉備に過大ともいえる持て成しをしたのか? というと、それは偏に彼らが陶謙を見限っていたからである。
大義名分を気にする士大夫らと違い、商人や民が為政者に求めることは、有事の際に自分たちを護ってくれることである。
彼らはそのために租税を納めているのだから、当たり前と言えば当たり前の話である。
逆に言えば、それさえちゃんとしていれば、よほど非道な真似をしない限り、彼らが為政者を見限ることはない。
翻って陶謙はどうか。
元々陶謙は州刺史として赴任した際、劉表や劉焉のように土豪らを誅殺したりしていない。
そのため彼の周囲にいる者は、陶謙に忠義を誓って従っているわけではなく、あくまで漢が認めた州刺史に従っているつもりであった。
そこで問題になるのが陶謙の実績である。
黄巾の乱では目立った実績はないものの、過不足なく徐州を纏めた実績はある。
反董卓連合に参加しなかったことで物資の浪費は抑えられたし、徐州の士大夫は逆賊の汚名を着せられることもなかったので、これもいい。
しかし、その後が良くない。
近年では闕宣なる人物と組んで兗州泰山郡で略奪を働いたり、それを咎められたら闕宣を裏切りすべての罪を擦り付けて殺したり、自領に発生した賊徒を自分で片付けず公孫瓚に任せたり、袁術の軍勢と向き合うための準備と謳って税を取りつつも、明確な方針を示そうとしなかったり、なんなら袁術に下邳郡での略奪を許可する代わりに、他の地域での略奪を控えるよう要請しているという噂まであった。
最後のはあくまで噂の域を出ないが、そういう噂が立ち、それを否定する情報がない時点で為政者としては信用できないと見做されるのは仕方のないことであろう。
そうして陶謙を見限った者たちが、彼に代わる守護者を探した際、白羽の矢が立てられたのが、公孫瓚の配下として徐州に派遣されていた劉備と田楷であった。
『彼らがいれば陶謙など必要ない』
麋家を始めとした名士たちからすれば、武名名高き公孫瓚との繋がりがあるというだけでなく、賊徒との戦いを通じて優れた戦術指揮官であることを実証した二人を逃すという選択肢はなかったのである。
彼らがそういう決心をしてからは話は早い。
時を置かずに接待攻勢が行われるようになった。
このうち田楷は生まれも育ちも名士ということもあって、接待の場では劉備のように隙を晒すことがなかった。
対して、生まれはともかく育ちがアレだった劉備はあっさりと釣られてしまったのである。
それでも、もし劉備が手を出した相手が、名士たちの家で雇われている侍女などであれば――実際劉備のことを見下していたのか、名士たちが用意したのはそういう者たちであった――賊徒の討伐や治安維持活動に注力することで誤魔化すことができただろう。
しかし、麋家が用意したのは、よりにもよって当主の娘であった。
州刺史でさえ顔色を窺う必要がある豪商の娘に手を出して、タダで済むはずもなく。
責任を取る形で件の女性を側室とせざるを得なかった――一応属尽である劉備と商人である麋家の間には身分の差があるため、正室ではないものの、立場的にはほぼ正室である――劉備は、彼らから改めて徐州を護るよう懇願されてしまったのである。
いい思いをさせてくれた恩もある、これからもいい思いができるという展望もある。
それ以前に地元の豪商と仲違いするわけにもいかず。
恩と義理と打算から徐州を護らねばならなくなった劉備だが、さりとて公孫瓚に逆らうわけにもいかず。
にっちもさっちも行かなくなったところで、劉備はなんとかして田楷を言いくるめようとしていたのだが、そこで彼が勝手に都合のいい勘違いをしてくれたため、劉備は全力でその勘違いに乗っかることにした。
これが劉備が徐州へ残ることとなった真相である。
劉備の下半身に付き合わされることになった簡雍らにしてみれば『勘弁してくれ』と言ったところだろうか。
「ただまぁ、麋家の援助を受けられるってのは別段悪りぃことじゃぁねぇんだよなぁ。おかげさんで俺もいい思いをしているし、この場にいない関の字や張の字も今頃いい思いをしているからな。奴らだって露骨に大将を責めることはないはずだ」
「だろ!?」
一定の理解を得られたと思ったか調子を上げる劉備。
しかし、簡雍らが納得したところで、一番大きな問題が解決したわけではない。
「でもよ。俺らが納得したところで、袁術の軍勢は一〇万を超えるって話だぜ? 対してこっちは数千。徐州の軍勢を合わせても二万前後。しかも全軍を指揮する将軍もいねぇときた。これでどう戦う心算だ?」
「んー。それなんだよなぁ」
徐州の国力を考えれば、五万までは出せるだろう。
だが、領内の賊や曹操の動きにも警戒しなくてはならないため、今は二万が精一杯であった。
さらに指揮権の問題もある。
劉備はあくまで援軍であるため、全軍の指揮を執ることはできない。
かといって、徐州に万を超える軍勢を指揮できる人間はいない。
唯一、かつて涼州まで遠征した経験を持つ陶謙であれば可能かもしれないが、今の陶謙にそれを求めるのは酷というもの。
期待するだけ馬鹿らしいともいう。
「旦那が言うには『前に兗州で曹操率いる軍勢に負けたときも、袁術は一〇万を超える大軍を率いていた。あのときの敗戦で多くの(袁家基準で)優秀な武官を失っているだろうから、兵の数は同じでも軍勢としての質は間違いなく下がっているはずだ』って話だったけどよぉ」
「質が下がっているって言っても一〇万はでけぇよ。なんだ、兄さんみたいに正面から突っ込んでみるか?」
「馬鹿抜かせ。あれは兄ぃだからできたことだろうが!」
三千の騎兵で一〇万の軍勢に突っ込む決断ができたことも、それに部下が付いていったことも、その上で一〇万の軍勢に痛打を与えて快勝したことも、全ては公孫瓚だからこそできたことだ。
間違っても劉備に同じことはできないし、そもそも同じことをしようとは思わない。
ではどうするかという話になるのだが、所詮は現場指揮官に過ぎない劉備に名案が浮かぶはずもなく。
「とりあえずは、味方を増やすか」
「……当てはあんのか?」
「臧覇に話してみる。連中、本音では逃げる心算だったとしても、兵を集める準備くらいはしてんだろ。あからさまに民を見捨てれば悪評が立つからな」
”民を見捨てて逃げた皇族”という悪評が立てば、彼らが頼りとしている劉虞から受け入れを拒否されたり、受け入れられたとしても長安から新たな所領を貰うことが難しくなる。
そのため、劉容らも世間に言い訳ができる程度の準備はしているはず。
金でも物資でもいい。それで兵を雇うなり軍備を整えるなりする。
「その後のことはその後で考えようぜ! 袁術が来るとも限らねぇんだしよ!」
極めて楽観的な意見ともいえるが、現状他にできることがあるわけでもなし。
なにより、戦いの前に軍備を整えることは間違ったことではないわけで。
「……まったく。大将といると命がいくつあっても足りねぇなぁ」
「なんだお前。俺と来たこと後悔してんのか?」
「ずっとしてるよ。もう諦めたけどな!」
「ははっ! そりゃ済まねぇな!」
「そう思うなら、見え見えの罠に引っ掛かるんじゃねぇ!」
「ははっ」
馬鹿話をしつつ、接待から帰ってきた関羽や張飛と共に袁術軍との戦いに備えることにした劉備軍。
彼らの耳に袁術軍到来の報せが届くのは、この会話から僅か半月後のことであった。
閲覧ありがとうございました









