15話
「……これで良かったのか?」
「えぇ。問題ありませんとも」
結局劉協は劉虎を赦すことにした。
理由としては
一・劉虎の置かれていた状況が極めて特殊であり、情状酌量の余地があったこと。
二・抗戦の意思を見せず、率先して降伏してきたこと。
三・劉氏というだけで劉虎の降伏を認めなければ、今後長安陣営に降伏してくる人間がいなくなること。
四・逆に『逆賊に認定されていた劉氏を赦した』という実例を周囲に見せつけることで、現在逆賊とされているが故に結束している地方の劉氏たちの間に楔を打ち込めること。
五・劉虎には地方に散らばっている劉氏と違い、明確な地盤がない――つまりいつでも殺せる――こと。
以上の理由から劉協は、劉虎を処刑するよりも恩赦を与えた方が長安政権、ひいては兄の為になると考え、降伏を認めることにしたのだ。
劉協とて、この決断が間違っているとは思っていない。
しかし、劉氏を減らすという方針に逆らったのもまた事実。
劉弁がこの一点をどう判断するのか。
劉協が恐れているのはそこであった。
弟とはいえ家臣の一人である。
ならば皇帝である劉弁の意志を慮るのは当たり前のこと。
むしろ決断の度に「陛下がどう思うだろうか?」と自問しない方がおかしいとさえ言える。
普通ならそうだ。誰だってそう思うし、人によっては長安に急使を立てることを勧め、返事が来るまで答えを保留するよう進言するかもしれない。
しかし、しかし、だ。
劉協の傍に侍るのは、世間一般で言われる『普通』とは最もかけ離れた存在である。
そして、皇帝その人さえ認める異端中の異端は、劉協の判断を是としている。
「何故問題がないと言い切れる?」
それは李儒が劉協の判断を認めた理由は先ほど挙げられた五つの理由に納得したから……というわけではない。
「いくつかありますが……まずは”黄祖の薫陶を受けた将を失うのは単純に惜しい”ということでしょうか。なにせ劉虎は――飼い殺しに近い状況にあったとはいえ――短くない期間を自他ともに認める水戦最強の将帥の傍らに在って、その手腕を体験してきた男です。細やかな指導はされていないかもしれませんが、名将の技量を肌で感じ、吸収することは多かったはず。これだけでも、水戦の素人しかいない官軍にとっては得難い人材と言えましょう」
「あぁ、それがあったか」
「えぇ。水戦に関しては孫堅殿らも学んでおりますが、万が一彼らが離反したときのことを考えれば、殿下の手元にも水戦を理解している将帥を置く必要があります。それが劉氏であり、殿下に恩を感じている劉虎ならば、言うことはございません。陛下もお認めになるでしょう」
「うむ!」
孫堅を信用していないわけではない。
単純に、リスクを分散させるというだけの話である。
「それに関連して二つ目。今回彼を赦し、抱えるのは、長安におわす陛下ではなく荊州にいる殿下であるという点です」
「ん? どういうことだ?」
要は面子の問題だ。
「陛下直々に赦された者が陛下の期待を裏切れば、それは赦した陛下の瑕疵となります。しかし殿下を通じて恩赦を与えるだけであれば、それは殿下の問題となります。陛下の名に傷がつくことはございません。故に、陛下が殿下の決断を否定することはありません」
「……なるほど」
李儒の教えを受けたものからすれば馬鹿らしい限りだが、この時代は一般的に『皇帝の判断に誤りは赦されない』という思想が根付いている。
そうである以上、劉弁は自身の失点となり得る要素をできるだけ排除しなくてはならない。
それが今回のケースだと、もし今後劉虎が何らかの失態を演じたとしても、それは『劉協に人を見る目がなかった』というだけの話であって、劉協の嘆願を聞き届けただけの劉弁にはなんら瑕疵とはならないのだ。
無理やりいちゃもんを付けるとしたら”弟に甘い”という程度だろうか。
それだって”お互いが幼いから”という理由で封殺できるし、劉協の失点はある意味で劉弁の立場を強化することに繋がるので、特に問題はない。
そういった意味でも、劉虎の処遇について長安に急使を出すことなく、劉協が独断で判断したのは正しいと言える。
「最後に、劉虎には極めて重要な使い道があり、逆賊のまま殺してしまえばそれが使えなくなる点ですな」
「極めて重要な使い道? なにかあるのか?」
”役割”でないところが実に太傅らしいな。
内心でそう思いつつ続きを促す劉協。
彼の思いを知ってか知らずか、李儒は劉虎に残されている使い道について語る。
「簡単ですよ。姓を改めさせるのです」
「……なんと」
姓、つまり家名である。
この時代、先祖から受け継いできた姓とはとても大事なものだ。
それを無理やり改めさせるなどと言えば、大きな反発を招くだろう。
というか、反乱を起こされても文句を言えない愚行と言っても過言ではない。
「基本的にはその通り。ですが、今回の件ではその限りではございません。むしろ劉虎は望んで姓を改めるかと」
「そうか。今のままでは逆賊の甥という汚名が残ったままだものな」
「御意」
確かに劉虎自身は赦された。しかし劉表や劉琦は赦されていない。
畢竟、劉表が当主を務めていた郁桹侯系の劉氏もまた逆賊のままなのだ。
家名を表す姓は大事だ。由緒正しい家名であればあるほど、子々孫々まで伝えるべきだろう。
しかし逆賊の流れをくむ家名であれば話は別。
捨てられるモノなら捨てたいと願うのがこの時代の常識であった。
翻って劉虎はどうか。
「もし劉虎が『逆賊の汚名を背負ってでも劉表の跡を継ぎ郁桹侯系劉氏の姓を残す!』という覚悟を決めているのであれば、姓を変えることに難色を示すかもしれません。しかし話を聞く限り、彼が『逆賊の名を背負ってまで劉表の跡目を継ぎたい』と考えているとは思えませぬ」
「それはそうだろうよ」
親族として世話になったかもしれないが、政の中枢から外して最前線に送り込むような当主に心からの忠義を誓える人間などそうはいない。
それが逆賊なら尚更だ。
さっさと姓を変えて別の家を興したいと考えるのが普通だろう。
「つまり、今回の件を利用して劉虎の姓を改めさせることができれば、その時点で『罪を赦す代わりに姓を捨てさせる』という前例を作れるということです。これは陛下が掲げる『劉氏を減らす』という方針にも適合しています。故に。陛下が異論を唱えることはございません。むしろ自発的に劉氏の姓を捨てさせたことを称賛されるのではないでしょうか」
「確かに!」
一番の懸念事項であった劉氏の扱いが片付くなら、文句など出ようはずがない。
「先ほど殿下が挙げた五つの利点に、この三点を加え陛下に奏上しましょう。後は劉虎に名乗らせる姓ですが……劉表らの生まれが山陽郡の高平なので梁氏、もしくは魯恭王から取って魯氏を名乗らせてはどうでしょう? 無論、本人が望む姓があればそちらでもかまいませんが」
「うむ。私としてはどちらも悪くはないと思うが、完全に断ち切りたいと願うのであれば全く関わりのない姓を欲するやもしれんからな。本人に聞いてみるとしよう。姓を改めるか否かを確認した後で、な」
重要なのは劉虎が自発的に姓を変えることなのであって、無理やり姓を押し付けることではない。
これを勘違いすると内外から猛烈な反発を受けることとなるので、扱いには細心の注意を払う必要があるのだ。
劉協がそのことを正しく理解していることを確認した李儒は一度だけ頷き。
「それでよろしいかと」
と劉協の決断の後押しをしたのであった。
主従の会話から数日後。
劉虎は荊州の諸将が見守る中で劉協に対し「姓を改めたい」と嘆願。
その嘆願を受けた劉協は思いとどまるように促すも、劉虎の決意は固く、短くない問答の末、渋々劉虎の改姓を認めたという。
そうして劉姓を捨てた劉虎が新たに名乗った姓は魯。
劉氏は捨てたものの、父祖伝来の姓を完全に決別したわけではないと示すには丁度いいものであった。
それから少しして、劉氏の間に『姓を改めることで逆賊の誹りを免れる』という噂が流れたのは、最早必然といえるだろう。
この噂は、反長安政権を標榜していた劉氏に連なる者たちに少なくない衝撃を与えると共に、彼らの間に在った結束を乱す契機となるのであった。
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