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14話

黄祖討ち死に。


即座に流布されたこの一報は、追い詰められていた鼠たちに残されていた最後の牙をへし折ることとなった。


数日後、討伐軍が西陵前に着陣すると、ここを死に場と考えて劉琦と共に西陵に立て篭もっていたはずの者たちの中に突如として生まれた造反者らの手によって、徹底抗戦を唱えていた者たちは軒並み捕えられたのである。


劉琦らから裏切者と蔑まれることになる男の名は劉虎。

彼は劉表の従子、つまり甥であり、劉琦にとっては従兄弟にあたる人物である。


そんな重臣中の重臣とも言える劉虎が劉琦を裏切ったのは、偏に彼がおかれていた境遇にあった。


と言っても、別に彼が虐待などを受けていたわけではない。

もっと単純な話である。

まず荊州刺史に着任した劉表は、甥の劉虎を黄祖の配下として派遣した。

これは『劉虎に水軍都督としての経験を積ませ、将来的に自分たちが荊州水軍を思うように動かすため』とも『劉虎が劉琦に取って代わることを警戒したが故、可能な限り早く死なせるため最前線に追いやった』とも言われている。

前者であれば将来的に地位を奪われ、後者であれば一門を失わせた罪を着せられることになる。

後者に関しては劉表の懐刀になった蔡瑁の思惑が大きいかもしれないが、どちらに転んでも黄祖にとっては面白い話ではなかった。


面白くないとはいえ、命令は命令。

水軍を率いる将としての経験を積ませないわけにはいかない。

さりとて積極的に前線に出すのは憚られる。


にっちもさっちも行かなくなった黄祖は、考えた。

ほどほどに使うことで時間を稼ぎ、劉表の真意がどのようなものなのかを探るべきではないか、と。


もし劉表の真意が水軍の乗っ取りにあるなら、劉虎を『無能ではないが都督には向かない』という程度に収まるよう鍛えればいい。

もし劉表の真意が劉虎を除くことにあるのなら、適当な戦闘で事故に遭ってもらえばいい。

もし劉表の真意が、劉虎を除きつつ黄祖の地位を狙うものであるのならば、そのときは反撃すればいい。幸いなことに袁家や劉繇など、黄祖の腕を高く買う者はいくらでもいるのだ。

『君、君たらざれば、臣、臣たらず』自分を貶めようとする者に仕え続ける必要などない。


そう割り切った黄祖は、とりあえず劉虎を確保しつつ、劉表の真意を探ろうとしたのである。


しかし、彼にとって、否、荊州の誰にとっても予想外の事件が起こった。

孫堅による襄陽簒奪である。


これにより襄陽にて劉表に従っていた者たちは軒並み捕えられ、処刑か追放か恭順を強制された。


一応劉表とその妻子は解放されたが、彼らは江夏へ向かう最中に河賊に襲われて消息を絶ったとされている。


それが真実かどうかは関係ない。

ただ今に至るまで、劉表が江夏の地へ辿りついていないという事実だけが重要なのである。


そんなこんなで黄祖は主君である劉表を失った。

しかし、何の因果か、たまたま江夏の視察に訪れていた劉琦は無事であった。


もしここで黄祖が劉琦らの首を取って孫堅に降伏していたのであれば、そこで話は終わっていた。


しかし、時は反董卓連合の全盛期。二〇万を号する大軍が洛陽を囲む中、孫堅に味方するのは些か以上に博打が過ぎた。


というか黄祖は、孫堅の命は長くはないと考えていた。


何故なら、今回の件で顔に泥を塗られることになった袁術は必ず激怒するだろうし、袁家が舐められることを良しとしない袁紹もまた袁術に協力すると考えたからだ。


孫堅は、袁術らが率いる大軍によって早晩滅ぼされる。

ならば自分がすべきことは何だ?

孫堅亡き後の襄陽に劉琦を奉じて入り、その後ろ盾になることだ。


そして劉琦と自分が襄陽に入った後は、劉虎に江夏を任せればいい。

劉琦が逆らうなら、劉琦を殺して劉虎を奉じてもいい。

完璧だ。どちらに転んでも、自分の地位が落ちることはない。


遠からず訪れるであろう未来を夢見ていた黄祖。

しかしその夢は、夢のまま終わってしまう。


反董卓連合の解散に伴い、長安政権が正式に孫堅を州牧の代行と認め、自分たちを逆賊と認定したのだ。


所詮は一武官に過ぎなかった黄祖には、河の流れを見切る目はあれども、政の流れを読み切る目は持ち合わせていなかったのである。


それから先のことはわざわざ語るまでもないだろう。


水軍を活用した遅滞戦を仕掛けて譲歩を引き出そうとする目論見は、被害を顧みない自爆戦法によって叩き潰された。

明確な勝ち筋が見つからない中、徒に失われていく船と物資。


追い詰められ、思考が内向きになっていった黄祖が、自分に成り代わることができる可能性のある劉虎を警戒しないわけがなかった。


この期に及んで自分と劉琦の首を手土産にして降伏されては堪ったものではない。

元々そう考えていた黄祖は劉琦、及びその近親者と謀り、もともと軟禁状態にあった劉虎を拘束してしまった。

その拘束は、黄祖討ち死にの報が流れるまで解かれることはなかった。


こういった経緯があったため、今更『一致団結して討伐軍と戦うぞ!』だの『最後の意地を見せるぞ』だのと言われたところで、劉虎の心に響くものはない。

むしろ「今まで敵視しておきながら寝言を抜かすな」という怒りが湧き上がった。


怒りに身を任せてめちゃくちゃにしてやろうと思った劉虎だったが、行動に移す前、ふと頭に一つの可能性が浮かび上がった。


『あれ? 俺って終始劉琦たちから敵として見られていたよな? つまり討伐軍の仲間なのでは?』と。『今から降伏しても助かるのでは?』と。


―――


「まぁ、そうと言えなくもない、のか?」


最初は『今更降伏? 舐めるのも大概にしろ!』と声を荒げた劉協であったが、劉虎の言い分を聞き終えると、なんとも言えない表情を浮かべながら呟いた。


言っていることは理解できる。

今となっては劉表の狙いは不明だが、少なくとも黄祖や劉琦が劉虎を警戒し、拘束したのは事実らしい。


逆賊に拘束されていた者は逆賊の敵。という論法が成り立つのであれば、確かに劉虎は逆賊の敵だろう。

それが討伐軍の味方になるのかどうかは意見が分かれるところだが、少なくとも劉虎が明確に罪を犯したわけではない。


儒教的な考えで言えば、親の罪は一族全ての罪となり、親が逆賊となれば一族全てが逆賊となる。

しかし李儒の教えでは、親の罪は必ずしも一族の罪ではない。

もちろん親が犯した罪によって美味しい思いをしていた場合はそれに応じた罰が下るし、そもそもこの時代、犯罪の多くは、ほぼ一族ぐるみで行われているため、親が罪を犯した場合は一族全て罪に問うのは間違った行為ではない。

また、事実認定するまでの調査やら捜査に労力がかかるので、それくらいなら一族全員を罪に問う方が楽という事情もある。

翻って今回の件はどうだろうか。


劉表は反董卓連合に加担した罪で逆賊とされた。

その息子である劉琦とその一党は、劉表の巻き添え……ではなく、孫堅に敵対したことで逆賊とされている。

ここまではいい。

では黄祖に警戒され、孫堅が襄陽を得たあとも自分の意志で動くことが出来なかった劉虎はどうなるのだろうか?


最初から最後まで巻き込まれただけで、特に何もしていない。それどころか逆賊を捕えて降伏してきた人間を逆賊として裁くのはどうなのか。


劉協個人の判断としては、劉虎を逆賊扱いするべきではないと考えている。

それは劉虎の境遇に同情したということもあるが、それ以上に、ここで彼を赦さなければ、今後降伏してくる人間がいなくなってしまうからだ。


同時に、皇帝の弟としては、劉虎を赦すべきではないと思っている。

それは、兄である皇帝劉弁や、その腹心である李儒が、出来る限り劉氏を減らそうとしていることを知っているからだ。


ここで劉虎を赦せば、今後降伏してくる連中も赦さなくてはならなくなる。

もちろん、劉虎のようなケースは稀だろうが、一族を生かすために同じようなことをしてくる連中が出てこないとも限らないではないか。


そうなると、劉氏を減らすという計画に穴が開くこととなる。

兄を支えるべき自分が、兄の邪魔をするわけにはいかない。


窮鳥を懐に入れて喜ぶのは変態だけ。

獲物は殺せるときに殺すべし。


長安政権を支える重鎮らから腹黒外道と恐れられている男の教えである。


その教えに則るのであれば、さっさと劉虎を殺すべき。

なのだが、それはそれで今後の戦略に悪影響を及ぼすわけで。


(うごごごご)


こういう時に頼りになるはずの太傅は、今回に限り何故か「殿下ご自身で考えましょう。どちらに転んでも何とでもします」と言って判断を委ねてきたため、頼ることはできない。


同席している諸将の多くは劉虎に同情的な視線を向けていたが、だからといって劉氏の問題に自分から首を突っ込みたいわけではない。

意見を求められたとしても適当に言葉を濁して逃げる気満々である。


(こいつらも駄目、か)


彼らの醸し出す空気を読んだ劉協は、彼らに意見を問うことを諦めた。

そうなると自分で答えを出さなければならないのだが、思考は堂々巡りを繰り返すのみ。


(むぅぅぅぅ……ええい! なんで私がここまで悩まねばならんのだ。もういい!)


孤立無援の状況に追い込まれた気になって、キレ気味となった劉協。

皇帝の弟として、自分が思っている以上に影響力を持つ少年が下した決断は……。

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