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17話。張純の乱の影で②

新ヒロイン登場回。ヒロインはこれで打ち止め?

中平4年(西暦187年)11月。司隷弘農。


黄巾の乱から涼州(辺章・韓遂)の乱。更には張純の乱の勃発と言う激動の時代に突入しつつある漢帝国。皆様如何お過ごしだろうか?


ちなみに現在、俺が関係している官軍の主な動きとしては、張温は洛陽へ帰還した後張純の乱に対応するために河北に出陣。董卓は追撃を打ち切って長安へと帰還中。孫堅は無事に長沙の郡太守となり、熱い涙を流して長沙へ向かっている。


そして現在洛陽では、人事だの来年の予算だの、年越しと新年を祝う祝賀行事の準備だのと言った諸々の仕事に追われている文官達が、目を血走らせて各々の作業に従事していることだろう。


ま、普段余裕ぶっこいてる罰だ。精々働け。


そんな年末を迎えようとしている洛陽から微妙に離れた弘農には、涼州の乱に参加した軍閥の論功の書類を手がけたり、彼らに送る兵糧や医療品の手当をしたり、彼らのために用意されていた物資の中から自分の取り分を抜いたりして(自分が抜くことを前提にして多めに発注している)悠々自適な生活を送る男がいた。


「いやはや、弘農で飲む茶は良い効能がありそうだな」


周りが大変な時だからこそ飲む茶は旨い。


微妙な優越感に浸りながら時代を先取りしたオヤジギャグをかまし、洛陽から離れた地でゆったりとした時間を過ごすのは、当然と言うか何というか光禄勲将作左校令輔国将軍弘農丞李儒文優こと俺である。


本来であれば丞の上には太守が居るので、こんな悠々自適な生活をしていたら上司である太守から叱責を受けるのだが、現在のところ洛陽と長安を繋ぐ要地であるここは下手な太守に任せることが出来ないと判断され、太守は空位となっている。


とは言え一応皇族の人間が王として置かれているので、厳密には上司がいないわけではない。しかし彼らは基本的に洛陽から動かない存在だし、政と言うものを理解してない。よって現在の諸侯王は完全な名誉職であった。


そんな連中なので、弘農には李儒以上の存在がいない。つまり今の李儒の状況を言うなら、漢帝国の直轄領である弘農郡の全権を握る代官みたいな感じと言っても良いだろう。


これは「ヤツを弘農太守にしたら弘農に入り浸る」と予想した何進の策でもあるし、名家閥や宦官閥の人間は自分たちの派閥の人間を弘農の太守にした場合、弘農丞である李儒に取り込まれる可能性を危惧して誰も派遣していないと言うのも有るのだが、その辺の話はおいおい語ることもあるかも知れない。


そんなわけで現在の俺は、ずんぐりむっくりな上司も居ないしムキムキな男共もいない。さらにインテリな年上の部下もおらず、他人の仕事を手伝う必要もない(当然自分の仕事は終わらせている)と言うホワイトな環境で日々の業務を行いつつ、こうしてゆったりと午後の薬膳茶を楽しんでいるわけだ。


「ふむ。今のは効能と弘農を掛けたわけですね。流石我が師」


そんな李儒のオヤジギャグに反応して、すかさず「流石我が師(さすわし)」をしたのは、執務室にある李儒の席の横にちょこんと置かれたお子様用の椅子に座る、御歳8歳の少年である。


「まぁな。お前も言葉を表面だけで見るのではなく、多少の諧謔を加えて見ると良いかもしれんぞ」


普通『流石我が師(さすわし)』はヨイショの言葉であるので、コレを使う場合は体全体で師の偉大さを表現するのが儒教的な常識なのだが、このお子様はそんなことはしない。


無表情がデフォルトな彼は、ただただ事実を事実のまま認識して、自分なりに表現するだけだ。


普通はこんな無表情かつ子供らしからぬ抑揚のない声で賛辞を述べられたなら「嫌味か?」と思うのだろうが、俺はこいつがそんな無駄なことをしないと言うことはすでに理解しているので、黙って頭を撫でるだけに留める。


「なるほど。言葉など通じれば良いし、諧謔など時間の無駄と思っておりましたが、向こうの人間が諧謔を交えて来る場合もありますからね。ならば相手の言葉を理解する為にもそのような方向から物事を見るのも必要不可欠と言うことですか」


親にも撫でられたことがないのに!と反発することもなく、大人しく李儒に撫でられるままにされながら、李儒の言葉を一々クソ真面目に受け止めて己の血肉にしようとするこのお子様は、何進も知らない李儒の秘蔵っ子……と言うか押しかけ弟子である。


李儒がこの押しかけ弟子の少年との出会いは先月のことであった。


涼州の乱があらかた片付き、残る任務は軍の維持や情報収集だと判断した李儒は、円滑な補給を行うためと言う名目で長安を離れ、さらに洛陽に戻らずに任地である弘農で補給などに関する書類仕事をしつつ羽を伸ばそうとしていた。


そして自らが率いてきた軍勢を李厳に任せて自身は弘農に帰省。さらに洛陽から訪れた荀攸を論破して「俺の休みはこれからだ!」と決意した所に現れたのが、この少年だった。


本来前触れも何もなくいきなり現れて「弟子にしてしてください」などと抜かす子供を「はい。分かりました」と言って弟子にするほど李儒は暇でもないし優しくもない。


と言うか今の李儒の身分を考えれば、少年の行動は不審者として捕らえられて投獄されてもおかしくはないモノであった。それをしなかったのは、彼に非凡さを見出したから……ではない。


単純に彼が紹介状を持っていたからだ。


その紹介状を書いたのは(しょう)(しょ)(うじ)(ょう)・司馬防建公。言わずと知れた司馬八達の父親 (諸説有り)にして後漢のリーディングサイヤーである。


彼は派閥的には名家閥に所属する身であるが、基本的に任務に忠実であり何進だろうが誰だろうが差別しない姿勢は好感が持てるし、個人的にも知らない仲でもない。


そのため彼が李儒に紹介状を書く事は……まぁ良いだろう。


ただ「厳格」と言う文字を体現したような男である彼が、8歳の子供に直筆の紹介状を書くなど通常では有り得ない。つまりこの子供は通常ではないと言うことになる。


しかもこの子供は洛陽で李儒の帰還を待つのではなく、彼が弘農で羽を伸ばそうとすると言う事まで考えた上で押し掛けてくると言う、独自の判断とそれに基づいて行動を起こせるだけの鋭さを備えているときた。


それに「部下」でなく「弟子」と言ってくるところも如才無さを感じさせる。なにせ李儒は洛陽の学問所を出て、博士と言う資格 (のようなもの)を持っているので、社会的に弟子を取ることも許されている身なのだ。


と言うか、李儒に弟子入り希望する人間は意外と多い。何進と言う後ろ盾があるのもそうだが、彼自身が20になる前から弘農丞と言う役職を持っていたこともあるし、最近は九卿と言う立場まで手に入れたのだから勝ち馬に乗りたがる連中が彼に群がるのは当然と言えば当然と言えるだろう。


まぁ弟子以上に多いのが嫁なのだが。これから動乱の時代(めんどくさい時期)が来るとわかっているのに、家庭(さらに面倒くさいモノ)まで抱える気など無い。よって「若輩には分不相応な役職を頂いておりますので、今は職務に全力で当たりたい」と言う名目で全ての縁談を断っている状況だ。


何進などは「面倒臭がってねぇで諦めろ。なんなら紹介するか?」などと言ってくるのだが、正直に言って大きなお世話である。


そんな俺の私生活はさておき。


これ以上無駄に引っ張る必要も無いだろう。俺が弟子にしたお子様は、三國志を知っているなら誰でも知っているであろう人物。そう、司馬懿仲達その人であった。


最初は、将来勝ち馬確定だった曹操からの招聘すら断ったコイツがなんで俺の弟子を希望するんだ?と思って志望動機を確認したところ……本人が言うには、なんでも家で学ぶことがなくなり、学問所もなんだかなぁと思って世の中に虚しさを感じていたらしい。


この時点で、え?8歳だよな?転生者じゃないよな?と疑ったが、普通に優秀なだけだったのは良い思い出だ。と言うか、今の漢の状況を知れば将来に悲観する気持ちはわかる。現状この国は、どう好意的に分析しても終わっているからな。


それはともかく、そんな感じで無気力症候群っぽいのになりかけていたころ (本当に8歳か?)父親である司馬防から「世の中には5歳で学問所に通い出し文武を鍛えて神童と呼ばれ、15で何進に仕官したと思ったら数年で彼を大将軍まで押し上げて、さらに自身も20で九卿になり、いまも漢を支えるために身を削って居る若者が居るのだぞ」と言う話を聞かされたらしい。


これだけ聞けば誰だそいつ?と思うだろうが、実際洛陽の名家の中に於ける俺の扱いはそんな感じらしい。


ちなみに司馬防としては、早熟すぎる我が子が増長しないように、上には上が居るのだと言い聞かせるつもりだったとか。


しかし流石に話を盛ったと疑われたのか「そのような者が居るなら紹介して欲しい」と言われてしまう。そして自分から話を振った手前、渋々俺へと紹介状を書いたんだと。


まぁいくら賢くても子供が得られる情報と言うのは親が決めるモノだから、俺の実績と言うか存在は知らなかったのだろう。現代日本で言えば賢い子供が防衛大臣を知っていても、幕僚長を知らないのと一緒と思えば良いかもしれない。


だがこうして親が紹介状を書いたことで、親が言った相手が実在するようだと考えるようになり、その相手を調べたら、そいつは現役の弘農丞にして光禄勲((ろう)(ちゅう)(れい))の俺だったと言うわけだ。


その後、何が彼の中の好奇心をくすぐったのかは知らないが、俺の弟子にして欲しいと言う話になったんだと。


そして「弟子にしてもらうなら、自分から動くべきだ」と判断してここに来たわけだ。で、俺は俺でとりあえず司馬防の顔を立てると言う意味もあって弟子入りを承諾。結果として彼は目出度く李儒君の一番弟子の座を手に入れたのだ。


もっとも、相手が司馬懿と言う時点で俺は弟子入りを断る気は無かったぞ。なにせ悠々自適な生活を送る為には優秀な副官は必要不可欠だし、今後のことを考えれば陣営の強化だって考えねばならんからな。


こうして弘農で情報収集を行っているのも、羌だの烏桓だのへの牽制も有るが人材収集&育成の為でもあるんだし。


これはアレだ。三國志に出てくる有名人を青田買いすると言えばわかりやすいだろうか。


基本的に人材と言うのは教育やら経験によって開花するので、有名人=良い人材ではないと言う意見が有るが、有名人になる為には結果を出す必要があり、結果を出すためにはそれだけの下地が必要だと言うことを忘れてはいけない。


特にこの時代は知識が上流階級に独占されていると言うのもある。


幼少期の教育と言うのは決して無視できるファクターではないし、下地があるなら後はこちらで鍛えれば、史実通りの活躍はできなくとも間違いなく使える人間にはなると言うことでもあるので、知名度が高い人間は積極的に登用するべきだと俺は思っている。


それに軍事とは特に才能がモノを言う世界だ。


これは分かりやすく言えば勘だな。(まつりごと)に勘は不要だが、軍事的に考えれば勘と言うのは必要不可欠。そしてそれは基本的に鍛えることが出来ない分野だ。


まぁ命からがら逃げ延びて後天的に覚醒した!って可能性も有るには有るが、元から才能を持つ人間の存在を知っているなら、無駄な虚勢を張らずに大人しくスカウトするのが正しい転生者と言うものでは無かろうか?90縛り?アホか。


そんなわけでこの機に人材を収集し、有事に備えようとしていたところにこのお子様(司馬懿仲達)が現れたわけだ。こいつは今の段階でコレなので、数年鍛えればかなり使える人材になるのは確実。何ならこいつに天下を取らせても良いだろう。


そんな未来を考えつつ、そろそろ荀攸に約束した3ヶ月が過ぎようとしているので洛陽へ戻る支度を整えねばならんのが俺の現状である。


何?態々忙しい年末に洛陽へ行くのかって?順序が逆だ。年末までには帰ると言ったからこそ、荀攸も何進も俺を無理やり引き摺って行かなかったんだよ。


もしあそこで「年末年始も弘農で過ごします!」なんて言った日には、李厳や張遼が送られて来て強制送還されていたはずだ。俺としても年末年始は洛陽関係の仕事があるので、どうしても抜けれないしな。


「そんなわけで弟子よ。年末年始は実家に帰ると良い」


「いえ。今年は実家には帰らず、こちらに残って師の残した課題を行うとしましょう」


ほう。儒教的には実家に戻るのが当たり前だが、まぁ親が親だしな。家長の司馬防はずっと洛陽にいるだろうから、実家に戻る必要もないってか?実に合理的だが、後で司馬防に代わって家を纏める母親や兄に怒られると思うぞ。


それはともかくとして。


「課題と実家の()(だい)を掛けたか……やるじゃないか」


「ふっ」


早速諧謔(ジョーク)を披露してドヤ顔するお子様を褒めてやろうじゃないか。こういうのは褒めてやらんとトラウマになるからな。


「そうか。とりあえず弘農の軍事については徐晃に任せるし、政は鄭泰だ。何かわからない事があったら連中に聞くように。それでもわからないようなら洛陽に使者を立てろ」


「はっ」


こいつには簡単な宿題を残して、それを終わらせたら鄭泰の仕事を手伝わせよう。今のうちから経験を積めば、こいつは一体どれだけの人物になるやら。


コイツが奇貨どころではないと知っているのは今のところ俺だけだ。いやはや、時間の流れと言うのは予想以上に早いもんだ。いや、ここは「楽しくなってきた」って言うところかね?



――――


そして12月。文官たちを散々焦らして洛陽に戻った李儒を待っていたのは、部屋の天井まで届くような竹簡の山と、何進や荀攸による尋問まがいの経過報告であったと言う。



青田買いは重要だと思いますってお話。


ショタっ子弟子登場。残念ながら男である。


ショタっ子が好きか?ならばくれてやる!って感じですな。無理やり感が有りますが、ご都合主義と言うことで勘弁願います。

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