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10話

陳王劉寵。


光武帝劉秀が四男にして後漢王朝の二代目皇帝である明帝劉陽の子、陳敬王劉羨の孫であり、今は陳王として豫州陳国を治める人物である。


その血筋からもわかるように、梁冀に擁立されて皇帝となった先々代の桓帝劉志や、その桓帝に拾われた先帝劉宏などよりも皇帝になっていた可能性が高い人物でもある。


世間では徳に優れた人物として知られているが、実際のところは非常に血気盛んな性格をしている。


なにせ彼は、先帝劉宏の時代には配下から『反乱成就を祈願する儀式を行っている』と告発されたことがあるくらい怪しい行動をとっていたし、黄巾の乱のときには自前で数千とも言われる弩を用立て、黄巾賊と戦っていたし、反董卓連合が興った際には、車騎将軍を自称した袁紹に対抗したのか輔漢大将軍を自称するなど、ある意味でやりたい放題していた――これについては彼に限った話ではないが――のだ。


ちなみに当時、弩を一定の数以上生産・保持するためには洛陽の許可が必要だったが、彼がそれを取ったという記録はない。

そもそも、黄巾の乱の前にそんな大量の弩を製造する許可を出すはずがないし、出したとしても半年やそこらで数千も造れるはずがないので、数に関しては誇張が入っている――もしくは秘密裏に造っていた――可能性は極めて高いのだが、少なくとも黄巾の乱の前に大量の弩を持っていたことは紛れもない事実である。


それを何の為に使うつもりだったのかは、本人とその側近のみぞ知るところであろう。


弩を集めていた理由はさておき、自ら弩を取って賊徒と戦うという、極めて皇族らしからぬ血気盛んさを隠しもしないためか、劉寵に対する評価はすこぶる悪いか、すこぶる良いかに二極化されていた。


悪い評価を下しているのは、戦に関わること全般に否定的な儒家であり、良い評価を下しているのは、実際に守ってもらっている領民たちである。


当然、袁術は前者だ。

尤も、袁術が劉寵を嫌うのは儒家としてどうこうではなく、単純に自分よりも高い評価を得ているからという、極めて私的な理由なのだが。加えてもう一つ、袁術には我慢ならないことがあった。


「あ奴め、いつもいつも澄ました顔で儂を見下しおって!」


以前から劉寵は自分や袁紹のことを低く見ていると思っていた。


しかしここ最近――具体的には反董卓連合の結成あたりから――特にそれが顕著になっているように感じられるようになったのだ。


……まぁ、劉寵でなくとも今の袁術や袁紹を見て高い評価を下すことはないだろうが、袁家の当主となった袁術に対し、あからさまに蔑んだ目を向けるような真似をできる人物は多くないため、会うたびにそのような目を向けてくる劉寵に対する袁術の不満は溜まる一方であった。


それでも、今までは『相手が皇族だから』という理由で我慢してきた。


そう、我慢してきたのだ。


「じゃが! 連中の増長もこれまでよ!」


袁術を除く反董卓連合に参加した諸侯の全てが逆賊認定された折、劉寵もまたその例に漏れず逆賊と認定され、討伐対象の中に名を連ねている。


もしも支持基盤が脆弱であり、皇帝としての教育も受けておらず、その上で宦官の傀儡であった劉宏が生きていれば、同族である劉寵は真っ先に恩赦を与える対象とされただろう。

万が一劉宏がそれを望まなくとも、周囲にいる宦官たちに付け届けを行うことで恩赦を引き出していたはずだ。


事実、彼らは――劉焉の試みが失敗したのを見届けた後にではあるが――長安政権に対して恩赦を求める使者を出している。


自分から恩赦を求めるなどあってはならないことだが、劉寵としては、先々代に拾われるまでは貴種とは名ばかりの極貧生活を送り、皇帝となってからは宦官の傀儡に成り下がり、死してなお霊帝などと蔑まれる男を父に、生まれも育ちも定かではない肉屋の娘を母に持つ子供と、それに阿る奸臣如き、自身に流れる血と実績で以ていくらでも転がせると思っていたのだろう。

むしろ劉弁の方から『後ろ盾になって欲しい』と頼み込んでくるべきだと思っていたのかもしれない。


そういった事情も相まってか、劉寵から送り込まれた使者は『舐められないように』と言い含められていたようで、恩赦を求めるにしては随分と少ない貢物と必要以上に大きな態度で以て謁見に臨んだそうな。


その結果は、まぁ御察しの通り。

使者は無事に宮城からつまみ出されたし、劉寵もまた『皇帝に対し無礼な使者を送ってきた不心得者』として、逆賊の汚名を雪ぐどころか、改めて逆賊として認定されることとなった。


通常、逆賊認定された劉氏なぞ、皇帝の立場を脅かす者として真っ先に討伐されて然るべき存在なのだが、陳国と長安との間に物理的な距離があったこと、長安政権には劉寵よりも先に討伐すべき連中がいたこと、さらには周囲の諸侯全てが逆賊、つまり劉寵の同類であったため、付近の諸侯を動かすことができないという事情があり、少なくとも劉焉の討伐が終わるまでは……という形で、軍の派遣が見送られている状況であった。


そう。今の劉寵は、あくまで処分を保留されているだけであって、政権にとって優先的に討伐すべき逆賊であることに違いはないのである。


もし長安政権に余裕があれば、即座に兵を差し向けているはずなのだ。

翻って今はどうか。

逆賊劉寵のすぐ近くに、彼を討伐できる実力と余裕がある義士がいるではないか。


誰だ? 

言わずと知れた漢に名だたる名家筆頭、汝南袁家が当主袁術だ。

周囲を見渡して見れば。


荊州の劉琦は討伐軍に抑え込まれ。

揚州の劉繇は物資を失ったことで満足に動けず。

徐州の陶謙は内部で暴れる賊や青州から流入してくる賊の対処で動けず。

兗州の曹操は陳留の復興作業で動けない。


対して袁術は、先年不幸な事故により兗州攻めに動員した将兵の多くを失ったが、数でいえばまだ半分以上残っている。

兗州で失った物資についても、逆賊が不当にため込んでいた資財を奪い返したことで補填済み。

将兵の士気は旺盛で、むしろ新たな略奪先を探しているまである。

その略奪先が逆賊が治める地元豫州の陳国ならば、大義名分としては十分だし、地の利に関しても有利不利はない。


おわかりだろうか。

天の時、地の利、人の和。

その全てが袁術の味方をしているように見えなくもないのではなかろうか。


「完璧じゃ。完璧すぎる。今こそ皇族を名乗る逆賊を討つときじゃ!」


大義名分を掲げて劉氏を虐げたいという自分の感情に、略奪をしたいという将兵たちからの要請と、略奪で得た物資を領地経営に回したいという文官たちの要望。

今や陳国は袁家が一丸となるには十分すぎる獲物に成り下がった。


とはいえ、将兵の中には洛陽政権の命令で揚州に赴任しただけの劉繇と違い、長らく陳国を支配している皇族である劉寵に対して矛を向けることに不安を覚える者もいるだろう。


逆賊とはいえ、すぐ近くに逆賊認定を解かれた者がいるのだから、尚更皇族殺しには躊躇するはずだ。


さしもの袁術とて、そのくらいのことは理解できるのである。


故に彼は用意する。


「まずは逆賊討伐のためと称して連中が不当に蓄えている資財の八割、いや九割を差し出すよう命じるか」


暴利のように聞こえるがさにあらず。

元々が不当に蓄えているものなのだ。全部を差し出させないだけ有情であろう。


袁術とすれば、これに応じるならば良し、いったん矛を収めつつ、次の――といっても、資財を失った連中が暴発するのは目に見えているので、そう遠くない――機会を待つ。

応じないのであれば将兵に向かってこう告げよう。

『劉寵は逆賊討伐に助力することを拒んだ。つまり逆賊の味方である。これを受けて長安におわす陛下も、改めて劉寵に恩赦を与えぬと宣言なされた』と。


もちろん、劉寵が袁術の要請を断ることと、長安政権が改めて逆賊に認定したことに因果関係はない。

しかしながら、長安政権が劉寵に対して恩赦を与える心算がないことについては嘘ではない。


一番大事な部分である『劉寵に恩赦を与えられることはない』というところさえ強調できれば、問題ないのだ。


元々あった大義名分に、新たな理由が加われば将兵とて納得する。


自分が善の立場に在ると確信した人間は、強い。

悪となった者に何をしても許されると確信した人間は、強い。

目の前に餌をぶら下げられた獣は、強い。


――数か月後。

袁術の要請という名の脅迫を拒絶した劉寵は殺され、陳国は一〇万近い餓狼の群れに襲われることとなった。


「ふほほほほほほ! これよ、これこそが袁家当主が味わうべき甘露よ!」


金も、食料も、子女をも奪いつくし、得意の絶頂と至る袁術。

その様子を見て、心から『それでこそ名士の鑑』と称賛する者は一人もいなかったという。

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