9話
「ふはははは! こうも簡単にことが運ぶとはな! やはり儂の決断は間違っておらなんだわ!」
配下から『ほぼ無傷で廬江を制圧した』という報せと共に、戦利品の詳細が書かれた報告書を受け取った袁術は、書簡の内容を検めつつ自画自賛を繰り返していた。
「で、張勲は如何にして廬江を落としたのだ?」
上機嫌のまま報告書に目を向ければ、そこには以下のようなことが書かれていた。
――
まず今回、廬江を落とすにあたって、袁術軍を任された張勲は一つの策を講じることにした。
それはかつて襄陽で孫堅がやった『援軍を装って近付き、城門を開けさせると同時に襲撃する』という、ある意味では使い古された策であった。
使い古されたと言えば聞こえは悪いが、逆に言えばそれだけ効果が見込める策ということでもある。
また、この策には『警戒はされるが、よほどおかしなことをしない限り城門の近くまでは接近できる』という利点があった。
元より数万の大軍の動きを完全に隠すことなど不可能なのだ。
ならば最初から開き直った方がいい。
そう判断したが故の策であった。
懸念があるとすれば、つい先日寿春を落とした際も似たような手をとったことだろうか。
どれだけ効果的な策であっても、短期間に二度も続ければ見破られる。
というか、見破れないとおかしい。
なので、通常であれば、廬江の者たちがこんな手に引っかかるわけがなかった。
しかし、結果として彼らは張勲の策に引っかかり、城門を開けてしまっている。
何故か。
それは彼らが『この短期間で二度も同じ手をとるはずがない』という考えと『いくら袁術でも、まがりなりにも荊州勢に対する防波堤として機能している劉琦を助けようとする自分たちの邪魔をするはずがない』という考えを持っていたからだ。
張勲は彼らが持つ先入観を利用したのである。
簡単に騙された劉繇軍であったが、彼らには彼らの言い分がある。
元々李儒が率いる荊州勢による妨害があることは予想していた――それとて物資の輸送途中だろうと考えていたが――劉繇は、物資の集積地点であった廬江に配属した諸将に対し、襲撃を警戒するよう呼びかけていた。
当然、配下の諸将もそのことは理解していたので、襲撃に対して警戒を怠るようなことはなかった。
ただし、彼らが警戒したのは、あくまで荊州方面から来る軍勢であった。
だってそうだろう。
敵は【都落ちした太傅】こと、李儒が率いる荊州勢なのだ。
襲撃を警戒するよう言われたら、荊州方面からの襲撃を警戒するのは当たり前のことではないか。
地理の関係上、荊州から廬江へ攻め込むには、船を仕立てて長江を渡る必要がある。
そうした考えがあったからこそ、彼らは長江を渡ってくる水軍に対して最大限の警戒心を向けていたのである。
そこに先ほど挙げた二つの先入観が重なれば、堂々と援軍として現れた張勲に警戒することなどできるはずがないではないか。
結果として誰にも警戒されぬまま廬江を縦断し、無傷で最大の集積地点である尋陽県に到達した袁術軍は、守将が援軍を迎え入れようとして城門を開けたところを襲撃し、物資の移動も隠蔽もさせる間も与えず陥落せしめたことで、尋陽に集積されていた大量の物資を手に入れることとなったのである。
さらに張勲は、劉繇軍が物資を奪われたことに気付く前に要所である襄安県や晥県を攻略。その後速やかに郡治所が置かれている舒県までもを攻略し、廬江に配備されていた劉繇軍を分断することに成功した。
ここまでくればあとは抵抗する連中を各個撃破するだけだ。
廬江には王族や宗室に連なる者も幾人かいたが、今更そんな連中に配慮してやるほど張勲は甘くない。
むしろ抗議してきた連中を『逆賊の味方をする逆賊』として討伐し、彼らが蓄えていた物資を奪いまくったのであった。
―――
「……張勲め。随分と好き勝手やったようじゃのぉ」
報告書を読み進めるうちに落ち着いてきたのか、先ほどまでの上機嫌は鳴りを潜め、やや不機嫌そうに呟く袁術。
名家名士の領袖を自認する袁術にとって、劉氏は特別な意味を持つ。
それはそうだろう。ただでさえ皇帝と同族というだけで敬われる立場にある者たちだ。
下手に敵対すれば劉氏――皇帝ではない――を重んずる者たちが敵対しかねないし、なにより漢全土に広がる劉氏から敵視されるのは確実となれば、今回の件はどう考えても面倒なことにしかならない。
よって袁術が勝手な判断で少なくない劉氏を討った張勲に不満を覚える……はずもなく。
「儂に代わり、普段から偉そうに『下賤の者とは関わらぬ』と嘯く連中を叩きのめしたことは認めよう。だが、儂の分を残さぬとはどういう了見じゃ!」
皇帝でさえ自分の上に立つことを厭う袁術からすれば、各地に散った劉氏など敬う対象ではない。
当然、それに阿る連中などただの羽虫であり、敵対したところで痛くも痒くもない雑魚だと本気で考えている。
故に袁術が不満に思ったのは、張勲がやりすぎたからではない。
偏に、お高くとまった劉氏の連中を蹂躙する悦びを張勲らに独占されたからであった。
「ぐぬぬぬぬ。出陣前に『好きにしていいぞ』という許可を出したのは失敗だったか」
今更ながらに悔やむ袁術。
兗州でも散々やったことだが、やはり本能に任せて暴れ回るのは愉しいことなのだ。
敗者が蓄えてきた財を奪うことは愉しい。
敗者の目の前で、その妻や、蝶よ花よと育てられてきた娘を穢すことも愉しい。
泣き叫ぶ女の声を聞きながら、その声を聞かされて血の涙を流す敗者を見るのは実に愉しい。
加えて、それらを肴にして飲む酒がまた極めて美味いのだ。
勝利の美酒とはよく言ったものである。
そこそこの名家出身の連中でさえ、あれだけ愉しかったのだ。
普段から偉そうにしている劉氏を穢せるとなれば、どれだけ楽しいことか。
もちろん、張勲は袁術の気持ちを理解できない無作法者ではないので、戦利品として送ってきたモノの中には、捕えられた劉氏や土豪たちの妻子も含まれている。
これから母の目の前で娘を穢す、もしくはその逆を愉しむことは確定しているのだが、現地でしか味わえぬ興奮というものがあるのもまた事実。
「次は儂も行かねばならぬな!」
曹操との戦いを経て戦場に赴くことに忌避感を覚えていた袁術であったが、張勲があまりにも愉しそうな報告をしてきたことや、寿春・廬江と続けて成功体験を得たことで、その忌避感も薄れつつあった。
だからといって、これから即座に曹操に喧嘩を吹っ掛けるつもりはないが。
大前提として、袁術の目的は逆賊の討伐にある。
ついでに、そう、あくまでついでに討伐した逆賊が蓄えている財貨を奪うこともあるし、逆賊を足蹴にしてその尊厳を穢して愉しむこともあるが、それらは勝者の特権として付随してくるものであって、それ自体が目的になることはないのである。
その考えで言えば、条件付きで恩赦を受けた曹操は敵ではない。
むしろ味方だ。ならば倒す必要はない。
いや、いずれ格の違いを分からせてやる必要はあるのだが、今はまだ後回しでいい。
「うむ。そうじゃな。曹操めに分からせてやるのは最後でいい」
保身込みの自問自答を終えた袁術は、周辺地域が描かれた地図に目を向ける。
「ならば、次に潰すべき逆賊は……奴じゃな」
劉氏を穢すことに興味を抱いた袁術が目を付けたのは、豫州は陳国。
明帝の曾孫である劉寵が治める地であった。
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