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8話

真綿で首を絞められるかの如く追い込まれていく江夏勢を目の当たりにした、周辺諸侯は一つの決断を迫られることとなった。


即ち、劉琦率いる江夏勢に加担するか否か、である。


加担するのであれば、至急江夏へ援軍、ないし物資を送る必要がある。

加担しないのであれば、そのまま放置する……だけではなく、討伐軍を率いる李儒へ物資を送ったり敵対する心算がない旨を伝える使者を立てる必要がある。


客観的に見るなら、江夏勢が勝つ確率は極めて低い、というか不可能だ。

どう転んでも負ける。それは衆目の一致するところであった。


では李儒に味方すればいいのかと言えば、ことはそう簡単ではない。


何故なら李儒は――都落ちしたとはいえ――長安政権に所属する人間であり、長安政権は現在荊州周辺にいる諸侯を逆賊と認定し、討伐対象にしているからだ。


よって、李儒に使者を送ったとしても、有無を言わさず『逆賊の戯言』として切り捨てられ、持ち込んだ物資ごと奪われる可能性が極めて高いのである。


部下を殺され、物資を奪われても逆賊の汚名は雪げない。

そうなることが分かっている以上、使者を送るような者はいなかった。


使者は送れない、かといって恩赦の可能性が残っている以上、積極的に長安政権と敵対したくない。


多くの郡太守や県令が態度を決めかねている中、明確な意思を持って動こうとする諸侯が二人いた。


袁術と劉繇である。


劉繇個人としては、自分の代わりとなりうる可能性がある劉琦などという存在は、邪魔以外の何者でもなかった。


一応同族だし、配下の中に劉氏同士が争うことに悲観的な者が多いことに加え、自分で劉氏の価値を貶めるような真似をするつもりがないのでわざわざ公言はしていないが、本心では李儒が逆賊として討伐してくれることを望んでいた。


ただし、それらはあくまで劉繇個人の意見でしかない。


劉繇陣営、もっと言えば、劉繇を主として奉戴している配下の多くが『劉琦はどうなってもかまわないが、防波堤の役割を果たしている江夏勢に敗れてもらっては困る』と考えていたし、寿春を奪った袁術も同じ思いを抱いていると考えたため、彼らは一旦袁術への恨みを棚上げして、可能な限り早く、そして可能な限り多くの物資を江夏へ送ろうとしていた。


しかしながら、彼らの目論見はその袁術の手によって潰えることとなる。


そもそも、逆賊に認定されていない袁術からすれば、討伐軍の手によって劉琦が死のうが、その勢いで以て劉繇が潰されようが関係ないのだ。


強いて言えば『自分の手で揚州を落とすことが出来れば支配地域が増すし、それに応じて影響力も増す』程度の考えはあれども、それ以上のものはなかった。


結局袁術が裏で劉琦を支援していたのは、周辺諸侯が噂してるような思惑、特に『銅鉱山を抑える』だの『荊州への影響力を強める』だの『長安に対する保険として、儒者として著名であった劉表の子を押さえておく』だのと言った戦略的な目的があったからではなく、もっと単純に、自分を騙して物資を奪った挙句、自分よりも高い爵位を得た孫堅が嫌いだったから、劉琦の支援――つまりは孫堅の邪魔――をしているというだけの話であった。


よって袁術は、その孫堅が長沙に押し込まれた今、特に遺恨のない李儒に率いられた討伐軍が江夏勢を窮地に追い込もうが、そのまま滅ぼそうが、自分には関係ない些事であるとさえ嘯いていた。


正確には、劉琦だの江夏だのに拘る余裕がないという事実から目を背けるためにことさら大言壮語しているだけの話なのだが、荊州のことを些事だと考えているのは紛れもない事実であった。


なにせ今の袁術は、曹操に敗北して大量の兵と物資を失った敗軍の将なのだ。

寿春を落としたことで一息吐けたものの、失われたものを完全に補填できたわけではない。


特に、汝南袁家に好意的な多くの将兵を失ったことは、袁家にとって致命的ともいえる出来事であった。


元々寿春で新たに徴兵した者は、だまし討ちをして居城と蓄えていた物資を奪った袁家に良い感情を抱いていない。


元から袁術に付き従っている将兵も、曹操との戦いで決定的な敗因を作った袁術に対して不信感を募らせている。そんな中、古くから袁家に従っていたが故に普段から袁術を擁護していた者たちが討ち死にすれば、どうなるか。


結果として、寿春は荒れた。

働き盛りの男衆を大量に徴兵したことで生産力が落ちたし、まともに領地を管理できる文官がいないため、劉繇が支配していた時には考えられないくらい治安が悪化したし、そのせいで税の取り立てすら滞る事態となってしまった。


それに焦って兵を帰農させたり、税を減らすなりしたなら、まだなんとかなったかもしれない。

しかし袁術やその配下が寿春の民のために動くことはなかった。

むしろ税をより多く取ることで、自分たちの懐に入る分を確保しようとしたくらいだ。


それを受けて、民や、民と密接にかかわる土豪や、元から寿春近郊に根を張っていた名家の多くが不満をため込むこととなった。


事がここまで及べば、袁家の内部に、反袁術とも言うべき空気が醸成されるのは至極当然のことであろう。


戦で勝てない人物に、将帥としての価値など無い。

まともに統治できない人物に、統治者たる資格など無い。

将帥としても、統治者としても使えない者に名門の当主は務まらない。


当たり前のことだ。


まして今は、長幼の序よりも実力の有無が問われる戦国乱世。

無能な当主に居座られることを厭う者は少なくなかった。


袁家には、血統的には傍流となるものの宗家と極めて近く、袁術以上に名が知られている人物がいるのだから。


その人物の名は袁紹。数年前には総勢二〇万を号した反董卓連合の盟主を務めた傑物である。


――袁術様は危うい。袁紹殿を当主にした方がましなのではないか?

――冀州で追い詰められているようだし、誘えば来るのではないか?

――袁紹殿を迎え入れれば自動的に曹操も仲間になるのではないか?


停滞する状況からの脱却を求める者たちから、袁紹を担ごうとする声が上がるのもまた、当然のことであった。


今の段階でそれが強行されていないのは、偏に袁紹が『皇帝の伯父である何進を殺した』という大きな問題を抱えているからに他ならない。


恐ろしく大きな問題だが、逆に言えば、それが片付けば袁紹を迎え入れる障害がなくなるということでもある。


具体的には、劉弁が皇帝の座から滑り落ちる、もしくは、劉弁が折れざるを得ないような状況になる、最良は劉弁が討ち死にしてくれることだ。


もちろん、袁家にとっての最良は討ち死にである。


そうなれば後継者――おそらく劉協――は立て直しのため、現在逆賊扱いされている諸侯の多くに恩赦を与えることとなるだろう。

何進となんら関係のない劉協であれば――当然それなりに金を積む必要はあるだろうが――袁紹に恩赦を与える可能性は極めて高いのだから。


そうでなくとも、現在のところ、その劉弁は益州への親征を行っているものの、さしたる成果を上げることができていないのだ。

このまま何事も成すことなく撤退すれば、それは大きな瑕疵となるだろう。

いかに頑迷な小僧とて、抵抗する諸侯を武力で潰すことができないと理解すれば、次は政略でなんとかしようという意見を無下にはできまい。

そのとき、周辺諸侯に恩赦を出して討伐対象から除外することで、それらを取り込むよう働きかければいい。

その対象に袁紹が含まれれば、現在袁家が抱えている問題は解決することとなる。


討ち死にでも、親征でも、どちらに転んでも、無能の当主はお役御免。


これこそが、袁術の器量を見限った者たちが望む最良の道筋であった。


「……おのれ忘恩の徒どもが」


軍人としての能力に乏しいが故に戦場での空気は読めずとも、袁家の後継者として育てられたが故に宮中の空気を読む能力に長けた袁術が、己を見る配下たちの目に危険な感情が宿っていることに気付けないはずもなく。


「どうにかしてこの状況を覆さねばならん!」


そう考えていた袁術の前に突如として現れたのが、劉繇が用意した『江夏を支援するための物資』であった。


『政治と経済に特効薬はない』という言葉は近年広く知られているが、この時代は違う。

略奪。それも敵からの略奪による特需こそ、停滞する政治と経済に対する特効薬なのだ。


まして今の劉繇は逆賊である。逆賊が治める地を攻め、蓄えた物資を奪うことに理由など必要ない。


「廬江を落とすぞ!」


政治的な常識も戦略的な常識も、なんなら儒教的な常識も無視したこの一手により、劉琦率いる江夏勢の命運は尽きた。


否、それ自体は元から定まっていたのだが、討伐までの期間が劇的に早まったのである。


この結果、またも領地と物資を奪われた劉繇はもとより、決断を急かされることとなった周辺諸侯は、袁術とそれに唯々諾々と従う連中に対し、極めて大きな怒りを抱くこととなったそうな。


「くはははは。間抜けが! わしの為に物資を用意してくれるとはのぉ!」


政略も戦略もなく、場当たり的に動くせいで着実に味方を減らしていることに気付かぬまま高笑いを上げる袁術。


彼が率いる袁家終焉の日は近い。


閲覧ありがとうございました



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