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5話

「では次だ」


「はっ」


確認の使者を立てることで一応の懸念を払拭することにした孫堅主従であったが、彼らにはもう一つ考えなくてはならないことがあった。

それは李儒の思惑がどうこうではなく、もっと内側、具体的には嫡男である孫策の扱いに関するあれこれである。


「策はどうするべきだと思う? ここに残すべきか? それとも連れていくべきか?」


「……難しいところですな」


通常であれば、嫡男であり、元服も済ませている孫策を戦場に同行させない理由はない。


今までの孫堅であれば間違いなく戦場に同行させたし、黄蓋とてそれを止めることはなかっただろう。


しかし、それはあくまで今までの孫家が、地方の一軍閥に過ぎない勢力だったからだ。


数年前までの孫堅は、朱儁が率いる幾多の武曲の一つを率いるだけの将帥であったが故に、自らが前線に立ち、戦場で功を立て、その褒賞で配下を養う必要があった。


もし孫家が当時と変わらぬ状況ならば、嫡男である孫策にも孫堅と同じような経験を積ませるべき、否、同じ経験を積ませなくてはならなかっただろうし、実際、ほんの数年前まで孫策はそのように育てられていた。


しかし、今の孫家はただの一軍閥ではない。

郡太守にして都督にして、列侯に叙せられた正真正銘の貴族である。


郡太守や都督に関しては永年のものではないが、列侯は違う。


今の孫家には、食邑として与えられた県を支配する貴族として、それに相応しい振る舞いが求められるのである。


尤も、この乱世の最中に儀礼やらなにやらをこと細かく指摘してくるような者はいないし、なにより皇帝である劉弁が、表面だけ取り繕った態度を求めていないこともあって、孫堅は『そういうのは後から時間をかけて学べばいい』と考えていたし、黄蓋らも同じように考えていた。


しかし、そんな武骨な孫堅らでも無視できない考え方があった。


それは『危険な戦場に当主と嫡男が連れだって行くべきではない』という考えだ。


君子危うきに近寄らず。

本音を言えば、当主である孫堅も嫡男である孫策も戦場に出ないのが一番ではある。

だが今は、君子の極みである皇帝その人が戦場に出るほどの戦国乱世。

皇帝その人が命を張っているというのに、後方で安穏と暮らす者に名家を名乗る資格はあるだろうか? 

いや、ない。


名家だからこそ、戦場に出ることを拒否することはできないし、戦場に出られなくとも、後方支援の一つや二つもしないようでは臣下としての資質が問われることとなるだろう。


だからと言って、忠義を示すため積極的に戦場に出た結果、嫡男もろとも討ち死にしては意味がないわけで。


「これまでは俺が死ねば策に、策が死ねば権に譲ればそれでよかった。しかしこれからは違う」


「ですな……」


孫堅ほどではないにしろ、今や黄蓋とて爵位を持つ身。

家のことを考えれば、数年前のように『好きに戦って好きに死ぬ』なんて贅沢は許されないということは重々承知していた。


むしろ黄蓋や孫堅のように進んで戦場に出る者だからこそ、家督の継承に関してより慎重にならなければならないのだ。


そうして慎重になって考えれば考えるほど、孫策の扱いは難しいものとなる。


「当主が戦場に出た際、嫡男が留守を守る。これに関して文句を言う者はおるまい」


この行動にケチを付けることができるのは、嫡男と共に戦場に立っている人間だけ。

長安政権で言えば、古くから息子の朱符を危険地帯である交州に派遣している朱儁くらいだろうか。


その朱儁とて、次男の朱皓を長安に置いているのだ。

孫堅が孫策を長沙に留めたところで、文句を言う者はいないはず。


そもそも孫家の家督継承に関わることなのだ、それに口を出せるのは、動員令を発した李儒か、その上司として荊州に君臨している劉協。もしくは皇帝劉弁その人くらいのものだろう。


当然、その三人は嫡男に留守を預けることに文句を言うような人間ではない。

というか、孫策を認識しているかどうかも怪しいところである。


よって、孫堅と黄蓋は『今回孫策を長沙に留め置いたところで外部から讒言を受けることはない』と考えていたし、実際にこの一点を以て孫堅を責め立てようとする者はいなかった。


――あくまで外部には、だが。


「そうですな。内外の誰もが殿の判断を認めるでしょう。……若殿以外は」


「ぐぬっ」


ここだ。


元々孫堅は”軍閥の後継者”として孫策を鍛えていたし、孫策もまた、孫堅の期待を裏切らず”軍閥の後継者”としてふさわしい実績を上げている。


孫堅から見ても、孫策は優れた武将に必要と思われる要素のほとんどを備えているように見えた。


今のところは、血気に逸る傾向がある点と、戦略よりも戦術を重視する点にやや不安はあるものの、長じれば名将として名を馳せることができるだろうと確信している。


そこはいい。


列侯だろうがなんだろうが、皇帝に先立って戦場に出ることこそ臣下の務めと考えれば、いずれ孫策は孫堅に代わって孫家の兵を率いて戦場を駆けることになるだろう。

よって、孫策が将として優れていること自体は喜ぶべきことであった。


しかし、現時点に於ける孫策が見せている資質は、あくまで武曲を率いる将に求められる資質であって、大軍を率いる将帥、まして統治者に求められているそれとはまったく違うものであることもまた事実。


この点に関して言えば、孫堅は孫策のことを全く評価していなかった。


(まぁ、俺とてそれを知ったのは極めて最近のことなのだから、策に対して偉そうなことは言えんがな)


急に今まで求められていなかったものを求められるようになった孫策に対して、若干の同情はある。


だがしかし、孫堅がその境遇に同情したからどうなるというのか。

周囲がそれに斟酌してくれるとでも言うのか?

馬鹿な。弱点を晒せば足を掬うのが名家という連中ではないか。


基本的な話として、来年には不惑の四十を迎える孫堅にその生き様を変えるよう促す人間はいない。

いたとしても、それがその辺に転がっている儒者であれば、孫堅の方に聞くつもりがない。

もちろん、上司である李儒や劉弁に言われれば必死で努力もするだろうが、両者にそのつもりがないとなれば、孫堅の性質は弱点ではなく個性として認識される。

弱点がない以上、これからよほど間抜けな失態を冒さぬ限り孫家の安泰は確約されたも同然だ。

めでたしめでたし。

……とはならない。何故なら、これらはあくまで孫堅が生きている間に限った話だからだ。


では、その孫堅が死んだ後、孫家を継ぐことになる孫策はどうか。

今はまだいい。

一九の孫策に欠点があるのは当たり前のことだと思われているし、その中でも血気に逸る点など、黄蓋ら歴戦の武人たちから『父親に似たな』と微笑ましく思われているまである。


だが、このまま五年、十年と変わらなければどうなる?

孫堅が死んだ後、周囲はいつまで孫策の未熟を赦す?

そもそも、乱世が終わり、治世となったとき、孫策はどうなる?

戦の中でしか生きられない者を当主と仰げばどうなる?

配下は? 食邑は? 孫家は?


「このままでは持って五年、といったところだろうよ」


「……はっ」


新参者の孫家は、狡兎死して走狗煮らるの言葉通り、様々な難癖を付けられて取り潰される可能性が極めて高い。


それを防ぐためには、自分たちが治世に於いて役に立たない狗ではないと証明するに足る実績と、何者にも隙を見せぬ慎重さが必要となるのだが……。


「ないからなぁ」


「まぁ、そうですな」


戦場でさえ”待つ”ことを苦手としている孫策だ。

実績はこれから積むとしても、慎重さについては如何ともしがたく。


「如何に戦場の雄として優れた能力を持ち合わせていようとも、文字で埋め尽くされた書類の前には無力なんだよなぁ」


「然り」


歴戦の主従がここ数年で痛感した事実である。


そもそも治世の当主に求められているのは、書簡に書かれている内容をじっくりと読み込み、正しく理解できる知性であり、理解した内容のもと部下を正しく動かすことができる判断力であり、それら全てを領内の発展に繋げることができる計画性なのだ。


もちろん、孫堅とてこれら全てを兼ね備えている人間など漢広しといえども数えるほどしかいない――すぐ近くに一人いるが、それは例外中の例外である――ことは知っているし、自身の息子である孫策にそこまで求めてはいない。


ただ(この中の一つでもあってくれれば良かったのに)と思っているだけだ。


「とはいえ、策に判断力がないわけではない。その方向性を変えることができれば悪いようにはならん、はずだ」


「……そうであって欲しいものですな」


「……うむ」


この時代、後世によく言われる【三つ子の魂百まで】などという言葉はまだ生まれていない。

だが、それに似た概念はある。


そのことから、元服を済ませた孫策の意識を変えることの難しさは、孫堅も黄蓋も理解しているつもりであった。


困難極まる道を進むこととなるだろう。だが、困難だからと諦めていては、せっかく孫堅らが頑張ってここまで大きくした家が潰れてしまう。


孫堅とて今更名誉だのなんだのに拘る心算はないが、皆で築き上げたモノに崩壊して欲しいわけでもないのだ。


よって孫堅は決断した。


「よし、策は置いていこう。そして家を護ることの大事さを学ばせる」


「殿がそう決められたのであれば否はありませぬ。では誰を若殿の傍に置きますか?」


「それだ。……誰か適任の者はいたか?」


「……さて」


孫策の性格上、何を言ったところで『置いていかれた』ことに不満を抱いて暴れることはあっても、真摯に学ぶことなどあるまい。


ならば誰かをお目付け役として残さなくてはならないのだが、悲しいことに今の孫家には、本当の意味で”家を護る当主としての心構え”ができている人間はいなかった。


それはこうして話をしている孫堅と黄蓋も例外ではない。


一応、荊州で登用した文官や武官の中には土豪の当主もいるのだが、彼らでは立場が違い過ぎて――それこそ以前の孫堅と同じなので――参考になるどころか悪影響を及ぼしかねない。


「とりあえず程普に任せるか」


「……ですな」


孫堅に仕える中で古参とされる四人。

即ち黄蓋・韓当・祖茂・そして程普。

彼らの中で一番書類仕事が得意なのが程普であった。


そのことから、孫策に当主としての教えを授けることはできなくとも、書類仕事を教えることは出来ると判断されたのである。


「程普には襄陽から帰ってきたときに伝えよう。それまでは秘密にしておけよ?」


「御意!」


主君の代理として太傅へ忠言を届けたかと思えば、その主君が戦地に赴いている間の留守と、後継者の教育を託されるという、臣下として極めて重要な役割を幾たびも任されるほど信認されていた男、程普。

後日、長沙の宮城内では、その栄誉を喜んだ程普がむせび泣いている姿が散見されたとかされなかったとか。



閲覧ありがとうございました



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