4話
これまで内政に専念していた李儒が突如として劉琦討伐の号令を発したことは、周辺諸侯はもちろんのこと、荊州に根差す者たちに対して大きな衝撃を与えることとなった。
それはもちろん、都督として荊州の軍を率いる権限を与えられている孫堅とて例外ではない。
むしろ他の諸侯よりも李儒の人となりを知る孫堅主従こそ、この急な号令に違和感を覚えていた。
九月下旬 荊州長沙郡 長沙
「ふむ。この時期に動く、か。貴様はどう思う? 黄蓋」
「某如きでは、太傅様の御心を推し量ることなどできませぬが……急なことではございますな」
「うむ」
今から軍を興した場合、襄陽で李儒が集めた軍勢と合流できるのは早くても一か月後の一〇月下旬。
それから軍議を含めた各種うち合わせを行ったり、本陣を設営したりするのにかかる期間を一か月とみれば、討伐軍が江夏勢と対峙できるのは一二月になってからということになる。
当然、対峙したとて即座に戦闘に及ぶことはない……はずだ。
討伐軍は寄り合い所帯なので、何をするにしても連携訓練が終わった後でなくてはならないのだから。
江夏勢が黙ってそれを見過ごすかどうかは不明だが、まぁ、向こうから攻めてきてくれるのであれば返り討ちにすればいいだけの話。
そもそも孫堅や黄蓋が問題としているのはそこではない。
「もしや、荊州の冬を舐めている、というわけではなかろうな」
「さて……」
そう。彼らは偏に、李儒ともあろうものが、わざわざ冬に戦をしようとしていることを気にしているのだ。
去年孫策に対して語ったように、冬に戦をすることは、兵法上の悪手とされている。
冬の寒さのせいで、死ななくてもいい将兵が死ぬ。
夏であれば必要のない、暖を取るために必要な物資を集めなければならない。
戦地にて略奪を行った場合、冬を越せずに死ぬ民が増える。
と、その他諸々、悪いことはあっても良いことなどなにもない。
そういった事情もあって、戦後の統治を考える者ほど冬場に戦をすることを厭うのである。
翻って李儒はどうか。
少なくとも、孫堅と黄蓋から見て、李儒は間違いなく統治を重視するタイプの指揮官である。
その李儒が、冬に戦を起こそうとしようとしている?
この時点で異常事態だ。
もしこれが単純に、李儒が荊州の冬を舐めているが故に決断を下したというだけなら、まだいい。
その場合は荊州の人間である龐徳公や蒯良、蒯越らが諫めるだろうし、彼らが動かないのであれば自分たちが諫めれば済む話なのだから。
故に、孫堅が恐れるのは『冬の厳しさを知りながらも討伐を強行しなくてはならない事情が発生した』場合である。
「……長安に何らかの問題が生じたという話は?」
「確たることは言えませぬが、少なくとも外から見て分かるような異常は発生していないようです」
「大将軍閣下から何ぞ連絡は?」
「ございませぬ」
「……そうか」
一昔前――正確には洛陽に都があった時期――は、洛陽で権力者が変わるたびに、人事や現場への指示に変更が加えられることが日常茶飯事であった。
孫堅にとって身近なところでは、一時は三公である太尉と車騎将軍を兼任していた張温がいい例だろう。
それまで順調に出世をしていた張温だが、彼は彼の足を引っ張ろうとする者らから『張温が張純への対応を誤ったせいで大乱が発生した』という讒言を受けて、罷免にまで追い込まれている。
三公に名を連ねた人物でさえ簡単に足を掬われるのであれば、長沙郡の太守如きがどこまで抵抗できるものか。
まして今の孫堅はただの郡太守ではなく、列侯という、臣下に与えられる最高の爵位を与えられた、いわゆる乱世の出世頭だ。
与えられた食邑が、長安から遠く離れた荊南の地であることからやっかみは少ないものの、やっかみそのものが皆無というわけではない。
実際、李儒が荊州に来ることになったきっかけは、孫堅に対する讒言なのだ。
隙を見せれば、否、隙を見せなくとも、自身が貶められる可能性があることを再認識した孫堅は、これまでは政争に巻き込まれることを避けるために距離を取っていた長安政権にいる重鎮と距離を詰める必要性を認めていた。
その相手こそ、今もなお軍部の最高責任者であり、幾度か戦場を共にした経験を持つ董卓その人であった。
ここで楊彪のような、所謂名士として持て囃されている人物を選ばないところが、孫堅が孫堅たる所以であるとも言えよう。
それはそれとして、普段は郿に在って長安政権と距離を置いているように見える董卓だが、長安の内部で引き起こされる事案に関してまったくの無関心というわけではない。
むしろ皇帝一派が不在の最中、余計なことをする阿呆が出ないか否かを見定めている節もあり、諸侯が思っている以上に長安の情勢を把握しているのである。
さらに、その董卓は現在、日ごろから『目に入れても痛くない』と豪語するほど溺愛している孫娘を荊州へ送っている。
荊州が危うくなれば、自然と荊州にいる孫娘の身も危うくなる。
その逆、つまり長安に変事が発生した際、その鎮圧に手間取るよう――もしくは加担しているように見られた――なら孫娘がどのような目に遭わされるかわからない。
そのことを誰よりも強く理解している董卓は、長安の内部で変事が発生したら即座に李儒へと報告をすることにしているし、同時に、長安からでは見えない荊州の情報を事細かく伝えてくれる孫堅の存在を重宝しているのである。
そんな董卓が、長安で発生した問題を見逃すはずもなければ、自分たちに使者を立てないはずもない。
もちろん、あまりにも想定から外れたことが発生したため、孫堅にまで気が回らなかったという可能性もないわけではないが、逆に言えばそれだけの大事であれば何かしらの動きが見えるはず。
しかし、現在のところそのような報告はない。
そこから導き出される答えは、一つ。
「では、陛下は変わらず戦中にあるものの、長安に乱れはなく。今も政は滞りなく回っているのだな?」
「御意」
「となると、今回の号令は長安の情勢とは無関係と見ていいのだろうな」
「おそらくは、ですが」
「「……」」
なんとも曖昧な状況に居心地の悪さを感じるものの、如何な名将とて、情報が不足していては正しい答えなど導き出せるはずもなし。
李儒の考えを推し量る? 無理を言うな。
そんなことが出来るなら今頃孫堅は天下を取っているはずだ。
「……切り替えるか」
「はっ」
下手の考え休むに似たり。
どれだけ考えようとも分からないことは分からない。
ならば目の前にある問題に向き合う事こそ肝要。
即ち、号令が出た経緯の確認よりも、号令に従って準備することを優先すべし。
一時期は州牧の代役なんて割に合わないことをやらされたが、結局孫堅一党は戦場の雄なのだ。
書簡を前に小難しいことを考えるよりも、兵を動かすことの方が性に合っているということを自覚していることもあってか、黄蓋も話の流れを変えることに否はなかった。
「では出陣するとして。兵はどの程度出せる?」
「限界まで出しましょう。と言いたいところですが」
「ですが?」
「太傅様から具体的な指示が出ているのでは?」
普通であれば、孫堅は一も二もなく全戦力を出すべき場面だろう。
しかしながら黄蓋から見て李儒という人物は、戦場での指揮に優れた将帥や軍師ではなく、独自の理屈と計算に則って作られた事前の計画によって敵を圧殺する、非情な戦略家というものである。
事前準備を怠らないからこそ、孫堅が動員する兵力やその内訳にまで指示を出しているだろうと考えた黄蓋であったが、その考えは半分正しく、半分間違っていた。
「うむ。実は太傅様からは、水軍と合わせて二万ほどでいいと言われている。それも長沙だけでなく、南荊四郡の合計でな」
「二万? それは……」
「言いたいことは分かる」
数だけで見れば、決して少ない数ではない。
しかし多いわけでもない。
なんなら『長沙一郡で用立てろ』と言われても、多少の無理をすれば出せる程度の数だし、当然他の三郡を合わせれば余裕で出せる数でしかないのだ。
黄蓋が『大々的に逆賊を討伐すると宣言した割には少ない』と思うのも無理はなかったし、孫堅も最初はそう考えた。
「確かに『限界まで出せ』と言われたならば倍は出せる。しかしそれだけの数を動員すればその分物資の消耗は激しくなるし、何より越や劉繇あたりに対する警戒が緩むこととなる」
「それは、まぁ。そうですな」
「加えて、我々に荊州の大半を占める南郡から集めた兵を加えれば、総勢三~四万ほど――尚、南陽郡には朱儁率いる三万の官軍がおり、彼らを加えれば六~七万となるのだが、彼らは関東の情勢に目を光らせている為、数には加えないこととする――にはなるだろう」
「対して劉琦が治める江夏で動員できる兵は、水軍を含めて一万五千前後といったところか」
「ですな」
防衛戦に於ける定石である”一時的な徴兵”を考えればもう少し動員できるかもしれないが、多くても二万を上回ることはない。その理由は、単純にして明快。集めた軍勢の維持ができないからだ。
「うむ。強制的に動員するだけならもっと集めることはできる。が、動員した兵に与える装備や食糧を考えれば、二万が限界だろうな」
「御意」
将帥となる者が大義名分や褒美を求めて主に従うのと同様に、兵は生活の保全を求めて将帥に従うものだ。
褒美や大義名分を与えぬ主君に従う将がいないように、まともな装備や満足な食糧を与えない将帥に従う兵はいない。
どこぞの名家のように『たかが兵卒』と見くびり、待遇を悪くしすぎればどうなるか。
簡単だ。士気が崩壊し、離反や反乱を招くことになる。
故に、優れた将帥であればあるほど、兵の士気には敏感にならざるを得ないのである。
そして江夏を治める劉琦、否、実質的に兵を率いている将帥は、孫堅も認めるほどの名将黄祖だ。
「小僧やその取り巻きの儒者連中だけならまだしも、黄祖がいる以上『徴兵した兵を維持できずに軍を崩壊させた』などという間抜けは晒さぬだろうよ」
「御意」
「で、あれば、敵は一万五千から二万。こちらは三万から四万となる。ここまで準備したならば負けはない。普通ならな」
「はっ」
「……本当にこれで勝てると思うか?」
「……さて」
孫堅は自他共に認める名将であり、それに従う黄蓋らも経験豊富な将である。
また孫堅の上に立つ李儒は、自他共に認める優れた戦略家である。
さらに李儒の傍らには涼州騎兵に勝るとも劣らぬ并州騎兵と、それを指揮する呂布がいる。
その上、動員する兵は少なくとも敵の倍以上。
将帥の質、兵卒の質、装備の質、支援物資の量と質。
そのどれもが上回っているのは明白。
攻城戦には三倍の兵力が必要とされるが、彼我の戦力差は三倍以上の差があると言っても過言ではない。
李儒は総大将として『ここまで準備をすれば十分だろう』と言えるほど入念に準備をしている。
それは認めよう。
袁術や袁紹が相手の戦であったならば、孫堅とて一抹の不安も覚えずに『勝てる』と断言しただろう。
だが、今回の戦は違う。
通常の戦とは明確に違う点があるのだ。
「水軍にまで言及してきた太傅様がこの点に気づいていないとは思わん。思わんが……」
「万が一がございます。一度確認をした方が良いかもしれませぬな」
「うむ」
そう。江夏勢との戦に於ける主戦場は陸ではなく、水上。
それも漢水と長江が交わることで、向こう岸が見えなくなる程の幅がある大河が戦場となるのである。
どれだけ優れた騎兵とて、船の上では邪魔にしかならない。
この時点で呂布が率いる并州騎兵は戦力外となる。
歩兵にしても、大半が船上での戦など経験したことがない未熟者の集まりだ。
対して江夏勢は、その大半が船上での戦を経験している。その彼らを率いる黄祖に至っては、水戦の専門家とさえ言える存在であり、水上での指揮能力に限れば孫堅でさえ及ばぬと素直に認めざるを得ないほどの実力者である。
万が一にも、李儒が水戦と陸戦の違いを見落としていたら――そうでなくとも、その違いを理解しきれていなければ――負ける可能性もある。というか、負ける。
「使者を出すだけなら問題あるまい。危惧を指摘したからと言って不快になるような御仁ではないしな」
「はっ」
大々的に討伐を宣言した上で負ける。
それがどのような結果を生むことになるかを正しく理解している主従は、号令に従って兵を集めるのと並行して、李儒に対して念押しの使者を立てることにしたのであった。
――数刻後、主君のみならず大将軍董卓からも恐れられる男に対して『本当に大丈夫か?』と念を押しに行く使者に選ばれた男、程普の胃が激痛に襲われることになるのだが、それはまた別の話である。
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