16話。張純の乱の影で
いんたーみっしょん。
世は張純の乱の真っ最中です。新ヒロイン登場回?
後から修正の可能性有り。公孫讃の讃の字は携帯の都合ですんで、後で修正予定です。
中平4年(西暦187年)8月。司隷弘農郡
いや~俺的には廬植のアレと同じで、演義とか何かのネタかと思っていたんだが、まさかマジで公孫瓚が3000の軍勢で張純にぶつかるとは思わなんだ。
と言うか命令を下した奴も馬鹿だが、それを受けてさらに任務を完遂するんだから公孫瓚も大概だよ。
今回の命令を出したのは袁隗か袁逢辺りだろうな。何せ今は宦官閥の張温と何進の配下である俺が涼州で大功を立ててしまったばかりだ。
もしもここで張温が自分で張純を始末してしまえば、今後ヤツの足を引っ張る口実が無くなってしまう。それに今のままだと名家閥だけが自前の軍を持っていないと言う状況だからな。
一応、連中の頭の中では董卓は名家閥なんだろうが、洛陽から離れているから戦力には数えられん。朱儁は母親の喪に服しているし、そもそも朱儁は名家閥と距離を置いているから、どうしても武力が足りんよな。
結果として張温と合流しようとしていた公孫瓚を使うことで、自分達の派閥に引き入れようとしたんだろうさ。
連中からしたら「武功を立てる機会をやったんだからありがたく思え」って感じか?
もし失敗してもフォローを入れる形でマウントを取ろうとしたんだろうし、「無理だ!」と言って命令を拒否したら、幽州軍閥に手を入れて自分の戦力にしようとしたのかもな。
この辺は強力な武力を持つものの、財力や政治力に乏しかった孫堅を配下にして顎で使っていた袁術と一緒のやり口だ。
で、連中のやり方にブチ切れた公孫瓚が「殺ってやらぁ!」と八つ当たりした結果が今回の戦となったわけだ。
確かに3000の騎兵がいれば十万の民兵くらいなら潰せるかも知れんよ?何せどこぞの宗滴は一万で三十万の一向門徒に勝ってるし、兵力と兵の数は似ているようで違うからな。
所詮連中は黄巾に負けた将帥の下に集った黄巾の残党と、中途半端に漢にちょっかいを出そうとしていた殺る気が足りない烏桓の連合軍だったってことだろう。
そもそも騎兵を中心とした涼州軍閥と組んだ羌とは違い、歩兵って言うか民兵に過ぎない連中と組んだのが間違いなんだよ。
練度も違えば指揮系統も違う。さらに言葉や文化もまるで違うってのもある。さらにさらに漢の人間は異民族を見下しているし、異民族は異民族で漢の連中を見下しているからな。
こんな状況で連携なんざ取れる訳もない。
烏桓の連中は、味方面した歩兵擬きの民兵に散々足を引っ張られて、まともな戦闘行動も取れずに潰されたようだし、民兵はそのまま蹂躙されたようだな。
それでも、どこぞの波才のようにまともな運用が出来れば押し返すことも出来ただろうに……つまるところはきちんと問題を片付けないままに気分で挙兵した張純ってヤツが悪いってだけの話なんだが。
時間が経つにつれて次々と挙がってくる報告を見て、その敗因を分析して纏めていく李儒だが、これは別に張純を貶めたりしているわけではない。
大将軍府に所属する者たちが歴史に学ぶ為、もっと言えば精神論に走らずにしっかりと地に足を着けた軍隊となる為に、相手の敗因を分析して纏めているのだ。
こう言う戦を例に出して『戦いは数ではない』とか言い出す阿呆が出てくるのは世の常である。だが、基本的に戦いとは数だ。
そして『集めた数をどれだけ無駄なく運用出来るか』と言うのが将帥の実力となる。
戦とは兵の数と兵種に加えて装備と練度のバランスが重要なのに、これを勘違いして、装備を重視して数を集めることを怠ったり、訓練を重視して『雑兵など不要、精鋭さえいれば良い』などと囀ずるような軍政家は味方を殺す危険な存在である。
そんな視野狭窄に陥らない為にもしっかりとした資料作りが必要だし、その為には落ち着いて情報分析が出来る状況が必要なわけであって、断じてサボっている訳ではないのだ。
「だから私は悪くない!」
「……長々と講釈をありがとうございます。確かに貴殿の言うことは正しいと私も思います」
今まで李儒の言い訳めいた講釈を黙って聞いていた小柄な男は小さく頷き、その考え自体は間違いではないことを認める。
「そうでしょう?ですから暫くは……」
「ですがそれは貴殿がやる仕事ではありませんな。その仕事は此方で受け持ちますので、貴殿は洛陽に帰還しなされ」
「くっ!」
予想外の好感触に、これは行けるか?と思った李儒だが相手も任務で来ているので、そんなに簡単には引き下がらない。
と言うか李儒が洛陽に帰還しないので、大将軍府内では書類仕事が溜まって来ているのだ。その為、何進を始めとした大将軍府の人員一同は一刻も早い帰還を待ち望んでいた。
「いやしかしですよ?そもそも私は大将軍閣下の配下では有りますが、大将軍府に所属する役人では無いのです。それなのに私がいないと業務が回らないと言うのは組織として不健全なのでは?」
そんな上司や同僚たちからの熱い帰還要請を受けても全然嬉しくない李儒は、正論をぶつけることで反論を押さえようとする。
それに、正論だけあって李儒の主張は理屈としては正しいのだ。
しかも基本的に儒教家と言うのは理屈を重視するので、この主張に対しては何気に反論が難しかったりする。
更に言えば、今の李儒の立場が挙げられるだろう。
彼に対して理屈や何やらをすっ飛ばして「諦めて働け」と言えるのは何進本人だけなので、こうして論破した時点で自分を迎えに来た使者も今回は諦めて洛陽に引き返すことだろう。
そう思っていた時期が俺にもありました。
「そもそも前提が違うでしょう。自前の名家閥を作ったり何進殿を大将軍に押し上げて、大将軍府としての組織の骨子を作ったのは貴殿です。ならば貴殿には組織を作り上げた責任が有りますな」
使者は毅然とした態度を崩さずに滔々と反論をする。これは言うなれば「いつから使者を論破したと錯覚していた?」状態である。
「いや、健全な組織運営の為には人員の教育もですね……」
「確かにそれも必要ですが、それこそ大将軍府の人間の仕事です。彼らに人材を育成する余裕を作るためにも、貴殿は洛陽に戻るべきです」
「くっ!」
どうしても今は洛陽に戻りたくない李儒と、どうしても連れ帰りたい使者。二人の主張はどこまで言っても平行線であると思われた。
しかし足掛け7年の付き合いがある何進は李儒の性格をそれなりに理解している。よってこの程度の反論は予想済みである。
そして予想をしたなら対処するのは当たり前の話。何進はしっかりと李儒の逃げ道を塞いでいた。
「あぁそうそう。言い忘れておりましたが、今回の武功を鑑みて、貴殿には輔国将軍の位が与えられることとなりました。いやはや、なんと言いますか。おめでとうございます」
「はぁ?!」
これぞ何進の罠!名付けて『李儒がいつまでも「自分は大将軍府の所属じゃない」と寝言を言い続けるならば「いっそ将軍にしてしまえば良いじゃないか」の策』である。
今までは表だって大した武功が無かったために武官としての役職を与えることが出来なかった(正確にはソレを名目にして李儒が断っていた)のだが、今回めでたく李儒が武功を挙げた上に、信賞必罰を旨とする軍部からも李儒に褒美が必要だと言う意見があったのだ。
と言うか李儒くらい働いていている人間を昇進させないとなると、下の人間の意欲に関わると言うのもある。
その為、李儒を将軍にすると言う人事に対して異議を唱える者はいなかったし、何進もこれ幸いと李儒を将軍に任命したと言う経緯がある。
……ちなみにこの策を考えて何進に献策したのは李儒の目の前に居るこの男だったりするのだが、そんなことを態々教える気はないようだ。
それはともかくとして。
これにより李儒は、光禄勲将作左校令輔国将軍弘農丞李儒文優となり、その権限は九卿として朝廷に、将作として宮城の施設に、弘農の丞として郡の運営に、そして雑冠では有るが正式な将軍となったので軍部にまで及ぶことになる。
しかし、その役職の内のどれもが最上位ではないと言うので嫉妬の対象にはならず、職の兼任も可能になると言う親切設計。
権利には責任が伴うのは常識であり、責任=仕事であることは言うまでも無いことだし、魂のレベルにまで社蓄根性が刻み込まれている李儒が、責任を放棄することはない。
本人曰く、仕事が残ってると気になって寝れないらしい。そんな李儒の性格を十分以上に理解した、回避不能の策なのである!
「は、謀ったな、荀攸?!」
「ふっ。貴殿は良い上司であった。しかし、貴殿の職務態度が悪いのだよ」
今さらながら名前が出てきたが、そうなのだ。今回洛陽から使者として派遣されて来たのは、去年から大将軍府に出仕して仕事をしている荀攸であった。
彼は今回の乱で李儒が抜けた穴を埋めるため、他の同僚たちと共に今まで寝食を忘れる勢いで働いていたのだが、どうやら限界が近いらしい。
彼らにしても、李儒が出陣すること自体は別に良いのだ。
まぁ今さら李儒が遠征に参加する必要があるのか?とは思わないでも無かったが、何進の懐刀が実際の戦を知らないと言うのも問題だし、武功も必要なのはわかる。
なので大将軍府に所属する文官一同は「李儒が帰ってきたら休む!」と言う、ある種の希望を以てギリギリの精神状態で職務を遂行していた。
だと言うのに、肝心の李儒が弘農に滞在して洛陽へ戻って来ないと言うではないか。
今回、張温や張温が直率する軍と共に帰還してきた大将軍府が用意した軍勢の中に、李儒が居ないことを不思議に思った何進が、李儒に変わって部隊を率いて戻ってきた副官の李厳に「李儒はどうした?」と確認を取ったところ、李儒は
「自分は此方に残り、董卓や孫堅の手綱を握る必要が有る」だの「遠征は終わった訳ではない。締めを怠れば今まで行ってきたことの全てが無駄になる」だのと、いかにもそれらしい事を言って洛陽への帰還を引き延ばしにしていたと言うではないか。
それでは実際のところ弘農で彼は何をしているのか?そう思って大将軍が密かに確認をさせてみれば、洛陽の事を忘れたかのように悠々自適に茶を飲みながら書類仕事をしている始末である。
それを聞いてブチ切れた文官達を代表して、役職は下だが歳上であり、さらに家格が高い荀攸が李儒の首に縄を着ける係として派遣されたと言うわけだ。
……一応言わせて貰えば、李儒は遠征軍に対する手当てや弘農の政、また張純の乱に関する資料作り等の仕事をこなしているので、決して遊んでいる訳ではない。
これだけでも洛陽の名家連中と比べたら、彼らの数倍は働いているので、もうこれ以上は無理だと言う権利は有るかもしれない。
しかし周囲の目は違う。彼の能力と実績を考えれば、今の李儒は百人乗せる事が出来る戦船に10人しか乗せずに動いて居るようにしか見えないと言う状態となっていた。
悲しいことに李儒のリソースにはまだまだ空きが有るのは事実なので、決して言い掛かりではないのが痛いところである。
「……で、洛陽への帰還は何時になりますか?」
そんな質問をする荀攸であるが、本音を言えばさっさと洛陽へと連れて帰りたいと言うのは有る。しかし李儒がサボるためだけに弘農にいる訳ではないと思っているので、無理やり連れて帰ろうとまでは思っていなかった。
まぁ内容によっては物理的に首に縄を着けることになるが、幸か不幸か荀攸の予想通り、李儒は遊びで弘農に居るわけではない。
「隠すことでもないでしょうから正直に言いますが、これから羌の連中に少しやらせることがありましてね。あと三月は欲しいです」
「ふむ……三月ですか。それは我々では出来ませんか?」
「無理でしょう。荀攸殿はそうでも有りませんが、洛陽の人間は彼らを見下しています。そう言った者では無駄に反発を招いて作業効率を落とすだけです」
荀攸の場合は異民族を見下すと言うか、家格が高すぎて他の全部が下なんだよな。だから有る意味では平等ではあるんだが、現状では儒の色が強すぎて羌の相手をさせるにはいかんよ。
「……なるほど。とりあえず大将軍にはその旨を伝えましょう」
「えぇ。お手数をお掛けしますが、何卒よろしくお願いします」
ーーーー
李儒が何を企んでいるかは荀攸にもわからなかったが、とりあえずの答えは得た。それを聞いた何進がどうするかは、何進次第となる。
よって荀攸は、李儒の返事を伝える為に洛陽へと帰還した。
史実をなぞるだけならば、李儒は黙って荘園で己を鍛えることに専念し、隠れ潜みながら勝ち馬に乗り続ける選択をしていただろう。
しかし李儒の目的は史実をなぞることではない。彼は彼の目的のために、着々と準備を整えている。
その目的が何なのか。そして誰にとっての益となるのか。それを知るものはまだ居ない。
李儒22歳。荀攸30歳。
二人を比べると荀攸の方が歳上で家格も上なのですが役職の関係上、李儒が上司となりますので、お互いが気を使う関係です。
年下でも上司だから黙って従え!と行かないのは当然と言えば当然ですね。
さらりと李厳も登用しているもよう。
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独断と偏見が入り交じる用語解説
荀攸:157年生まれの30歳。かの有名な筍の軍師……ではない。筍にとって荀攸は年上の甥。後の曹操軍に於ける軍事の筆頭軍師として有名。現在は何進によって招聘され、大将軍府で働いている。実質的な大将軍府の文官の纏め役である。
李儒が抜けたせいで出来た仕事の大半を回されていてストレスが凄いらしい。
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李厳:南陽郡生まれの万能主。後の蜀漢に於いて劉備から信任を受けることで有名。さらに演義では黄忠と一騎討ちをしたりと、文武に優れた将帥として扱われている。
晩年は不遇だったと言うが、アレは北伐に失敗した諸葛亮にミスを押し付けられたか、権力争いに破れたんじゃないか?とか言われているが、息子は普通に昇進しているので実際のところは作者も良くわからない状況である。
コー○ー的な能力値は平均80超えであり、弱点が無いことから、作者の周りではリトル曹操扱いされている。(断じて劣化版曹操ではない)
何時でも何処でも使えるし、能力90縛りをした場合は全部将の中でもトップに君臨する逸材にして、三國志の米五郎佐(丹羽長秀)
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能力90縛り:ステータスに90以上の値がある武将を一切使わないと言う、コー○ーの三國志や信長の○望等における中級者が行う縛り(マゾ)プレイのこと。
上級者は当たり前に70縛りとかする。パワーアップキットで自軍の武将のステータスを下げると言う逆の意味での改造チートをする場合もあるが、個人的には数値を弄らずに素のステータスでやった方が面白いと思っている。









