1話 プロローグ
興平三年(西暦一九四年)六月 益州漢中郡・北部。
皇帝である劉弁自らが総大将となって興した益州平定軍――またの名を劉焉討伐軍――が、漢中の入り口とされる陽平関の前に布陣してから二か月ほど経過している中、遠征軍の中にあってひと際豪奢な天幕……から少し離れたところに造られた指揮官用の天幕にて、二人の少年が机を挟んで向き合っていた。
話題はもちろん、目下自分たちの行く手を阻む要衝、陽平関を如何にして落とすかというものである。
「うーん。堅いなぁ。全然抜ける気配がしないよ」
「それはそうでしょう。なにせこの陽平関は、高祖も認めた難攻不落の要衝ですからな」
「多少兵力差があったところで、か」
「ですな。元々攻城戦は兵法上『攻勢側に三倍の兵力が必要』とされるほど守勢が有利とされております。翻って、彼我の兵数にはそれほどの差はございません」
「こっちは、西園軍と官軍を併せても四万くらい。向こうは二万くらいだっけ?」
「然り」
「多く見積もっても倍、か。それじゃ力押しは無理だよねぇ」
「然り」
事実、この二か月の間に何度か陽平関に攻撃を仕掛けているものの、難攻不落の名は伊達ではなく、正面からの攻撃は全て跳ねのけられていた。
官軍に逆らう賊軍となっても戦い続けるのは劉焉に対する忠義の大きさ故か、はたまた中央政権に対する不信の大きさ故か。
どちらにしても、守勢の士気は軒昂で、簡単に折れることはなさそうだった。
「……どのくらいかかると思う?」
「このままであれば、あと半年は必要でしょう」
「半年かぁ。内部からの切り崩しは?」
「今からでは難しいかと」
「そっか。ま、ここで寝返る程度の覚悟なら最初から敵対なんてしないよね」
「御意。しかしながら、この件に関しては我々も少しばかり驕っていたようです」
「驕り? あぁ、事前の調略をしなかったこと?」
「御意。劉焉は逆賊。劉焉に従う連中もまた逆賊。故に赦さない。その方針は間違っておりませんが、事前に宣言してしまったことで調略の幅を狭めました。こうなっては、どのような策を弄したところで疑心暗鬼の種を蒔くことは不可能でしょう」
籠城戦に於いて、内部の不和を煽るのは基本中の基本である。
その基本が通じない以上、苦戦は必至。そういうことだ。
もちろん、この程度のことは元から想定されていたことなので、主従共に焦りはない。
「なるほどねぇ。自分から戦略の幅を狭めるのはよくないね。そこは反省しよう。けどまぁ、それでも時間の問題でしょ。朕としてはこのままでも悪くはないと思っているんだけど、後ろの連中がなぁ」
今のところは、自軍の情けなさを叱責したり、関に篭る敵を評価するのではなく、『さすが、高祖が頼りにしたのも頷ける』と、関を評価した祖先の偉大さを讃えることで兵の士気や自分の評判が低下することを抑えているのだが、それにも限度というものがある。
尤も、その限度というのが、普通の軍勢なら最優先で心配するべき事柄である物資の枯渇や、将兵の士気低下に伴う諸問題とは全く違う事柄を指すのだが。
具体的には、戦略云々以前に劉弁が都を離れていることを問題視している連中がいることだ。
彼らからはこの地に布陣して一か月が経ったころから、毎日のように帰還を促す書状が届けられている。
それらの書状に書かれていたのは、主に以下のようなものであった。
――
曰く、戦は皇甫嵩将軍に任せておけばいい。
曰く、皇帝陛下の身に何かあれば国が揺らぐ。
曰く、陛下が長らく不在にしていては、王允が如き奸臣の跳梁を赦すことになる。
曰く、書類の決裁が遅れるので、できるだけ早く戻ってきて欲しい。
――
細かい文言は違えど、だいたいこのようなことが書かれているのである。
立場上、長安からの書状に目を通さないわけにはいかないのだが、無駄に洗練された無意味な文章を読まされ続ければ疲れもするわけで。
「なんだかなぁ」
もしこれが劉弁を貶めるためだったり、劉焉を庇うために行われたものであったのであれば、それを上奏した者を謀反人として処分すれば済むので、話は簡単であった。
しかしながら『劉焉の討伐は皇甫嵩将軍に任せておけばいい』という主張からもわかるように、今回劉弁に帰還を促すよう上奏している連中にそんな気持ちはない。
あくまで皇帝である劉弁が戦場にいることや、長らく都を空けていることに対する苦言である。
良く言えば、戦よりも政を重視している。
悪く言えば、視野が狭い。
もし、今が血で血を洗う乱世の真っただ中ではなく、法と儒の教えが尊ばれる治世であったならば、彼らの意見もあながち間違ったものではなかっただろう。
だが、現実は非情である。
「彼らにも彼らの言い分がございます。決裁が遅れるのも事実なら、陛下の不在を案じるのも決して間違ったことではございません。故に奸臣として罰する必要はないかと。ただし、意見そのものが著しく的を外しておりますので、考慮するには値しません」
「それ、結構致命的なんだけどね」
「さりとて、視野が狭いというだけで処罰することはできませぬ」
「まぁね」
自分の視野だって広いとは言えないのだ。
彼らに反逆の意思が無いのであれば、黙認するのが君主として正しい在り方だろう。
問題があるとすれば、彼らの言い分を無視し続けた場合に発生するであろう、大小さまざまな誹謗中傷くらいだろうか。
皇帝に対するそれは、間違いなく不敬なものだ。
不敬なものではあるものの、儒の教えに則れば、皇帝にはそれらの意見を忠言として聞き入れる度量が求められる。
劉弁としても、視野の狭い連中が述べる的を外した意見を無視して誹謗中傷されるのはどうかと思わないでもないが、所詮は陰口。その程度であれば我慢できる忍耐力はあるつもりだ。
それになにより。
「彼らが生きていられるのもあと数年、長くて数十年くらいだしね。少しくらいは目溢ししてあげてもいいでしょ」
「ですな」
名家の連中はことあるごとに『自分たちがいなければ国家の運営などできない! 故に我らを厚遇せよ!』と嘯いていた。それらの主張はある意味では事実だろう。
彼らが独占していた”文字”や”数字”、それらを利用した”計算”といった様々な知識がなければ、国家の運営はできないのだから。
逆に言えば、だ。
重要なのは”彼らが独占していた知識”であって、彼らではない。
よって彼らが持つ知識を他の人間に伝えることができれば、名家の連中に頼る必要などなくなるのである。
もちろん、どんな細やかな知識であっても隠すし、仕事に関する知識に至っては『家伝』だなんだと言って秘匿するのが当たり前のこととして認識されているこの時代、自分たちにとって飯のタネとも言える知識をばら撒くような阿呆はいない。
そう、どこぞの太傅以外には。
「連中は李儒を甘く見過ぎだよ。都落ち? 朕から離れた? 関係ないね。むしろ邪魔な連中がいないところで好き勝手できるって喜んでいるんじゃない?」
「そのようですな」
どこから仕入れたは不明ではあるものの、間違いなく国家運営に役立つさまざまな知識を惜しげもなくばら撒く外道が健在である限り、家柄しか取り柄のない連中の将来は決まったようなもの。
好き勝手に広められるであろう誹謗中傷も、これから死にゆく連中の戯言と思えば我慢できる。
「そもそもさぁ、帰還を促してくる連中って、現時点で朕が長安に帰還することの意味を正しく理解しているのかな?」
「していないでしょうな」
「だよねぇ」
彼らは二か月という期間を問題視しているようだが、要衝を擁する敵との戦に於いて二か月という期間は、数年前に行われた董卓軍と反董卓連合の戦いが一年近くに及んだことを見ればわかるように、決して長いと言えるものではない。
歴戦の将帥たる董卓や孫堅はもちろんのこと、それなりに軍務経験がある将帥であっても『むしろこれからが本番だ』と嘯く程度の期間と言えるだろう。
それを長期の不在と言われても……というわけだ。
まして今回の戦は、皇帝自ら兵を率いて行われる親征である。
なんの成果も挙げていないまま長安へ帰還すれば『親征が失敗した』と世に示すこととなる。
それはそのまま、反董卓連合に参加した諸侯らに『劉弁に皇帝たる資格なし』と騒ぎ立てる名分を与える行為となるのだ。
騒ぎ立てた連中を即座に討伐できるだけの武力があればいいのだが、今の劉弁陣営にその力は、ない。
それどころか、明確な反逆者として認めた劉焉すら討伐できていない。
このような状況下にあって、徒に皇帝を軽んずる勢力を増やすのは、政略的にも戦略的にも愚行である。
もちろん董卓という暴力装置は今も存在しているので、敵を討伐すること自体は不可能ではない。
しかしながら、それを選んだ場合、董卓の功績が大きくなりすぎるし、なにより『董卓に頼りきりの皇帝』という評価が固定化してしまうことは避けられないではないか。
劉弁は示したいのだ。
皇帝とは、宮中で奸臣に囲われる存在などではない、と。
皇帝とは、自らの足で地に立ち、自らの手で敵を斬り、自らの口で国家の大計を語る存在なのだ、と。
この親征はその第一歩。
敗けて退くならまだしも『文官に呼ばれたから帰る』なんて選択肢はない。
そういった劉弁の意志は、李儒や司馬懿はもちろんのこと、董卓も李厳も、なんなら皇甫嵩や朱儁だって理解している。
故に彼らは劉弁の出陣を止めなかったし、今も退却を促していない。
むしろ絶対に退くなと念を押しているくらいだ。
だからこそ、とでも言おうか。
「絶対に落とすよ」
「御意」
堅固な要塞よりも尚堅い意志を以て戦場に臨む劉弁。
その脳裏に撤退の文字はない。
故に長安からきた書状はほとんどは破棄されることとなる。
そう、ほとんど、は。
「それで、さぁ」
「……」
「母上と唐からの書状にはどう返事をしたらいいかな?」
「……さて」
一部から【外道の後継者】と認識されている俊英、司馬仲達。
そんな優秀な彼であっても、戦場に赴いた子を心配する母や、同じく戦場に赴いた夫を心配する妻からの嘆願に対する明確な答えは持ち合わせていなかった。
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